第三話 レッス砦
アルネシアとロイスの間では、現在一般の商取引は原則禁止されている。
だが完全に物、人、金の交流が無くなっている訳ではない。
そもそもアルネシアはロイスの自由奔放な魔導研究などを危険視しつつも、その有用性は認めている。アルネシアはどちらかと云えば尚武の気質であるからこそ尚更だ。
そんなロイスに対してパイプを残しておくことは、主に情報を得るという観点からすれば必須とすら言える。
よって表向きは禁止されつつも、統治機構の管理下でほぼ黙認されている物流もある。
これはアルネシア政府の実利的な判断もあった。そもそもロイスとの国境線上の土地はアルネシア国王が直接統治している王領ではない。正式に任命された領主がいて、彼らがかなりの権限を持っている。
そして交易とは当然儲かる。
只でさえ軍備などで苦しい台所事情を抱えているのだ。そこまで無理をさせても、交易は地下に潜り完全に管理できなくなるだろう。
そんな政治的な判断が働いたのだ。
ロイスからアルネシアへ密かに物を運ぼうとしたとき、最も手軽なのがこのルートを使う方法だ。つまりチェックしている役人に賄賂なり何なりを渡してお目こぼしをして貰う。
だがチェックする役人も馬鹿ではない。明らかに危ない物に関しては、幾ら賄賂を積まれたとして許可を出さないだろう。
そんな危険な物を密輸しようとしたとき、運び屋たちが使うのがアルネシア、ロイスの両国に跨る未開発区域――クオート山地を使うルートだ。
木々がそれほど生い茂っているという訳ではないが、複雑な地形をした岩山が乱立しており、洞窟のようになっている場所も多い。それほど強力な魔物も確認されておらず、人目を避けて移動するのには最適だ。
そのクオート山地の中に数え切れない程ある洞窟の中で、タリス達一行は身体を休めていた。
タリスにしろ、他の仲間にしろこの程度で疲れるような事はない。だが、積み荷として運ばれてきていたエルフ達は別だ。この密輸の依頼自体はタリスの手のものがジェフリー・バーギンに依頼したものだが、エルフ達は実際に地下集落で生活していたのを見付けたものだ。
タリスも簡単に診断したが、余り無理が利くような状態ではない。
「様子はどうでしたか?」
タリスが近づいてくるソフィアに気が付き、声を掛けた。ソフィアは同じエルフという事もあり、運ばれてきたエルフ達との折衝などを任されていた。またそもそも地下に潜んでいた彼らを見付けたのもソフィアだった。
「まあ、それほど悪くはなかった。前もって周知していたのが効いたのかも知れないな」
「それは良かった」
タリスが簡単に答える。
タリスは片膝を立て、もう片方の足を伸ばし座っていた。伸ばした方の足にはレイラが頭を乗せて、ごろごろしている。緊張感のない光景だが、慣れているのかソフィアはまるで気にしなかった。
それよりもソフィアは気になる事があった。
「それでこの後は予定通りに?」
「ええ」
それはいい。
連れられてきていたエルフ達もその事は伝えてあるし、計画に問題はないだろう。だが――。
「あいつら、信用できるのか?」
ソフィアが気になっていたのはそれだった。
彼らは結局命を助けて貰うのと引き換えに協力を約束した。それだけでなく安全弁として、裏切らないようにギアスが掛けられた。
タリスの精神干渉の腕はよく知っているが、そもそも洗脳などの魔術はそれほど簡単なものではない。
「彼らも命が惜しいのだったら口裏くらいは合わせるでしょう。別にそれまで仲間だった人間を裏切れとかそういう話でもありませんしね」
「…………」
今一つ納得できていないソフィアを見てタリスは軽く肩を竦めた。そして言葉を続ける。
「いなくても問題ないといえばそうですが、いた方が話がスムーズに動きそうなのも確かです。まあメリットとデメリットを考えて、今回は助ける方がメリットが大きいと判断したという事ですね」
クオート山地に程近い平地にその砦はあった。
レッス砦と名付けられたそれは、一応はアルネシア側にあるが大分ロイスとの国境線も近い場所にある。いわば国境守備の為に作られた前線基地だ。そうは云っても、規模は大体300人程度で、立派な城壁がある訳でもない。
当然立派な装備がある訳でもなく、碌な娯楽も存在しない。任務と云えば、延々と周辺地域をパトロールする事だけだ。だからだろう、お世辞にも士気が高いとは云えない。
それでも砦としての最低限の機能を果たせているのは、真面目に任期を全うすれば故郷に帰る事が出来るという消極的な理由と、それによって起こり得る被害をある程度は知っているからという積極的な理由の二つによるものだろう。
尤も、彼らの中には無力感を感じている者も多かった。
クオート山地は、無数に枝分かれした洞窟や幾つもの岩山。ずっとこの地方を取り締まってきた砦の人間すら知らない抜け道が無数にある。そしてそれらを此処を利用している運び屋達は知悉しており、時には隠蔽する事もある。
つまりはどんなに警戒していても、現状の体勢では運び屋を捕まえるなど余程の幸運が無くては不可能なのだ。
そんなレッス砦の管理者であるダリア・ベイトソン。
30前後の女性だ。赤みを帯びた長い髪をシンプルに後ろで纏め、フレームレスの眼鏡を掛けている。
その視線は胡散臭いものを見る目で、目の前にいる部下の男を射抜いていた。
「――で、そのロートの法衣貴族の一行がたまたまエルフ50人の密輸入を企てていた一行を捕まえたと?」
ほんの少し前、ダリアの元に届いた報告がそんなものだった。場所は執務室。その時ダリアは何時も通りのルーチンワークとなった書類仕事をやりながら明日の予定を組んでいた。
そこに突然そんな報告が入ったのだ。
「ええ、そういう事みたいです」
「ざけんなっ! っんな簡単だったら誰も苦労しねぇよ!」
「いえ、しかし現物がある以上は認めない訳にはいかないでしょう」
確かにそこが問題なのだ。
これが紙の上の報告ならば嘘をつけで済む。だが実際にエルフの集団を乗せた馬車がやってきてしまえば、それを嘘だと断じる事など出来はしない。
「……で、そいつが面会を求めてる訳か」
「ええ」
「ちっ、名前は何て言ったっけ?」
「タリス・マンチェス。ロートの男爵みたいですね。一応は照合済みです」
「……はぁ」
会わない訳にもいかないだろう。
それにしても気が重くなる。一応報告は飛ばした。もっと設備が整っていれば通信が繋がるらしいが、こんな辺境では馬を飛ばす事くらいしか出来ない。
だが素人の、しかも中央の法衣貴族が滅多にない大型事件の独力で解決。大失態といってよい。
「……せめて共同作戦とかいう事にしてくれないかなぁ」
思わずそんな言葉が漏れる。
「頼んでみたらどうですか? 案外積み荷になっていたエルフとかの事で協力するっていえば手柄くらいは譲ってくれるかも知れませんよ。報告にはわざとそこら辺はぼかして伝えたんでしょ?」
「まあ、そうだけどよ」
確かに第一報には誰がそれを成したかなどは書かなかった。タリス・マンチェスという名前こそ伝えたものの、彼が捕まえたとは書いていない。一応は嘘ではない。ダリアはまだ事態を確認していないのだ。自分の部下がエルフの密輸団を捕縛し、何らかの事情で砦に帰れなくなり、通りがかったタリスにそれを引き渡したという可能性もきっと考えられる。
「ほら、待たせておいて得になる事なんて何もないんですから、さっさと用意して面会してください」
部下の男の言葉にダリアは諦めたように軽く手を振る。
「ああ、判ったよ。じゃあさっさとそのマンチェス男爵とやらを呼んできてくれ」
男がその言葉に従い、退出する。言葉に従いタリス・マンチェスを呼びに行ったのだろう。
ダリアは執務机に肘をかけ、黙考した。
これが全て偶然によるものだと考えるほど、ダリアは純真にはなれない。だが誰のどういった思惑が働いているかはまるで想像も付かなかった。
やがて軽いノックの後に扉が開き、見知らぬ男が一人入ってくる。タリス・マンチェスだろう。法衣貴族らしい黒のタキシードに、シルクハット。手にはステッキを持って、口元には穏やかな笑みを浮かべている。
背は成人男性としてはやや高めだろう、体付きは細いが華奢という感じはしない。
ダリアは殆ど条件反射的にタリスを観察すると、意識して苦手な愛想笑いを浮かべて見せた。そして立ち上がり、机越しに握手を求める。
「初めまして。私、この砦を管理しているダリア・ベイトソンと――――……?」
だが、そんなダリアの挨拶の言葉は途中で消えた。
自らの意思によるものではない。ただ声が出せなくなっていた。理由はない。少なくともダリアには判らなかった。
……本当に?
疑問に惑う視線は自然と目の前の男を見詰めていた。若く整った顔立ちをした男。口元には先程見たのと同じ笑みが浮かんでいる。その手がいつの間にか伸ばされていた。ああ、握手をしなくちゃ……。そんな暢気な思考が頭を掠める。だが男の手には何時の間にか、ダリアのそんな牧歌的な思考には似付かわしくない凶器が握られていた。細く鋭い片刃の凶器。その刃は男の手から机越しにダリアの方まで伸びていた。
「…………ぇ?」
ようやくそこで気が付く。
刃が真っ直ぐと自分の喉に突き刺さっていた。
……なぜ?
疑問が頭を埋め尽くす。思わず答えを求める視線を男の方へと向ける。だが頭の何処かでその無意味さも判っていた。思考が塗り潰されていく。男の口元には相変わらずの笑みが浮かんでいた。
その日、レッス砦は崩壊した。
300人ほどいた人員は、全て屍鬼か死霊に成り果てた。
通商都市コーネスライトにレッス砦崩壊の第一報が伝わってきたのは、事件があった次の日、夜が明けてからだった。いざという時のために構築されていた人力の通信網を利用しての事だった。
つまり高性能な騎獣、そしてそれを駆る騎手を各所に配置し緊急時に備える。情報は重要度毎に3つにランク付けされ、レッス砦崩壊の報は、その中でも最重要のランク1に分類されていた。
本来、ランク1の知らせなど数ヶ月に一回あれば多い方だ。だがレッス砦崩壊の報を受けたとき、コーネスライトの首脳陣達はそれとは異なるランク1の知らせを受け、その善後策を協議している渦中だった。
その内容は、数十人規模のエルフの密輸が発覚したというもの。
細かい事情は判らないが、これも大元はレッス砦から発せられた知らせだった。
そしてその翌日にレッス砦崩壊の報。
関連づけて考えるな、という方が無理だった。
だがその関連を悠長に考察している暇は、コーネスライトの首脳陣には存在しなかった。
次々と送られてくる知らせで、事態が思ったよりも深刻な事に気が付いたのだ。
「だから、まず第一に事態を確認すべきだと言っているだろうがっ!」
「その事態を確認し終わるまで一体どれだけ掛かるんです? その時になって押っ取り刀で対策を取ってちゃ遅いんです。今の内に緊急の動員準備を行っておくべきです」
「それこそ一体どれだけ掛かるっ!? どんな人員をどのような形でどこから動員するのか、それすら判らないのに、この都市で! あのくそったれな商人どもから! 虎の子の私兵を借り受けられるとでも思っているのかっ!?」
「そもそも我が都市や、その周辺地区の力だけでは事態を打開できない可能性も考えておくべきでは? 断片的に入ってきている情報から考えても、今度の事態は普通じゃありません」
「それは王都の影響を強める事になりませんか? それは通商担当として出来れば避けていただきたい」
「面子に拘っている場合ではありません!」
「面子の問題だけではありません。西側の都市群との関係が悪くなります。下手をすれば、王都がアルネシア西部を征服する際の手駒として扱われかねませんぞ」
「未来の可能性を考えて、明日滅んでしまえば何の意味も無いでしょうがっ!?」
「――静まれっ!」
不毛に煮詰まった議論の中、一喝が響いた。
この通商都市コーネスライトのトップであるアキム・バラネフものだった。
その顔には焦燥と疲労の色が浮かんでいる。何かが起こっているのは判るが、その情報が明らかに足りなかった。そしてアキム自身も含め、このような事態に対する耐性が絶対的に足りない。
……私も此奴らも、所詮はお座敷育ちか。
そんな事を苦々しく思いながらも、認める。
今まで三代に渡って都市を運営していたのだ。当然非常事態に対する経験は積んでいたつもりだった。だが実際に起きてみるとそれがどんなに張りぼてだったのか、否応にも実感できた。
「皆の意見はそれぞれ尤もだが、どうも混乱しているようだ。もう一度整理してみよう。まず火急の問題として浮上しているのが、レッス砦の崩壊、そしてそれから発生しているアンデッドの発生だな?」
アキムの言葉に文官の一人が答える。
「ええ、恐らくレッス砦の人間が何者かによってアンデッド化されたものと思われます」
「そしてそいつらは集団で周りに侵攻を開始していると」
「はい。厄介なのはアンデッドの中に、死霊術を扱う個体が混じっている事です。つまりアンデッドに殺された人間がアンデッドになるという悪循環によって、事態が急速に悪化する事も充分に考えられます。ただ幸いな事に、レッス砦から侵攻を開始した集団はそこまで迅速なペースで動いている訳ではありません。現状では、コーネスライトに差し迫った直接的な危険がある訳ではないでしょう」
まあ現状コーネスライトに直接的な危険が迫っている訳ではないというのは、プラス材料だ。そしてアンデッドの集団の進行速度がそれほど速くないというのも同様だろう。
だが当然懸念材料もある。
「ですが先程から申し上げている通り、到底座視しうるものではありませんぞ!」
「周りの砦から組織された討伐隊は壊滅したとか……」
「その数と実力はどの程度のものだったのですか? 満足な力量を持っていなかった討伐隊が壊滅させられたと言っても、すなわちそれが敵の脅威とは限らないでしょう」
「敵の力量を侮り、兵と民の命を無駄に犠牲にするおつもりですか?」
「そちらこそっ、敵の力を過大に見積もり、巧遅の過ちを犯すつもりかっ!」
やはり、問題の一つはそれだ。
つまり敵の脅威の程度が把握し切れていない。
無論実戦で、特にモンスターが相手であった場合、その戦力が判っていないという事は普通に起こり得る。だが、今回の場合はその中でも最悪だ。なにせ倒された相手はそのまま向こうの戦力となってしまう可能性が高いからだ。
しかしその事に関して、アキムは一つ疑問があった。
「まず確認しておきたい。今度の事は明らかに人の手が入っている。その事に異論はないな?」
戦場跡などでアンデッドが自然発生する事はあるが、今回のケースは明らかにそのようなものとは違う。
異論はないのだろう。集まったアキムの部下は各々頷いた。
「だが実際にこのような事を成し遂げるのに、どの程度の力量と準備が必要なのだ? 判るものはいるか?」
アキムは部下達を見回すが、自信を持って回答できそうな人間は見当たらなかった。だが暫くの沈黙の後、ある男が口を開いた。バラネフ家に仕え、顧問魔術師のような役割を任されている男だった。
「尋常ではない腕前を持っている事は確かです。ですがそれだけとはとても考えられません。どう考えてもある程度の準備が必要だったはずです」
「……アーティファクトか何かでハードルを低くする事は可能だろう?」
「それは、確かにそうですが……」
だがその顧問魔術師の識見も、今回の事態には大して役に立たないらしい。武官の男からの指摘に押し黙る。
屍鬼達は周辺地域へ侵攻を開始している。その事はアンデッドの特質としてそこまでおかしな事ではない。しかし一晩で数百の人間がアンデッドと化して、襲いかかる。そんなもの人が普通に暮らしていける環境では有り得ない。
更にそのアンデッドの質が自然発生したものとは思えぬほどに高い。
「このような事を出来る存在に心当たりはないか? 誰でもいい。証拠や動機は後で考えよう。取り敢えず候補を出してくれ」
アキムの問いに部下達は押し黙った。やがてその視線は一番詳しいと思われる顧問魔術師の男へと向かっていった。
「……一人だけ心当たりがあります」
男が自信なさげに口を開く。
「本来、死霊術とは禁忌とされています。いえ、禁忌とされているものを死霊術と呼ぶと言った方が近いのかも知れません。そんな細かい魔術の定義は取り敢えず関係ないので置いておきますが……皆様に覚えておいて欲しいのは、大っぴらに死霊術士などと名乗っている存在は殆ど居ないという事です」
アキムは黙って話の続きを促す。
「これは犯罪者が自らを犯罪者だと名乗るようなものです。賢い者はそのリスクを避けます。なので名が知られた死霊術士とは大抵賞金首であり、逆に言えば知られている二流が殆どです。つまり一流は地下に潜っている、一般の人間には名前を知られず網を張っているものなのです」
「ならば判らないという事ではないかっ!」
「いえ、そんな中、間違いなく超一流の死霊術士でありながら名を知られた存在がおります」
「まさか……」
アキムにもそこまで言われれば推測は出来た。
「……十二導師か」
アキムが呻くように呟く。
魔導大国ロイス。
かの国には国王がいない。代わりに国を治めているのが、寿命すら超越した魔導師12人だ。
彼らはいつしか十二導師などと言われるようになっていた。
「十二導師が席次の十二――ファネル・ロートニー。何時も喪服でいると云われる不気味な女です。死体愛好家で超一流の死霊術士だと聞きました」
「…………」
部屋に沈黙が訪れる。
ロイスの十二導師は、上位の一部を除いて席次の数字に意味がある訳ではない。つまり十二の席次と言っても、実力が下という訳ではないのだ。
そしてそれ以上に重大な問題がある。
十二導師が今回の事に絡んでいるのなら、ロイスが今回の事を主導したという事だ。それは即ちアルネシアとロイスの本格的な戦争の危機であり、単なる通商都市であるコーネスライトの処理限界を超えてしまう。
「やはりロートに救援を求めるべきなのでは……?」
文官の一人から気弱な発言が出る。今度はそれを論外だと否定する反論は出てこなかった。
「だが、実際にロイスが関わっていると決まった訳ではあるまい。地下に隠れていた死霊術士の犯行という事も、それ以前にロイスの十二導師は、トップの命令でもない限りかなりバラバラだ。ファネル・ロートニーの単独犯行でロイス全体の意思ではないという可能性も充分に考えられる」
代わりに出てきたのは武官のそんな発言だった。
確かにそれは一理あった。
ロイスは魔導師たちが治める国だ。そしてそのトップがコークール・ソブリンであり、その下にいる導師達だ。彼らが十二導師と呼ばれている訳だが、彼らは常に統一した意思のもと動いている訳ではない。寧ろその逆だと言った方が内実に近いと目されている。
今度の事が例えファネルの犯行だとしても、彼女が単独で動いている可能性もあるのかも知れない。
「だが、仮にもアルネシア国内でこんな派手な事をやるのに単独犯行なんて事があり得るのか?」
アキムの口から疑問が漏れる。
「確かな事は言えませんが、ロイスとアルネシアはそもそも小競り合いが絶えませんでした。そしてロイスは魔導師たちが治める国。アルネシアと同じと思っていると思考の陥穽に嵌るかと」
「……充分にあり得るという事か」
ロイスは北の国家ヤーンと同盟関係にある。その二ヵ国が協力してアルネシアに対抗している訳だ。
その総合力は決して低くない。
だが現在の所、ロイスが本格的な侵攻を開始したという報告は入っていない。それを考えるとファネルの単独の行動という可能性も充分にあり得るように思えた。
「そうなると、考えなくてはいけない事が一つあるな」
敵が少数ならば、高額の報酬をちらつかせて冒険者を利用する手法が使えるかも知れない。だがその為にはまず事態をもう少しはっきりさせなくてはならない。
「レッス砦が崩壊するほんの少し前、50人ほどのエルフの密輸が発覚し、その捕まえられた密輸団と人質のエルフがレッス砦に居留していた。単刀直入に聞こう。――関係あると思うか?」
アキムの言葉に家臣団は再び押し黙った。
だがアキムにもその意味は分かった。今までの問いに対する沈黙とは理由が違う。今までは純粋に確たる答えが返せなかったからだ。だが今回は――。
「……やはり無関係とは考えにくいか」
疲れたように溜め息混じりにアキムが自答する。
それに力を得たように文官の一人も口を開いた。
「恐れながら、元々レッス砦はクオート山地に程近い場所にある砦です。必然的に任務もロイスからの防衛と言うよりは、密輸の取り締まりに重点が置かれている筈。国境線からの進行は考えにくいです。だとすれば、ロイスからのルートはクオート山地の抜け道以外にありません。そしてそれを利用し、更に何のアクシデントもなかったとするのなら、もっと狙いやすく被害が甚大になった場所が幾らでもあるでしょう。それを考えれば、全くの無関係であるというのは些か考えにくいかと」
「……やはり、そうか」
判っていた事だが、余り認めたくない事実だった。
クオート山地からの密輸された荷の殆どはコーネスライトを経由して市場に流されると見られている。つまりあのエルフの密輸はコーネスライトの商人が主導した可能性が高く、必然的にレッス砦の崩壊の片棒を担いだ事にもなる。
逆に言ってしまえば、あの密輸が関係するのだったらそれはロイスの関与を深く匂わせるものだ。つまり地下に潜んでいる名も知れぬ死霊術士よりも、ロイスという国家をバックボーンとした十二導師ファネルが関わっている可能性が高い。
「……くっ!」
まだ決まった訳ではない。だがそれにも関わらず、アキムは胸の憤りを抑えきれなかった。ファネルに対してではない。今度の事態を引き起こしたであろうコーネスライトの商人に対してだった。
「となると、一番高い可能性としては、まずファネル・ロートニーがエルフを密輸しようとして失敗。やむを得ずレッス砦で犯行に及んだという事か?」
「だが、なぜそもそも失敗したのだ? 言っては何だが、クオート山地の抜け道を通るルートはかなり見付けにくい。隠蔽の術式などを駆使されたら、レッス砦の部隊でも容易に見付ける事は出来ないだろう」
「……レッス砦からの最後の知らせには協力者がいたと記されていたが?」
「……タリス・マンチェス男爵か。彼の行方はどうなっているのだ? そもそも何故彼はそこにいた?」
「彼はロートの法衣貴族であると聞いています。事件に巻き込まれたのなら只では済まないのでは? こう言ってしまうと失礼になってしまいますが、さして役職がない法衣貴族などたかが知れたものです。満足な護衛があったとは思えません」
「だったら何故密輸団を捕まえられたというのだっ! これだけ大掛かりな作戦なのだ。腕利きの護衛がいた筈ではないかっ!?」
再び迷走し始めた議論を見て、アキムは人知れず溜め息を吐いた。
そして思考を巡らせる。
何故タリス・マンチェスがあの場にいたか?
それは確かにアキムも疑問だった。推測は幾つか出来る。だが確たるものは何もない。そもそもそれを知って事態が劇的に変わるとはアキムには思えなかった。
だがこの程度の情報は提供しておく必要があるだろう。
「……タリス・マンチェス男爵は超越者であり、かつては陛下と共に勲功を上げられ英雄とまで言われた神官戦士だ。事件に巻き込まれたとはいえ、そうそう死んでしまうとは思えんな」
「なっ!?」
「……生きていたのか」
アキムの言葉に部屋がざわめいた。
タリス・マンチェスという存在は、アキムのような貴族の間でもそれほど知られている訳ではない。一般の人間の間なら尚更だ。勲功を上げたのが200年近く前だという事もあるし、本人が余り表に出る事を好まないという事もあるようだ。
だがそれ以上に、その正確な実像が意図的に伝えられなかったと云う事もある。
200年前に起きた幾つかの事件。
それを解決したのが、当時国王としての名声を不動のものとしていた建国王ファーミット・エウロネーズ。それに協力した人間の一人が、記録にはっきり名を残されなかった神官戦士だ。
天才的な治癒の腕と、卓越した剣の腕。そして豊富な知識と回転の速い頭脳。
事態解決の折には、宰相など国の要職に就いてくれという国王直々の懇願もあったそうだが、目立つ事を嫌い、法衣の男爵位だけを受け取り、ほぼ閑職といってよい仕事を受け取り今まで勤め上げてきた男。
それがタリス・マンチェスだ。
――だがその裏で、王都の密命を受けて動いていたとしたら……?
アキムの背に冷たい汗が流れる。
現在の王都は国王が直接動く事は殆ど無くなっている。
代わりに実際の王政を取り仕切っているのは、宰相――ラーリット・コイランス。
彼が全ての法衣貴族たちのトップであり、アルネシアの文の頂点と言える。
尤も、彼がロートの全てを握っている訳ではない。国王がトップであるのは当然だが、他にもロート最大の商会を事実上所有し、爵位もコイランス家に並ぶ侯爵位を持つ、ロトス・タッタリオン。
そして王立騎士団軍団長の中でも最も王の信任が厚いと言われているカンヘル・カトリオット。彼は爵位こそ固辞しているものの、他の軍団長に対しても強い影響力を持ち、事実上王都の最高戦力である王立騎士団第七団を指揮している。
だが現時点で最もその手腕を発揮しているのは、間違いなく宰相であるラーリットだ。
彼は地方貴族の婚姻や労役などを決める事実上の最高責任者であり、中央の地方への政策を決定する立場である。当然タリス・マンチェスの能力など、アキムより遥かに知っていただろう。
ラーリットが、目立たず、それでいて有力な駒としてタリス・マンチェスを目障りな都市コーネスライトへ潜り込ませてきた。
……充分に考えられる。
アキムは、鉛でも飲み込んだかのような圧迫感を臓腑に覚えた。
もしそうなのだとしたら、今の事態は最悪だ。
風向きによっては、コーネスライトという都市の命運すら左右しかねない。
「…………」
部屋に静寂が訪れた。
誰も自ら口を開こうとはしなかった。
考えている最悪のシナリオは、皆同じだろう。
続けての議論はどこか声を潜めて行われた。
「……マンチェス男爵に話を聞くべきでは?」
「だがどうやって?」
「いっそのこと、このまま出てこなければ……」
「おいっ!」
そんな制止の一喝すら抑えられた声量だった。
そこにノックの音が響く。
アキムが応えると、部屋の外のメイドが端的に告げた。
「――マンチェス男爵がいらっしゃいました」
部屋に緊張が走る。
アキムの家臣達がお互いに視線を交わす。大した意味がある訳ではない。だがタイミングが良すぎた。だからだろう、アキムも含め、その場にいた人間には、それが災禍を知らせる使者のように思えた。
暫しの沈黙の後、アキムが口を開く。
「……至急此方へお連れしろ」
その声は、微かに震えていた。