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第十三話 進展



 アキム・バラネフが決断したジェフリー・バーギンの捕縛。独断専行とも言えるそれを機に、タリス・マンチェスとユーニス・アンブラーはその距離を縮めていく事になる。

 アキム率いる都市政府は、ナルミス商会の内部にある親ロイスの勢力を調査。この影響は他の商会へも飛び火し、反発が強まっている。商会はケレスター商会の壊滅と都市政府の強硬な姿勢を両睨みし、結果として本格的な介入には消極的だ。

 その合間を縫って積極的に動いたのが、タリスとユーニスだった。


 まず魔具を主に取り扱う商会へ接触した。これらは、その大元締めであるナルミス商会がその機能をほぼ麻痺させる程に苛烈な取り調べを受けている所為で、既にかなり疲弊していた。

 これはナルミス商会に限った話ではないが、魔具を取り扱う商会はその一部を下請けの商会に頼んでいる部分も多い。これは奴隷売買を主な生業にしていたケレスター商会とは根本的に違うところだ。

 ケレスター商会の場合、他の商会との関係は主に奴隷の売買において発生する。それ故に影響力は強いが、その関係自体は少し遠いのだ。また他の奴隷を取り扱う商会も、基本的に商売敵以上のものではない。

 だが魔具に関する商会は違う。

 小さな個人経営の魔具士が、大店から特別に注文を受けたり等と云った事もある。そういった共同開発などが普通に行われているのが現状だ。


 そんな魔具を取り扱う商会の元締めが潰れたらどうなるか?

 答えは簡単だ。

 連鎖的にどんどんと商会が機能停止になっていく。ロイスとの繋がりなどに関係無く、個人商会のようなものまでが次々と潰れていく。それが現状コーネスライトで起きている事だ。

 勿論それによる実利的な被害も相当なものになる。だがもう一つ見逃せないものがある。それはその時の感情だ。

 魔具を取り扱う業界において商会同士の結束はかなり強い。お互いに寝食を共にし、同じ目的へと苦闘し、成し遂げ、挫折する。そんな経験を積み重ねた関係があちこちにあるのだ。


 そんな人間が、元々気にくわなかった都市政府に大した理由もなく破滅させられたらどうなるか。答えは火を見るよりも明らかだ。

 それでも大きな問題が起きていなかったのは、まだ機能を失っていなかった商工会が自制を呼びかけたからだ。それによって取り敢えず短慮な行動に出るものは少なかった。

 小規模な商会はそもそも抵抗のしようが無かったし、ある程度の規模の商会はケレスター商会の二の舞を恐れていた。


 だが徐々にそれも限界が近付いていく。

 そもそもコーネスライトは通商都市だ。他の都市との通商を行う事で都市が回るようになっている。

 だが一件の騒動以来、アキムは他の都市との物流にかなり大掛かりな規制を掛けていた。無論それはレッス砦のような悲劇をコーネスライトで起こさないようにというアキムの判断だったが、レッス砦とコーネスライトの因果関係は表向きには否定されている。一部の商会などは事実を掴んでいるが、そのような情報が一般まで広がっている訳ではなかった。

 結果として、アキムの行動は害が多く利が少ない、そんな風に捉えられていた。


 当然、不満はたまる。

 だが同時に、都市政府を率いるアキム達は自分たちが情報を握っていると云う優越感にも似た意識がある。この都市を守るのは自分たちだという義務感と使命感。それはある種の特権意識とも云える。

 不思議な事ではない。

 他の人間が知らない事を知っている。それだけで人は優越感を得る。ましてやそれが都市の命運を決めかねない重大事だったら尚更だ。

 つまり都市政府の幹部達は、様々な秘密を作り抱える事で、歪んだ選民意識と使命感を持つ事になった。それで他者との意見交換など成り立つ訳がない。そもそも都市政府側にそんな気がないのだ。寧ろ心の奥底で相手を馬鹿にするような感覚を持つようになっていく。

 結果、都市政府は内向きの論理で硬直化し、孤立化を深めていく事になる。

 それは見方を変えれば、暴走しているとさえ言えた。


 そんな都市政府に耐えかねた様々な勢力の受け皿となったのが、ユーニスとタリスだった。

 一時的な資金の貸与。取引先との折衝の代行。仕事の斡旋。そして未来への希望と名分。

 そんなものを武器に、タリスとユーニスは瞬く間にこの都市において一勢力と呼べる集団を作り上げる事に成功した。

 その主な成員は、やはり魔具などを扱う商会の出身が多い。後はケレスター商会の生き残りやファリ商会の人間だ。ある程度の勢力は確保したが、まだ都市政府に圧力を掛けるには力不足だった。


 ――ならば、次はどうするか?


 それが当然の疑問だった。

 そしてその事を話し合う為に、タリスはユーニスと共にレストランを訪れていた。レストランと云ってもファリ商会の息が掛かったものだ。当然防諜などには万全の注意が施されている。

 だがその店はそういった付加価値が無くても充分訪れてみたいと思わせる雰囲気があった。

 店内は落ち着いた調度で飾られ、暗めの照明がそれを柔らかく照らしている。調度が良いのか、音は吸い込まれるように消えていく。他の場所から聞こえる話し声も殆ど気にならない。

 大した事の無い話ならそこらの席で話しても漏れる事は無いだろう。尤も今回は非常に重要な話だ。念を入れるに越した事は無い。

 タリスとユーニスは完全な個室を選んだ。


「……ナルミス商会の線は、そろそろ限界になってきているように思います」


 適当にコースのメニューを注文した後、ユーニスが口を開いた。

 タリスはそれに簡単に首肯する。


「そうですね。そもそも切羽詰まった相手をその窮地に乗じて引き込んだだけですから、まあ無理が出るのも仕方ありません」

「ですが、今の私たちにはまだ都市政府に圧力を掛けられる程の勢力はありません」

「ええ。ですからこそ、更なる勢力の伸張が必要になる訳です」


 タリスの声には焦りがない。

 ユーニスは怪訝そうな眼差しでタリスを見詰めた。そしてそんな疑問をそのまま口にする。


「どのようにそれを成し遂げるつもりですか? 現状から更にというのは少し難しいように思えますが……」


 現在、コーネスライトの都市にある勢力は三つに分けられる。

 一つ目はアキム・バラネフ率いる都市政府。

 そして二つ目は、タリスやユーニスの新勢力。

 最期に三つ目は、商工会の議決権を持つ商会。その中の四つだ。

 この現状認識は、タリスとユーニスの間で共通見解となっていた。


「都市政府の内部を切り崩すのは難しそうですか?」

「……多分、無理だと思います」


 暫しの黙考の後、ユーニスが答えた。

 都市政府は現在まともな判断を失っているようにしか思えない。だがそれ故にその中から理性的な判断力を保っている人間を見つけ出し、その人間に此方を信じてもらい、仲間に引き入れる。そんな事をやっている暇は無いように思えた。

 ある程度予想していたのだろう、タリスはユーニスの言葉に残念そうな素振りも見せなかった。何時も通り穏やかな笑みを口元に浮かべながら、当然の事のように口を開く。


「ならば、選択肢は一つしかありません」

「他の商会の切り崩し、ですね?」

「ええ」


 ユーニスの言葉をタリスが首肯する。


「今の状況下で新たに切り崩す対象となる商会は四つです」


 商工会の議決権を持つ商会のうち、残っているのはそれだけだ。タリスが言っているのはその事だろう。

 ケレスター商会は滅び、ナルミス商会は解体寸前だ。そしてファリ商会は既にユーニスが総帥を務めている。今の状態で大きく切り崩す事は難しいだろう。


「そのうち、コーヴェリ商会とラッドシンク商会は無視しても構いません」

「……何故です?」


 コーヴェリ商会は食糧を、ラッドシンク商会は騎獣を扱う商会の元締めだ。

 どちらもかなりの武力を蓄えている。無視するには余りに惜しいようにユーニスには思えた。


「ご承知のようにコーヴェリ商会は食糧生産を担っている訳ですが、一口に食糧生産と言ってもかなりの重労働です。なにせ魔物たちが蔓延る土地で農耕なんて事をやるんですから。それ故に、彼らは所有している武力こそそれなりですが自由に扱える兵力という意味ではそこまでありません。ましてや彼らにとっての命綱である農地を捨て、都市に深く介入してくるとは思えません」

「つまり見込みがないから、諦めると?」

「そういう事です。僕たちに見込みがないところに関わっている暇などありません。コーヴェリ商会は無視すべきです」

「……ならば、ラッドシンク商会も?」

「ええ、コーヴェリ商会と事情は殆ど同じですね」


 ラッドシンク商会は騎獣を扱っている。

 そして騎獣の調教などは基本的に野外で行う。そういった意味では確かにこの二つの商会は都市生活との関わりが薄い。彼らにとってはこの都市は交易相手であり、自らが所属する郷土では無いのかも知れない。

 当然ラッドシンク商会も武力は持っているが、自らの身の安全に直結するそれを削ってまで都市に介入してくるとは、確かに考えにくい。


「まあ尤も、これはあくまで大枠の話です。両商会も自由になる戦力がまるで無い訳ではないでしょうし、これからの事も考えれば今度の騒ぎを完全に無視するなんて事は出来ないでしょう。でもそれは自体の帰趨を見極めての事になる筈です。こちらから動いてその姿勢を変えるのは恐らく無理です」


 タリスはそう言うと、少し前に運ばれてきたスープを口に含んだ。美味しいですね、と無邪気にも見える笑みを浮かべる。

 だがユーニスはタリスのように食事を楽しむような精神的余裕は無かった。本来なら取り繕うのが正しいのかも知れないが、ここ最近はかなり一緒にいる事もあり、そこまでする気になれなかった。


「では、残りは二つですね」


 ユーニスの言葉に、スープを口に含んだタリスがこくりと頷く。

 コーヴェリ商会とラッドシンク商会を除けば、条件に合致するのは、歓楽などの元締めであるシャイラン商会と迷宮関連の商売を取り仕切るエーノルド商会の二つだ。

 そしてこの内、シャイラン商会については何とかなるだろうとユーニスは予想していた。

 そもそも諜報と歓楽の関係は強い。売春や賭博、そして闘技などを取り仕切るシャイラン商会と諜報を取り仕切るファリ商会とはかなり緊密な協力関係がある。無理は聞いてくれるか判らないが、ある程度の協力関係はどうとでもなるだろう。

 だが、問題はもう一つのエーノルド商会の方だ。


「シャイラン商会はファリ商会の伝手を使えば、何とかなると思います。ですが……」

「エーノルド商会の方は難しい?」

「ええ」


 誤魔化しても仕方ない。ユーニスはタリスの言葉を首肯した。

 タリスがそんなユーニスに向かって口を開く。


「ですが、エーノルド商会を無視する訳にはいきません。エーノルド商会は迷宮関連の事業を取り扱っているだけあって、都市との関係が強く自由度の高い武力を持っています。この商会を味方に付けられるかどうかが、この先の成否を握ると言っても過言ではありません」

「ですが……」


 エーノルド商会というのは、迷宮に関する事業を取り仕切っている。

 この迷宮に関する事業というのは非常に幅が広い。人口迷宮の作成、入場料の徴収、獲物の買い取り、探索者の育成、探索者の装備の売買、ルールを破った探索者に対する制裁。

 だがこれらはかなり独立しており、最上位の存在、例えばエーノルド商会の総帥が指示を出したからと云ってそれが受け入れられるとは限らない。

 そういった意味ではかなり扱いにくい商会と言えた。

 だが、タリスは余裕のある表情を崩さない。


「このままではじり貧です。ならば少し危険があるかも知れませんが――賭けてみませんか?」


 そう告げるタリスの口元には、相変わらずの穏やかな笑みが浮かんでいた。





 それほど時間は経っていない筈だが、その男と会うのは随分と久し振りに思えた。

 ユーニスよりも優に頭を一つ分は高い背。がっしりとした体格。だがその顔は整っており、不思議な色気と愛嬌を感じさせる。


 シャイラン商会総帥――ヘンリク・オーグレーン。


 ユーニスの父であるキース・アンブラーと個人的に親交のあった彼は、ユーニスにとっては幼い頃よりお世話になっていた恩人でもあった。商会の総帥同士という点では商売敵とも言えるのだが、余りお互いの領分に興味がなかった所為か、二人は非常に上手くいっていたと話に聞いた事がある。

 ユーニスが若くしてファリ商会の総帥を続けていられるのも、彼の協力の御陰であるところも大きい。


「ご無沙汰しています」

「うん、久し振り」


 ユーニスが簡単な会釈と共に挨拶の言葉を述べると、ヘンリクは愛想良く言葉を返した。


「それで今日は何の用かな?」


 そのまま彼の執務室に案内され、用件を尋ねられる。


「そちらも大体判っているでしょうが、現在私とマンチェス男爵は都市政府に対抗する活動を行っています。それに対するシャイラン商会の協力を頂きたい」

「……ふむ」


 ヘンリクはさして意外そうな表情は見せなかったが、即答する事も避けた。

 ユーニスの言葉に確言は返さず、暫し黙考した。

 状況は判っている筈だ。ユーニスは言葉を重ねて補足をしたりはしなかった。自分の拙い交渉術が通用するような相手ではない。


「まず幾つか確認したい」

「どうぞ」


 ユーニスは言葉の先を促す。それに応じてヘンリクは口を開いた。


「領主であるバラネフ子爵の現在の政策は支持できない。それは多分商工会の総意だ。だけれど君がやっている活動は、そんな商工会の総意を受けてのものじゃないよね?」


 品の良いバリトン。相変わらず雰囲気のある男だ。そんな事をユーニスは思った。


「ええ」

「ならば今度の事は商工会の一員としての動きじゃない。僕たちも必然的に出来る事には限界がある」

「その事は重々承知しています。ですが、ヘンリクさんもこのままではいけないと判っている筈です。今行動を起こさなくては手遅れになる」

「本当にそうかな?」

「……え?」


 意外なヘンリクの言葉。ユーニスは思わず声が漏れた。


「確かに今の御領主様の動きはおかしい。でもだからと云って、その先が悪いとは限らないんじゃないのかな。領主の権限が強まり、商会の力が落ちる。その事自体は都市全体からしてみれば、悪い事とは限らない」

「……壊滅させられたケレスター商会や、今現在解体されつつあるナルミス商会はどうなんですか?」


 ユーニスの問いに、ヘンリクは軽く肩を竦めた。


「元々彼らは適法とは云えない商売に手を出していた。規模が大きくなれば、みんなやっているから、そんな理由でそれがお目こぼしされるのは妙な理屈だよ。関係ない商会には気の毒だと思うけどね。元々、法とは力のある者が決めるものだ。それが大衆であれ、独裁者であれ、貴族であれ、それは変わらない。そして彼らは法を定めている王に反逆したのだ。何時潰されてもおかしくはなかったし、彼らもそれは知っていた。いざ潰されてみたらそれを批判するなんて、理屈が合わない」


 その主張自体はユーニスにも理解できなくもなかった。そして今ヘンリクがそれを告げている理由も……。


「余り積極的に動きたくない、と?」

「その必要があるのかい? という事だ」


 つまりはそういう事だった。

 ケレスター商会は既に無い。ナルミス商会も事実上解体されつつある。

 ならば商工会の中心たる商会は残り五つ。

 これらは、ロイスとの繋がりが無くともやっていけない事もないのだ。だからこそ、食糧を商うコーヴェリ商会も騎獣取引の元締めであるラッドシンク商会も、介入してこない。

 そしてそれは恐らくファリ商会や、ヘンリクが取り仕切っているシャイラン商会も同様だ。

 ならば無理してまで領主にたてつく必要は無い。ここは静観して、事態が収拾されるのを待つ。これが安全側に考えた最適手ではないか。

 ヘンリクはそう言っているのだ。

 だがそもそも、ユーニスはそれを許されない立場にある。自らで決断し、そして半ば押し付けられて、ユーニスは都市政府へ圧力を掛ける役目を請け負った。そうしないと、商工会という組織自体が崩壊していた。


「必要はあります。特にナルミス商会に対する都市政府の強硬的な調査、そして物流の監視と制限は、この都市の経済に大きな影響を及ぼし始めています。これを座視し続ける訳にはいきません。曲がりなりにも商工会が中心となって築き上げてきた商会群の秩序が粉々に壊れてしまう可能性があります。それはシャイラン商会にしても困るのでは?」

「うん、困るね。でも挽回できない困難じゃない」


 そんなヘンリクの言葉にユーニスは眉を顰めた。何か含むところがあるような声だった。


「……何が言いたいんです?」

「一体この都市に、何が起きているんだろう?」


 返ってきた言葉は余りに漠然としていて、予想外のものだった。ユーニスは思わず言葉を失う。ヘンリクはそんなユーニスを気にする事もなく言葉を続けた。


「あのレッス砦の崩壊以来、全てが余りに急激に進んでいる。まるで濁流に押し流されるように、僕らは何処かへと運ばれている。だがそこがどんな場所なのかは判らない。これは本当に偶然なのかな?」

「それは、コーネスライトの反アルネシア組織が……」


 ユーニスの力のない反駁も、ヘンリクは意に介さない。


「確かにコーネスライトの所属をロイスに変更しようと活動している反アルネシア組織の噂は聞いた事がある。でもどれも散発的で小規模なものばかりで、本気でそれが可能だとはとても思えないような面子ばっかりだった。勿論捕まえられたのがそんな程度の者しかいなかったという可能性はあるけどね。急に良く聞くようになったのはここ数年の話だ。そしてそれがあのレッス砦崩壊以来、更に広がった。少し異常に感じてしまう程に」


 ユーニスは黙って、ヘンリクの言葉に耳を傾ける。

 同じような事はユーニス自身も感じていなかったとは言えない。それは反アルネシア組織への違和感とでも云うべきものだ。誰が、何を目的として、どのように動いているのか? それが全く見通せない。


「ですが……」


 だが、ユーニスにも言い分はあった。

 しかしそんなユーニスの反論も予想していたのだろう、ヘンリクは一つ頷く。


「ああ、現在のような状況でそこまで細かい事を気にしていられないというのも確かな事だ。さっき僕が言ったように現状は濁流に押し流されているようなものだ。そんな時に、その理由の如何を問うたところで無駄だという意見も尤もだ」

「ならば……」

「でもね、気になるんだよ」


 ヘンリクのその声は静かだったが、どこか有無を言わせぬ強さがあった。ユーニスはそれに圧せられたように押し黙る。

 ヘンリクもそこで口を閉じた。部屋を静寂が満たす。だがやがてぽつりと呟いた。


「――絵図を引いたのは誰だ?」


 ユーニスはその言葉に眉を顰める。

 意味が今一つ掴めなかったのだ。


「絵図、ですか?」

「うん」


 ユーニスの問いにヘンリクが頷く。

 だがユーニスは何処か納得いかない顔を見せた。そんな事が可能だとは思えなかったというのもある。だが何よりも、その発想自体が余りにも漠然としているようにユーニスには感じられた。正体どころか、目的も、何をやったのかも不明。それなのに存在を確信しろと言われても、ユーニスには捉え所のない話にしか思えない。

 そんなユーニスの気持ちが伝わったのだろう、ヘンリクは苦笑を浮かべた。


「確かに考えすぎかも知れない。でも何かおかしいと思うんだよ。一個一個の事象はそこまで不思議でもない。起こり得るのかも知れない。その間の因果関係もおかしくない。でもそんな個々の事象の集積を見てみると、何かおかしい。そこに何らかの作為と意図を感じる」

「……偶然じゃ」

「そうかもね。単なる気のせい、考えすぎ。全ては単なる偶然かも知れない。――でもそうじゃないかも知れない」


 ユーニスを真っ直ぐに見据えてヘンリクが告げる。その瞳とその言葉に、ユーニスの表情も自然と厳しくなる。


「…………」

「…………」


 お互いの視線が交差する。ユーニスは何と返せばよいか判らなかったし、ヘンリクも無理に言葉を続けようとはしなかった。

 沈黙が部屋を覆う。

 どれだけ時間が経ったのか、ヘンリクは、ふっと表情から力を抜いた。そして大きく息を吐くと、再び口を開く。


「ただ君の言うとおり、現状では何も出来ない事も確かなんだよね」


 その声にはどこか諦め半分といった感じだった。そんな内心を示すようにヘンリクは大袈裟に肩を竦めた。


「マンチェス男爵が、アキム・バラネフが反アルネシア組織の首魁なのではないかと言っていましたが……」


 荒唐無稽とも言える説だ。ユーニスの言葉は自然と尻すぼみになった。だがヘンリクは意外な事にそれほど驚かなかった。


「御領主様がね……」

「有り得ないと思いますか?」


 少なくともユーニスは、最初聞いた時には有り得ないと思った。だが今ではその自信が無い。

 だからこそ、ユーニスは目の前の男――ヘンリク・オーグレーンに意見を聞いてみたいと思った。


「いや、有り得ると思うよ」


 だがヘンリクは、ユーニスの予想に反してあっさりと答えた。


「…………ぇ?」


 ユーニスは咄嗟の反応に困って硬直する。ヘンリクはそんなユーニスを見て微かな苦笑を浮かべると、そのまま言葉を続けた。


「実は僕も似たような事は考えた事がある。このコーネスライトで所属している国を変える事が出来るもの、変える事によって利益が出るもの、そんな存在はそれほど多くないからね。領主であるバラネフ子爵というのは当然その中の一人だ。それに最近の強硬姿勢がある」

「……やはりヘンリクさんもおかしいと考えている訳ですね」


 ユーニスの言葉にヘンリクは一つ頷く。


「おかしいなんてものじゃない。狂っていると言っても過言じゃないと思っているよ」

「……そこまで?」

「ああ、同じ事をしたいにしてもやり方というものがある。以前のバラネフ子爵は少々臆病ではあったが、その事をよく理解していた。だけれど今の彼は完全に視野狭窄だ。目の前の事しか、いや下手をすれば目の前の事すら見えていない」


 ――止めなくてはならないだろう。


 そんな風にヘンリクは言葉を続ける。


「……? それじゃあ、最初から協力してくれるつもりだったんですか」


 アキム・バラネフを掣肘するのに協力するつもりがあるのなら、ヘンリクはユーニスと同じ立場という事になる。当然協力し合える筈だ。だが最初は静観こそが適切な選択肢だというような事を言っていた。


「確かに先程は静観こそが選択肢としては正しいと言ったし、その事に嘘はないよ。でもただ一点だけを除いてはね」

「……どういう事です?」


 思わせぶりなヘンリクの言葉。ユーニスは眉根を寄せた。


「アキム・バラネフを操る者の存在がいないという点が保証されれば、静観こそが最善手だと思う」


 その言葉が意味する事は決して小さくない。ユーニスは背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「……誰かがアキム・バラネフを操っていると?」

「恐らくね」


 ヘンリクがあっさりと答える。

 ユーニスはその事について思考を巡らした。

 無いとは言い切れない。だが……。


「凄まじく頭が切れる戦略家であると同時に、酷く用心深い奴だ。だがそれよりも正体がはっきりしないのが痛い。現状からすればマンチェス男爵の言うように、アキム・バラネフを首魁とした反アルネシア組織の陰謀という絵図が一番しっくりくる。そしてその絵図を引いているのはロイスから派遣されてきた謀略家だ」

「……そうではないと?」


 ユーニスの問いにヘンリクは考え込んだ。

 そして暫くの沈黙の後、ぽつりと答えた。


「……判らない。余りに収まり過ぎている気がする。ロイスが今の情勢下でそんな事をするとはしっくりこない。でも、有り得ない事じゃない。ほんの一つ僕たちの知らないファクターがあれば、それで全てが繋がってしまうような線だ。仮説としては酷く有力だと言える」

「…………」

「アキム・バラネフは見境を無くしている。操っている者がいるのなら、好きな方向へ誘導できるだろう。それこそこの都市を領主である彼自身の手で壊滅させる事さえ出来るかも知れない」

「……まさか」


 余りに荒唐無稽な話に思わず声が漏れる。冗談を言っているのではないかと思った程だ。

 だがヘンリクは本気らしい。彼には珍しいどこか歪んだ笑みが見せると、そのまま言葉を続けた。


「出来ないと思う?」

「ええ、流石にそれは」

「だけれど、ケレスター商会の壊滅も御領主様の豹変も、僕は全く想像がつかなかった。もし彼をあそこまで追い詰め『堕とした』人間がいるのなら、その程度のことは朝飯前なのかも知れない」

「それは、そうですが……」

「問題なのは、その事に気付いていたところでどうしようも無いという事だ。領主であるアキム・バラネフがあんな状態になってしまった以上は、そしてそれを操る人間がいるのかも知れない以上は、僕らには領主と対決する選択肢しか残っていない。――そして絵図を描いた人間は、恐らくそれすら計算に入れて動いている」


 ヘンリクのそんな言葉は、どこか不吉な響きを伴ってユーニスの耳に届いた。まるで知らない誰かに、いつのまにか自分の命運全てを握られているような恐怖。背筋に冷たい汗が流れ落ち、それとは逆に喉はからからに乾いていた。苦労して飲み込んだ唾の音がやたらと耳障りに聞こえた。


「ま、そんな訳で……微力ながらシャイラン商会は協力するよ」


 深刻になった空気を変えるように、少しわざとらしいまでに軽い声でヘンリクは協力を確約した。


「尤も、僕たちの商会にそれほど大した協力が出来るとは思えないけどね」

「本当ですかっ!」

「……う、うん?」


 今度はヘンリクが動揺する番だった。

 シャイラン商会は娯楽などを取り仕切っている元締めだ。都市政府に圧力を掛けるような時に大して役に立つとは思えない。ユーニスがヘンリクに接触するのが現時点になったのもそれを現しているだろう。

 だがそれにしてはユーニスの反応は露骨だった。今まで深刻そうに聞いていたその顔に、隠しきれない喜びが見える。それも純粋な喜びというには少し、攻撃的すぎる。それはまるで獲物を捕まえた猫のような瞳だった。


「いやぁ、良かったです。流石にこんな事は協力してくれないかと思いましたから」


 そんな風に告げてくるユーニスに、ヘンリクは苦虫を噛み潰したような表情を向けた。





 タリスが提示し、ユーニスがヘンリクに協力を依頼した案とは、一言で云ってしまえば賭け試合だった。

 エーノルド商会は、俗に冒険者や探索者などと呼ばれる人種に関する商売を取り仕切っている。そしてそんな人種はある意味纏まりが悪い。上から命令を出したところで、それに従うかはその冒険者個人の意思に委ねられる。無理して纏め上げようとしても失敗するのが落ちだ。

 なにせ腕の良い冒険者は大抵のところで重宝される上に旅慣れている。つまりその街にいられなくなったら他の街に移ればよいのだ。

 実際は色々な事情がありそう簡単にはいかないが、冒険者というメンタリティがおしなべてそのような傾向を持つのは否定できない。


 そしてそんな彼らは、上との繋がりは薄くても、意外と横の繋がりは重視されている。それが特に商会などに所属していない冒険者ならば尚更だ。

 コーネスライトのように管理する領土内に適切な狩り場が存在しない場合、人工的に土地に流れる魔力を操作し『狩り場』――つまり、魔物や秘薬の原料となる植物などを発生させる土地――を作り上げる。その代表的な例が人口迷宮と呼ばれるものだ。

 当然これを作るにはあたっては、周りの土地における魔力の流れに大きな影響を与える。よってその作成はその土地の支配権を持っている存在、つまり一般的には領主が許認可を行う。

 だが人口迷宮に関わる問題はそれだけにとどまらない。――高いのだ。

 作る時には当然だが、維持するだけでも様々な資源と人材を必要とする。そして土地の魔力、いわゆる地脈を操作して利用するために好きなだけ大きく作れるという訳ではない。つまり作られた人口迷宮から得られる収穫物には限度がある。

 それでも人口迷宮が非常に有用である事には違いない。単純にそこで得られる物が金になるという事もそうだが、それ以上に兵士達の訓練場所として重要なのだ。魔素を吸収しなくては兵士は役に立たないが、魔素を吸収しただけでは意味がない。吸収した魔素を効率よく操れるようになって初めて兵士は兵士たり得るのだ。


 そこで何が起こったかと言えば――迷宮の使用権の独占だ。

 効率よく安全に兵士を鍛えられる場所は、人口迷宮の作成に最も多額の出資した商会などにその使用権が譲られ、一般の冒険者が立ち入る事は禁止される。

 コーネスライトの人口迷宮も、かなりそのような傾向が見られる。


 故にそのような商会の庇護を受けていない冒険者たちは、人口迷宮の中でも危険で見入りの少ない場所しか利用できないのが一般的だ。尤も危険でありまだ充分に探索されていない場所などは例外だ。そのような場所は、自らの手駒の冒険者の損耗を嫌った迷宮権利者がフリーの冒険者に探索許可を出す事も多い。

 そのような場合には迷宮権利者によって冒険者の取り分は様々だが、場所によっては一攫千金を狙う事も出来る。

 無論、狩り場の種類などによって実際は様々な形態があるが、基本的な構造としてこのような形になっている所が多い。


 ここら辺の事情が、フリーの冒険者が横の繋がりを大事にする背景であり、フリーの冒険者こそが真の冒険者である等という彼らの自負の源であり、その中でも一流の冒険者が非常な尊敬を受ける理由でもあった。


 つまりエーノルド商会が把握している自由になる戦力。これを利用するには幾つかのルートと種類がある。

 そのうち商会所属の戦力は上を押さえればそれで良い。問題はフリーの冒険者たちだ。

 彼らに言う事を聞かせようと思った時、最も効率的な手法の一つが――真っ正面から力に訴える事だ。

 同様に商会に言う事を聞かせる時に最も効率的な手法の一つは――利に訴える事だ。


 今回のタリスの取った手法は、正にそれだ。


 商会は自らの抱えている私兵を拠出する。フリーの冒険者たちはチームから自由にメンバーを選出する。

 それらによって勝ち抜きのトーナメントを行い、優勝した者が商品を手に入れる。

 もしもタリスが勝てば、トーナメントに参加した商会や冒険者たちは都市政府に抵抗する運動へ参加する。

 逆にタリスが負ければ、優勝したチームにタリスは商品を渡さなければならない。


 問題は商品だ。

 その商品に価値が無ければ、当然リスクを呑んでトーナメントに参加する動機は無くなる。

 そんな中、タリスが商品として選んだのはエルフの女だった。

 名前は、ソフィア・クリフォード。

 タリスの仲間であり、エルフとしては珍しく高度な戦闘能力を持ち、元は王立騎士団に所属していた人間だ。

 価値としては充分。それどころか破格とさえ言えた。


 結果として、多数の商会と冒険者が条件を呑みトーナメントに参加する事になる。

 そしてそれは、タリス・マンチェスとユーニス・アンブラーの都市政府に対する明確な挑発であり、決別宣言であり、宣戦布告とさえ言えた。

 これを機に、彼らと都市政府の間は一気に緊張の度合いを高めていく事となる。



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