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第十二話 交錯



 ジェフリー・バーギンの捕縛。

 これは都市政府とタリス・マンチェス、そしてファリ商会が協力して行う。

 ユーニス・アンブラーはそういうつもりでいたし、そのような説明を他の商会にも行い協力を求めた。この商会の中には、ファリ商会のようにコーネスライトの商工会において議決権を持っているような商会も含まれている。

 それが完璧に無視された形だ。


 タリスから前もってそれとなく言われていた。ファリ商会の商品である諜報の分野ではままある事ではある。

 だがそれでも気分の良い事ではない。特にファリ商会の総帥とは言っても、まだ年若いユーニスにとっては尚更だった。

 そしてそんな感情的な面だけでなく、純粋に実利的な問題としてもこれをそのまま放置しておく訳にはいかなかった。一言で云ってしまえば、このまま舐められる訳にはいかなかった。

 組織とはそういうものだったし、若く実績に乏しい指導者というであればその程度は一層高くなる。


 それ故に、その事を知ったユーニスは直ぐに動いた。

 以前調べたナルミス商会の建物において武力衝突が始まっているという報告を聞き、その片方が都市政府のものであるという事を知った瞬間に、タリスと連れだって領主館へと押し掛けた。

 無論、現場にも人員を送り込もうとしたが、それは区画を封鎖している騎士団へ阻まれそれほど大規模には送り込めなかった。

 そして領主館に着いても、満足する説明を受けるどころかアキム・バラネフと面会する事すら出来なかった。


「領主様は作戦指揮中で、現在お会いする事は出来ません」

「だからっ! その作戦について説明を求めていると言っているんですっ!」

「お答えできません」

「知らない筈がないでしょう! 今現在起こっているんですよ!」

「お答えできません」

「……っ。埒があきません。領主様は何処にいらっしゃるんですっ!?」

「お答えできません」

「作戦が行われている場所は、我々ファリ商会を中心にした商会の連合と此方にいるマンチェス男爵が都市政府と協力して捜査していた場所です。もし何らかの事実を隠蔽して単独行動を行ったとすれば、完全な約束違反です!」

「何度も繰り返し申し上げますが、ただいま領主様は作戦指揮を行っており私たちでは確たる事は申し上げかねます」

「……っ!」


 ユーニスはそんな押し問答を繰り返したが、結局アキムが顔を出す事はなかった。

 タリスも後ろからそれに協力したが、そもそも立場としてタリスは都市政府と商会の間を取り持つ立ち位置だ。その二つが揉めた場合にそこまで積極的に介入する事はしにくかった。

 結局、アキムとの面会が叶ったのは夜が明けて暫く経った後、事態が粗方終結してからの事だった。


 その間中ずっと都市政府の人間と押し問答をしていた訳ではない。

 ユーニスは何回か外の人間と情報のやりとりを行っていた。そしてそれはタリスも同様だった。

 つまりタリスは、逃亡したベルン達からアガシオン――つまり魔力から作られる使い魔を通じて既に連絡を受けていた。

 カスパルの死亡。ジェフリー・バーギンやベルン達の逃亡の成功。そして襲撃を仕掛けてきたツェーザル・バッハマンの顔から実力まで。

 その事に対して特に動揺はない。

 犠牲が出ると確信していた訳ではなかったが、一方的に此方だけが上手くいく訳もない。ジェフリー・バーギンが失われず、ベルンとカルロッテが生き残ったのなら上出来だ。それ以上を望んだら望みすぎというものだろう。


 さて――。


 タリスは部屋の内装を見回す。

 以前アキムと会ったときと同様の応接室だ。相変わらずのさり気なく豪奢な調度が置かれている。

 そこの椅子にタリスはユーニスと共に座っていた。

 ちらりと横へ視線を向ければ、厳しい表情を浮かべたユーニスの顔が映る。

 癖の無い短めの黒髪にパンツルックの服装。それは変わらないが、流石に少し憔悴しているように見える。恐らくその頭には壊滅したケレスター商会の事があるだろう。

 何が起こるか判らない。それ故に最大限に警戒せざるを得ないのだ。


「随分と待たせてしまって申し訳ない」


 やがて、アキム・バラネフが部屋へと入ってきた。

 その顔はやはり少し疲れているように見えた。だが、そこには少し意外そうな色もある。


「――で、これはどういう事ですか」


 お互いに簡単な挨拶を交わした後、対面に座ると、開口一番といった感じでユーニスが口を開いた。その言葉の厳しさと唐突さは、アキムにとっては予想外だったらしい。アキムは顔に浮かべた疑問の色を深くした。


「僕からもお聞きしたい。ナルミス商会の調査は僕とコーネスライトの商工会、そして都市政府が協力して行うという事になっていたのでは? 今回都市政府が襲撃した場所は、つい数時前にこの三勢力で調べた場所。何らかの情報を得たのであれば当然それは共有すべきでしょう」


 タリスもそれに乗じるように言葉を挟む。その口振りにはユーニス程ではないが厳しさがある。


「私たちファリ商会、商工会を代表してあなた方、つまりは都市政府と協力関係を結びました。それを一方的に蔑ろにされては他の商会にも合わせる顔がありません」


 ユーニスもタリスの言葉に付け足すように告げる。

 アキムは二人の言葉に一瞬だけ露骨な苛立ちを見せた。その表情は直ぐに掻き消えたが、タリスもユーニスもそれを見逃す事は無かった。ユーニスの眉が僅かにぴくりと動く。タリスの口元に浮かんだ笑みがほんの少し深くなる。


「確かに私たちは単独で行動を起こしたが、それは必要性があっての事だ。そちらを蔑ろにしたという事では決して無い」

「では、その必要性というのを説明していただきたい」


 アキムの言葉に即座にユーニスが返す。


「それは……どこに反アルネシア勢力が入り込んでいたから判らなかったからだ。作戦に関する機密漏洩に関しては慎重にも慎重を重ねて防ぐ必要があった」


 ――へぇ。


 タリスがそのアキムの説明を聞いて、口元に浮かんだ笑みがどこか冷たさを帯びる。

 失言だった。

 お前達など信用できぬとはっきり言ってしまったも同然の発言なのだ。現にユーニスの顔は一層厳しくなっている。

 本来ならアキムはそのような失言をするタイプではない。

 だが既に色々と限界だった。

 様々な環境の激変。黒尽くめの甲冑を抱えているという嘘。更には乾坤一擲の作戦を行った末の失敗。そして休む暇も無く、出し抜いた形の商工会と王都の人間が詰め掛けてくる。

 論理武装などしている時間もなかったし、その心理的余裕も無かった。寧ろ追い詰められ、かなり感情的になっていた。


「つまりは私どもなど信用できぬと仰る?」

「そうは言っていない。だが……」

「言っているでしょう。確かに私たちファリ商会は諜報を売り物しています。一部にそのような不心得者がいると言われても、否定しきれぬものがあります。ですからこそ私自らが動き、完全に信用できる部下にのみ情報を明かしています。それすら信用できぬと言われれば、何のための協力態勢ですか」

「――確かに私たちと商会は協力態勢を取った。だがそれはあくまでこのコーネスライトの治安回復と反社会的勢力の撲滅という大目標があっての事だ。その為に必要な独断専行は認められてしかるべきだろう」

「その判断を誰が下し、誰が認めるんですかっ!?」


 ユーニスが声を荒げて問い詰める。

 感情的になっているように見えるが、恐らくアキムよりはずっと冷静だろう。瞳の奥にまだ計算と理性の光が宿っている。

 寧ろ感情に流されているように見えるのは、アキムの方だ。今にも舌打ちでもしそうな表情で、アキムはユーニスと睨み合っている。


「まあこの際、作戦の正当性については置いておきましょう。僕としてはその前にどんな情報を得て、どんな作戦を行い、どんな結果になったのかの方が気になりますね。それによってバラネフ子爵の言葉にも納得できる部分が出てくるかも知れません。戦力が都市政府だけで完全に充分だった場合、確かに他の勢力の力を借りるのは得策ではありません。そこら辺はどうなんですか?」


 タリスの問いにアキムは返す言葉を迷うように沈黙する。

 タリスは強いて答えを急かすような真似はしなかった。相変わらずの穏やかな笑みを口元に浮かべ、瞳だけは冷徹にアキムを射抜くように見据えている。

 暫しの沈黙が部屋を満たす。

 だがどこか渋々とアキムがその口を開いた。


「……作戦は失敗した。あの建物にジェフリー・バーギンがいた事は確認が取れたが、取り逃した」


 タリスはその結果を勿論知っていた。そして恐らく同様にユーニスもその程度の情報は掴んでいただろう。

 だがまるで初めて聞いたとでも云うように、二人の表情が厳しくなる。


「作戦は明らかに強引な強攻策でした。私たちの人材を使えば密かに情報を収集する事も出来たかも知れない」

「僕についてはどこまで協力できたか怪しいものですが、それでも出来れば一言欲しかったですね」


 ユーニスは更に言葉を続ける。


「改めてお聞きします。何故、私たちの協力を拒んでまで単独行動を選んだのですか?」


 ユーニスの脳裏には、タリス・マンチェスが告げた憶測があった。

 曰く――アキム・バラネフが反アルネシア組織の首魁である。

 そんな疑惑ですがめた瞳で見れば、アキムは如何にも怪しかった。


「……お前達は本当に信用できるのか?」


 だがそれは同時にアキムの方にも言えた。

 そもそもアキムは、商会がこの一件にここまで反発するとは全く思っていなかった。何故なら商会にはジェフリー・バーギンという存在はそこまで関係しないからだ。

 商会が求めるのはもっと実利的な権益や都市の安定であって、反アルネシアの組織が誰によって壊滅させられようが気にしないだろうというのがアキムの読みだった。

 ――だがここまで食い付いてくる。

 何か後ろ暗い事でもあるのかと疑うには充分な理由だった。


「そういう貴方達こそどうなのですか? 信用できるのですか?」


 そしてだからこそ、ユーニスのその発言は盗っ人猛々しいものとアキムには感じられた。


「何を言っているっ!?」

「…………」


 アキムとユーニスが睨み合う。

 タリスはそんな二人を横から凝と見詰めていた。二人はもう既にタリスを半ば無視して睨み合っている。

 どれだけ時間が経ったのか、先に視線を外したのはユーニスからだった。


「……はぁ」


 ユーニスはこれみよがしの溜め息の後、再び口を開いた。


「その事については取り敢えず置いておきましょう。では話は少し変わりますが……ケレスター商会を殲滅した理由、そしてそれを単独で成し遂げたと言われている黒尽くめの甲冑について説明を頂きたい」

「そうですね、その事については僕もお聞きしたい。商会への対応の是非については僕が口を挟むような事ではないのかも知れません。ですがそれをなした存在がいかなるものかはロートの貴族として把握しておきたい」


 そんな二人の問いに、だがアキムはやはりまともに答えようとはしなかった。

 不機嫌そうに押し黙り、そして突然立ち上がった。


「済まないが時間だ。私はこれで失礼する」

「ちょっと待ってください! 話は終わっていません!」


 唐突とも言えるアキムの宣言に、ユーニスが食い下がる。だがアキムは聞く耳を持たない。そのまま足早に部屋から立ち去っていった。





 アキム・バラネフ率いる都市政府は、この時点で完全に迷走を始めていた。

 唯一の道しるべだったジェフリー・バーギンという存在を取り逃し、新たに進む道も見えていない。黒尽くめの甲冑という虚構の切り札。単独行動によってもたらされた商会との亀裂。ケレスター商会の殲滅によって蔓延している都市の不安。

 様々な問題が生まれているのに、それに対し一貫して効率的な対策が打てない。その道筋も見えない。

 尤もこれはアキムや都市政府の幹部達が無能だったという訳ではない。それだけ事態は混迷を極めていたし、アキムの行動をさり気なく誘導しているタリス・マンチェスという存在もいた。この時点でそれに気付き有効な対策を取れと言うのは、余りに酷だろう。


 タリスはこの時点ではあくまでロートに忠実な一人の法衣貴族でしかなかった。

 僅かな人間が英雄としての彼を知っていたが、殆どの人間はそれすら知らなかった。

 ましてや、死霊術士としての、策謀家としての、そしてアルネシアに反旗を翻している存在としてのタリスを知っている存在など彼の仲間以外には皆無と言って良かった。そんなものが存在するとすら考えられなかっただろう。

 なにせ亜人の問題や西部の境界問題など様々な問題がアルネシアには存在しているが、その政治は比較的上手くいっていた。

 そこに好んで波風立てようとしている者が、ロートの内部に存在しているなんて有り得ないと思われていたのだ。


 そしてそれはロートにおいても同様だった。

 タリスがアキムに告げた、タリスが密命を受けているロートの上級貴族など存在しない。口から出任せだった。

 タリスのロートにおける地位は、単なる法衣男爵だ。国王と個人的な親交があった御陰である程度は立場にも融通が利くが、基本的にそれだけだ。

 それ故にタリスがアルネシアに反旗を翻すには、まず何よりも軍権が必要だった。

 兵隊を集め、鍛え、運用してもロートから問題視されない立場。それが無くてはスタート地点に立つ事すら出来ない。


 全てはその為の策だった。

 ロイスという国家の脅威を煽り、それを都合の悪い存在の粛正に利用する。その際に邪魔なもの同士、つまりケレスター商会と都市政府が食い合ってくれればなお良い。

 これによって、状況は大分浮動化した。そして簡単に状況が動くこの状況だからこそ、タリスのような何の立場も無い人間が成り上がっていく状況が生まれてくる。


 尤も最初からタリスがアキム・バラネフを切り捨てるつもりでいた訳ではない。

 アキムをそのまま利用する方法もあった。だがタリスはそれを選ばなかった。アキムは失格したのだ。ふるい落とされたと言ってもよい。タリスが行った有形無形の試しに。

 恐らく決定的だったのが、ケレスター商会を壊滅させた黒尽くめの甲冑――つまりタリスを自らの手勢と偽った事だろう。あれが無ければタリスはアキムを活かす方法を考えた。あれによってアキムは短期的な利益を得た代わりに、もっと大切なものを失った。自らの芯を、長期的な政略を、そして何より自らの存在価値を。


 そしてタリスはそんなアキムを見て、その軸足を商工会の方へ移していった。特にファリ商会の総帥であるユーニス・アンブラーはタリスにとってはある意味理想的に見えた。


「――それでお話とは何でしょうか?」


 ファリ商会が確保している一室で、タリスはユーニス・アンブラーと向き合っていた。

 アキム・バラネフとの会談の後に、二人で話したい事があるとタリスが誘ったのだ。


「先程のバラネフ子爵との会談、どう思われましたか?」


 タリスはまずそんな風に切り出した。用件は兎も角、その話題が出る事は充分予想できていたのだろう、ユーニスはさほど戸惑う事もなく答えた。


「正直、驚きましたね」


 実際それは本音だった。

 あそこまで追い詰められているとは、ユーニスは正直想像していなかった。つい先程のアキムにはどこか鬼気迫るものが見え隠れしていた。一目見て判る変化はそれほどではない。精々憔悴している程度しか判らないだろう。だが話していると、肝心要の部分で自制が利いていないように思えた。

 正直に言ってしまえば、ユーニスはアキムに対して恐怖にも似た薄気味悪さを感じた。それはユーニスが知っていた筈の堅実な政治家としての彼とは程遠いものだ。


「僕も彼の変貌、そう変貌というしかない変化には驚いています。それが何によるものなのかは判りません。以前お話ししたように本当にロイスに協力してアルネシアからの独立を目論むつもりなのかも知れない。それらの計画において何か逼迫したものがあるのかも知れません」

「…………」


 ユーニスはタリスの言葉を黙って聞いていた。

 その顔にはタリスの言葉を否定するような色は無い。どちらかと云えば、神妙と言っても良い態度で耳を傾けている。


「ですが、そんな事情が全て明らかになるのを待ってから行動したのでは遅すぎます」


 タリスの声には僅かな、だが確かな熱が籠もっていた。


「僕はロートの貴族です。ですからロートの利益が、そしてアルネシアという国の利益が第一です。正直に言ってしまえば、この都市の利益はその次です。ですが……いえ、だからこそ、この都市をロイスに売り渡すなんて事は許す訳にはいきません。そしてこの一点においては、商会の利益とこの都市の利益を第一に考える貴方と共通の立場を持つ事が可能な筈です」

「それはそうですが……」


 熱の籠もったタリスの声に反して、ユーニスの声には迷いがあった。

 タリスは構わず言葉を続ける。


「本来、地方都市においてその都市が処理できる以上の問題が起きたとき、王都であるロートが動きます。それが理屈です。そうでなくては国の意味が、王都の意味がありません。ですが現実はそう理屈通りにいかないのも確かな事で……実際にこのような事が起きたときには、王都の政策は様々な事情と力学によって変遷します。今回の事にしたところで話は同じでしょうね。ロートはこの西部アルネシアに対する介入の仕方について、とても一枚岩とは言えない。腰の据えた政策など打ち出せる訳もない」

「ならば、どうなると?」


 ユーニスの言葉にタリスは軽く肩を竦めた。


「恐らくどうもなりませんよ。僕もバラネフ子爵も、そして多分あなた方も、ロートのこの都市に対する介入を望んでいないというのは同じ筈です。自然と王都に対する報告もそのようにしています。そして貴方の方がよくご存じでしょうが、この都市にいるロートの駐在官は商会に接待漬けにされて殆どがまともに機能していない。ロートが事態を把握して動き出すまで、まだ間はある筈です」

「…………」

「尤も、これは事態が解決する見込みがあり、ロートが出張らなくても何とかなると確信できた時の話ですが……。少なくとも僕はこの事態が解決される見込みすらないのならば、ロートに騎士団の派遣を要請します。ロートから派遣された駐在官の一人として、アルネシアに忠誠を誓った貴族として、そして何よりこの都市を愛する一住民として――そうせざるを得ない。ですがその結果、恐らくコーネスライトは王の直轄領に近くなり、通商都市としての性格はかなり薄れるでしょう。出来れば僕もそんな事はしたくない」


 タリスの言葉を聞いていたユーニスの顔に厳しいものが浮かぶ。タリスが告げたそのシナリオは、ユーニスにとって最悪にも近かった。到底認められるものではない。


「……何が仰りたいのですか?」


 タリスの今までの発言が全て前置きである事は、ユーニスにも判っていた。だがそれが導くところは判らなかった。

 だからこそ、ユーニスは率直に尋ねた。相手の思考が読めない事に敗北感にも近いものを感じていた。


「――貴方が旗印となって勢力を集め、勢力を結集した状態で領主に対抗すべきです」


 返ってきた言葉は、ユーニスの意表を突いた。

 ユーニスは唖然として言葉もないようだった。


「……馬鹿げています」


 やがて出てきた言葉も、とても肯定的といえるものではない。

 だがタリスは気にしない。


「なぜ?」

「なぜって……」

「…………」


 タリスは黙って話の続きをユーニスに促す。

 それに押されるようにユーニスは口を開いた。


「そうっ、そもそも私たち商会の中でも最大規模だったケレスター商会はどうなんですか? 黒尽くめの甲冑なんていう怪しげな存在に壊滅させられたみたいじゃないですか。元々私たちは都市政府のそのような武力と蛮行に膝を屈し、妥協せざるを得なかったんです。そのような状況が変わっていないのに、こっちから積極的に打って出ようなんて理屈が合いません」

「仰る事はよく判ります。ですがこのまま向こうの武力という札に怯えて妥協を重ねるつもりですか? 一体いつまで、どこまで妥協すれば済むのですか? それにそういった意味ではケレスター商会は戦術を間違いました。籠城などせずに、もっと平和裏に進める努力をするべきだった。もしそうしていれば、都市政府によるあれほど徹底的な武力行使のハードルはかなり高くなっていたでしょう」


 タリスの声に淀みはない。

 そしてその理屈も、今のユーニスには一理あるように思えた。脳裏にはあのアキムの顔があった。アキムがユーニスの知る堅実な政治家のままであれば、恐らくユーニスは都市政府の傘下に収まる事を良しとしただろう。だが今のアキムの下につくのなら話は別だ。ユーニスには、それが酷く危険な事のように感じられて仕方がない。


「勿論、最初から武力決起を目論む訳ではありません。まずは平和的に圧力を掛けていくのです。そうですね、集会とかが良いと思います。それなら数という最も重大な力を活かす事が出来る。そうする事によって、この都市に住んでいる人間が領主の現在の政策を指示しない事を、そしてそれ以上にこの都市が一体誰のものなのかを、満天下に知らしめ白日の下に晒してあげるのです」


 タリスの言葉をユーニスは黙って聞いていた。

 やがて、ユーニスがぽつりと言葉を返す。


「……何故、私なのですか?」


 タリスの答えは単純だった。


「貴方以外に誰がいます」


 結局の所、都市政府に対抗するには単独では無理だ。様々な勢力を結集させなくてはならない。

 そしてこのコーネスライトにおいてそれらを行う力があるのは、商工会の議決権を持つ商会たちしかない。

 だがその中で、このような旗印になるのに適切なのはファリ商会しかない。

 何故ならファリ商会が最も潰されにくく、影響力を行使しやすいからだ。

 他の商会は、どうしても土地に縛られている面が大きい。何らかの規制や圧力などを受ければ、それで止めざるを得なくなる事も多い。それは結局の所、土地を基本としているからだ。そう簡単に拠点を移る事ができないからだ。

 だがファリ商会は比較的そのような性質が無い。そして諜報という商品の性質上、他の商会に詳しくある程度は平等に関わりがある。

 その程度の事情はユーニスにも理解できた。だが――。


「…………」


 ユーニスは答える事が出来ない。

 そもそもユーニスが商会を継いでそれほど時間が経っていない。何とかやっていけているが、それでも問答無用で皆を纏め上げる何かがある訳ではない。

 ユーニスが自ら今回の調査に協力しているのも、ファリ商会でも優秀な人材は余っている訳ではないと云う事もあったが実績作りという意味も多分にある。


「もし貴方が旗印になるのを拒否するというのなら、それでも構いません。僕はロートの本格的な介入を前提として動きます。ですが、それはお互いに望んではいない筈です」

「…………」

「繰り返しますが、目的は武力によって領主を追い落とす等といった事ではなく都市の統治機能を安定化させる事です。その為には少なくともバラネフ子爵の行動を掣肘できる存在が早急に、今この場で必要なのです。ですが、それを成し得るのは現実的に考えて商工会しかない。この都市は通商都市であり、今まで隠然とこの都市を支配してきたのは商工会なのですから」


 タリスの言葉が、ユーニスの耳には半ば恫喝のように響いた。





 結局の所、ユーニスはタリスの提案を受け入れて動く事になる。

 無論それにはタリスの説得もあった。領主に表立って反抗するというのは、いわば一歩踏み越える事になる。それをロートの貴族が認めたというのは、商会の人間にとって大きかった。彼らが見ているタリスの後ろにいるであろう人物についての憶測も、その判断を後押しした。

 だが最大の理由は、アキム・バラネフの一向に収まらぬ強硬な姿勢があった。

 アキムはナルミス商会への取り締まりを強め、かなり強引な手法も取っていた。

 ナルミス商会は魔具を取り扱う商会であり、ロイスとの関係も深かった。故に当然叩けば埃が出る。タリスやユーニスの捜査などにおいて発見された様々な新事実は、都市政府などに送られ更なる調査が行われていた。だがその取り調べや調査が、ジェフリー・バーギンを取り逃してから一層強硬になっていた。

 その事に反感を強めている商会は多く、無数の商会の取り纏めである商工会も何らかの対応を迫られていた。


 だがケレスター商会の事があった。

 籠城状態にあったにも関わらずあっさりと滅ぼされた商工会の中でも最大の商会。

 そして今、ナルミス商会もその力を失ったと言って良い。

 このような状態で火中の栗を拾うような事をしたがる商会は殆ど無い。

 結果、最も適切で最も立場が弱いとも言えるファリ商会が中心となってその活動をする事になる。

 それはどちらかと云えば裏方となって動いていたファリ商会にとっては大きな変化だ。本来なら、そこまで指導力がある訳ではないユーニス・アンブラーにそれを押し進める力は無い。

 つまりそれを可能としたのは、ユーニスの商会に対する統率力を示したものではない。寧ろ、逆だ。


 ファリ商会の一部勢力は、まだ若いユーニスが総帥となる事に反感を持っている。

 それでも商会が彼女の手によって何の支障もなく動いているのは、先代であり今は亡きキース・アンブラーの威光という面が大きい。

 だがファリ商会という組織は、代々アンブラーの一族が総帥を務めてきた訳ではない。アンブラー家は幹部の家柄ではあったが、唯一無二の一族ではないのだ。ファリ商会の中に幾つかある家柄というだけに過ぎない。そしてそんな幹部が一堂に会して、その中から総帥を決めるのがファリ商会の通例だった。

 つまりユーニス・アンブラーのファリ商会総帥という立場に不満を覚えている勢力は、これを機にユーニスを解任し新たなファリ商会総帥を戴くという計画を練っていた。

 逆にユーニスにとっては、これはチャンスでもある。


 新たな勢力を作り、都市政府にその行動を改めさせる。

 それに成功すれば、ユーニスにとって自らの力の証明になる。その過程で使える手駒も増えていく。結果としてファリ商会での足場を固める事にも繋がるだろう。だが――。


「……まず、何からやればいいと思う?」


 それが容易な道ではない事も確かだった。

 ユーニスは自室のベッドに寝転がりながら、声を投げる。相手は部屋の調度を掃除していたメイド服の女性だ。まだ若い。ユーニスよりもほんの僅か上なだけだろう。尤も、すらりとした体型で中性的な印象を与えるユーニスとはタイプが随分と違う。その肢体は女性らしい起伏を描き、その瞳には知的だが何処かのんびりとしたものがあった。

 彼女の名前は、シャロン・アクランド。

 ユーニスにとっては姉代わりであり、元教育係でもあり、最も頼りにしている側近でもあった。


「いえ、そんな事を急に尋ねられましても……」


 そんなシャロンは、ユーニスの問いに困ったような顔で返した。


「なんだ、いいじゃないか。別にけちけちしないでも」

「いえ、だからけちけちしている訳じゃ無いんですが……そもそも仮にも総帥なんですから、相談に乗ってくれる人なんて幾らでもいるでしょう?」

「いるね。沢山いる。腐るほどいる。でもそいつが役に立つのか、紐付きじゃないのか、偏った知識で判断を下していないのか、とか色々考えていると、中々ねー」

「……はぁ」


 シャロンは溜め息を一つ吐いて、部屋にあった椅子に腰を下ろした。ユーニスはベッドの上で寝たまま身体を九十度ほど動かし、そんなシャロンと向き合う。それに対してシャロンは少し呆れたような表情を浮かべたが、自室という事もあり特に何も言わなかった。


「では、ちょっと状況を整理してみましょう」

「うん」

「まずユーニスは、ファリ商会の総帥です。よってこの立場を立脚点へと置きます。そして現在起きている問題が、主に二つ。一つはコーネスライトの一部勢力がアルネシアからの独立を目論み、ロイスへと鞍替えしようとしている事。そして二つ目がそれに対抗して領主であるアキム・バラネフが主に商会に対して強硬な態度を取っている事。この二つです」

「そして私は前者の問題の解決を頼まれ、次に後者の問題を解決する必要に迫られている」


 ユーニスの言葉にシャロンは一つ頷く。


「そうですね。都市政府とマンチェス男爵と協力したナルミス商会に対する調査。その結果で黒と踏んだのか、それとも暴走したのか。それは判りませんが、バラネフ子爵は商会に対しての強硬姿勢をますます強めています。はっきり言って商工会がこのまま座視していれば、商工会の存在意義さえ問われかねません」

「そこで私が生け贄の羊に選ばれた訳だ」

「しかしこれはチャンスでもあります。ユーニスはまだ足場がしっかりしているとは言い難かったですからね」

「問題はこのチャンスをどう活かすかって事なんだけど……」


 ユーニスは思考を巡らす。


「完全に都市政府に屈するという選択肢も無いではないですよ? この状態でやったら他の商会との仲は壊滅的になりますし、ファリ商会内部の一部とも決裂しますけど」

「……それって選択肢としては最悪に近いよね。それに感情的にも選びたくない。アレは上に戴くには、少し害悪だ」

「そうですか」


 元より本気ではなかったのだろう、シャロンは簡単に納得した。


「では、都市政府との対決は避けられませんね。……他の商会はどんな感じなんですか?」

「どうだろう。一応は協力してくれる態勢にはなっているけど……」


 ユーニスの言葉は自然と尻すぼみになった。

 他の商会には既に接触してみた。だがその感触は最悪ではないものの、余りよいとは言えなかった。不満が無い訳ではない。鬱憤はかなり溜め込んでいる。だがどこも火中の栗は拾いたくない。

 やはりケレスター商会の壊滅が、記憶に焼き付いているのだろう。それも当然だ。まだそれほど時間が過ぎた訳ではない。ましてやその手駒は今も領主が握っている。気にするなという方が無理だろう。

 そしてそれはユーニスにしたところで大して変わらない。


「商工会で動くんですか?」

「……それは無理な気がする」


 だからこそ、他の商会の気持ちも判る。

 怯えているのだ。

 都市政府に対して反発を強めつつも、決定的な行動を躊躇っているのもそれの表れだろう。今度の件に関して協力を約束しつつも商工会としては動けないというのも恐らくそんな理由だ。


「では動ける駒を集めるしかありませんね」

「うん」


 しかし、それが難しい。そして何より――。


「……どのように動くかが決まらないと、それもね」


 ユーニスの言葉にシャロンは暫し考え込んだ。


「差し当たって考えなくてはいけないのは、ナルミス商会系列の商会群に対してどのような対策を取るかじゃないでしょうか?」

「成る程、切羽詰まっている人間ほど引き込みやすい、か」

「ええ、都市政府と対決するというのは幾ら武力を伴わないと言っても危険です。あのケレスター商会の最期を見れば尚更でしょう。ですからそれでもなお都市政府と対決するという人間は、それに相応しい何かが無くてはいけません。切羽詰まった事情でも、並外れた功名心でも、異常なまでの郷土愛でも、危険に全く気付かない愚かさでも、理由の如何は問いません。ですがそれが無くてはそもそも乗ってこないでしょう」

「……その言葉だけ聞くと、碌な人間は集まってきそうにないね」

「危険な橋を真っ先に渡る人間には大なり小なり事情があるものです」


 ……危険な橋か。


 確かにその通りだと、ユーニスは思う。

 都市政府と対立し、籠城して閉じ籠もったケレスター商会は僅か一日で滅んだ。真っ向から力で殲滅させられた。

 そこから状況が変わった訳ではない。

 再び都市政府に対抗する動きを見せるという事は、いつあのケレスター商会のように滅ぼされるか判らない立場に自らを置くという事でもある。

 どれだけの人間が協力してくれるか、ユーニスにも正直予想がつかなかった。


「ファリ商会やナルミス商会に限らず商会内に協力者を捜す事は非常に重要ですけど、忘れてはいけない事があります」


 沈思に耽るユーニスの耳に、そんなシャロンの声が届いた。ユーニスは顔を上げ、シャロンに言葉の続きを促す。


「マンチェス男爵です」

「……彼がどうかした?」

「……はぁ」


 疑問を口にするユーニスに、シャロンはこれみよがしの溜め息を吐いて見せた。


「いいですか? 仮に策動が成功して、今の領主様を追い出すなり改めさせるなり出来たとします。そしたら万事が上手くいってめでたしめでたし、なんて風には当然いきません。一歩間違えれば反乱扱いです。またそれを後押しする勢力も当然出てくるでしょう」

「そのくらいは判っているよ。その時の為の大義名分としてロートの法衣貴族は極めて有用だって事でしょ?」

「それだけじゃありません。もっと切実な理由があります」

「……?」


 思いつかなかったのか、ユーニスが小首を傾げる。


「マンチェス男爵というのは、現状手に入る札の中で唯一アキム・バラネフが殺す事の出来ない存在なんです」

「あっ」


 シャロンの言葉に、ユーニスは思わず声を漏らす。

 考えれば当然なのだが、その視点はすっかり抜けていた。

 ロートの法衣貴族を地方領主が殺した等という事になれば、大抵の地方領主など抵抗の余地無く潰される。それはアキムも当然判っている。ならば、アキムがタリスを殺害する事は立場上不可能と言っても過言ではない。

 なにせ殺せばロートが本腰を入れて介入してくる事になるのだ。

 アキムがどんな思惑を胸に秘め動いていようと、そんな劇薬は致命にしか成り得ない。殺した事を隠しきるのも恐らく不可能だ。なにせそんな事をした時点で、様々な立場の者がロートへ注進に及ぼうとするだろう。それを全て防ぐ力など、アキムには無い。


「これは彼に直接危害を加える時だけでなく、彼がやろうとしている事を邪魔しようとする時も同じような力学が働きます。つまり彼――マンチェス男爵を味方に付ければ、都市政府が武力によって我々を殲滅するという選択肢を掣肘する事が出来る。これは私たちの安全だけでなく交渉カードとしても大きいです」


 シャロンの言葉にユーニスは頷く。

 タリスは此方が都市政府に対して影響を強めるのを必ずしも悪く思っている風では無かった。ならば、いけるかも知れない。

 ユーニスは自らの先行きに、一筋の光明が差した事を感じていた。



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