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第七話 罠

サブタイトルが今一つ思いつかない。



「一体なにがどうなっているっ!?」


 アキム・バラネフは怒声と共に拳を机に叩き付けた。

 場所は領主館の執務室。極々限られた側近しか入る事を許されない場所だ。

 だからだろう、アキムは感情を露わにしていた。


「……ケレスター商会が壊滅し、エヴァン・バーグソンが殺された、だと」


 呻くようにアキムが呟く。

 その表情は厳しく、口調は苦々しげだ。

 コーネスライトの領主であるアキムにとって、ケレスター商会は対立していた相手だ。それが壊滅した。普通に考えれば、悪い事ではない。だがアキムの胸中にはとてもそれを喜べる余裕が無かった。

 代わりにあるのは、怒り、困惑、そして恐怖。


 ケレスター商会との対立は、以前からある程度想定していた。

 レッス砦の崩壊に端を発する一件で急進的なやり口で前倒しになったが、ある意味既定路線とも言えた。

 だからこそアキムは自らの虎の子の騎士団を使い、籠城状態になったケレスター商会本部を取り囲んだ。だがそれは間違っても殲滅する為ではない。アキムも馬鹿ではない。商会本部を攻め落とすような戦力が包囲した戦力に無い事くらいは判っていたし、そもそもそうするつもりも無かった。


 そしてその事は、恐らく向こうのトップであるエヴァン・バーグソンも判っていた筈だ。

 つまり商会本部の籠城体勢とそれに対する騎士団の包囲。これは盤面を作っている段階であり、実際の駆け引きはそれからだった。少なくともアキムはそのつもりだったし、恐らくエヴァンもそのつもりだった筈だ。


 睨み合いの状態になれば、アキムはレッス砦の現状や領主としての権威を利用し、他の商会の切り崩しに動くつもりだった。無論話し合いだけで片が付くとは思っていない。その時は都市警察なども動員し武力に訴えるつもりだった。

 籠城しているという事は攻めがたいという事でもあるが、その武力を他に向ける事が難しいという事でもある。つまり籠城状態のケレスター商会は他の商会に対してのカードを一枚封印されているも同然なのだ。勝ち目はあった筈だ。


 勿論、向こうも只ではやられはしない。

 籠城せずに都市の各地に散らばった人員を使い、政治的、経済的に圧力を掛けてきた筈だ。だがコーネスライトをロイスに売り渡そうとしている勢力の情報を上手く利用すれば、この局面でも有利に立ち回れた可能性は充分にあった。なにせコーネスライトをロイスに売り渡そうとしているともなれば、それは国に対する明確な反逆だ。単なる領主との対立などという次元ではない。王都が出てくるだろう。そうなれば地方都市の商会程度に抗う術はない。完全に潰される。

 そしてその事は商会もよく判っている。ならば、それを橋頭堡として切り崩せる目は充分にあった。

 つまりは反アルネシアの組織の摘発という名目で人員を借り受け、それを利用してケレスター商会の政治工作に対抗する。舵取りが少々難しくなるが、自分なら出来たはずだ。


 アキムはケレスター商会との対立について、そんな盤面を思い浮かべていた。


 ――だがそれが完膚無きまでに破壊された。


 読み違いがどうこうという問題ではない。盤面を構成する盤そのものが完璧に破壊された。

 報告では、アキムの援軍を名乗った黒尽くめの甲冑を着込んだ男が単独で商会本部に押し入り、それを契機として本格的な衝突に発展したようだ。

 そしてその結果、商会の守備隊は事実上壊滅し、総帥であるエヴァン・バーグソンを始めとした主立った幹部がみな殺された。

 ここまでの事態は想定もしていなかった。戦略の大幅な見直しが必要だ。

 読めないのは、他の商会の動向も同様だ。武力を要所で扱うが、基本的には交渉で切り崩していく予定だった。今回の一件で態度が硬化する可能性は充分にある。

 それともいっその事、事態をぶちまけるか?


 つまりあの黒尽くめの甲冑は、アキムが全く関与していない第三者だと打ち明ける。だがそれが切っ掛けとなったとはいえ、騎士団とケレスター商会本部の守備隊が衝突した事は事実だ。

 例え打ち明けたところで、相手は信じるか? そしてそもそも信じて貰ったところでどうなるというのだ?

 たった一人の第三者の行動を、1500からいる騎士団は掣肘できなかったとでも懺悔するのか?

 だが打ち明けなければ、アキムの指示でケレスター商会の面々を殺した事になる。それが一体どんなデメリットを生むか、アキムには今一つ読み切れなかった。


「――ちっ!」


 アキムは苛立たしげに舌打ちをすると、思考を取り敢えず打ち切った。

 現状ではどちらとも決められなかった。そしてそれだけに注力する訳にもいかない。


「それで北の様子はどうなんだ?」


 アキムは控えていた部下に対し、問いを投げる。

 レッス砦から発生した屍鬼達は周辺の幾つかの小規模な砦を飲み込み、勢力を拡大していた。

 現在、コーネスライトの騎士団の主力である3000はその屍鬼に対処するために北部へ進駐している。


「小康状態といったところです。我が騎士団を始め、周辺の各都市などから戦力が集まり防衛ラインを形成しています。すぐにどうにかなる事はありません」

「だが事態の解決にはまだ時間が掛かると?」

「時間が掛かるというか、情報が出そろっていないのが現状です。今強引に攻めれば殲滅は出来るかも知れませんが、犠牲が余りに大きくなりすぎます。それに少し気になる情報が……」


 部下の曖昧な言葉にアキムは眉を顰めた。


「なんだ?」

「まだ未確認なんですが、砦にあった死体以上にアンデッドが増えているらしい、と」

「……どういう事だ?」


 アキムは当然ながら死霊術などを修めている訳ではない。アンデッドが生まれる仕組みも一般常識以上には知らなかった。


「基本的に人間の死体一つから一つのアンデッドが生まれます。変な話ですが、これが一番コストが安いアンデッドの作り方のようです。ですがレッス砦から発生したアンデッド達は存在したであろう死体の数以上が存在している」

「それがおかしいという事か?」

「おかしい、とは少し違いますね。私も詳しい訳ではありませんが、別に死体が無くてはアンデッドを作れない訳ではないようです。だからその事自体に不思議はない。だがその為には、一つ余計な手間が掛かるという事です。まあ、面倒なので結論から言ってしまいますと、可能性は二つ。一つは何処からか死体が運び込まれている」


 だが現在その場所は騎士団で包囲されている。恐らくその可能性は低いはずだ。


「……もう一つは?」

「あの場所に細工が施されている」

「…………」


 アキムは無言で話の続きを促す。


「他の可能性も考えられるのですが、術者がいない、少なくとも十二導師クラスの死霊術士がいないという事を考えると、あの土地に細工があると考えるのが一番自然なそうです」

「判らんな。そんな土地に細工など一朝一夕で出来るのか? 土壌改善にしろ迷宮作成にしろ、かなりの時間と予算を使うだろうが」

「ええ。ですから事態を引き起こした犯人は、かなり前から今回の事を計画していた可能性が高いと。そしてもう一つ、土地に細工が仕掛けられているのなら、迂闊に踏み込めば何が起こるか判りません」

「どちらにしろ北は膠着状態といった所か」


 無理に攻め入るにリスクが高すぎるのなら、他の場所から攻めるしかない。


「先程の土地に対する細工に関してだが、それをやったのは矢張り……」

「はい。現状の所、コーネスライトの反アルネシア勢力である可能性が高いと見ています」

「くそっ。どこまでも厄介な……っ」


 アキムが苦々しげに吐き捨てる。

 だが最初から判っていた事だ。何とか感情を立て直すとアキムは口を開いた。


「で、その肝心のコーネスライトの反アルネシア勢力に関してはどうなんだ?」

「それに関しては鋭意捜査中です。ただエルフの密輸を実行した者の名前は浮かんでいます。ジェフリー・バーギンという名の密輸業者ですね。規模としては零細ではないといった程度で、大手との繋がりは現在の所は発見されていません」

「……そいつは捕まえられていないのか?」

「ええ。居場所は突き止めたのですが、抵抗されまして……取り逃しました」


 その言葉にアキムの表情が厳しくなる。


「失態だな」

「申し訳ありません。……都市警察の手練れ20名を突入させましたが、8名が殺害されました。かなりの手練れです」

「……そのジェフリー・バーギンとかいうのは、そこまでの手練れなのか?」


 そこまで腕が立つのなら、密輸業者などをやるよりも他に出来る事があるだろう。

 そんな事を思ったアキムの問いに、部下の男は首を左右に振った。


「いえ、彼自身はそこまでではないでしょう。ですが彼の身を守っている者は違います。リザードマンの拳士と、正体不明の狙撃手。他にも何人かの姿が確認されていますが、この二人は間違いなく卓越した戦闘者です」

「…………」


 その言葉にアキムは考え込んだ。

 そしてやがて奇妙な事に気が付く。


「待て、その男は殺されていないのか?」

「え、ええ、少なくとも今日の昼頃までは生きていた事は間違いありません。都市警察の突入部隊が確認しています」

「……なぜ、殺されていない?」

「それは……」


 アキムの問いに部下の男は言い淀む。

 あのエルフの密輸が今度の事態の切っ掛けになったのは間違いない。

 だがそれを実行した人間が、それを計画した人間とは限らない。それどころか関係があるとも限らない。アキム達がジェフリーへと捜査の手を伸ばしたのも、他に手掛かりが無かったという面も大いにある。

 少なくともエルフの密輸を実行しようとした存在――つまりジェフリー・バーギンは、黒幕に近い存在と接触した筈だ。そこから芋蔓式に辿っていくのが、現状では有力な戦術に思えていた。

 だが、相手が都市警察の手練れをいとも簡単に仕留める人材を擁する組織である事を考えると、一つの疑問が浮かぶ。


 ――なぜ、ジェフリー・バーギンは殺されていない?


 殺せなかった筈はない。現状身柄を押さえているのだ。そうでなくても卓越した狙撃手を擁している。殺そうとすれば簡単に殺せた筈だ。

 殺す価値が無かった筈もない。現状反アルネシアの組織に対する唯一と云っても良い、有力な手掛かりなのだ。そしてそれは向こうも判っている筈。ならば口を封じておきたいというのが当然だろう。


 ――だが殺していない。


 何故だ?

 アキムは自問する。

 殺せなかった筈はない。殺す価値が無かった筈もない。だが生きている。それどころか、手練れの人間に守られている。


 ……いや、殺せなかったのか?


 物理的な理由で殺せなかったというのは有り得ない。だが別の理由で殺せなかったのだとしたら……。

 ふと、アキムの脳裏でばらばらの点が一つの線を描いた。


「はっ」


 アキムの口元に愉しそうな笑みが浮かぶ。


「もしかしたら、そのジェフリー・バーギンとかいう男、俺たちが思っていたよりも大物かも知れんぞ」


 それならば、筋が通る。

 口封じする相手が気軽に始末する事も出来ない重要人物だったら、手練れをつけて護衛するしかない。

 だが逆に、それは此方からしてみれば狙うべき急所だ。


「よしっ」


 運が向いてきた。

 あそこでタリス・マンチェスがエルフの輸送計画を食い止める事が出来たのは、アキムが当初思っていたよりも遥かに大きかったのかも知れない。

 アキムは笑みを浮かべながら、自らの腹心の部下へ指示を下した。


「上手くいけば、一気に本丸に攻め入る事が出来る。ジェフリー・バーギンの捕縛を最優先としろ」

「はっ」

「――抜かるなよ」





 ……やばい。


 浮かぶのは、その一言だ。

 色々あるが、全ては多分その一言に集約された。


 それを強いて別の言葉に置き換えれば、死の予感という事になるだろう。

 そして残念ながら、それが故のないものだとはジェフリー・バーギンにはどうしても思えなかった。


 ジェフリーがよく判らない理由で保護されてから、暫く経つ。そろそろジェフリーも事態の異様さには気付いていた。少なくとも自分が何かよく判らない事態に巻き込まれている事くらいは察していた。

 今日など、都市警察の襲撃を受けたくらいだ。

 相手は多数の上に手練れだった。まず間違いなく終わったかと思ったが、護衛の人間があっさりとこれを撃退。こうして護衛が用意した隠れ家で身を潜めている事が出来る。


 これが善意ならそれに越した事はないのだが、まず間違いなくそんな事はない。

 そしてこのまま解放されるには、ジェフリーは自らが余計な事を知りすぎているように思えた。

 ならば自然な発想として浮かぶのは口封じだ。

 断言できる。このままなら口封じで絶対に殺される。


 そしてその事を、ジェフリーを護衛している連中も暗に認めているような気がしてならない。


「……なあ、おい?」


 ジェフリーは自らを護衛をしている人間達の一人であるベルン・ボダルトに向かって声を掛けた。

 サングラスというには余りに無骨な円形の黒いレンズを目に付けたゴブリンだ。ゴブリンらしく背は低く華奢だが、身の丈ほどある狙撃銃を携えている。その傍らには小さな虎ほどもある白い犬が床に寝そべっていた。アスクとかいう名前らしい。


「なんだい、旦那?」


 その口振りにどこか冷笑的なものを感じるのは、ジェフリーの気のせいか。

 だがそんな些細な事を気にしている場合ではなかった。相手がゴブリンという事も関係ない。ジェフリーは口に愛想笑いを浮かべ、言葉を続けた。


「あ、ああ、今日は守って貰って済まなかったな。感謝してるんだぜ。その御礼という訳でもないが、何かオレに出来る事は無いかと思ってな」

「…………」


 その言葉にベルンは身体ごと向き直り、真っ直ぐとジェフリーの方を見詰めた。

 その口元には先程の冷笑的な笑みは浮かんでいない。それどころか何の表情も浮かんでいない。目を覆う黒のバイザーと相まって、なにか底冷えする威圧感がある。


「どうだい? 役に立ってみせるぜ」

「……へぇ」


 ベルンがにやりと口元を歪ませた。

 ジェフリーはそんなベルンに負けないように腹に力を入れる。そして身を乗り出すようにして、言葉を続けた。


「お前さん方が何やっているか、ある程度は想像もつくが、詳しくはさっぱりだ。オレに何をさせたいのかも、まるで判らん。だが殺さず護衛なんてしてくれてるんだ。何かさせたいんだろ? どうだい、もっと積極的にオレを使ってみる気はないか?」

「此方につくと?」

「ああ、是非とも君らのボスに伝えてくれないかな? オレ、ジェフリー・バーギンはあんたの下につきたがっているって。どうせ元々クソみてぇな密輸業者だ。主義や主張や立場なんて気にしないぜ。――それなりに使い道はあるんじゃないか?」


 今日の都市警察の襲撃に対応する手並みを見れば、ある程度の実力は察せられる。かなりの手練れだ。ジェフリー程度にはそれがどの程度のものか推し量る事は出来ないが、かなりのものである事は間違いない。

 つまり彼らがジェフリーを殺すつもりになったら抗える可能性はゼロ。そしてこの監視から逃げ出せる可能性も同じくゼロだろう。

 ならば、逆に踏み込むしかない。


 だが余計な事を知りすぎているのはどう考えてもネックだ。

 更に悪いことに、自分を配下にする利点を訴求してみたが――嘘だ。現実的に考えて、こんな連中を率いている奴に自分が役に立てるとは思えない。

 喉がからからに渇く。心臓が口から飛び出そうだ。

 だが口元に浮かべた愛想笑いを崩さずに、ジェフリーはベルンの瞳を真っ直ぐに見詰め続けた。


「……1つだけ言っておくか」


 どれだけの時間が過ぎたか、ベルンが暫しの沈黙の後に口を開いた。


「なんだい?」

「まず、あんたの生死については俺に一任されている」

「へえ、そうかい」


 そこら辺は予想の範囲内だ。

 ジェフリーの護衛を任されているのは、基本的に常時張り付いているカスパル・ブリーゲルというリザードマンの拳士。そしてベルンと白犬のアスクだ。

 このうちカスパル以外は姿を見ない事もあるし、他に何人か入れ替わりやってきたりするが、基本的に指示を出しているのはこのベルンだった。


「で、俺は今少し厄介な指令を受けていてな、あんたに協力して貰えればそれに越したことはないんだ」


 ベルンが口元に冷笑的なものを浮かべ、言葉を紡ぐ。

 ジェフリーは背筋に嫌な汗を感じながらも、笑みを崩さないように気をつけながら言葉を返す。


「……へ、へぇ。そりゃ奇遇だな。オレがあんたの為に協力したいと言った時に、丁度あんたがオレにして貰いたい仕事があるなんて。こりゃ日頃の行いが良いせいかね」


 僅かにどもった声。

 ベルンは特に気にした様子も見せず、口元に冷笑的なものを浮かべたままだ。


「そうかもな」

「……で、オレに何をさせたいんだ?」


 聞きたくないが、聞かない訳にもいかない。

 ジェフリーの言葉にベルンはあっさりと答えた。


「ベルトルド・アンドレアンの暗殺」

「――っ!?」


 思わず座り込んでいた床から立ち上がる。

 ――ベルトルド・アンドレアン。

 ジェフリーのような小物でも知っている、都市政府の最高幹部の一人だ。領主であるアキム・バラネフの信頼も厚い。そんな者を殺せば――。


「……本気か? 都市政府と戦争になるぞ?」


 都市政府とて面子がある。絶対に後に引けなくなるだろう。

 ジェフリーの声は微かに震えていた。表情を取り繕う余裕もない。

 だがベルンは、にやりと笑い、何でもないような口調で告げた。


「何言ってるんだ? 俺たちはコーネスライトをロイスの手に売り渡そうとしている反アルネシアの組織で、あんたはその幹部じゃないか。都市政府に喧嘩を売ってるなんて今更の事だろ?」

「…………」


 呆然として、ジェフリーはベルンの顔を見詰めた。

 ベルンの顔には、にやにやと皮肉の利いた薄ら笑いが浮かんでいる。

 だが無骨な黒いバイザーの所為だろうか、感情がまるで読めなかった。

 背筋が寒い。まるで臓腑を抉られているような視線だ。


 頭がまるで働かない。だがもう引き下がれない場所にいる事は自然と知れた。ある程度の頭があればその程度は判断できるし、それ以上に目の前の男の放つ雰囲気がそれを嫌でも悟らせた。


「お、おう。そうだったな。で、ボスの命令はなんだ。いや、さっきの奴か、忘れてなんかないぜ。俺も組織の名前とかは忘れちゃったが、幹部なんだ。見事やり遂げて見せるぜっ!」


 しどろもどろながらに、ジェフリーは意思を表明する。

 ベルンはそれに対し、一つ頷く。


「ああ、ボスもきっと期待しているだろうよ」

「ああ、オレも期待しているぜ」


 オレが生き残れるのを。

 声にはしなかった言葉をベルンは察したようだった。


「なに、成功すれば自然と先は開かれるさ。俺たちのボスは悪党だが、下種ではないからな」

「そりゃいい。下種なオレとしては眩しいくらいだ」

「だが、ちょっと付け加えておかなければならない事があってな……」


 ジェフリーはその言葉に嫌な予感を覚えた。


 ……さっきから、こんなのばっかだ。


 いい加減この嫌な予感に既視感でも覚えそうだ。そんな事を考えながらも、ジェフリーは言葉を返す。


「なんだい?」

「ああ、さっきの仕事にちょっとした条件がつけられていてな、殺す時は周りの人間とかにもお前さんがやったってはっきり判るように殺して欲しいんだ」

「…………」


 先程の先が開けるという言葉に真っ向から反するようなベルンの言葉に、ジェフリーは思わず言葉を失う。


「は、ははっ。仮にも幹部がやる事じゃない気がするんだが……」


 出てきたのはそんな力のない言葉だった。

 それにベルンはあっさりと答えた。


「なに、重要な任務だからな。仕方ない」





 その日の夜、コーネスライト都市政府の幹部ベルトルド・アンドレアンは暗殺された。

 ベルトルドは殺される直前、手配中のジェフリー・バーギンから接触を受けたというメッセージを残していた。

 調査の結果、メッセージの内容は事実だと判明。ジェフリー・バーギンは突如としてコーネスライトの第一級賞金首に躍り出る事になる。だがこの手の賞金首には珍しく、殺害は認められておらず、生け捕りにのみ賞金が払われるという取り扱い。ケレスター商会の壊滅とも合わさり、そこに何らかの事情を勘繰る者も多かった。





「さて――」


 タリス・マンチェスは自らの館の一室で、ベルトルド・アンドレアンの暗殺成功の報を聞いた。

 ジェフリー・バーギンの存在を匂わせるという事も、どうやら成功したらしい。

 ここまでは大体想定通りだ。


 だが問題はここからだ。

 ケレスター商会本部の襲撃というのは、いわばタリスから打った一手だった。それはベルトルドの暗殺についてもそうだ。

 次はこれに対して、アキム・バラネフが返す一手を待たなくてはならない。


 これは大きく分けて二つに一つだ。

 ケレスター商会本部を襲撃した黒尽くめの甲冑。それを自らの手勢だと認めるか、否か。


 手勢だと認めれば、アキム・バラネフは正体不明の不確定要因をその懐に招き入れる事になる。

 だが逆に手勢だと認めなければ、最低でも自らの騎士団の無能さを赤裸々に晒す事になり、様々な所に読み切れない影響を与える事になる。


 アキムは現在迷っている筈だ。

 状況は混迷しており、何が起こっているのかも判らない。判断しようにも情報がない。

 だがそんな中、一つだけ確たるものがある。

 それが今回のベルトルド・アンドレアンの暗殺だ。


 ケレスター商会の壊滅では駄目だ。そもそもケレスター商会とアキムは対立していた。つまりアキムにとって、ケレスター商会の壊滅とはマイナス材料もプラス材料もあるものだ。それでは駄目だ。判断の余地があるものでは駄目なのだ。それは混乱を引き起こし、アキムを追い詰め、そして決定的な一歩を踏み出させる材料にはなっても、惑乱時に縋る材料にはならない。

 混乱し思考が麻痺した状態の人間が縋るには、判断の余地も解釈の余地もない一事が必要なのだ。

 そして同様に、そんな人間が動くには単純明快な緊迫性がなくてはいけない。

 アキムにとって、それがベルトルドの暗殺だ。


 この一件は明確にアキムにとってマイナスであり、敵対行為であり、感情的にも許せるものではないだろう。

 ましてやそれが自らの大目標であるコーネスライトに潜む反アルネシア組織の摘発という事案に関わっているのなら尚更だ。


 意識してにしろ、そうでないにしろ、思考の出発点としてアキムはこの一件を選択する筈だ。

 何故ならそれが楽だからだ。効率的な思考方法だからと言ってもよい。

 状況がよく判らず、どこから考えて良いかも判らない。情報も錯綜しており、相手の反応など不確定要素も多すぎる。

 そんな場合、よく判らないものを思考の出発点にする等という事はまず有り得ない。自らの読み切れる部分、確たるものから影響を読んでいくのが普通だ。


 コーネスライトに潜む反アルネシア勢力。その幹部とおぼしきジェフリー・バーギン。

 彼はまたベルトルド・アンドレアン殺害の有力な容疑者でもある。


 アキムが思考の出発点にするのは、まず間違いなくこれだ。

 そしてこれに対しての反応など分かり切っている。

 一刻も早く捕まえろ。

 これに尽きる。


 下手に時間を与えれば逃げられる。そうでなくても何をされるか判らない。

 喫緊であり、判りやすい脅威であり、先に繋がる獲物でもある。側近を殺されたアキムの感情もそれを後押しするだろう。

 だが頼みの都市警察の襲撃は失敗した。そしてまるでその報復だとでもいうように、その日の内に自らの側近が殺されたのだ。何か策でも無ければ次の一歩は踏み出せまい。


 ならばアキムが次に考える手など一つしかない。

 自らの力で足りないのなら、他から力を持ってくる。当然の発想だ。そしてそれを持っている存在は、もう既に盤面にある。

 商工会のメンバーである他の6つの商会。

 特に諜報などを取り仕切っているファリ商会、ここは他に比べて小回りが利く自由戦力がかなり多い。ここの手は何としてでも借りたい筈だ。

 ファリ商会から実働戦力を借り受け、他の商会の伝手を使って反アルネシア組織を燻り出す。

 それがアキムが次に打つ、いや打ちたい一手の筈だ。


 だがそれには問題が一つある。


 ――そもそも他の商会はアキムに協力するのか?


 成る程、確かに反アルネシア組織というタームは強力だ。諸刃の剣でもあるが、上手く利用できれば交渉を有利に進める事が出来るだろう。

 だが事態は一刻を争う。

 まだるっこしい調整などをやっている時間は惜しい。そしてそのような事情は交渉において弱みになる。まず間違いなく付け込まれる。只でさえ『コーネスライトに潜む反アルネシア組織』という札は劇薬なのだ。下手に相手に掴まれては、交渉の主導権を奪われる事にもなりかねない。


 そして何より、ケレスター商会の一件がある。

 アキム・バラネフは籠城状態になったケレスター商会本部を騎士団を使い襲撃し、総帥以下主立った幹部を皆殺しにした。

 これが現在一般に信じられている事実だ。


 そしてケレスター商会は、商工会の議決権を持つ七つの商会の内の一つであり、その中でも代表的な存在だった。

 そんなものを滅ぼされて、他の商会が気にしない訳がない。

 ここでアキムには選択肢が出てくる。


 ――ケレスター商会本部を襲撃した黒尽くめの甲冑。それを自らの手勢だと認めるか、否か。


 商会に対する交渉を手早く、そして有利に進めたいアキムにとって、商会でも最大規模の戦力であったケレスター商会本部を壊滅させた武力というカードは是非とも欲しいだろう。例えそれが仮初めのものであり、制御できないものであっても、だ。

 ある意味究極の見せ札だ。

 手に余る。だがこれ以上に強力な札もない。


 ひるがえって、これを自らのものでないとして得られるものは殆ど無い。

 騎士団と商会本部の守備隊が衝突したのは事実だ。黒尽くめの甲冑がアキム・バラネフの援軍だと名乗り、騎士団の監視下において商会に攻め入ったのも事実だ。

 これが自らの意思によるものでは無かったと、全ては相手に上を行かれた無能さによるものだと、一分の利もないのに認めるだけのナニカがアキム・バラネフに存在するか?


 認めれば、都市政府の影響力は落ちるだろう。騎士団が出し抜かれ、目の前である意味最も厳重に武装していた人間が殺されたのだ。所詮はその程度のものなのだと思われる。商会側も混乱する筈だ。ある意味一番大きなプレイヤーが突如として抜け、その空白に座るべき都市政府がその力を振るえない。新たな勢力図が固まるまである程度の時間が必要になる。当然その間、商会間の関係は流動的になる筈だ。

 だが、そうなれば――タリスは戦略の練り直しを迫られる。


「……正直は最良の政略。ですが、中々出来る事ではありません」


 殊に一度でも嘘をついた者はそうだ。

 アキムは既にレッス砦からの第一報を握り潰すという決断をしてしまっている。ここで持ち直す事は難しい筈――。


 タリスが独白めいた言葉と共に思考を巡らす。場所は自らの屋敷の一室。そろそろ夜が白み始める時間帯だ。

 部屋にはタリスの他にはレイラしかいない。彼女は退屈そうにソファーに寝そべって、タリスの方を見ている。先程その言葉に反応し一旦顔を上げたが、タリスが特に反応を求めていないと判ると再びソファーの肘掛けに顎を落とした。


 タリスはそんなレイラと共に次の報告を待っていた。

 深夜だというのに、黒いスーツを着込み、手にはステッキを携えている。そこに先日の商会襲撃の影響は見えない。端正な顔立ちに、細いが引き締まった体付き。やや色の薄いブロンドの髪。少し長めのそれを、いつものようにオールバックの形に整えている。口元には穏やかな笑みを浮かべ、何事かについて思考を巡らしているのか、どこか遠い目をしていた。


 レイラはそんなタリスの姿を見るともなく見る。

 まあこの男が陰謀に耽っているのはいつもの事だ。そしていつも通りなのは、良い事に違いない。

 実は少し心配していたのだ。コード・オブ・カドゥケウス――それは術具としてのレイラを装備する術式だが、完成している訳でも安全な訳でもない。想定できるリスクから、想定できないリスクまで、恐らく数え切れないだろう。


 ……まあ、私には教えてくれないけど。


 そんなふて腐れた独白をレイラは胸中で呟く。

 その事に何の不満も無いとは言えない。だがレイラは納得していた。

 所詮レイラは使われる側の存在だ。つまるところ道具に過ぎない。その事に不満はないし、誇りもある。使用者がやると言えば断る術はないし、そもそも断る気もない。

 だが使用者の横顔を眺めている事くらい、自分の意思で行っても許される筈だ。


「…………」


 レイラはタリスの顔を弛緩した眼差しで見詰める。その瞳は僅かにとろんとしており、どこか眠たげな顔を見せる愛玩犬に似ていた。

 それに歩調を合わせるように、思考も鈍磨してくる。


 静かに時間が過ぎていく。

 タリスは思考を巡らせているようだ。その横顔はどこか愉しそうに見える。何よりだとレイラは思う。

 ずっと下準備してきたのだ。愉しめているのならそれに越した事は無い。


 それによって生まれる犠牲については、レイラは気にしなかった。そしてタリスが行った策の成否についても同様だ。

 それはレイラの領分ではない。

 尤もレイラの領分など、戦闘と研究材料という点を除けば殆ど無い。それこそ犬か何かのように侍るか、お飾りの妻として社交の場に同伴するかくらいだろう。


 ……まあ、それほど悪くはないわ。


 そんな事を思いながら、レイラはソファーの上で意味もなく身体を半回転させた。

 逆さまになった視界にタリスの顔が映る。頭にいつもと違った感じ方の重みを感じる。


 ……こんな時間の過ごし方も悪くない。


 再び同じような事を思いながら、レイラは時間が過ぎるのをゆったりと待った。



 やがて夜が明け、朝が来て、昼が近くなった頃。

 タリスが待っていた報告が届いた。

 それはこんな内容だった。


 アキム・バラネフは、ケレスター商会本部壊滅を為した黒い甲冑を暗黙の内に自らの手勢だと認め、商工会の議決権を持つ他の六つ商会に恭順を迫り、自らに助力するように求めた。


 タリスはそれを聞くと、いつもの穏やかな笑みをどこか冷酷なものへと変え、拍手を一度打った。

 そしてその手をゆっくりと左右に開いていき、呟いた。


「――グッド」



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