第十四話 トーナメント
ロートの法衣貴族、タリス・マンチェス。
諜報を取り仕切るファリ商会総帥、ユーニス・アンブラー。
歓楽を取り仕切るシャイラン商会総帥、ヘンリク・オーグレーン。
彼ら三人が中心になって企画したトーナメントは、コーネスライト第二闘技場で行われる事となった。
最初に作られたが故に狭く、どちらかと云えばアンダーグラウンドな感じの漂う第一闘技場。
最新の技術がつぎ込まれ、集団同士の戦闘や特殊な環境下の訓練などにもある程度対応できる第三闘技場。
それらに比べて第二闘技場は癖が無く、交通の便も良い。周りにも予想屋や屋台などが立ち並ぶ空間が存在する。その映像を専門の魔導師と設備によってリアルタイムで各所に送る事も出来る。一対一の試合を行うには最適な闘技場だった。
そんな第二闘技場は、現在満員の観客が詰め掛けていた。
まだ試合前という事もあり、そこまで五月蠅くはない。だが僅かな話し声が積み重なり、結果として大きなざわめきを作り出していた。それは空気を振動させるうねりとなって、その場にいる人間の感情を押し上げる。
闘技場は危ういばかりの熱気と興奮に満ちており、それはどこか狂瀾の色を帯びていた。
ある意味それも当然なのかも知れない。
なにせ参加料は、都市政府に真っ向から反対すること。
つまりこのトーナメントに参加する人間は、これから都市政府に対して反対運動を繰り広げようとしている訳だ。
都市政府からしたら、こんな目障りな事もないだろう。騎士団などが出動し、トーナメントが武力で鎮圧させられる可能性も充分にある。
もしそうなれば、観客に犠牲が出るのは避けられない。
そんな中、わざわざやって来ているのだ。都市の中に、潜在的とはいえ強い不満を持つ者が大勢いる事は確かだろう。
そしてそんな興奮を無視するような、後押しするような、どこか軽薄な声が会場内に響き渡った。
「あ、あー、都市政府に思ったよりも不満がたまっているのか、優勝賞品が欲しいのか、単にトーナメントなんていう言葉を聞くと参加せずにはいられない性癖なのか、割合急な話であったにも関わらず多数の参加者が集まりました。みんなで集まれば都市政府なんて怖くない! 優勝賞品目当てで都市政府に反対する気持ちなんてこれっぽっちも無かったんですぅ~。そんな言い訳が聞こえてくるような、本日晴天コーネスライト第二闘技場、みなさまいかがお過ごしでしょうか」
拡声器によって拡大された声が、会場内の幾つかのスピーカーを通して流される。
まだ若い女の声だ。スピーカーを通しているので、微かにノイズが混じっているが、それでも滑舌がしっかりしているからか聞き取りにくさは感じない。
「本当なら試合前の前座にアイドルにでも歌わせようとかいう計画もあったんですが、うちの商会が契約していて、なおかつ今現在この都市にいたアイドルは危険だからって出演を拒否しました。ケッ、なんて根性のない。まあいいです、どうせ前座は前座。メインイベントに比べれば、ぶっちゃけどうでもいい事です。それに、事前の賭けでは都市警察が乱入してきてトーナメントがお釈迦になる、なんてものにも結構賭けられていますし、そこに賭けている人たちから半日掛けたコンサートをやった後に試合をやるべき、なんて案まで飛び出してます。はっきり言って一々聞いてられません。なので、ちゃちゃっといきましょう!」
そこで女は一拍置いた。
会場からは、さっさと始めろー等という野次にも似た言葉が飛ぶ。熱気と相まって少々危うい雰囲気さえ漂っている。だがそれを察しているであろう女は、動じた気配すら見せずに同じ調子で言葉を続ける。
「はいはい、後ちょっとで試合だから大人しく待ってなさい。……なんて私、大人の女って感じですね! そんな大人な私が実況担当。皆様ご存じ、だといいなぁーの突撃リポーター、リサ・マクレーンです。どんな汚れ仕事もバッチコイ、でも枕営業だけは勘弁な! が、合い言葉のリサ・マクレーンです。お仕事ご依頼の方は、是非ともシャイラン商会まで」
ですが、と観客席の中で特別に用意された席に座ったリポーターの女――リサ・マクレーンは、隣へ視線をやった。
「私は一介の突撃リポーターであって、今回トーナメントに参加するような腕自慢たちが何をやっているか、そんな事について解説するなんてどう考えても手に余ります。そこはこれをご覧になっていらっしゃる大抵の皆様がたも同じ事だと思います。ですが、ご安心下さい! そんな皆様方の為に、スペシャルゲストをお呼びしました! 元王立騎士団大佐にしてエルフにして今回の優勝賞品、そんな様々な属性を兼ね備えた美人さん……ごく一部真似したくない属性が入っていますが、まあ兎も角っ、ソフィア・クリフォードさんですっ! わ~ぱちぱち」
タリスが負けたら景品として奴隷として引き渡される人間を前にして、良い度胸をしている。
そんな事をソフィアは思ったが、リサはそんなソフィアの内心などにも頓着する事無く言葉を続けていく。
「では、まず今回のトーナメントの大前提から確認していきましょう。ぶっちゃけ、今の都市政府、洒落になりません!」
「……随分とぶっちゃけたな」
ソフィアが思わず声を漏らす。
事前の打ち合わせで、都市政府に反抗する空気を醸成するという指針は打ち出されていた。だが最初からここまで飛ばすとは思っていなかった。
「ええ、お仕事ですから!」
何の躊躇いも無くリサが言い切った。
そして二の句を継げないソフィアをよそに、解説を続ける。
「まあ、そんな都市政府に対抗して連盟組もうぜっ、みたいな話な訳ですね。このトーナメントに参加する商会やチームは皆この連盟に参加する事を承諾しています。まあ元々商工会があるじゃん、みたいな事を思う方も多いでしょうが、彼らはぶっちゃけひよってます! 役に立ちません! 保身ばかりでいつも逃げ道探してばかりっ! 汚いですねー。そんな中、保身から一歩抜けだしこの都市を救うために敢然と立ち上がったのが、シャイラン商会とファリ商会、そして何を思ったか横からしゃしゃり出てきたタリス・マンチェス男爵ですっ! ついでに言ってしまうと、このマンチェス男爵が勝つと景品であるソフィアさんは現状維持、他が勝てば奴隷として売り払われます。……そんな状況な訳ですが、ソフィアさん今のお気持ちは?」
「……解説は兎も角、こんな受け答えを要求されるなんて聞いてない。詐欺だ」
「成る程。でも、そんなもんですよっ!」
「…………」
あっけらかんとしたリサの言葉に、ソフィアは頭痛を堪えるように眉間を指で押さえた。
「さて、そんなお話をしている合間に、準備は整ったみたいですね。第一試合は、先程の話にも出ていたタリス・マンチェス選手がいきなりの登場。対戦相手はブルーラス商会所属の道場主である、ディルク・ビアホフ選手です。ちなみにコメントで、自らの流派がアルメイト流より優れている事を証明したいっ、て言ってますけど、アルメイト流って確か……」
「コーネスライトの制式武術というやつだな」
「ふむ。コーネスライトでは余り重要視されていない感のある制式武術ですが、やはりロートなどでは違うので?」
リサの問いに、ソフィアが大きく頷く。
「ああ、トライアルを通過して制式武術に採用されれば、教育機関や騎士団などでそれを教える事になる。はっきり言って凄まじい利権だ。道場主は一生どころか、七代に渡って左団扇の生活が出来るだろうさ。だがその分だけ審査は厳しい。まあ変なのが選ばれる事はロートならばまず無い」
「コーネスライトでは違うと?」
「一言で制式武術と云っても、別に一個しか無い訳じゃない。色々な兵種毎にも別れているし、同じ兵種で複数ある所もある。だがそれ以上に都市毎の差が激しい。まあ当然だな。制式武術はいわばその土地に最適化されている。例えば大型魔獣の脅威が多い場所には多い場所の武術が、水辺が多い場所にはそれに適した武術が必要とされる訳で、この質は都市の興亡に関わる」
「だから、滅多なものが選ばれる事はないという訳ですね」
「そういう事だ。だが、コーネスライトのような通商都市だと少し事情が異なってくる。つまり生存という観点からすると、戦う必然性が少ないのだ。結果、制式武術も対人主流という事になるのだが……一言で人間と云っても千差万別であり、当然それに対する武術も千差万別だ。結果としてまあどれでもいいんじゃねぇみたいなのが、真面目に制式武術を検討した人間の本音だろうな。そうなるとどうなるか。当然政治的に強いのが勝つ。なにせ投資すれば返ってくるのが確実なんだ。やらない手はない」
ふむふむ、とリサが大袈裟に頷く。ソフィアが言葉を続ける。
「まあそういう訳で、政治闘争で負けた所為で制式武術に選ばれる事がなかったと思っている他の諸流派は、制式武術に選ばれたアルメイト流を嫌っている訳だ。ちなみにこのアルメイト流を採用させたのも、教えているのもエーノルド商会だ。迷宮に入る時に入場料を取ったり、獲物を売るときにマージン取ったり、といった色々な事もやっている。その所為で冒険者からはあんまり好かれていないようだな」
ソフィアがそんな事を話している内に、闘技場の中央に二人の男が出てきた。
タリス・マンチェスと、その対戦相手であるディルク・ビアホフだ。
それを見て、リサが再び口を開いた。
「ふむ、ビアホフ選手はやや小振りな片手剣を右手に持ち、左手にはダガーを持つスタイル。防具はレザーメイルみたいですね。いわゆる軽戦士というやつでしょうか?」
「そうだな、街中での突発的な戦闘を考えれば、普段から持ち歩ける程度の武装で戦える事が望ましい。それを考えれば、必然的にこのような形になるのではないのかな。コーネスライトのような都市で制式武術を目指すなら正しい方向性だろう。ただ二刀流に関しては、習得が難しい上にセンスもいる。余り一般向きではないな」
「それに反して、マンチェス男爵は黒いスーツにサーベル一本と、随分と戦闘向きじゃない感じですが?」
「まあ防具に関しては、クロスアーマーという奴だ。見た目ほど無防備な訳じゃない。流石に同ランクのプレートメイルに勝てるほどじゃないが」
「ほう……あ、始まりましたね!」
空が高く、風が凪いでいる。
周りからは歓声ともざわめきとも取れぬ声が聞こえてくる。だがこの闘技場の構造の所為だろうか、決して小さな音ではない筈なのに、それはどこか遠くに聞こえた。
おかしなものだと、タリスは苦笑する。
正直、こんな場所で剣闘士の真似事をするようになるとは思ってもいなかった。まあ、自分で出した策なので文句も言えない。文句を言えるとしたら、恐らく景品扱いされているソフィアくらいのものだろう。よく引き受けたものだ。
「……っ」
鋭く息を吐く音が聞こえる。
タリスのものではない。対戦相手のものだ。そこで初めてタリスは対戦相手に意識を向けた。
両刃の片手剣を右手に、左手にダガーを構えている。その挙止に不自然な所も、隙らしい隙もない。伊達に二刀流を教える道場を開いている訳ではなさそうだ。
それに対して、タリスはサーベル一本のみ。細緻で鮮麗な装飾が施されたそれは、まるで美術品のようにも見える。だが決して見掛けだけの観賞用ではない。その切れ味は並の業物を凌ぎ、大抵の金属鎧なら両断する事も容易い程だ。
その事を相手も察しているのだろうか。男は試合が始まっても不用意にタリスへ近付いてくる事は無かった。
距離は大きめの歩幅で三歩か四歩の間だろうか、その場で武器を振るっても無意味な程度には離れている。だが軽戦士にとっては、ほんの一瞬の隙で間合いを詰め切れる距離だ。
タリスはまだサーベルを抜いていない。左腰に差したサーベルの柄に右手を掛け、静かな瞳で相手を観察している。
結局の所、タリスは本職の戦士ではない。
故に剣だけを使って不利な状態から盛り返す、という事に関してはかなり苦手な部類に入る。そのような場合タリスは魔導に頼らざるを得ないが、相手が想定していた場合それを覆すのは中々難しい。
故にコード・オブ・カドゥケウスのような、ある種の反則技を使えず、更には最も得意とする死霊術も使えない今のような状態の時、タリスが使える札は大幅に制限される。
そしてそんな制限の中、タリスが自信を持って使える札の一つに、居合いがある。
タリスの剣は、攻めの剣だ。
相手に立ち直る暇を与えずに、自分のペースを崩さず敵を斬る。その一つの極致が居合いになる。その極意は一撃必殺。真っ正面から不意を打つ事だ。少なくともタリスはそう考えていた。
だが、今はそれも使いにくい。
「……ふぅ」
タリスは軽い溜め息を吐くと、柄を握った右手に力を入れてサーベルを引き抜いた。冴え冴えとした硬質な刃が衆目に晒される。対戦相手の男――ディルクがぴくりと震えた。
今度の目的は、勝つ事ではない。
無論、勝つ事は必須だ。だがそれだけでは足りないのだ。
その為には相手を殺す事など以ての外。出来れば観客を愉しませるようにして勝たなくてはならない。
……さて、どうなるか。
タリスは抜いたサーベルの切っ先を前へと突き出し、半身に構える。
――そしてそのまま距離を詰める。
「おおっと、マンチェス選手、サーベルを前に構えたままゆっくりと近付いていきます! ディルク選手はどうするか~っ!」
「サーベルのような武器の代表的な流派の一つだな。見た目の優雅さとは裏腹の高い実用性を誇る戦い方だ。ただそれだけ高度な技術で、訓練が必要だ。だから割合地位のある人間が使う事が多いな」
そんな解説の声を聞きながら、タリスは少しずつ距離を詰める。だがディルクは動かない。近付いてくるサーベルの刃に目もやらない。その視線はただ真っ直ぐにタリスの瞳を見据えていた。
やがて二人の距離は近付き、お互いがお互いを武器の間合いに捉える。だがこの段になってもディルクはまだ動かなかった。
――成る程、後の先がお望みか。
どうせお祭りだ。ならば、その希望に応えてやろう。
「ふっ!」
鋭い呼気一つ。
それと同時にタリスは一歩踏み込んだ。そしてその分だけ撓んだ腕を伸ばす事で、突きを放つ。狙いは喉元。当たれば命はない。だが気にしなかった。この程度で死ぬような相手では無いと判っていた。
案の定、ディルクは右に持った片手剣を僅かに、しかし鋭く動かす事で突きの切っ先を逸らす。甲高い金属音が鳴り響き、同時にディルクは左に持ったダガーをタリスの胸元へと突き込んでくる。その動作は酷く洗練されたものだった。恐らくは流派の技として確立されたものなのだろう。
しかし、その程度の事は想定済みだ。
「――っ!?」
ディルクが驚愕に目を見開く。タリスの左手が、ダガーを握ったディルクの左手を真っ正面から掴み取っていた。当然ダガーはタリスの掌に突き刺さり、貫通している。だがタリスは意に介さない。
本職の戦士と、技量の競い合いをする気などタリスには無いのだ。不意を突き、動揺を誘い、罠に掛ける。それがタリスの戦い方であり、その為ならばこの程度の負傷など安いものだ。
「ちっ!」
舌打ち一つと共にディルクが、握られた左手を外そうと藻掻く。だがそれを放すタリスではない。それを見て取ったディルクは右腕の剣を振るおうとするが、それはタリスのサーベルによって押さえられる。ディルクは更に力を込め離れようと藻掻くが、それは即ち態勢が崩れるという事とほぼ同義だ。
「ふっ!」
そこでタリスが攻めた。
サーベルによる斬撃でも、魔導による攻撃でもない。握った左手による力任せにも見える投げだ。左腕一本で地面から引っこ抜くような大胆な攻撃。闘技場が歓声に湧く。
――舐めんなっ!
中空で交差した視線がそんな事を語っている気がした。だが無論、舐めるつもりなど毛頭無い。
タリスは身体と握った左腕を回転させる事で、相手の肘関節を破壊する。靱帯が断ち切れた鈍い音が響いた。
「……っ!」
苦痛の呻き声がディルクの喉から漏れる。もう用はない。タリスは相手の左腕を解放した。貫かれた左の手の平から血が滴り、地面を赤く染めた。
だがそれも長くは続かない。さほど時間が経たない内にその傷口は塞がっていく。やがてタリスが左手を軽く振り血を落とすと、既に刺突の跡は全く見えなくなっていた。
これが治癒士の力だ。
本来戦闘中に治癒士が魔導によって負傷を癒す事は難しい。少なくとも戦闘からの一時離脱が必要になる。だが、治癒士本人の負傷を癒す場合は話が別だ。
タリスはサーベルの刃を真っ直ぐに敵へ突き付けるように構え、半身の態勢を取った。それは丁度試合が開始してすぐの時のようだった。
唯一違うのは相手方。ディルクは左肘を負傷している。この戦闘においては、もうまともにダガーは扱えないだろう。
結局、タリスの勝利で決着がついたのは暫く後の事だった。
闘技場は、澱んだ熱気に包まれていた。
朝方から続いていたトーナメントは、もう既に夕刻を過ぎていた。昼食の為の休憩を挟んでいるとはいえ、観客達の疲れもかなりのものであり、それは実際に試合を行っている選手たちなら尚更だ。
だがそれ故にかえって、その熱気は変質していた。
鬱屈して、堆積した、どろどろのナニカが観客席から溢れ出してきそうだった。
そんな中、試合も残すところ二試合。
決勝と準決勝一試合のみとなっており、タリスは順当に決勝に駒を進めていた。
「それにしても、まさかあいつが参加しているとはね……」
タリスが闘技場の中央へと続く通路から、現在行われている試合を眺めながら呟いた。
無論、それまで試合を繰り返してきているのだ。初めて選手の姿を見た訳ではない。だが改めてぼやきたくなったのだ。実際に、彼女の姿と名前を出場選手の中に見た時は、タリスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのを必死に自制しなくてはならなかった。
――エイダ・アボット。
ロートの法衣貴族であり、いわばタリスの同僚とも言える。
だがタリスのような殆ど無官の地位にいる人間に比べれば、その地位と権限は段違いだ。
独立武装紋章官。
特定の地域に囚われず地方を回り、諸侯などと呼ばれている地方貴族が適切に領地を管理しているか調べる役職であり、特に『武装』の二文字がついた紋章官は、一応は文官の括りだが戦闘術を修めており、まだ危険な土地へ単独で訪れる事も多い。
「……はぁ」
思わず溜め息が漏れる。
まだ最初からいた訳じゃなくてよかったと思うべきか。最初からいたんならそもそも決行していなかっただろうから、そもそもの不運を嘆けばよいのか。
唯一判っているのは、そんな事をしても事態は何も変わらないという事だ。
「まあ仕方ない。何のイレギュラーも無しに事態が進められると思っていた訳じゃない」
タリスが呟く。独り言めいたそれに、影の中から共感するような意思が伝わってくる。
不幸中の幸いな事に、エイダはまだ知らない訳じゃない。対策は立てやすい。そして事態はもう佳境に近い。ここから問題なく元通りに修復するのは不可能に近い筈だ。
「しかし、相変わらず……」
タリスは視線を廊下の先へと向ける。
そこではエイダが盾を装備したフルプレートの戦士相手に戦っていた。どちらかと云えば、エイダにとっては苦手な部類に入るだろう。だが、タリスはエイダの勝ちを疑っていなかったし、事実エイダは終始優勢に試合を進めていた。
……いや、もしかしたら苦手な部類ですら無いのかも。
そんな事をタリスは思う。
戦闘に関して云えば、エイダはタリスと比べても熟達されていると云ってよい。タリスが所詮は魔導師であり、研究やそれを利用した絡め手に重点を置いているのに対し、エイダは紋章官という立場にありながら戦闘そのものに重きを置いている。
何でもありの戦闘ならば、タリスは確実にエイダを殺せる。
だが試合形式で、しかも札を幾つか封じなくてはならない状況で彼女を圧倒出来るかといえば、タリスにその自信はなかった。
「ま、頑張るとしますか」
視線の先では、対戦相手を沈めたエイダが不敵な笑みと共に指をくいくいと動かし、廊下の先にいるタリスを呼んでいる。その仕草と試合の決着に会場が興奮の坩堝と化し、廊下の中にまで五月蠅いくらいの歓声が届く。
……相変わらず、華のある奴だ。
少なくとも、自分よりはこんな場には相応しい。タリスは僅かな自嘲と共にそれを認めた。
だが自分にもすべき事、いや、成し遂げると決めた事がある。他人から見ればどんなに下らないと思われ、罵られるような事であっても、それを違えるつもりはタリスには無かった。
タリスは無言で歩を進める。
顔には何時も通りの穏やかな笑み。服装は戦闘の為のものとは思えないような黒いスーツ。腰には細緻な装飾が施されたサーベルを差している。
会場がどよめいた。
それは既に音の洪水となって、闘技場を揺らしているようだった。
だがそれも中央へ行くにつれて、遠くなっていく。静音の為の結界だ。
「……意外な所で会いますね」
先に声を掛けたのは、タリスからだった。
タリスは改めてエイダの姿を見た。
肩に届かない程度の黒髪をしたグラマラスな若い女だ。服装は、ごく普通の旅姿と云ってよい。ただ瞳に眼鏡を掛け、両拳に無骨な戦闘用ハンドグローブをつけている。
「全くね。んで、貴方はこんな所で何してるのかな~」
エイダが答える。
わざとらしく小首を傾げるその仕草に、タリスは眉をしかめた。
「似合ってないです」
「うっさいわ、ボケっ」
そんやりとりをしている横では、一応は存在している審判が簡単なルールを確認している。まあ尤も決着がついたらそれ以上攻撃してはいけないとか、その程度のものだが。
それより遠くからは、コーネスライトのトーナメントにも関わらず決勝がロート出身の人間になった事についての嘆きと解説が行われている。
エイダの口元には冗談めかした笑み。だがその視線はタリスの思考を見透かそうとでもいうように、片時もタリスの双眸を捉え離れなかった。
やがて、注意事項を伝え終えた審判が二人から距離を取る。
そして告げた。
「――始めっ!」
瞬間だった。
背筋に悪寒が走るのと同時、考えるより先に身体が動いていた。傾けた頭の右横を、不吉な風切り音と共に凄まじい速度で物体が通過する。通過した物体はそのままの速度で元の場所、つまりエイダの手元に戻っていった。
分銅鎖だ。
鎖の両横に重りをつけただけのシンプルな武器だが、エイダはその使い手なのだ。尤もそれだけでなく素手での戦闘技術も優れている。
「……いきなりですね」
「喧嘩なんて先手必勝。不意打ち上等。理由なんて後から考えればついてくるもんよっ!」
タリスの呟きに、エイダは寧ろ誇らしげに答える。
タリスは溜め息と共に返した。
「それでも貴方は紋章官ですか」
「ほう……あんたは違うと?」
「勿論。戦わなくてはいけない相手とは、ルールを決めた上で正々堂々決闘を以て雌雄を決します」
「よー云うわ」
瞬間、エイダの手が振るわれる。距離はまだ離れている。大股で二歩程度。一歩踏み込めば、片手剣の間合いにぎりぎり入るかと云った所だ。だがエイダの分銅鎖は踏み込む必要もなく、その距離を易々と踏破する。
躱しきれる速さではない。それどころか、反応すら難しい。特に、足の脛を狙って放たれる一撃は、前もって飛び退いておくか、逆に距離を詰める程度しか対策がない。
だが今回は勘が当たったようだ。適当に振るった左腕が分銅鎖の一撃を弾く。拳に鋭い衝撃が走った。分銅を捕らえる事は出来なかった。相手の動きがやはり速い。すんでの所で手元へ戻されてしまう。
「しぃっ!」
同時にタリスは一歩踏み込んだ。
勝機と見た、訳ではない。このままではじり貧だと思っただけだ。分銅鎖の使い手であるエイダは、ある意味タリスと対照的な戦い方をする。分銅鎖による牽制を基本とした手数の多さ。そして攻防の切り替えの速さ。それは一撃必殺と絡め手を旨とするタリスとは違う。
案の定、軽く後ろに身体を反らせるだけで抜き打ちの一撃は躱される。だが本命はその次。
タリスは抜き打ちを躱された状態から、突きを放つ。力は大して込められていない。だが牽制には充分だ。
――へぇ。
エイダの口元に愉しそう笑みが浮かぶ。
次の瞬間、刃を通じてタリスの右腕に衝撃が走った。身体が僅かに流れる。その隙を突いてのエイダの右の正拳。転がるように横に飛ぶ事で避ける。
「……ふぅ」
一旦離れた距離で、タリスはエイダと再び向かい合う。
見れば、エイダの左拳にいつの間にか鎖が巻き付いていた。丁度それを握り込むようにして拳を保護しているのだ。元々の戦闘用ハンドグローブに付け加えられたそれは、防具でもあり武器でもある。今やエイダの左拳は下手な鈍器よりも遥かに凶悪なものだろう。
「はっ!」
次に動いたのはエイダの方だった。
一歩踏み込み、左拳による鋭く速い拳打を放つ。距離は遠い。まだサーベルの刃すら届かない。そんな間合いだ。だが――。
「……っ!」
肋骨の辺りに鈍い衝撃。気が付けば既に攻撃は終わっていた。いや、それどころか攻撃後の隙すら既に無くなっていた。左拳に巻き付けられていた筈の分銅鎖は既にほどかれ、エイダの手元にある。幸い負傷はそれほど深刻ではない。
……厄介だ。
タリスは歯噛みする。特に殺してはいけないという制限が厳しかった。やりにくいと云ってもよい。
「ほーら、どうした、どうした」
それを判っているのか、揶揄するようなエイダの声。だが眼鏡の奥のその瞳は、冷徹な眼差しを以てタリスの姿を捉えている。
エイダがタリスの事を疑っているのは確かだろう。話に聞いた限りでは、エイダがコーネスライトにやって来たのはほんの数日前。このトーナメントの開催を準備している時だった。
タリスは間違いなくこの事態の中心に近い所にいる。そうエイダは踏んでいる筈だ。
だが同時に、どうすべきかを考えている事も確かだろう。下手に介入して事態を悪化させてもしょうがない。エイダはロートの利益を代弁する紋章官であって正義の味方などではない。
取引は通用する相手だ。
……まあ、かなり享楽的なところもあるから油断できないが。
そんな事を考慮してエイダの目的を考える。
別に金が欲しい訳でも、ソフィアの身柄が欲しい訳でも無いだろう。ならば……。
「はぁ」
そこまで思考を進めると、タリスは重い溜め息を吐いた。
結局の所、そういう事だろう。
エイダはタリスに手の内の札を一枚明かせと云っているのだ。
「……試合映えしないですから、余り使いたくなかったんですがね」
「今更あんたがそんな事を気にするかぁ?」
疑わしげなエイダの声。タリスはそれには答えず、軽く肩を竦めた。
「……?」
だがそれだけだった。言葉の割りに、タリスが何かをした素振りはない。だがエイダの直感は何かを訴えかけてきていた。
まずい、と思った時は身体が動いていた。だが、動かした瞬間に微かな違和感が――。
「……毒かっ!」
「ご名答」
気が付けば、タリスは分銅鎖が届かない位に距離を取っている。
「いわゆるスペルキャスターにも二種類いましてね、簡単に言ってしまうと遠距離攻撃が得意な者と不得意な者。僕は不得意な方でして」
――こんな方法を取らせてもらいました。
そんな風にタリスがどこか冷たい笑みを見せる。
エイダは背筋に嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。毒による攻撃を受けた事にではない。無論、タリスが毒を使用した事に対してでもない。タリスの攻撃にまるで気が付かなかった事に戦慄したのだ。無味無臭、殺気も魔力を練る感覚もまるで感じなかった。
……成る程、これがタリス・マンチェスか。
これは暗殺者の手練だ。しかも並の腕ではない。
エイダはそれを心に刻み込む。尤も今は殺されないとは判っていた。だから毒による攻撃に対しても、そこまで慌てる事はない。だが同時に、このままだと面白くない事は確かだ。
にやぁ、とエイダが笑みを浮かべる。まるで怪しげな猫のような笑みだ。それを見てタリスは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。
「はっ!」
瞬間、エイダが駆け出した。
今までのような単発ではない、接近しての連撃。その左拳には分銅鎖が巻かれている。タリスはサーベルの一撃で接近を阻もうとするが、エイダはそれを左の正拳で真っ向から受け止めた。
甲高い金属音が鳴り響き、見物客が歓声に沸く。だが攻防はそれで終わらなかった。続けざまのタリスの斬撃。息もつかせぬ速度で次々と放たれるそれを、エイダは悉く拳で打ち落としていく。
毒に侵されているのに、エイダは焦る様子を見せなかった。ただひたすらに迎撃の拳打を洗練させていく。
サーベルの刃と拳に巻かれた鎖が、激しく鮮烈な音階を奏でる。殆ど連続に聞こえるそれは、どこか雷鳴を思い起こさせた。
「しぃっ!」
だがそれも長くは続かない。
エイダが格闘家の鎖使いであるとするのならば、タリスは暗殺者の死霊術士だ。まともに打ち合う事に意義など見いださない。そしてその事が、その事こそが、エイダが知りたかった事だった。
やがてエイダの身体の動きが鈍くなる。
恐らく見ている人間には殆ど判らないような微妙な差異。だが、その差は大きい。徐々に攻防の優勢が定まっていく。
「……くっ」
どれだけ時間が経ったのか、気が付けばタリスのサーベルがエイダの喉元に突き付けられていた。
悲鳴のような歓声が響く。どよめきが会場を大きく揺らす。
――決着だった。
タリス・マンチェス。ユーニス・アンブラー。ヘンリク・オーグレーン。
この三人が主導し開催したトーナメントは無事に終了した。都市警察が途中で乱入してくる事もなかった。
それは閉幕式に三人と、そしてトーナメントの参加者たちが健闘をたたえ合い、大々的に都市政府に対する反対運動を開始すると宣言した時も同じだった。
だが無論、その影響が無かった訳では無い。
新聞などのメディアがこのトーナメントの結果を盛んに騒ぎ立て、酒場などはこの噂で持ち切りになったのだ。
そこには当然、報道関係に多大な影響を持っていたシャイラン商会やファリ商会の情報操作が行われていたが、コーネスライトの住人たちがそのような動きを歓迎していた事もまた確かだった。
そして同時に、そのような住民の動きを都市政府が歓迎せず、また受け入れる事が出来ないのも同様に確かな事だった。
結果、都市政府はナルミス商会総帥の捕縛と、取り締まりの一層の強化という策で応える事になる。
そしてこの事は住民の更なる反発を招いた。
魔具などを取り扱う商会の元締めであるナルミス商会とロイスとの関係は、いわば公然の秘密ともいうべきもので今更取り立てて騒ぐ事ではない。では何か特別な理由があるのかと云えば、その説明もない。住民達の怒りもある意味当然だった。
少し前ならその声もある程度抑えられていた。
ケレスター商会の殲滅という誰の目にも明らかな事実が、都市政府についての批判を暗黙の内に封じていた。まるで、口にすれば自らにその災いが降りかかるとでもいうように。
だがトーナメントによって反都市政府の連合が作られると、その状況も一変する。
都市政府に関しての不満を、実際に口に出す事が出来る空気が醸成されたのだ。そしてそれを完全に押さえ込む力は、現在の都市政府には残っていなかった。
都市政府は、そして領主であるアキム・バラネフは、既に完全に孤立していた。
大通りを興奮した人の群れが歩いている。
口にしているのは、都市政府に対しての不満と不平。特に領主であるアキム・バラネフについてのものだ。この都市は商人のものだ。端的にそんな文字が書かれた看板を持っている者も数多い。
その顔にはある種の熱狂がある。それはある意味、ヒステリーにも似ていた。
まだ暴動にまで発展はしていない。だがいつ発展するのか、そして発展した時にそれを都市政府は抑えられるのか。
そもそも現在は騎士団を北に派遣しており動かせない状態だ。それを考えれば都市の治安維持に使える数は限られている。都市警察を全て動員したところで、二万程度か。
百万都市と呼ばれるコーネスライトでは、余りにその数は頼りない。
ウォルト・アビントンは、そんな群衆を裏通りから遠目に観察すると、目を付けられない内に裏通りの中へと姿を消した。都市警察の人間である事がばれたら、いたずらに群衆を刺激してしまうかも知れないと考えたからだ。
ウォルトがタリスとユーニスと共にナルミス商会を調査してから、状況は激変した。
都市政府は強硬姿勢をますます強め、都市住民達はそれに公然と声を上げ始めた。このままでは決定的な対立は避けられない。だからこそ、水面下で動いている人間もいた。ウォルトもその一人だ。
「おう、どうだった?」
裏通りを少し進んだ場所に、壁に背中を預け立っていた男が声を掛けてくる。ゴーチエ・ボドワンだ。
騎士団の小隊長を務めており、そこそこの名家の出の筈だがやたらに裏通りの寂れた雰囲気が似合っている。
「どうもこうもうねぇ。無理に押さえ付けても、押さえきれるものじゃねぇよ、ありゃ」
「かはー、やっぱりかよ」
ゴーチエは額に手を当て、大袈裟に嘆いてみせる。そんなゴーチエを無視した陰険な嗄れ声で、ウォルトは問い掛ける。
「で、お前さん達の方はどうだったんだ? 独立紋章官が来たんだろ。感触は?」
その言葉にゴーチエは顔を真剣なものへと変えた。
「……駄目だった」
その声には静かだが、吐き捨てるような色があった。
「どういう事だ?」
「ロートは、ここまでの事態を起こしたバラネフ家を切り捨てる方が得策だと考えているみたいだ。少なくともあの紋章官ははっきりそう言った」
「…………」
ある程度はウォルトも想像していた事だった。
つまりは、こういう事だ。
今、領主側にロートが味方したとすれば、商会側とロートの関係にまで決定的な亀裂が入る。それならばここは黙認して、反体制側とそれなりの関係を築いた方が得策だと、そう考えたのだろう。
幸いな事に、ロートには反体制側に強力なコネがある。そう――タリス・マンチェスというコネが。
仮に反体制側、つまり商会側がこの都市の支配権を得てもタリスを通じてある程度のコントロールが可能だ。そう踏んだのだ。
「ちっ」
だがそれは……っ。
ウォルトの口から思わず舌打ちが漏れる。
「旦那はどうしている?」
ツェーザル・バッハマンの事だ。
ウォルトも参加した、ジェフリー・バーギンの捕縛作戦を指揮した男。
ジェフリーを取り逃がした事を悔い、あれから精力的に動いていた筈だ。その姿は、ウォルトの目にも鬼気迫るものを感じさせた。
「部隊を率いて動いているが、決定打が掴めないな。そもそも何をどうすれば状況を改善させられるのかがまるで判らない」
「……手詰まりか」
「…………」
ウォルトの声に、ゴーチエは何も答えない。だがそれが何よりの答えだった。
そして二人の予感は二日後、現実のものとなる。
大規模な暴動を警戒したアキム・バラネフは領主館を中心とした区画を占拠し、商会の資材などを徴発。それに対抗した商会連合も兵士の組織化を進める。
これを以て、商会連合と都市政府は事実上の戦争状態へ突入した。
次はちょっと間が開くかも。
取り敢えず戦争や戦闘描写だけでなく陰謀群像劇みたいなのも書きたかったので、我慢せずにここまで書いたわけですが……判ったことが幾つか。
色々な勢力の描写を書かなくてはいけない上に、プロットが複雑化する。特に一つの陣営が嘘をついていたりすると読むのも書くのも大変。
そこら辺に描写取られてファンタジー要素とか入れる余裕がない。
正直史実を元にするとか、ギャグや勘違いを含むとかしないとキャッチー要素が足りない。このジャンルに人気がないのも判る気がします。
という訳で、もっとファンタジー要素が強かったりシンプルに楽しめるものも書きたいなぁとも思っています。
まあこの話は未熟で不出来ですが、書いててそれなりに楽しいので、マイペースで続けていく予定です。
読んでくださる方はこれからもよろしくお付き合い願います。