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半年後の桜

「ごめんください」

 晴生はるおは努めて笑顔を作ると、庭にうずくまってこちらに黄土色のTシャツの背を向けている相手に声を掛けた。

 すると、相手は黙って真っ直ぐな栗色の髪をショートに切り揃えた頭を振り向ける。

 顎の僅かに尖った、小さな白い顔の中で、焦茶色の瞳が眩しげに細められた。

 秋の空はまだ水色だが、日差しは夕方の色合いがうっすら帯びている。

 青年は手にしたクリーム色の包みを示すと、今度は少し声を潜めて告げた。

「駅前で買ってきたよ」

 晴生は爽やかに明るい笑顔のままだが、言葉を受けたかえでは、長くしたままの前髪に半ば隠れた切れ長の目を落とす。

「別にいいのに」

 高校生の少女にしては低いその声は、どこか不機嫌さを含んで響いた。

「モンブラン、好きだっただろ」

 青年の顔からも笑いが消え、声が力なく転がり落ちる。

「さくらちゃんはね」

 相手は打ち切るように答えた。

 と、小さな白い面がまた晴生に振り向く。

「玄関の鍵、いてるよ」

 打って変わって、穏やかな口調である。

 切れ長の瞳には憫笑めいた気配が漂っていた。

*****

――コーン。

 線香の先から白檀びゃくだんの匂いを帯びた白く細い煙が立ち上る中、りんの響きが広がっていく。

 仏壇の傍らに置かれた黒い額縁入りの写真では、ブレザー姿に栗色の長い髪を下ろした、大きな円らな目の少女が、水色の無地の背景を後ろに微笑んでいた。

「この卒アルの写真、嫌いだって言ってたのに」

 晴生はそう呟くと、寂しく笑う。

 知らず知らず、その手が写真の笑顔に伸びていく。

「あの時、選んでる余裕なんてなかったもの」

 青年の指先が額縁のガラスに触れるか否かのところで、庭から刺すような声が飛ぶ。

 晴生はぎくりと振り向く。

 庭に面したガラス戸が開かれ、網戸越しに楓が庭にうずくまる後ろ姿が認められた。

「お母さんのデジカメに、大学の入学式の写真も入ってたけど」

 黄土色のTシャツの背は語り続ける。

 離れた所から眺めると、肩の薄い、腰の細い、全体に華奢な体つきが目立った。

 と、そのか細い腕の動きが止まった。

「でも、それから一週間もしない内に……」

 晴生はまるで音を聞きつけられるのを恐れるかのように網戸にそっと手をかける。

 網を張った戸はカラカラと乾いた音を立てて開いたが、楓は振り返らなかった。

「知ってるよ」

 晴生は言い切ると、そこで力を使い果たしたように足元に目を落とす。

 そこにはサンダルが一足、揃えられていた。

「俺も一緒に撮ったんだから」

 沈黙が流れた。

 空は水色よりだいだい色が濃くなってきている。

 晴生はコンクリートの三和土たたきにそっと降りて、サンダルに足を入れた。

「このコスモス、楓が植えたの?」

 庭と三和土の境目の一角に群れて咲く、夕陽と同じ色の花々に青年は目を留める。

「お父さんが植えた」

 相手の声は、既に元の素っ気なさを取り戻している。

 背後から見える両腕は先程より忙しく動く。

「オレンジだと、何だかコスモスじゃないみたいだ」

 沈むと同じ色の花は、微風にあおられて、揺れている。

 腐葉土の匂いを含んだ風は柔らかだが、ひやりと湿ったものを含んでいた。

 晴生は自嘲的な面持ちで続ける。

秋桜あきざくらって書くから、ピンクや白じゃないとそう思えないや」

 振り向かない黄土色のTシャツの背に目を注いだまま、青年は冗談めいた口調で切り出した。

「髪を、また切ったね」

「うん」

 どうでもいいでしょ、という調子を言外に滲ませて、楓は額を拭う仕草をする。

「半年前は、君も長かったのに」

 さして大きな声でもないのに、晴生の声が重く響く。

「後ろ姿だと、よく見間違えそうになった」

 夕暮れの風を受ける青年の目に光るものが宿った。

「どうして男みたいな頭にする」

 それは疑問ではなく明らかな非難だった。

「髪だけじゃない、服も何も……」

 言い掛けた晴生を楓の低い声がぴしゃりと制す。

「この方が楽だから」

 少女は振り向きもせず、新たにまた草を毟り始めた。

 手元の草を抜くのに合わせて、しゃがんだまま、少しずつ移動していく。

 その先には、桜の木がブロック塀を背にして一本立っていた。

 黄色と朱色に変わった葉を音もなく揺らしながら。

「楽?」

 晴生は寂しく笑って問い返す。

「男の振りをするのが」

 夕焼けが照らし出す桜の木の枝葉を、風がざわざわと音を立てて通り抜ける。

「俺には何だか、自分でないものになろうとしてるみたいに見えるんだ」

 楓は手を止め、再びおもてを振り向けた。

 その顔からは笑いが消え、切れの長い目がじっと見張られて彼に注がれる。

 怒ったような、怯えたような、とにかく凝固した面持ちのまま、小さな口だけが何かを言いかけて止まった。

 風が止まり、どこからか金木犀きんもくせいの匂いが立ち上ってくる。

 噛み砕いた金平糖に似たオレンジの花から漂う、甘過ぎて、少しきつい香り。

「さくらが見たら、どう思うかな」

 彼は哀れむように笑うと、夕焼けと同じ色の秋桜を掻き分けて、日暮れの庭に足を踏み入れた。(了)

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