君と一つ屋根の下
「じゃ、行ってくるわね」
真新しい白のワンピースを纏った薫は振り向くと、桜色のルージュを引いた唇を微笑ませた。
「あんまり遅くなるなよ」
俺はソファに寝転がったまま答える。
声がくぐもって不機嫌に響くのを感じた。
どこの誰に見せるつもりでそんな格好をしているのか知らないが、俺はお前の素顔を知っている。
「分かった」
こちらの心の内を見透かしたように、相手はどこか寂しく笑った。
カツン、カツン、カツン、カツン……。
薫のハイヒールの靴音が遠ざかっていくのを聞きながら、俺はソファの下から結婚情報誌を取り出す。
“互いの両親への挨拶”
“双方の家族顔合わせの際の服装・マナー”
こちらの両親はもう亡くなったと彼女には伝えているからいいとしても、家族顔合わせの服装はどうするか……。
ブーン、ブーン……。
ぎくりとして音のした方を見やる。
テーブルの上に置いたスマホが液晶上の緑色のランプを点滅させながら振動していた。
Eメールのアプリを起動すると、“紫織”のフォルダに一通のメールが来ている。
彼女からだ。
妙な胸騒ぎを覚えながら開くと、次の瞬間、全身から血が一気に引いていくのを覚えた。
「やっぱり他に相手がいたのね。あなたの部屋から白ワンピの綺麗な女性が出て行くのを確かに見ました。プロポーズはしてくれたけれど、どうも私に隠し事をしている風だったので、いけないとは思いつつ、あなたのマンション周辺を見張っていました。怒りを覚えるよりも、何も知らなかった自分があまりにも」
文面は途中で切れていた。
*****
「何しにきたの」
ドアを開けて俺と薫の姿を認めると、蒼ざめた顔に泣きはらした真っ赤な目をした紫織は精一杯抑えた声で尋ねる。
「電話しても君が出ないから、直接、誤解を解きに来たんだ」
きっと、俺も目の下に隈が出来て酷い顔になっているはずだ。
彼女から電話もメールも着信拒否にされ、昨夜は眠れなかったから。
「何が誤解だって言うのよ」
俺たち二人と向き合うと、紫織は頭一つ分小さく骨の細い体つきをしている。
まるで大人と子供だ、とどこか冷静な頭で思う。
「わざわざそんな女連れてきて」
白ワンピースに桜色のルージュで着飾った薫を見上げるようにして紫織は睨み付ける。
その目には、ぞっとするような憎しみが込められていた。
「だから……」
言いかけた俺を遮る形で、紫織は薫に食い下がる。
「この人、私には、弟と暮らしてるって嘘ついてたのよ」
嘲るように笑いながらも、彼女の赤い目からまた涙が零れ落ちた。
「嘘じゃないわよ」
薫は苦く笑うと、桜色のルージュを引いた唇を拭い、ウイッグを取った。
そうすると、首から上は、俺そっくりな男が姿を現す。
「確かに心は女だけど、双子の兄貴を狙うことはないから、どうか安心してちょうだい」(了)




