第九話 調査
コーネスライトは通商都市である。
だがそれも、アルネシア東部にある通商都市ヴァシロントなどとはその性質が違う。
未開の西部と中央、更にその先にある東部とを繋ぐ玄関口ともいえるコーネスライトは、まだ法律などが未整備な部分も多く、それ以上に秩序が確立していない部分が大いにある。
それは必然的に猥雑さや混沌などと結びつきやすくもあり、結果として治安は余り良くない。
尤も更に西部に行くと、王都では取り扱いが禁止されているようなものが平然と表通りで売られている光景も普通に見られる事を考えると、コーネスライトはまだマシなのかも知れない。
だがそれは表面を取り繕えているというだけであって、その内実は決してまともではない。
一歩足を踏み入れれば、そこには得体の知れない魑魅魍魎が蠢いている。
ウォルト・アビントンは、そんな魑魅魍魎と対峙するのに人生の大半を捧げてきた男だ。
階級は都市警察の特別捜査官。
コーネスライトにおいて、警察組織というのは騎士団、つまり軍と同じような階級構成を取っている。だが騎士団においてもそうだが、単純に功績を残した者を出世させ大勢の部下を任せるというだけでは上手くいかない事が多い。単独で動くのに向いた存在もいるし、そもそもコンビで初めて能力を発揮できる存在もいる。
ウォルトの特別捜査官というのは、そんな例外扱いの一種だ。その名の通り捜査活動を専門とし、ある程度の自由裁量で事件を追う事も出来る。
……何が起こっていやがる。
そんなウォルトは裏路地の一つを慣れた様子で歩きながら、胸中で苛立ち混じりに呟いた。
ウォルトは猫背で小太りの中年男だ。鈍重そうな見た目だが、眼光だけが鋭い。愛想笑い一つ浮かべない口元とあいまって何処か陰気くさく、近寄りがたい雰囲気を発していた。
「…………」
辺りをさり気なく観察しながら、歩く。
ウォルトは長年この都市に暮らし、捜査活動を行ってきた。
だからこそ、街の雰囲気が変わったのを感じざるを得なかった。
始まりは、レッス砦崩壊の報が届いた事だろう。それ以来、街の雰囲気は急速に悪くなっていった。
ぴりぴりと張り詰めたものが漂い、誰も口にしなくても何処か追い詰められていくような恐怖を感じていた。
それが一気に悪化したのが、他でもないこの都市の領主であるアキム・バラネフによるケレスター商会の殲滅からだ。
……そう、あれは殲滅だ。
籠城状態にあったケレスター商会本部を圧倒的な武力で蹂躙する。あれが今の都市の空気を決定づけたと云っても過言ではない。
それを為したアキム・バラネフの懐刀、黒尽くめの甲冑の噂は、少し耳聡いものなら誰でも知っているものとなった。まだ大した日数も経っていないのにこれは異常とさえ云える。
恐らくそれだけ皆が不安だったのだ。
領主を頂点とする都市政府と商工会の対立。
レッス砦の崩壊以来、この都市においては周知の事実とすら云えるそれが一気に悪化した。その挙げ句が商会の中でも最大とすらいえるケレスター商会の籠城だ。
みな耳目をそばだてていた。
そこへ――あの虐殺だ。
これ以上ないと云えるくらいに衝撃的だった。
結果訪れたのが、この緊張と不安だ。
……アキム・バラネフは何を考えている。
あれによって都市政府と商会の争いは違うステージになったと言って良い。現に他の商会が徐々に反領主の活動を始めようとしている。それが本格的になっていないのは、ひとえにあの武力の裏付けがあるからだ。
ケレスター商会を単身で滅ぼしたと噂の黒尽くめの甲冑。
その正体については色々云われているが、全くの不明。金で雇われた超一流の傭兵やら、バラネフ家の秘密兵器やら、詮索と云うよりは既に妄想の域を出ない。
その事に対し、ウォルトが推測できる事は何もなかった。
特別捜査官と云っても、その権限は普段からそこまで強い訳ではない。事件に応じて必要な権限が個別に与えられるのが普通だ。それ故に今回の事態についてウォルトが知っているのは、少し耳聡い一般人が知っているようなものと大した差はない。
だからこそ、ウォルトは無駄だと思いつつも街へと出て、新たな手掛かりを探して歩き回った。
だが大した成果は上がらなかった。
そんな折、ウォルトは自らの直属の上司から呼び出しを受けた。
「他の組織との共同捜査……ですか?」
切り出された言葉は意外なものだった。
今までほぼ単独かごく少数でのみ捜査をやって来たウォルトにとっては、余りやった事のない類の仕事だ。
上司の男は、怪訝そうなウォルトに対し一つ頷く。
「ああ、ロートの法衣貴族であるマンチェス男爵の御一行と、ファリ商会の総帥ユーニス・アンブラー自らの調査だ」
「……男爵の御一行は兎も角として、ユーニス・アンブラーが?」
ユーニス・アンブラーの名前は当然ながら知っている。
コーネスライトにおいて諜報活動の元締めのような活動を行っているファリ商会の現総帥だ。
まだ年は若かった筈。三年前に父である前総帥の死亡によって急遽総帥の座に就いたという経歴だが、それにしてはかなり上手くやっているというのがウォルトの評価だった。
ファリ商会とウォルトは、どちらかと云えば敵対関係とも言える。
尤も捜査において協力を依頼する事もあるので一概にそうとも言い切れないが、少なくとも大っぴらに共同捜査などを行った事など今まで一度も無い。
「……どういう事です?」
ウォルトの声も自然と厳しいものになった。
「さあ。細かい事はよく判らん。だがジェフリー・バーギンについては知っているな?」
「ええ、勿論。都市政府の大物ベルトルド・アンドレアンの殺害の容疑者で第一級の賞金首。生け捕りに限るなんて奇妙な条件がついていた事も含めて、忘れる訳にもいかないでしょう」
「今回の共同調査はそれに関するものがメインらしい」
「……なんだか、随分と持って回った言い方ですね」
ジェフリー・バーギンがメインだとすれば、サブは何だ?
目線でそう尋ねるウォルトに、上司の男は苦笑した。
「まあこれは秘密にしておいて欲しいが、どうやら上はコーネスライトの中にアルネシアからの独立を画策し、都市をロイスへ売り渡そうとしている勢力がいると考えているらしい」
「……はぁ」
いきなりそんな事を言われてもウォルトには今一つ実感が湧かないのだ。
ウォルトにとって大きな事件というのは商会同士の抗争などで、それ以上の事件など考えた事もない。第一国家規模の事件を解決するのは都市警察の仕事ではない。
そんな事を言いたかったが、まあ是非もないか。
ウォルトは胸中で溜め息一つ吐くと、口を開いた。
「で、それを俺にやれと?」
「ああ。だが幾つか注意点がある。それはロートの法衣貴族の方もそうだが、ユーニス・アンブラーの方にも気を許すな」
「まあ許すつもりはありませんが、何か理由でもあるんですかい?」
「手柄を下手に譲るなという事だ。そしてもう一つは連中の中に反アルネシア勢力がいる可能性も考えて動けとの事だ。向こうもそれを警戒しているからこそ、総帥のユーニス・アンブラーが直々にやって来るのかも知れんな」
「……成る程」
何らかの事情で王都の法衣貴族が協力しているのだ。その捜査隊の中に裏切り者がいたとでも云う事になれば、ファリ商会へのダメージは計り知れないものになるだろう。
ならば最初からその可能性のない人材を送り込もうという腹か。
幸いユーニスは実績が足りていない上に、貴顕を接待するには総帥という立場は完璧だ。
悪い手では無いのかも知れない。
「調査対象は、恐らくはナルミス商会からになるだろうと云う事だ」
無論、ナルミス商会の名は知っていた。
魔具などを取り扱う商会の中でも最大のものだ。商工会の議決権を持つ七つの内の一つであり、ロイスとの関係も深い。それは必然的に犯罪と関わり合う事も多く、ウォルトも良い印象を持っていなかった。
それに対して食い込めるというのならば、ウォルトにとって否はない。
「まあ、判りました。全力を尽くします」
言葉少なにウォルトは答える。
「では――」
そして上司の男の話が終わった事を確認すると、軽い会釈と言葉少なな挨拶と共に部屋を出た。
ウォルトが待ち合わせの場所に着くと、どうにも目立つ組み合わせがいた。
一人は若い男だ。
黒いスーツにシルクハット、それに頑丈そうなステッキを携えている。口元には穏やかな笑みが浮かび、端正な顔立ち、均整の取れた体付きとあいまってウォルトの目には如何にもな貴族に見えた。
その隣には、エルフの女が控えている。
腰元に剣を差し、その身のこなしに隙はない。奴隷を護衛にでもしているのかも知れない。
女エルフを護衛にするのは珍しいが無い訳ではない。只の愛玩用でも女エルフはかなり高価だ。今は供給が殆ど無い事もあり、コレクターが天井知らずの値を付ける事も珍しくない。
それを考えれば、護衛も兼ねる女エルフなど売れば一体幾らの値になるのか、ウォルトでは想像も付かなかった。
そして最後の三人目は、見た事のある顔だった。向こうも此方の事は知っているだろう。何度か話をした事もあった。
ユーニス・アンブラー。ファリ商会の若き総帥だ。
パンツルックのごく普通のスーツ姿。短めの髪、細身の体付きと合わさり、どこか中性的な印象を与える。
まだ時間前の筈だが、ウォルトが最後だったらしい。軽く会釈して駆け寄る。
「どうも、遅れてしまったようで」
「いえいえ、気になさらないでください。僕たちも偶々早く着いただけなので」
そんな言葉を皮切りに、それぞれと挨拶をしておく。
スーツの男がタリス・マンチェス、女エルフはソフィア・クリフォードと名乗った。
「で、今日は一体どうするんで?」
正直な話、権限だけ貰って一人でやりたかった。
だがそうもいかない。
ならば捜査の方針を決めるのは、この場では恐らくタリス・マンチェスとかいう貴族だ。木っ端の法衣貴族とはいえ、それでも貴族は貴族だ。次点で商会総帥のユーニスか。間違ってもウォルトが捜査方針を勝手に決められる面子では無かった。
だから、タリス・マンチェスのその言葉には驚いた。
「そうですね、実は貴方の事はそれなりに調べました。ナルミス商会についてはかなりお詳しいようで。此方はあくまで素人。出来れば貴方に指示を出していただきたいんですが……」
ウォルトはちらりと視線をユーニスの方へやるが、彼女はこくりと小さく頷いただけだった。特に不満はないらしい。
「それなら是非とも任せて貰いましょうか」
意外だったが、特に不満はない。それどころか望外に満足だ。
ウォルトは全員の技能をある程度教えて貰うと、調査の計画を立て始めた。
一言で調査と云っても、そのやり方には色々ある。
書類などを調べていく方法。人から直接聞き取っていく方法。物証を集める方法。
そしてそれぞれについて必要なスキルなども異なってくる。例えば大量にある公的な書類の内容を調べるのなら【高速走査】は欠かせない。だが隠し帳簿など何処かに隠蔽されている書類を探すのには別のスキルが必要になる。
これは人から聞き取るなどの時にも同様だ。【嘘感知】や【感情察知】などと呼ばれるスキルは絶対ではないが、あって困るものでも無い。
ウォルトはある程度何でもこなせるが、得意は【魔力探知】だ。
つまり残り香とでもいうべき魔力を感知したり、隠れている魔力を探し出す。そしてコーネスライトにおいてめぼしい存在の魔力については出来るだけ記憶している。
そしてその中にジェフリー・バーギンは入っていた。
だが逆に、書類などから情報を抜き出すのはウォルトはかなり苦手にしていた。出来ない訳ではないが、【魔力探知】に比べると雲泥の差と云って良い。
だがここで活躍したのが、タリスだった。
治癒士としての訓練も積んでいると告げたタリスは、書類などの走査に凄まじいまでのスキルを見せた。
確かに治癒士は様々な知識と技術が必要な職業だ。そして法衣貴族にとって書類仕事など基本中の基本だろう。だがその練度は只事ではない。
ユーニスもウォルトに比べれば書類仕事は得意だったが、それでもタリスに比べればその練度の差は一目瞭然だ。
なので捜査を続けていくと、自然と分担が出来ていた。
魔力の探知や対人をメインに動き、捜査の全体方針を決めるウォルト。
書類などについて調べるタリス。
ウォルトにつき、不足分のスキルを補うユーニス。
なおタリスの護衛であるソフィアはそもそも捜査自体に参加していなかった。
「……ふぅ」
書類の探査が一段落したので、タリスは一声掛けて屋上へやって来た。
場所はウォルトに案内されたナルミス商会の支店の一つだ。そこで先程までタリスは書類を捜査していた。内容は必要な部分を纏めて編集した魔具を置いておいたので、暫くタリスはする事がない。後はウォルトとユーニスの仕事が進むのを待つだけだ。
ウォルト・アビントンという男は、タリスの予想よりも有能な男だった。
これが吉と出るか凶と出るか……。
だが取り敢えずは問題なく進んでいる。ナルミス商会の書類などについて調べられる立場を得られたのも幸運と云えば幸運だ。人材データなどはそのうち役に立つかも知れない。
それに思った通りロイスとの繋がりについてはかなり根深い部分まで浸蝕されている。これをきちんと整理して理解するにはかなりの時間が掛かるだろう。またそうなって貰わないと困る。
その件もあり情報をある程度隠蔽したり、混ざっていたダミーをそのまま出したり、そんな工作をしておいたのだ。
「……調子はどう?」
そこへ声が掛かった。
後ろに控えているソフィアのものではない。
レイラだ。
「よっと」
そんな軽い掛け声と共にタリスの影から現れると、レイラはタリスの横に佇んだ。
レイラはタリスからそれほど長い間離れる事が出来ない。よって今回のように同行する訳にもいかない場合は、大抵このようにタリスの影に潜んでいる事が多い。訓練されたアサシンなら影に潜む事程度は出来るが、ここまで気配を消し、長時間、かつ殆ど消耗もせずにこのような事が可能なのはレイラの特質によるものも大きい。
つまりはタリス専用の術具であり、その身体はタリスの為にカスタマイズされているのだ。タリスの影に潜む事をそこまで大した消耗もせずに行えるのはそれ故であり、レイラがアサシンとして特別優れている訳ではない。
「まあまあって所ですかね」
隣にやって来たレイラに対して、タリスは答える。
実際それは正直なところだった。今回の捜査にかこつけて、商会の内部事情などを出来るだけ押さえておきたい。それが本音だったが、無理をしてもしょうがない。
「出来れば、ファリ商会の内情についても知りたいんですが……」
商工会の議決権を持つ七つの商会。
その中で最も内情を知りたいのが、諜報などを取り仕切っているファリ商会だった。それは恐らくアキムも同じだろう。諜報という性質上、商売の流れが見えにくく内情が掴みにくい。
抱えている人材などが判れば色々な場面で役に立つだろう。だが流石にガードが固い。
今回の事に関しても、都市政府に敵対するのだったら何とかなった。だが恭順されては手が出しにくい。
都市政府との間で適当な諍いを生じさせ、その調停過程で情報を引き抜けないかとも考えたが……どうだろうか。
状況次第だが、今の雰囲気からするとかなり難しいだろう。
だがファリ商会と都市政府の潜在的な対立構造はまだ崩れていない。都市政府、と云うよりもアキム・バラネフはファリ商会の人材をそのまま都市政府の諜報組織として吸収したいと考えている筈だ。
では、ファリ商会のユーニス・アンブラーについてはどうか?
一応情報は調べてみたが、あの女については余り情報が集まらなかった。
別に隠しているとかそういう訳ではない。ただ単に情報そのものが少ないのだ。
三年前に、父であり先代のファリ商会の総帥であったキース・アンブラーの死去によって総帥の座を引き継いだ娘。それがユーニスだ。
その評判自体は悪くない。
若いながらも優秀だという噂だ。
だがそれが実態を反映したものか、それとも只の噂なのか。それまではタリスも判らなかった。
それは実際に会い、多少なりとも仕事を共にした現在でも変わらない。
無能ではない。それは間違いない。
だが諜報を束ねる商会の長としてはどうなのか。それは流石にこれだけでは判断がつかない。
「……あのユーニスとかいう女性をどう思いますか?」
時間が余った事もある。自然とタリスは自らの疑問を口にした。
「……ん、どうしたの?」
それがレイラには少し意外だったのだろう。声には僅かな驚きがあった。
「いえ、これからの事を考えるとあの女性のパーソナリティが結構重要になりそうなので」
「…………」
「…………」
タリスの言葉にレイラとソフィアがお互いに視線を交わす。やがて何らかの同意が取れたらしい。まずソフィアから口を開いた。
「堅実で優秀で真面目だな。軍隊の指揮官としては優秀だろう。背中を安心して預けられそうだ」
「……堅実で優秀で真面目ねぇ」
それは諜報という商品を扱う組織の長としてはどうなのだろうか。
それとも元締めである商会にはそのような資質こそが必要なのだろうか。
そこら辺はタリスには窺い知れぬところだ。
「まあ、いいです。レイラは?」
「死臭が薄いわね」
タリスはレイラの答えに軽く頷く。
その事についてはタリスも感じていた。殺したにしろ、周りの人間が殺されたにしろ、『死』に触れた人間は必ずどこか変わっていく。それを隠しきる事は出来る。タリスとてそれをやっているからこそ、大抵の人間はその欠片も見抜く事が出来ない。
だがユーニスの場合は隠している匂いすら感じなかった。ほぼ間違いなくあれは素だろう。
挙止には訓練した跡が見えた。それを隠している事も判った。だが死臭に関してはそれが無い。
「……ふむ」
タリスは顎に手をやり、黙考する。
ファリ商会を潰す事は出来る。だがその商会の性質上、組織形態がかなり分散型になっている。ケレスター商会のように本部を叩けばそれで済むという訳にはいかないだろう。
そしてそれ以前に、タリスはファリ商会の力を利用したいのであって潰したい訳ではないのだ。
強力な敵に成り得て、味方に出来ない。そんな条件を満たしてしまったら幾ら困難でも潰す必要があるかも知れないが、幸か不幸かそこまででも無い。
そこがアキムの都市政府と異なるところだ。
……もしかしたら、使えるか?
タリスが胸中で呟く。
ファリ商会の組織は現状では安定している。ユーニスはまだ未熟なところもあるのかも知れないが、充分にその職責を果たしている。
だがユーニスの性格にはやや甘いものが見え、余り諜報や陰謀に向いているとは思えない。
そして大前提として、ファリ商会はコーネスライトの中で特に影響力を持つ商会の内の一つだ。
……ここからの流れによっては、いけるのかも知れない。
タリスは思考を巡らしていく。
だが現在の所、不確定要素が多すぎるのも確かだ。
「……結局の所、出たとこ勝負ですか」
暫しの黙考の後、出てきたのはそんな言葉だった。
ウォルトとタリス達、それにユーニスはそんな風にナルミス商会の調査を続けていった。
最初に資料にあたり、目星を付けてから現地へ向かい、ウォルトが其処を調べる。それを地道に繰り返す。
ウォルトというメンバーが含まれている所為だろう。このメンバーの調査対象はほぼジェフリー・バーギンの捜索に絞られていた。
無論、資料の中にはそれと関係なく、だが捨て置く事が出来ないような情報もあった。そんなものは、ファリ商会の力を借り情報を集め、最後に都市警察に引き渡された。
時々は調査段階から都市警察が関与する事もあったが、組織としての調査能力は明らかにファリ商会の方が上だった。
尤もこれは致し方ない部分もある。都市警察はそもそも商会には警戒される立場だ。どうしても内部情報が足りない。また人材に関しても、調査だけをしていればよい訳ではない。
むしろ、都市警察内部において捜査に関するスキルを高練度で修めている人間は割合としても少なく、大体はかじっているというレベルでしかない。
これは都市警察が無能だという事ではない。
本来、都市警察に必要なのはある程度の捜査能力とそれなりの武力であり、調査専門のスキルがそれほど高いレベルで必要という訳ではないのだ。
また都市警察は他の商会の警戒などもしなくてはいけなかった。
特に現在コーネスライトはいわば戒厳令下と云っても過言ではない。最大の商会は自らの領主の手によって殲滅され、北には屍鬼の群れ。都市政府の幹部は暗殺され、まだ犯人は捕まっていない。
このような状態では何が起こるか判らない。だが治安は確実に悪化傾向にあった。
現に自棄になった人間の喧嘩から、火事場泥棒。強盗に殺人。更に詐欺のようなものまで幅広い事件が増加している。
当然都市警察はその対応に忙殺されていた。
そんな中、ウォルト達は調査を続けていく。
そしてウォルトがタリス達と共に調査を続けてから五日目。
ナルミス商会が所有している家屋の一つを訪れた時、ウォルトは確かな魔力の残り香を嗅いだ気がした。
――間違いない。ジェフリー・バーギンだ。
だがウォルトはそれをタリスにもユーニスにも伝えなかった。
無論これは裏切りに等しい。だがウォルトはそれを上司に命令されていたし、その事に対してそこまでの罪悪感は抱かなかった。これはそもそも対立していた組織だからと云う事も大きいだろう。騙される方が間抜けなのだ。
尤も、その事に気付かれれば当然印象は悪くなる。隠しきれないとウォルトが判断した時にはそれをばらす許可も受けていた。
しかし対人の交渉スキル等に関しては、ユーニスよりもウォルトの方が上だ。そしてタリスに関しては、もっぱら書類を相手にしているのだ。誤魔化す方法はある。
それ故にウォルトは調査途中に密かに連絡を取り、家屋を監視。
もしジェフリー・バーギンが家屋内にいた場合に取り逃す事が無いように態勢を整える。
そして上司の下へ戻った後、詳しい内容を報告した。
上司はそれを更に上へと報告し、その情報は最終的に領主であるアキム・バラネフの元へと届いた。
結果として、アキムは都市政府単独の襲撃を決定した。
その理由は幾つかある。
まず第一に、タリスという存在を嫌った為。
仮にジェフリー・バーギンがコーネスライトに関して致命的な情報を握っていた場合、それをロートと繋がっているタリスへと知られるのは大きなデメリットだ。今後のコーネスライトの舵取りが歪んでしまう可能性すらある。
勿論、ジェフリー・バーギンがそのような情報を持っている可能性は大きくはないのかも知れない。だが反アルネシア組織におけるジェフリーの立ち位置は不明だ。既にアルネシアに対して害を与えるような活動をしていた可能性だって充分に考えられる。
そして第二にリベンジと面子の為。
以前ジェフリー・バーギンの居場所を捉え襲撃を仕掛けたとき、部隊は返り討ちに遭い、恐らくその結果として都市政府の幹部が殺された。この失態によって都市警察のプライドは酷く傷ついた。更にその上、再びの襲撃作戦で他の組織の手を借りたとなればそれは都市警察の無力をさらけ出す事になる。これは面子の問題だけでない。もっと実利的な問題を発生させる事になる。
そして最後にアキムの感情と信用の為。
つまり例え一度失敗したと云っても、アキムにとって信じられる実働戦力は都市警察と騎士団しかいないのだ。そこに諜報を取り仕切るファリ商会を入れれば、何か裏を取られ出し抜かれるかも知れない。その恐怖がアキムはどうしても払拭できなかった。アキム自身は気付いていなかったが、そこには腹心とも言える幹部を殺された復讐を自らの子飼いの部下の手によって成し遂げたいという感情も含まれていた。
このような理由によって、アキムはジェフリー・バーギンを自らの勢力のみによって捕縛する事を決定した。
だが一度失敗している事は確かなのだ。もう絶対に失敗は出来ない。
密かにウォルトが動きつつ、ジェフリーがいる事に間違いがないかを確認。また抜け道などを調べていく。無論その間、監視の目は絶やさない。
結果、その準備が整ったのは二日後だった。
襲撃には最精鋭と云ってよい人材が当てられる事になった。いざという時の為に屍鬼を警戒するために北へ派遣されていた騎士団から一部の人材を呼び戻し、都市政府の中でも選りすぐりの人材を惜しげもなく投入する。
その総指揮を執ったのが、ツェーザル・バッハマン。
大部隊の指揮については騎士団長のホルスト・ベスターに劣るが、このような比較的小規模な作戦指揮、そして個人としての武勇はコーネスライトでも屈指と謳われる戦士だ。
探知役としてウォルトもその作戦には同行する事になっていた。
……まあ、犬みたいなものだ。
鼻を利かせて目的のものを探しだし、主人に教える。
期待されているのはそんな役割だし、その事に不満はなかった。
「……今日はよろしく頼む」
初めて会ったツェーザルは、思ったよりも物静かな印象を与える男だった。長身痩躯の体付きだが、華奢な感じはしない。黒髪に鋭い目付きをしている。防具についてはそこまで大した装備をしている訳ではない。だが腰に差した打刀が異彩を放っていた。
辺りは既に闇に包まれている。
襲撃部隊は目算で五十人前後だろうか。他にも包囲などに当たる人間はもっと多いだろう。
「戦闘に関しては俺達が請け負う。お前さんはジェフリー・バーギンの居場所を探るのに専念してくれ。またその際にはこいつを護衛に付ける。いざという時の指示はこいつに従ってくれ」
そう言って紹介されたのは、まだそれほど年のいっていない男だ。どこか飄々とした雰囲気を持っている。腰元には小回りの利きそうな剣を差しており、防具もツェーザルに比べれば重装備だ。
ゴーチエ・ボドワンと名乗ったその男も、やはりそれほど重武装ではない。隠密の襲撃という事もあり、目立つ事は避けようという考えなのかも知れない。
だがウォルトにそんな技能はない。
「いいんですかい? 俺には隠密しての侵入なんてスキルはありませんぜ。俺なんかを連れて行っちゃ向こうに気付かれるんじゃ?」
「なに、気付かれる時は気付かれる。それに逃げられない算段はしてある。俺たちが重武装をしていないのは、その必要がないからであり、機動力を殺したくないからだ」
「……その必要がない?」
「ああ、前回の襲撃のデータは見た。メインはリザードマンの拳士と狙撃手だ。はっきり言って重武装で身を固めても仕留めるのは楽にならん」
「成る程」
その理屈はウォルトにも理解できた。
拳士などというのは、戦士系の中でも最も多様な攻撃手段と身軽さを誇るクラスだ。向こうがやって来て耐えきるのだったら重武装も役に立つだろうが、向こうが逃げようとしているのを仕留めるのに重武装を着込んだ戦士では追いつけないだろう。
「さて――」
ツェーザルが窓の方へと向かっていた。
此処は作戦拠点として、ジェフリー・バーギンが潜伏している建物の近くに用意された家屋だ。
窓の先には、これから襲撃する予定の建物が見える。
屋敷というほど豪華ではない。だが一般の住居というには少し大きすぎる。
それは打ち棄てられた屋敷のようでもあり、何かの施設のようでもあった。
階数は二階だが、地下に一階があり、隠し部屋などは不明。隠し通路も存在するようだが、見付けた分は封鎖済みだ。
周りには狙撃部隊を始め多数の部隊が展開しており、あそこからはネズミ一匹逃げ出す事は出来ないだろう。
後はあそこへ入っていって目的の獲物を追い立てるだけ。
「始めるか」
ツェーザルが窓の先に目的の場所を捉えながら、小さく、だがよく通る声で告げた。