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第四話 蠢動



 部屋の中に入ってきたタリスは、相変わらず口元に穏やかな笑みを浮かべていた。だがその目には厳しいながらも憔悴の色が浮かんでいるようにアキムには思えた。


「この火急の時にようこそおいでくだされた」

「いえ、私も大至急お伝えしなくてはならない事がありまして……」


 そんな風にお互いに挨拶を交わした後、タリスも席の一つに腰を掛けた。

 室内は中央に背の低いテーブルが一つあり、その周りに何人かの人間が座っていた。尤もそれほど大きなテーブルではない。何人かは場所がない為に近くに立っていた。

 壁には大きめの地図が掛けられ、部屋の端には様々な資料が置かれた本棚や、小さめの執務机などが置かれている。

 勧められてタリスが座ったのは、中央のテーブルの前の椅子。丁度アキムが座っている対面だ。


「まず最初に……失礼ですが、確認したい事があります」


 開口一番といった感じで、タリスが口を開いた。


「なんです?」


 アキムが応えた。


「此処の部屋にいる人間は信頼できますか?」

「……っ」


 部屋が一瞬ざわめいた。面と向かってお前は信用できるのか、等と尋ねられて嬉しい人間はいない。だがアキムが直ぐに周りの人間を抑え、告げた。


「ええ。みな私が全幅の信頼を置いている者たちです」


 その言葉にタリスは一瞬確認するようにアキムの瞳を見詰めた。アキムとタリスの視線が絡み合う。タリスの顔には何の感情も浮かんでいなかった。ただ目だけがアキムを真っ直ぐに見詰めている。色素の薄い蒼色の瞳。殆ど灰色に見えるそれは、どこか温度が低く感情の色が窺えない。

 その瞳を見詰めていたアキムは、ふと妙な寒気を覚えた。


「……それは素晴らしい! では、このまま続けさせて貰います」


 だが直ぐに、タリスはその顔に愛想の良い笑みを浮かべてみせる。

 アキムは空気が弛緩するのを感じた。だからだろう、適当な相槌でも返そうと、アキムは自然と口を開いていた。だが言葉が喉から実際に出てくる直前、その機先を制するような形でタリスが言葉を発した。


「早速ですが、この事態をそちらはどこら辺まで認識していますか?」


 話の主導権を握られた。

 アキムはそう感じたし、実際にそれは事実だっただろう。

 そしてそれは偶然や立場などによるものではない。怯懦。一言で云えばそれだ。何を問うべきなのか迷ったアキムと最初から揺らいでいなかったタリスとの差だ。

 アキムはタリスに誘導されるように、自らの情報を話していく。


 レッス砦が崩壊した知らせ。

 その前に報告があったエルフの集団を密輸しようとした集団の捕縛。そしてそのレッス砦への居留。

 レッス砦から出現した屍鬼の強さ。そしてそれに対しての討伐隊が壊滅した事。

 気が付けば、先程話していた十二導師関与の可能性などまで話していた。


「……成る程」


 話を聞き終えるとタリスは一言そう呟き考え込んだ。

 そこでふとアキムは不安になった。

 コーネスライトの商人が今度の事に関与している可能性、そして目の前の男、タリス・マンチェスが王都の密命を受けた存在なのではないか等という可能性については話していない。

 だがそれ以外のほぼ全てについて話してしまった。


「……バラネフ子爵」


 暫しの沈黙の後、タリスが口を開いた。


「……なんです?」


 警戒含みのアキムの返事。

 その表情は硬い。緊張が見て取れる程だ。

 だが、言葉を続けるタリスの表情も同様に真剣さに満ちていた。


「腹を割って話をしませんか? 事態は我々の想像を超えて進んでいます。ここで王都と地方都市という立場に縛られて有効な手を打てないのは、お互いにとって致命傷になりかねません」


 身を乗り出してタリスが言う。

 いつも穏やかな笑顔を見せていたタリスとは似ても似つかぬ表情だ。

 それだけ緊迫した事態なのだ。言葉を換えれば追い詰められていると言ってもよい。この超越者にして、かつての英雄が。

 唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。手の平が汗ばみ、心臓が激しく脈打った。

 だが答えなど決まっていた。


「ええ……勿論です」


 アキムの言葉に、タリスはにこやかに笑い、その両手で一度だけ拍手をうった。軽く鋭い音が室内に響く。タリスの両手がゆっくりと左右に開かれる。

 そして愉しそうにタリスは告げた。


「――グッド」


 先程までの此方の心の底まで射抜くような視線とは違う。

 その顔には親しみやすい陽性の表情が浮かんでいた。それはいつもの貴族然とした穏やかな表情ともまた少し違う。

 だがそれにアキムは妙な達成感のようなものを感じた。タリスとの間にある隔意が薄れたと感じたのか、英雄に認められたように感じたのか、それはアキムにも判らなかった。


「此処でこれから話す事は全て部外秘です。――いいですね?」

「…………」


 答えるまでもない。アキムは無言で話の続きを促す。


「もしかしたら薄々気付いているかも知れませんが、僕は王都からの密命を受けて此処コーネスライトへやって来た者です」

「……その事は先程少し話に出ていました。その可能性があるとだけ」


 アキムの言葉に、タリスは微かに苦笑した。


「流石ですね。僕みたいな人間からすれば頼りがいがあるやら、やりにくいやらと云った感じですが……」


 困った風にそんな言葉を呟くタリスに、場の空気が少し和らいだ。


「ははっ。私たちもそう簡単に騙される訳にはいきませんよ」

「ええ、まあ仕方ありません。ここは共に同じ目標へと進む仲間が頼りがいのある存在だと確認できただけで満足しておきましょう。事実これ以上ないくらい心強い事ですしね」

「くっ。お世辞がお上手ですな」

「いえいえ、本心ですとも」


 タリスはそこで言葉を切った。そして雰囲気を真面目なものへと変えて言葉を続ける。


「そうは云っても、僕にまともな公的の立場が無い事は事実です。実際僕が王都から密命を受けているとは云っても、ある人の直属といった感じで動いています。その人の名前は明かせませんが、まあ王都のかなり上の方にいる実力者とだけ言っておきましょうか」


 その上司の名前にアキムは一つ心当たりがあった。


「……宰相ですか?」


 アルネシア王国宰相、ラーリット・コイランス。

 アキムの知る限り、最もこういう事をやりそうな人間に思えた。

 理由はタリス・マンチェスの傍にいる人材の数的貧しさだ。コーネスライトまで手を伸ばす事が出来るロートの実力者。このフレーズから真っ先に思い浮かぶのは宰相であるラーリット・コイランスともう一人、ラーリットと同じ侯爵位を持つ貴族でもあるロトス・タッタリオンだ。

 彼も通商都市コーネスライトの将来については強い関心を持っているだろうが、彼は最大の商会であるミッドレイ商会を所有している。この手の行動を行う為のバックアップはもっと充実させる事が出来る筈だ。


 それに反してラーリットは宰相として国政に強い影響力を持っているが、私兵という点に関しては豊富な資金力を持つロトスに劣る。そこら辺を考えると、かなりの確率でタリスの後ろにいるのはラーリットだと推測が出来た。

 だがタリスはアキムの問いに片眉を上げ、韜晦した態度を見せただけだった。


「それが当たっていても外れていても、僕はそれを肯定も否定もしないでしょう。ですが一つだけ言わせて貰えば、その推測は胸に秘めておく事をお薦めします。万が一外でそれを漏らされても僕は絶対にそれを認めませんし、そちらも面白くない事態に巻き込まれるかも知れません」

「……最初に言ったとおり、秘密は守ります」

「結構。では話を続けましょう」


 アキムの言葉をあっさりと受け取ると、タリスは言葉を続けた。


「まず最初に知っておいて欲しいのは、このコーネスライトに対する扱いに対して王都では大きく分けて二つの意見が存在するという事です。一つは干渉派とでも言いましょうか、王都の兵力が積極的に進駐し、それを足掛かりにアルネシア西部とロイスをロートの勢力圏下に置こうというもの。もう一つは傍観派。アルネシア西部がもう少し落ち着くのを待ちたい。言い換えれば王都が積極的にアルネシア西部に関わるのは時期尚早だと考える派閥。僕の上司に当たる人物はこっちの傍観派ですね」


 数日前、まだ事件が起きる前にタリスが話していたのとも関係する話だ。


「確かその分け方でいうと、干渉派の影響が強くなっているとの事でしたか?」


 確かそんな話だった筈だ。タリスも簡単に頷く。


「そうですね。最近の様々な情勢の中で、干渉派の主張は説得力を持ち始めています。必然的に傍観派の人間である僕の上司も警戒を強めていた訳ですね」


 その結果がこのタリス・マンチェスの派遣か。

 アキムは納得しつつ、話の続きに神経を集中させた。


「ですが、少し前とある筋から奇妙な情報を入手したのです」

「……奇妙な情報?」

「ええ。ここコーネスライトの商人たちの集団が、とある陰謀を画策していると」


 随分と勿体ぶった話運びだ。

 アキムは警戒のランクを一段階上げる。


「その陰謀とは?」


 アキムの問いにタリスは笑みを浮かべた。凶相ともいえるどこか暴力的な笑み。

 だがタリスが続けて発した言葉はその表情より遥かに暴力的だった。


「コーネスライトのロイス編入です」

「なっ、馬鹿なっ!?」


 声を上げたのはアキムではなかった。

 それまで話の成り行きを黙って見守っていた武官の一人だ。彼も余程のことが無い限り口を挟むつもりは無かった。直臣と陪臣という事もあるし、主君の会談にいたずらに容喙する事は主君を侮られる事にも繋がる。

 だがタリスの発言はそんな彼の自制心を容易く打ち破った。

 それもある意味当然かも知れない。コーネスライトのロイスへの編入とは、いわばクーデターにも等しい。現体制の全てを破壊して国替えを行う。アキム達、現コーネスライトの首脳陣が知らないのであれば、方法はそれ以外に存在しない。


 それは衝撃的というにも生易しい事態だ。

 現にアキムは口を開けて、言葉もない。それは他のアキムの配下についても似たようなものだ。


「……馬鹿な」


 やっとといった態でアキムが呆然と呟く。

 自らの都市に住む商人達がロイスと深い繋がりを持っている事は重々承知していた。だがここまでの事をやろうとは、想像すらしていなかった。

 コーネスライトは通商都市だ。交易が命綱なのだ。

 その事は自分たちよりも商人達の方が知悉していると思っていた。

 仮にロイスなどに寝返れば、アルネシアは面子に賭けてもそれを認める訳にはいかなくなる。間違いなく戦争になるだろう。そしてその矢面に立つのは、このコーネスライトだ。


「……まさか、それが狙いか?」


 混乱状態において死の商人でも気取る気か。そんなリスキーな手を……。いや、今の状態で芽がない商人達ならば可能性はあるか? それともロイスの魔導技術に惹かれたか? 国の重役の地位を餌にされたという可能性も……。

 思考を巡らすアキムにタリスが言葉を掛ける。


「正直僕も半信半疑でした。このような事態が起こった今になっても、まだ嘘なのではないかと考えてしまいます」

「…………」


 アキムは押し黙り、凝とタリスの方を見詰めた。その視線は厳しく睨むといった方が適切な程だ。タリスも強いて言葉を促そうとはしなかった。部屋に暫しの沈黙が訪れる。


「失礼ながら、口を挟ませてもらってもよろしいでしょうか?」


 それを破ったのはアキムの部下である文官の一人だった。


「どうぞ」

「では、マンチェス男爵に一つお聞きしたい。我々は確かに都市の規模に比して武張った事が得意とは申せませぬ。また商人達が各々私兵を蓄えている事も事実。ですが現在は騎士団も組織し、少なくとも武力に関しては商人達に負けぬ質と量を確保していると自負しています。例え商人達が徒党を組んでも、そう易々と負ける事はありません。そしてもし事態が長引けば、王都が介入してくるのは必至。そうなれば商人達には勝ち目はないでしょう」


 タリスは文官の男の言葉に一つ頷く。


「確かにそれは尤もです。僕もそう考えていました。ですがその前提を大きく狂わせる事態が既に起きているでしょう?」

「何のことで…………あっ!?」

「そう、それです」


 タリスの言葉にアキムは何の反応は見せなかった。タリスの言葉が無くともその答えに到達していたのだろう。


「あのエルフの集団を密輸した連中を僕が捕まえられたのは、かなりの程度偶然に頼ったものです。正直運が良かった。ダミーの為か彼らが実際にエルフを運んでおり、此方にもエルフの仲間がいなければ、幾つかあるルートから実際のルートを割り出す事は不可能だったでしょう」

「……エルフ同士は交感のような事が出来ると聞いたことがありますが、本当だったのですか」

「まあ当てになるというほどのものじゃありませんがね」


 タリスは軽く肩を竦める。


「尤も今回は非常に役に立った。先程も言いましたが運が味方してくれたのでしょう。ですがもしそうではなかったら……。少し想像してみてください。一体何が起こったか?」


 タリスはそこでアキムと、アキムの部下達の顔を順繰りに見回した。そして各々が充分に思考を詰めるまでゆっくりと待った。

 暫しの沈黙が部屋を満たす。

 やがて各々がある程度の結論へ到達し、それぞれの表情に厳しいものが浮かぶ。

 それを待ってから、タリスはおもむろに言葉を続けた。


「あのエルフ達、いえエルフに偽った積み荷と言った方が正しいでしょうか、実際運ばれていたのが何なのかは今は関係ないので置いておきますが、あれは本来コーネスライトに運ばれていた筈のものです。それがほんの偶然によってレッス砦に運ばれる事になった。そしてレッス砦はその全ての人間がアンデッドに成り果てた。これと同じ事が此処コーネスライトで起きたとすれば……」


 ごくり、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。

 いや、それは自分のものだったのかも知れない。

 改めて告げられるあり得たかも知れない事態に、アキムは怖気が立つのを禁じ得なかった。


「考えても見てください。それほど大きな規模の砦でないとはいえ、軍事拠点があっという間に崩壊したのです。この都市は人口も桁違いに多く、非戦闘員も莫大です。同じ事が起きれば一体どれだけの被害が出たか、想像も付きません」


 身体が震える。

 一時的に滞在している人間も含めれば、このコーネスライトには100万近い数の人間が暮らしている。そこでアンデッドが大量発生すれば、当然大混乱などというレベルではない。少なくても何万規模の死者が出ただろう。いや、死者が死者を作る事を考えればそれより遥かに多かったかも知れない。


「あの腐れ商人どもがっ!」


 耐えきれなくなったように武官の一人が叫ぶ。

 彼は元々商人達に対しては強硬路線を貫いている。それだけ自分が中心になって作り上げた部隊に自信があるという事でもあるが、基本的にこれまではその力を大々的に振るう機会は巡ってこなかった。


「商人達が運び入れた商品――つまりエルフの集団と思われていたものが実際何だったのか。正直僕も把握しきれていません。突如アンデッドの集団がレッス砦に満ちあふれ、逃げ帰るのが精一杯だったのです」


 タリスの顔は悄然とし、自身の無力を悔やむような色があった。


「その中にロイスの十二導師であるファネル・ロートニーがいた可能性は?」

「……あるでしょうね。その可能性は高いとすら言える」


 アキムの問いに暫くの沈思を経て、タリスが答えた。

 それを聞いて、アキムが呻くような唸り声を上げる。事態は最悪に近い。十二導師というのはどれほど警戒してもしきれない相手だ。それを秘密裏に招き入れるなど。

 それも話を聞いてみれば、荷物や郎党なども引き連れていた可能性が高い。このような事態を許してしまった事。それ自体が王都の介入を強める大きな材料になるだろう。


「言いにくい事ですが、今度の事態に関しては僕のミスも大きい。積み荷の検査を十分にやっていれば……。正直あそこまでの事をやろうとしているとは、全く想定していませんでした。油断があったと言われれば、返す言葉もありません」

「……いえ、それは此方も同じです。ロイスと関係が深いとはいえ、商人達がロイスへこのコーネスライトを売り払おうとしているなど、しかも大量の死者を出してまで」


 正直信じられない、信じたくないというのが本音だった。


「……っ!」


 アキムは歯をぎしりと噛み締める。微かに漏れ出た血を吐くような呻き声が、その内心を物語っているように見えた。

 そこにタリスの言葉が届く。


「お気持ちは充分に理解できます。ですが時間がない。迅速な判断と行動が必要なのです」

「……なにを?」


 次々と告げられた言葉にアキムの思考は既に半ば麻痺していた。冷静に思考を巡らす事がまるで出来ていない。自分でも判っていたが、だからといってどうなるものでもない。ただ荒れ狂う激情を抑えるので精一杯だった。

 だからだろうか、アキムの声にはどこか縋るような色があった。

 そんなアキムの耳に、タリスの耳触りのよい声が届く。


「ファネル・ロートニーは死霊術士です。いわば戦闘は本来門外漢。暗殺には弱いとも言えます。本来の目的が失敗したのに、本人が何時までも敵地にとどまっている可能性は低いでしょう。ならばこの問題を軟着陸させる事はまだ不可能ではありません。一刻も早く今回の事態を引き起こした商人達を捕まえ、二度とこのような事が起きないようにする。そして一丸となって現れた屍鬼たちに対処すれば、王都による無理な介入は何とか避けられます」


 タリスの言葉は流れるようであり、いかにも説得力がある風に聞こえた。

 だがアキムには到底上手くいくとは思えなかった。


「馬鹿な……そんな事は無理だ」


 だから自然と言葉が漏れた。

 だがタリスは自信ありげな表情を崩さない。


「何故です?」

「……王都は許さないだろう」


 コーネスライトの商人がロイスから十二導師を招き入れた。少なくともその片棒を担いだという事実は消えない。事態を早期に収拾し、誰の目にも判る形でコーネスライトの支配権を確立し再発防止に努めたところで、その事実が消えない以上は焼け石に水だ。ロートが介入する為の格好の口実になる事には変わりがない。


「それはコーネスライトの商人が手引きしたロイスからの密輸、それによって事態が引き起こされた事を前提とした話ですよね?」

「……?」


 タリスの言葉にアキムは怪訝そうな表情を浮かべた。何を当たり前の事を、といった表情だ。そんなアキムに対しタリスは言葉を続ける。


「つまりはロイスからの密輸など無かった、という事にすればいいのです」

「なっ!?」


 ロートの貴族にしては余りに大胆な発言に、思わずアキムの口から声が漏れる。

 だがタリスは気にしない。口元には洗練されながらも、どこか野性味のある笑みが浮かんでいた。


「考えても見てください。ファネル・ロートニーがいた証拠など何処にもない。恐らくこれから見つかる事も無いでしょう。ならばコーネスライトの商人がロイスからエルフを密輸しようとし、それが切っ掛けでレッス砦が崩壊した。その証拠はどこにありますか? あったとしてもレッス砦からコーネスライトに送られた報告のみ。大した証拠ではありません。もみ消そうと思えば簡単でしょう?」

「だが、それをしたところで……」


 アキムの力のない反論に被せるように、タリスは続ける。


「ならばエルフの密輸など無かった。あったとしても関係がなかったと出来る。そしてそうなれば、レッス砦の崩壊は規模がやや大きいものの、時折起こるモンスターハザードに過ぎません。すなわち一地方の問題です。このようなモンスターハザードに対しては、地方の軍が結集し、それが敵わぬ場合に初めて王軍の出動が計画されます。これは長年にわたって地方と王都の間で続いてきた慣習です。下手に崩せばその影響は大きい。王都とてそう簡単にこれを動かす事は出来ない筈」


 タリスの言葉が段々とアキムの脳裏に浸透し始める。

 確かにコーネスライトの商人がロイスからエルフ、もしくはもっと意図的に十二導師を招き入れようとし、それが失敗しレッス砦が崩壊した。

 だがここからコーネスライトの商人の関与を、表向きにでも隠蔽する事が出来れば、話は違った様相を呈する。


 レッス砦が正体不明のモンスターハザードに見舞われ、壊滅した。原因は分からない。――これだけの話に収束するのだ。

 それを隠蔽するのに問題になりそうな物的証拠は、今のところレッス砦から送られてきたエルフ密輸に関する報告書。それだけだ。


「……確かに」


 それを隠蔽するのは簡単とは言わないが、そこまで難しいものではない。特に表向きに隠しておくだけなら尚更だ。やる価値はある。


「無論、今後このような事が起きないようにする必要はあります。そうでなければ僕の上司も今度の事態を見逃す事は出来ないでしょう。ですが王都が本格的に介入してくる前にこの都市の支配権を確立し、今回の事件の犯人グループを捕縛してしまえば、事態は元に戻ります。いえ、コーネスライトに王都の介入を主張していた連中の最大の論拠が崩れる事になる訳です」

「……そちらの上司の傍観派が勝利を収めると?」

「ええ、そしてそれは貴方達にとっても望むところなのでは?」

「……そうですね。それは勿論」


 王都がいたずらにこの都市の運営に口を突っ込まない。

 それは確かにアキムの望みとも合致していた。


「繰り返しますが、今後再びこのような事が起こり得るのならば、傍観派も、引いては僕の上司もこのまま見ている訳にはいかないでしょう。次に何が起こるか判りません。介入はやむなしと判断します。ですがそうでないならば……」

「……王都は現状維持を選択する」


 中途で止めたタリスの言葉がアキムが引き継ぐ。

 タリスが満足そうに一つ頷いた。


「そういう事です。王都とて、もっとはっきり言ってしまえば、僕の上司とて介入は望んでいません。再度の繰り返しになりますが、必要がないのなら暫くは静観したいというのが本音なのです。ですがこのような事態になった以上、介入派を抑えておくのも限界があります。その為には、事態を一刻も早く収束させ、再発防止の対策を完了させる。これらが是非とも必要なのです」

「…………」


 言っている事は判る。

 だがアキムは中々言葉を返す事が出来なかった。自分の発言と選択によってこの都市の命運が左右される。その事が非常に重く感じられた。

 タリスの言葉に従うならば、アキムは商人達に対して権限の委譲を迫り、強制捜査などを行わなければならない。しかも時間的余裕は殆ど無い。まず間違いなく血が流れるだろう。


「これは裏取引の類です。協力して事実を隠蔽し、都合の良いストーリーをでっち上げる。ですが、将来的にはこれが一番被害が少なくなる筈です。いまこの地方は重大な危機に直面しています。ですがこれを奇貨として、一気にこの地方を安定化させる事も可能なのです」

「…………」


 アキムの視線は自然と周りの臣下たちに向かっていた。その顔をゆっくりと順繰りに見回す。長い付き合いだ。顔を見れば何を考えているのか、大体想像がついた。その顔にはみな覚悟があった。腹をくくった顔だった。

 アキムもそんな彼らに向けて一つ頷き、再びタリスの方へと向き直る。


「判りました。貴方のご提案を受け入れましょう」


 アキムのその言葉にタリスはにっこりと笑って、自らの右手を差し出した。

 アキムも自らの右手を差し出し、タリスの手を握り締める。


「貴方の英断に感謝と尊敬を」


 固くお互いの手を握り合った後、タリスがそんな言葉を口にした。その口元には朗らかで透き通った笑みが浮かんでいた。

 アキムも自然とその顔に笑みを浮かべる。疲労は窺えるが、陰鬱さは無い微笑み。そんな苦笑に近いような笑みを浮かべながらも、アキムの胸には覚悟と決意が宿っていた。

 自分がこれからのコーネスライトの歴史を作っていくのだという、野心にも似た決意が。





「――ちくしょうっ! 一体何が起こりやがった!」


 狭く薄汚い宿屋の一室で、ジェフリー・バーギンは苛立ち混じりに叫んだ。尤も声は心なしか抑えられていた。理性的な判断と言うよりも、本能的な恐怖がジェフリーを抑制していた。

 数日前までは何の問題も無かった。50人にも及ぶエルフの密輸という大仕事を任され、それに注力した。後は時間が経てばエルフ達はこのコーネスライトに納入されてくる筈だった。

 まず最初にけちがつき始めたのは五日前。

 クオート山地に程近いレッス砦が屍鬼の集団に襲われ、壊滅したという知らせが届いた。どこら辺まで真実なのかは知らないが、時間が経っていくにつれて、少なくとも根も葉もない嘘ではないという事が判ってくる。


 クオート山地はジェフリーがエルフの密輸に使ったルートだ。まず心配したのが積み荷の無事だ。だがジェフリーの規模の商人が出来る事などたかが知れている。黙って待つしかなかった。だが、予定の日時になっても報告一つ来ない。

 しくじったか、と嫌な予感を感じながら日々を過ごしていた時だった。

 馴染みの情報屋からどうも嫌な噂を聞いた。自分の事を探している存在がいるというのだ。もっとはっきり言えば、最近派手に動いていた密輸業者を裏で探している者がいるそうだ。


 この街はウェットワーカーなどと呼ばれる、裏仕事専門の人間が数多く蔓延る街だ。

 そんな中で商売していたのだ。ジェフリーもそれなりに用心はしていた。だが今度の事はそれまでとは程度が違う。只の勘に過ぎないが、ジェフリーは念には念を入れる事にした。

 結果的にはそれが大正解だった。

 ジェフリーが拠点にしていた事務所は昨日押し入れられた。そこまでは今までも時折あった事だ。だが今回はこれまでとは少し違った。つまり押し入ってきた人間だ。今までは他の商人が雇ったウェットワーカーなどだった。だが今回は明らかにそれとは違う。昼間に真っ正面から襲撃。人目を忍ぶなんて事は全くしていなかった。


 間違いなく都市政府の人間だ。恐らく最近組織されていた騎士団か都市警察のどっちかだろう。そのどちらかはジェフリーには興味がなかったし、もっと言えば関係がなかった。

 問題なのは自分のねぐらが襲われ、それをやったのが都市政府だという事だ。


「……ばれたか?」


 自分がやっている事が犯罪だという自覚は無論あった。だが今までは都市政府は取り締まりに大して力を入れていなかった。少なくともここまで強引な方法で商人の事務所に襲撃を掛けるなど、ジェフリーの知る限り初めてのことだ。


「まさか……」


 そう考えると、自然とジェフリーの思考は一つの結論に行き着く。

 ここ最近、都市政府は軍事力や警察力を強化してきた。そしてこれは商人に対しての締め付けの為の準備だと噂されていた。


「見せしめか……?」


 偶々タイミングが悪く、大きな仕事を請け負っていたジェフリーを狙い打つ事で一罰百戒とする。


「冗談じゃねぇ!」


 何の後ろ盾も無い状態から始めて、ようやくここまで来たのだ。そんな事とても認められるものじゃない。

 だが碌な手が思い浮かばないのも事実だった。

 今ジェフリーがいる部屋はいざという時のための隠れ家の一つだ。そう簡単には見つからない筈だが、とても安心できるようなものでもない。


「ちっ」


 意味もなく舌打ちをして、部屋にある酒を喉に流し込む。焼けるような喉越しが今は心地よかった。

 結局は捜査の対象から自らを外させればよいのだ。そして代わりに生け贄を差し出す。一罰百戒の為のポーズなら、それで充分な筈だ。

 そうとなれば、賄賂などを使った工作活動を――。

 ジェフリーの思考がそこまで到達した時だった。部屋にノックの音が響く。無論尋ねてくる人間などに心当たりはない。


「誰だっ!?」


 乱暴な誰何の声。


「よう」


 返ってきたのは聞いた声だった。少なくとも都市政府の手先ではない。いや、あいつが密告したという可能性も、と考えた所で無駄な事に気が付いた。この隠れ家に押し入られた時点で詰んでいるのだ。


「……なんだ、お前か」

「はっ、大分まいっているみたいじゃないか」


 そんな言葉と共に入ってきた男は、やはり声から類推した男と同一人物だった。今回のエルフの密輸の話を持ってきた男。名前も知らないその男に、ジェフリーは歪んだ笑みを返した。


「何しに来た? お前も知っているとおり、積み荷は届いていないぞ。前金の返還でも求めに来たか?」

「ふんっ、実際に取引を途中で停止したらその程度で済むものか。違約金なんぞでどうにかなると考えているなら、お前さんの脳みそを疑うね」

「ちっ、だったら何のようだ? 俺の首でも奪いに来たか?」

「……それもいいかもな」


 低く静かな声。それは不気味な迫力を秘めていた。

 ジェフリーの背に冷たい汗が流れる。


「だが事態はお前さんの想像を超えた事態になっちまった」

「……何のことだ?」

「簡単に言えば、お前さんに現在掛けられているのは密輸なんていうちゃちなものじゃない。国家反逆未遂、レッス砦の虐殺幇助、題目にしてみればそんなもんだ。重大犯罪なんていうのも生易しいぜ」

「はっ? ……おいっ、どういうことだ!?」


 思わず男に掴み掛かろうとして、その手に持った無骨なリボルバーに制止される。


「俺やお前が密輸しようとしたあのエルフ達がレッス砦の300人を全て屍鬼や死霊に変えちまったのさ。もし成功していれば、同じ事がこのコーネスライトで起こっていた。どうだい? 中々お目にかかれない立派な罪状だろう?」

「馬鹿な……っ」


 ショックを受けて、ジェフリーはその場に座り込む。

 そんなジェフリーに向けて、男は言葉を続ける。


「本当ならお前も口封じに殺しちまうのが速いんだろうが、俺の上司は殺したらいざという時に取り返しがつかないというお考えでな、お前さんが協力するなら逃亡の手助けをしてもよいと仰せだ。――どうする?」

「…………」


 男の言葉を、ジェフリーは容易には信じられなかった。だが有り得ない事ではないというのも確かだ。何より目の前の男がジェフリーにこのような嘘をついて何か得になるとも思えなかった。そしてそれ以上に――。


「はっ、選択の余地など無いだろうがっ」


 ジェフリーは吐き捨てた。局面は既に詰みに近い。なら先が見えなくても飛び込むしかない。

 ジェフリーの目の前の男はそれを聞くと、にやりと笑った。


「判っているなら上等だ。――後は此奴に従ってろ。お前を守ってくれる」


 男がそう言って顎をしゃくる。それと同時に細かい刺繍を施されたローブを着た男が部屋の中へ入ってきた。


「ちっ、亜人かよ」


 それを見てジェフリーが呟く。

 入ってきた男の顔はヒューマンのものではなかった。ぎょろりとした瞳に鱗の肌。

 リザードマンだ。

 湿地帯で比較的原始的な生活を送っていると言われるリザードマンだが、知能がヒューマンに比べて劣っている訳ではない。学べばヒューマンと変わらないレベルの知識と技術を身に付けられる。だが顔つきが異形であるという事もあり、街中で見ることは殆ど無かった。


「差別するのも馬鹿にするのも勝手だが、取り敢えず暫くお前の命はそいつが握っている事を忘れるなよ。生きていた方が得だが、別に死んでも構わない。お前の扱いはその程度のものだからな」

「へいへい。助けてくれようとするだけありがてぇよ」


 ジェフリーはもう一度リザードマンの男を見た。

 がっしりとした体格だ。だが鈍重な印象は全くない。まるで実体がある幻影のような、不思議な印象を受ける男だ。音もなく動き、止まれば微動だにしない。


「兄さん、名前はなんていうんだい?」


 だが男が言った通り、暫くはこいつが自分の命綱になるらしい。

 仲良くやるに越したことは無いだろう。

 ジェフリーは顔に笑みを浮かべると、リザードマンの男に話しかけた。

 リザードマンの男は一度目をぱちくりとさせると、ジェフリーの方へ振り向く。

 爬虫類の特徴的な瞳がジェフリーを捉える。


「カスパル」


 ジェフリーは亜人なんかを商ってきた奴隷商だ。まるで無視されるかと思ったが、リザードマンの男は割合素直に名乗った。


「へえ?」


 それが面白く感じられ、ジェフリーの口元に微かな笑みを浮かぶ。


「カスパル・ブリーゲル」


 そんなジェフリーを気にした様子もなく、リザードマンの男は呟くような口調で自らの名を繰り返した。



ジャンルをファンタジーから戦記へ変えました。

まだ戦争している訳じゃないけど、何となくそっちの方が適切な気がしたのだ。

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