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第二話 発端の襲撃



 ロイスからアルネシアに密かに持ち運ばれる荷には、様々な種類のものがある。

 そしてその殆どが危険で、アルネシア国内では何らかの理由で禁止されているものばかりだ。


 一例を挙げれば、地脈操作の為の術具などがある。

 大地を伝わる魔力の流れ、それを地脈という。その地脈はこの大陸において非常に重要なものとなっている。

 その地脈によって村の実りが左右されると言って良い。


 そうなれば、当然それを操作して自分の都合の良いものに変えてしまうという発想も出てくる。

 だがそれは危険も大きく、それ以上に隣接する区域と揉める原因になる為にアルネシアでは禁止されている。

 だが魔導国家ロイスでは研究が続けられており、その成果は安全性もまともに確認されていないにも関わらず、アルネシアでは高値で売れた。


 そんなロイスからアルネシアへの密輸品。

 その中でも人気の品目の一つに、『奴隷』がある。


 用途は様々だし、商品に施された処置も様々だ。

 だがロイスからわざわざ密輸されるのだ。奴隷も只の奴隷ではない。大抵は特殊なスキルを備えているとか、若く美しいとか、種々の付加価値があるものが多い。


 ジェフリー・バーギンも、そんな奴隷を取り扱う商人の内の一人だ。

 通商都市であるコーネスライトを拠点にしているジェフリーは、それなりの規模の商いを行っていたが、この都市の中ではまだ中堅といったところだろう。

 そんなジェフリーは、二ヶ月ほど前に顧客の一人からとある申し出を受けた。


 ジェフリーがその客について知っている事は少ない。

 亜人を好んで買うという事。

 誰かに仕えているという事。

 そして、金払いは良いという事。

 尤も、それだけ判れば充分だ。ジェフリーはそれ以上深入りしようとは思わなかった。


 そんな客の男からジェフリーに出された申し出とは次のようなものだった。


 ――ロイスでエルフの集団を見付けたので、それを攫って奴隷にしたい。


 要約するとそんな感じだった。

 最初、ジェフリーは男が何を言っているのか判らなかった。


 まず第一に、ここ最近はエルフの集団が見つかる事など殆ど無い。

 その美しさなどから愛玩用の奴隷として珍重されているエルフだが、ここ最近はめっきり数が少なくなった。いるとしても自由市民の権利を持っていたり、森の中に隠れ住んでいたり、簡単に奴隷にするという訳にはいかない事が殆どだ。


 事実、ジェフリーが最近商っていたのも殆どがヒューマンだった。

 種族としての付加価値は無いが、なにせ数が多く調達も容易。それは必然的に、経歴を洗い、正式な奴隷として書面を整える事も容易だという事になる。

 ジェフリーの商売では、まずアルネシア西部を中心に人を集め、それをロイスへ送る。そしてロイスにおいて、アルネシアでは禁止されている魔具の力でスキルを強制的に覚えさせる。かなりの割合で死ぬが、残った人間は高く売れる。どうせ調達に大した金は掛からないのだ。損耗を考えても、充分に元は取れた。

 寧ろ経費として痛いのは、一番最初の商品の調達におけるものではなく、それ以外の運搬やスキル習得に掛かる費用や護衛に払う給金などだった。


 ジェフリーのような商売をしているものは少なくない。

 このような形で販売される奴隷は、前提となるスキルや経験をまるで無視して能力を調えられるので、ひどく消耗が激しい。扱われ方も当然それに準じたものになる。

 必然的に新たな需要は次々と生まれてくる訳で、田舎では村を追い出される次男、三男などがいなくならない以上、奴隷の供給元となる人間も無くならない。

 つまり、ぼろい商売とは言えないが、ある程度安定した商売なのだ。

 尤もそれ故に競争も厳しく、同業の人間から頭一つ飛び抜けるには何か特別なものが必要となる。


 エルフというのは、充分にそのナニカになる。

 例え継続的におろせなくてもそれで充分だ。いや、エルフの男女がいるのだったら、ゴブリンなどで行われているように養殖を考えても良いかも知れない。

 サイクルとして回す事が出来れば、一気に成り上がる事が出来る。

 このコーネスライトでもトップクラスの豪商に、それどころか貴族の地位さえ買えるだろう。


 ジェフリーは男の話を詳しく聞き、自らの手勢で現地調査も行った。

 結果、判った事は話が全くの真実だという事だ。

 エルフの数は約50人。

 その中で男の数は10人程度。

 彼らは元々ロイスの魔導師が密かに所持していたものらしいが、そこが襲撃を受け持ち主がいなくなったらしい。どのようなスキルが埋め込まれているか、またどのようなスキルを所持しているかは不明。

 確かにこれは危険だが、だがその分まだ他の同業者はこの情報を掴んでいないようだ。ジェフリーの周りに怪しい動きは見られなかった。


 男がジェフリーに望んだのは、一つはロイスからのエルフ達の運搬。そしてもう一つが経歴の洗浄だ。

 アルネシアでも、奴隷は普通に存在する。

 だが通常の市民を勝手に奴隷にする事は当然出来ないし、最低限の権利は奴隷にも存在している。当然違法の実験の検体にするなど出来ないし、それ以前に、そもそもロイスから密輸したエルフ達を正攻法でアルネシアの奴隷とする事が出来る訳もない。

 それらを適当にでっちあげるのが、洗浄屋と呼ばれる存在だ。奴隷商なら、必ず幾つかの洗浄屋とは付き合いがある。ジェフリーも例外ではなかった。


 だが今回は今までやってきた商いとは訳が違う。

 八方手を尽くして信頼できる洗浄屋を見つけ出す必要があった。当然密輸の為の運び屋やその護衛なども細心の注意を払う必要がある。

 幸い男から前金をたっぷり貰っている。男は5人ほど貰えればそれでよいそうなので、残りの45人程度のエルフがジェフリーの持ち分になる。

 取り分としては明らかにジェフリーの方が多い。少し不気味な程だ。

 だがその分リスクに関してはジェフリーが請け負う形になっている。

 輸送などにおけるリスクもそうだが、商品であるエルフの出自や状態についてのリスクも当然考えなくてはいけないのだ。

 恐らく男の主である存在は、そのような不確定なリスクをとるくらいなら少々高くても金で済ませたかったのだろう。


「ったく、金っていうのはあるところにはあるもんだな」


 ジェフリーは事務所の椅子で呟いた。

 だが種々のリスクなども勘案しても、この取引が破格である事は間違いない。

 正に絶対に失敗できない仕事という奴だ。

 尤も、もうジェフリーに出来る事は殆ど無かった。精々が仕事が上手くいくように祈るくらいだ。後は荷が届いた後の段取りの調整ぐらいか。

 それもほぼもう済んでいる訳で、急ぐ必要はどこにもない。

 そもそも、予定通りなら荷が届くのは一週間後だ。

 それまではこうやってただ待つことくらいしか出来ないのだ。

 ジェフリーは胃に重いものを感じつつも、覚悟を決めて荷が届くのを待つ決心を固めた。





 ジェフリー・バーギンが用意した輸送部隊は積み荷であるエルフが50に、護衛が30、御者などが10という布陣だった。

 この護衛の数は、エルフという値千金の積み荷にしては少ないかも知れない。

 もし合法的にエルフの奴隷がこの数市場に出されるのだったら、この10倍の規模の護衛がついても決しておかしくない。

 だが今回は、密輸だ。

 護衛の数を余り増やしすぎれば目立つ事になる。

 それ故にジェフリーは、戦闘力は勿論、隠蔽系のスキルなどを得意とした傭兵達を高額の報酬と共に雇い入れた。


 隊商の総責任者はヨアキム・クリストファー。

 大柄で筋肉質の傭兵だ。武器もその体躯を駆使した大剣を得意としているが、頭の回転は悪くない。このような微妙な判断が要求される仕事にも充分な実績を持っている。


 ヨアキム達の隊商は三台の馬車にエルフ達を分乗させ、護衛達は側面に8人ずつ、後方警戒に6人、そして前方に8人といった陣形で進んでいた。

 ヨアキムはその中で、前方を警戒するグループに属していた。


 今のところ、予定通りに進んでいる。

 ロイスとアルネシアの国境線も何とか通過する事が出来た。後は現在いるクオート山地を通れば、ほぼ上手くいったようなものだ。

 そしてその道程もあと半ばといったところで、ヨアキムはふと感知野に人の気配を捉えた。


「おい」


 すぐに傍らに控えていた斥候を任されている男たちへ言葉少なに問い掛ける。問われた男達は首を左右に振った。


「ちっ」


 舌打ち一つ。

 これで偶然という線は消えた。

 自分一人だけなら逃走という選択肢も取れたが、足の遅い馬車を引き連れて逃げられる訳もない。ヨアキムは合図して進行を停止させると、警戒を厳重にするように指示を出す。

 それと同時に兵力の移動を行うか、思考を巡らせる。


 相手の気配は二つ。

 突然現れた事から考えて、高度な隠蔽スキル持ちで此方を捕捉している事は間違いない。

 その時点で推定戦力はかなりあると見ても良いだろう。

 ただ戦闘になるかと云えば、その可能性は低いはずだ。最初から戦闘が目的なら、そもそも気配を出したりはしない。

 つまりはこれは威嚇の一種。ならば――。


「おい、側面の重装歩兵を二名ずつ前へ寄こせ」


 側面に配置した人間は、守備に優れたものばかりを選んだ。ヨアキムがいる、そして相手が向かってくる前面の部隊はどちらかと云えば索敵などに重点が置いてある。

 フルプレートアーマーに大盾を持った重装歩兵が4名いれば、随分と違う筈だ。

 交渉が決裂した場合でも、威圧という意味でも。


「……はっ?」


 重装歩兵が配置につき暫く経った頃、目的の人物が姿を見せた。

 その意外な姿に、ヨアキムは思わず声を上げた。

 黒いスーツにステッキを持った若い男に、黒いドレスを着た少女。

 現れたのは、そんな二人連れだった。

 とても運び屋の一行にちょっかいを掛けるような類の人間には見えない。

 だが黒いスーツの男はそんなヨアキムの動揺も気にせず歩を進める。


「おいっ、それ以上近寄るな」


 制止の声。

 無視するかと思ったが、黒いスーツの男――タリス・マンチェスは素直に立ち止まった。

 やはり交渉か……。

 ヨアキムが思考を回転させ始める。推定される相手の要求。此方はどこまで妥協できるのか。出発前に雇い主に言われた最低限のライン。いざという時に口を封じる選択肢はどうか。様々な思考が浮かんで消える。

 そんなヨアキムに、タリスは誰何の声を掛けた。


「ヨアキム・クリストファーですね」

「ああ、そういうお前さんは誰だい?」


 ヨアキムはそんな言葉を返し、一歩前へ進み出た。交渉ならば顔を見せる必要がある。そんな考えからだった。

 その時だった。


 ――ヨアキムの頭が弾け飛んだ。


 血と脳漿が辺りに飛び散り、顔のパーツがまるで出来の悪いゴム細工のようにシュールに変形する。

 完全に虚をつかれ、隊商の護衛達はまともに反応する事も出来ない。ただ視線は自らのリーダーであるヨアキムの方へ吸い寄せられていた。息を飲み、呼吸する事も忘れ、ヨアキムの方を見詰める。

 そんな中、頭部の大半を失ったヨアキムは、まるで玩具のようにくるりと一回転してそのまま倒れ込んだ。


「狙撃だっ!」


 我に返った護衛の一人が叫び声を上げた。それとほぼ同時、二発目の狙撃が放たれる。

 今度狙われたのは、索敵能力が高いと思われる斥候だった。狙撃手の姿を探していたその男の頭は、ヨアキムと同じように石榴のように弾け飛んだ。


「右だっ! 右から撃ってきてるぞ!」

「壁を作れ!」

「ちくしょう! こっちに狙撃手はいないのかっ!?」


 正に混乱というのが相応しい。

 指示を出すべきヨアキムがあっさりと死んでしまったというのがそれに拍車を掛けていた。

 だが個々の力量は間違いなく高いものばかりなのだ。徐々に体勢を立て直そうと動いていく。

 まず動いたのが、後衛のスペルキャスター達だ。戦闘よりも隠蔽などの為に連れてこられた彼らは使いうる限りの隠蔽の術式を掛けていく。そして更に狙撃手がいるであろう方向に障壁を重ねていく。


「ちっ」


 タリスはそれを見て、小さな舌打ちを漏らした。

 ベルンの狙撃手の腕前は卓越しているが、妨害があれば当然その精度は落ちる。狙撃銃の弾丸は貴重なのだ。出来れば無駄撃ちはしたくない。

 だからこそ、スペルキャスターが動き始める前に彼らを始末しておきたかったが、後衛は重装歩兵が厳重にガードしている。

 タリスでは相性的に不利だ。少なくとも真っ正面から彼らを蹂躙するのはかなり手間が掛かる。ならば――。


「レイラ」

「ええ」


 隣に控えていたレイラが、タリスの言葉を受けて歩み出た。

 隊商の護衛達が僅かにざわめく。タリス達との距離は決して遠くない。近づいて来るという事は近接戦の心得があるという事か? だがレイラの所作にその匂いは感じられない。

 只でさえ、単純な戦闘においてスペルキャスターは不利だ。

 高度な教育を受けた魔術師も、戦場では無骨で無粋な傭兵のメイスの一撃で容易く命を落とす。なのに何故?

 護衛たちに混乱が走る。経験が豊富であるからこそ、セオリーから外れた事態にどう対処して良いのか分からなかった。このような時に指示を出すべきリーダーも既にいない。

 結果、彼らは各々の判断で勝手に動いた。


「しぃっ!」


 飛び出し、レイラを仕留めようとする軽戦士。そして守備を固めて迎え撃つ重装歩兵。

 それは経験に裏打ちされた判断と云うよりは、骨の髄にまで刻み込まれた条件反射とでもいうべきものだった。それ故にだろう、それは偶然ではあったが、彼らは最適解に近い選択肢を選び取った。

 ヨアキムが生きていたとしても、これ以上は出来なかっただろうという連携。だが――。


「なっ!?」


 彼我の実力差が懸け離れていれば、そんなものに意味はない。


 ――無造作に腕を一振り。


 ただそれだけだった。

 ただそれだけで、襲いかかった男二人の胴体が力任せに割断された。上半身だけがくるくると中空を舞う。レイラのとても戦闘には適さないように見える繊手。剣も満足に振れなさそうなそれが成したとは、およそ信じられない光景だった。


「化け物めっ!」


 残っていた男達が追撃を仕掛ける。

 横合いから殺傷力の高い刺突を叩き込む。そしてその逆方向からも、別の男が同様に。

 男達もこの業界に入って長いのだ。格上の相手と当たった事など、片手の数では足りないほどに経験している。そんな時、取り得る手など殆ど無い。逃げられれば最上だが、そうもいかない事も多いのだ。そんな時は一か八かに賭けるしかない。

 今がその時だった。

 多方面から一気に仕掛ける。誰かが死んでも気にしない。運が良ければ誰かが目的を達成する事が出来る。

 この利点は、高度なコンビネーションなど必要としない事だ。即席の仲間同士でも何の問題もなく仕掛ける事が出来る。


 ――殺った!


 そのセオリーに従っての多方面からの攻撃。男は賭けに勝ったらしい。

 ぞぶりと、肉を刺す感触が剣を握った両手から伝わってくる。どうしても消えない嫌悪感と、相手の命を奪うという究極の優越感。湧き上がってくるそんな感情を男は一瞬で押し殺し――ふと、奇妙な事に気が付いた。


 ――反応がない?


 当然だが、誰も死にたくはない。それ故に刃を突き刺された人間は大なり小なり抵抗を見せる。ましてやそれで自分が生き残れる可能性があるのならそれが当然だ。

 だが、それがない。

 視線は自然と突き刺した傷口へと向かっていた。特に異常はない。刃は黒いドレスを通って、右の肋骨の辺りから心臓までを貫いている。いや、何かおかしい……。相手とは至近の距離。視界の半分は場違いな黒いドレスが覆っている。酷く手の込んだレースの細工が嫌でも目に映る。だがその奥に、自分と同じく攻撃を仕掛けた仲間の姿が映る。


 その表情には困惑の色が浮かんでいた。多分、自分も似たようなものだろう。

 そこでようやく違和感の正体に気が付いた。


 ――剣がぶつからなかったのだ。


 相手の右と左から、心臓へ向けて全力で突き刺した。なのに、感じたのは柔らかな肉の感触だけ。


「……っ!」


 やばい。

 何か判らないが、とにかくヤバい。

 鉛でも飲み込んだような重圧。そして背筋に氷でも押し当てられたかのような悪寒。

 意地も打算もない。男は距離を取ろうと足に力を入れ、刃を引き抜こうとするが――抜けない。

 明らかに異常事態だ。視界の端には、まだ少女と云ってもよい年代の女が凝と此方を見ている姿が映る。口元には婉然とし蠱惑的な笑み。青白い肌。黒く艶やかな髪に、美麗な漆黒のドレス。そして――真紅の双眸。

 黒曜石のように神秘的な色を湛えていたその瞳は、今はどこか禍々しさを感じさせる真紅に変わっていた。


「折角、来てくれたのだから追い返すのも失礼ね」


 ――こう見えても私、男爵夫人なんだから。


 場違いに長閑で可愛らしい声が響いた。だが頭の中の警報は鳴りっぱなしだ。そんな意味の分からない独白などに付き合ってはいられない。男は撤退を決めた。武器は抜けない。メインとしている武器だ。惜しくない筈がない。だが命には代えられない。

 男は武器から手を放した。


「……ひぃぅ!」


 そして悲鳴を上げた。

 男は歴戦の傭兵だ。死線を潜った経験も両手に余る。だがそれでも情けない悲鳴が漏れ出るのを抑えられなかった。

 何をされた訳でもない。ただ掴まれただけだ。

 少女のたおやかな繊手ではない。枯れ木のような細くしわがれた手。なのに異様に力強い。少女の身体から突き出てきている無数の手が、男を引き留めるようにその両腕を握り締めていた。

 それらは少女のドレスがあった場所から現れている。だがそれが何なのか男にはまるで想像がつかなかった。少し前、美しい黒いドレスに覆われていた少女の腹部。今では其処に、まるで底無し沼のように黒く虚ろな穴が広がっていた。

 そこから青白い無数の手が伸びてきて、男の両腕を握り締めている。

 男の上半身の装備は、防具としても一級品のシャツだ。防刃などの機能も備えたそれの生地は当然分厚い。なのに、握られた感触はまるで直に触られているようだった。

 ひんやりと冷たい。生気のまるで感じられない手。なのに、異様に力強い。


「貴方も、私の中にいらっしゃい。歓迎するわよ――心から」


 鈴の鳴るような少女の声。

 それが今は限りなくグロテスクなものにしか聞こえなかった。

 無数の手が男を引き摺り込もうと力を込める。

 恐怖に頭が塗り潰される。


「ひぃ――ぅっ!」


 漏れ出ようとしていた悲鳴は形にならなかった。凄まじい勢いで向かってきた枯れ木のような手に、その口を塞がれたからだ。視界が自然と滲んでいた。身体が震え、足に力が入らない。それがやけに気になった。


「ちぃっ!」


 そこで動いたのが、スペルキャスター達を守護していた重装歩兵達だった。

 全身を覆うフルプレートに身体をほぼ完全に覆う事の出来る大盾。そしてそれらを十全に活かし、仲間と自らを守る事の出来るスキル群。

 これらを全て満たした存在が、いわゆる重装歩兵だ。

 彼らは単独では戦況を動かす事が出来ない。機動力に欠け、攻撃力に欠け、回避力にも欠ける。出来るのは耐える事、守る事だけだ。

 それ故に戦況を動かすのは他の兵種の力を借りなくてはいけない。

 そんな彼らは概して他者を守る事に執着を見せる。それが自らの存在意義なのだから、ある意味当然だ。

 そしてそれ故に、何処とも知れぬ場所へ引き摺り込まれていく仲間を見捨てる事が出来なかった。だが――。


「ぬるい」


 それを計算に入れていた側からすれば、緩手に等しい。

 重装歩兵が動くのと、ほぼ同時。タリスが音もなく動いていた。油断していた訳ではないだろう、だが注意をレイラの方へと向け、自らが守護していたスペルキャスターから距離を離した。その影響は決して少なくない。

 そしてそうなった布陣など――喰らい尽くすのに労はない。


「しぃっ!」


 軽く鋭い呼気。

 それと共に、スペルキャスターの一人の首が斬り飛ばされた。

 やったのはタリスだ。

 獲物は手に持っていたステッキ。仕込み杖になっていたそれを使い、居合い一閃で敵を仕留めて見せた。

 その段階になって漸く、スペルキャスターも重装歩兵もタリスの接近に気が付いた。スペルキャスターは止めようと動く。だが彼らは元々接近戦の訓練など大して詰んでいない。そして重装歩兵たちは目の前のレイラから意識を逸らす事が出来ない。

 そんな状態のスペルキャスターなど、俎上の魚にも等しい。一人、また一人とタリスの手に掛かりその命を落としていく。


 やがて全てのスペルキャスターを仕留め終わると、タリスはレイラの方に目線で合図を送った。

 レイラは一つ頷くと、それまで生き餌として利用していた軽戦士たちを、用済みとばかりに自らの体内へ引き摺り込んだ。


「……っ」


 重装歩兵たちに憤怒の色が浮かぶ。だがレイラはそれをまるで気にしなかったし、スペルキャスターを仕留めたタリスとてそれは同じ事だった。

 局面は、もう殆ど詰みに近い。そこに駄目押しの一手が入る。


「――クリエイト・アンデッド」


 タリスが仕込み杖の刃を地面に向け、小さく呟いた。


「貴様……死霊術士かっ!」


 重装歩兵の一人が声を上げた。そこには感得の色があった。

 この少女の異常とも思える能力も、ならば何とか納得が出来る。

 あらゆる禁忌を禁忌としない、異端の徒。

 彼らが行う魔術は実際には幅が広い。死霊術士と名乗っていても、死霊を扱わない存在もざらにいる。つまりは死霊術士とは人倫を踏み越え、禁忌に挑む者の総称なのだ。

 だがそんな彼らが、好む研究テーマというものは存在する。

 死者蘇生。究極の生命の創造。迷宮操作。

 そして彼らの研究から生み出された存在が、屍鬼。

 主に人の死体から作られる、ナニカだ。

 それは兵器として生み出されたのかも知れない。家事をするために作られたのかも知れない。研究の助手としての役割を求められたのかも知れない。

 そして今タリスが作ろうとしている存在も、そんな屍鬼の内の一種だ。


「外道が……っ」


 重装歩兵の男が吐き捨てる。

 男の視界には、切り離された頭部を片手に持ち、不気味に蠢く嘗ての仲間の姿があった。

 タリスは、彼らに張っていた結界の属性を変えるように指令を出す。外からの狙撃を防ぐ結界から、中から獲物を逃がさない結界へと。

 そしてそれは程なく終わる。

 これで逃亡はほぼ不可能になった。

 男にもそれは理解できただろう。だが男は、その事を気にした素振りも見せなかった。


「あのような少女まで……」


 代わりに漏れ出るのは憤怒の声だ。

 だが返ってきたのは自慢げなタリスの声だった。


「ええ、素晴らしいでしょう。彼女こそが僕――死霊術士タリス・マンチェスの最高傑作の屍鬼であり、究極の術式であり、至高の魔具であり、最良のパートナーであり、最愛の妻なんです」


 あっけらかんと告げられた言葉に、男は声もない。


「……狂ってる」

「ま、見解の相違ですね。求道者なんてものは求道が第一。色にふけるのなら兎も角、恋愛などしている暇はありません。ならば発想を逆転してしまえばいい。愛する対象を求道に必須なものにしてしまえばいいんです」

「流石は私の旦那ね。理論に一分の隙もないわ」

「このくらい貴女の隣に立つものとして当然の事ですよ」

「ちなみに私の術式はタリスが維持しているから、タリスから離れて暫くすると多分爆発するわね。辺りに万を超える死霊と屍鬼をばらまくわ」

「離れられない二人という訳です。運命的ですね」

「ええ、ドラマティックね」


 男の前で寸劇めいたやりとりが行われる。

 それを聞いた男は足下から得体の知れないナニカが這い上ってくるような恐怖を覚えた。


「……狂ってる」


 先程まであった憤怒も戦意も今は消し飛んでいた。ただ力なく、そんな言葉を再び呟くだけしか出来ない。

 タリスはそんな男に軽く肩を竦めてみせる。


「先程も聞きましたが……あ、そんな無駄話をしている内に来ましたね」


 男が自分にどんな感情を抱いたかなど、タリスにとってはどうでもいい事だ。

 だから今までの会話も、ほんの気紛れと暇潰しに過ぎない。そしてどうやらもう暇を潰す意味はなくなったらしい。

 タリスの視界には、此方へ向かってくる何人かの姿を捉えていた。

 誰もがこの襲撃に参加した、タリス腹心の部下達だ。


 後方から襲撃したリザードマンのカスパル。

 右遠方から狙撃によるサポートを行ったゴブリンのベルン。彼は白い大きな犬に跨って此方へ向かってきていた。大きいと云っても、竜種のようにそこまで桁外れに大きい訳ではない。大体普通の虎と同じくらいだろうか。尤も、只でさえヒューマンの成人男性と比べれば小さいゴブリン種だ。背に跨られても随分と余裕があった。

 その白い犬の名前はアスク。

 魔獣の一種で、高度な知能と戦闘力を持っており、主にベルンと組む事が多い。これはベルンというゴブリンのスキル構成にも大きく関係があった。ベルンは狙撃手としては卓越しており、また斥候なども充分にこなすが、純粋な近接戦闘力という点では大した事が無い。格下相手でも不意をつかれれば殺されるだろう。これは狙撃時にした所で同じ事だ。

 それ故にそれをサポートする存在が必要になる。

 当然ケースバイケースになるのだが、それをメインで行っているのがアスクであり、カスパルだった。


 今回は彼ら二人と一匹の他に、もう一人参加していた。

 左側面から襲撃していたソフィア・クリフォードというエルフの女性だ。

 無骨な軍服姿のエルフだ。手足はエルフらしく細くしなやかだが、その肢体は厚手の服の外からでも判るほど豊かな曲線を描いてる。

 美しい金髪に澄んだ碧眼。

 左手にはラウンドシールドを、そして右手にはジャマダハルと呼ばれる握り込むタイプの短剣を装備している。


 この5人と1匹が、タリスが実働チームとして動く時のベストメンバーだ。他にも後方支援的な事を行う仲間も、戦闘を行える仲間もいるが、総合力で云えばこのメンバーが最適だとタリスは考えていた。


「こっちは終わったぞ」


 ソフィアはその右手に握ったジャマダハルから血を滴らせながら単独でやって来ていたが、カスパルの場合は違った。無言のまま此方へ向かってくるその手にはロープが握られ、それらは捕虜になった護衛達の手に繋がれていた。


「さて――」


 タリスはそんな捕虜に向かって口を開いた。重装歩兵たちは動きを封じていなかったが、別に構わなかった。どうせもう逆転する目などない。


「これから僕に協力してくれるなら、命だけは助けてあげます。協力を拒むのなら、まあ拒めないようにするまでなのですが、少々面倒なので出来れば素直に協力してくれる事を望みます」



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