第一話 始まり
以前書いたもののリメイク版です。
もっとも舞台とか大分違うので、殆ど関係ありませんが。
その時に指摘されたのが、主人公視点以外の話がつまらないというものでした。
展開上、他者視点の話は避けられないのですが、せめてという事で主人公にもっと主体的に動いてもらう事にしました。
その結果が、死霊術を駆使して陰謀を練って暴力に訴えて、まがりなりにも平和に治まっている祖国に戦乱を引き起こそうとしている主人公になっちゃいましたが。。。
余り好感の持てるタイプではありませんが、それでもよろしければお願いします。
通商都市コーネスライト。
大陸最大の国家アルネシアでも有数の都市の一つだ。
この大陸では、都市の規模というのは基本的にその周辺の土地から得られる収穫物の量に比例する。
これは単純に農作物や鉱物などに限らない。素材となる魔物、太古の遺跡、そして迷宮などもそれに含まれる。
ひるがえって、コーネスライトはそのような特別な地理的特性を持っている訳ではなかった。
例えばアルネシア最大の都市であり、寿命を超越した英雄ファーミット・エウロネーズが治める王都ロート。その地下には今だ誰も完全に踏破した事のない地下迷宮が広がっており、その周辺は異界化した様々な迷宮が存在している。
アルネシア第二の規模を誇る都市ナースミートは、その北に巨大な魔獣達が生息し、その中心部には人が踏みいることすら出来ていない秘境の地――ナミド高原を擁している。
これら二つほどでなくとも、他も多かれ少なかれ似たような場所が多い。
近くの森に、湖に、山に、その生活を依存し、暮らしていく。このような『狩り場』は、人々の生活に欠かせないものになっている。逆に言ってしまえば、このような狩り場が存在する場所に人々が生活の拠点を構えていったのだ。
だがコーネスライトにはそのような狩り場が存在しない。
無い訳ではないのだが、この規模の都市を賄うだけの充分な狩り場は存在しなかった。
ならば、なぜここまでの規模の都市になったのか?
答えは簡単で、やはり地理的な利点があるからだ。
コーネスライトは中央アルネシアと西部アルネシアの丁度境界線上に程近い場所にあり、魔導国家と呼ばれるロイスにも近い。更に西には西部アルネシアの都市群が幾つも存在しており、そこはまだ充分に開発されているとは言い難い。
北にある魔導国家ロイスとアルネシアの関係が悪いのも、コーネスライトには特に悪影響は与えなかった。
寧ろある意味プラスになったとさえ言えるだろう。
現在アルネシアとロイスは緊張関係が続いている。小競り合いも頻発しており、いつそれが本格的な戦争になってもおかしくないような状態だ。
結果、ロイスに隣接した地域には幾つもの砦が築かれ、兵士達がそこを守備している。
そしてその為に必要な様々な物資や人材などは、大部分が中央からコーネスライトを経由して運ばれる事になる。
その特需と言うべき物流は、ロイスとの貿易を表立っては禁止されているデメリットを補って余りある利益をコーネスライトにもたらしていた。
尤も、全てが上手くいっている訳ではない。
コーネスライト最大の問題は、きちんとした統治システムが無い事だ。
元々コーネスライトは商人達が寄り集まって出来たキャンプ地のようなものから始まった。やがてそこに定住する人が現れ始め、ついには街になり都市になった。
それ故にどうしても商人達の力が強く、それらの商人間の序列も決まっていない。
そのような状態で中央から領主が送り込まれ、商人達に命令を聞かせようとしている。
だがそう簡単に商人達が従う訳もない。ここがまだ名前もないキャンプ地だった頃から、この地に根付いてきた者たちだ。当然の事ながら商人達は各々私兵集団を持ち、それを扱う事に躊躇いも覚えない。更にはフリーの傭兵などの裏稼業を行う存在も数多い。
そんなコーネスライトで現在領主を務めているのが、アキム・バラネフ。
神経質で線の細い中年の男だ。
元々はロートの法衣貴族――つまりは自らの領地を持たない世襲貴族の一族だったが、祖父の代にこのコーネスライトの領主の地位を得た。
そんなアキムは、領主館の応接室で一人の男を迎えていた。
通商都市の領主の館に相応しい、華美な装飾が施された応接室だ。
壁にはバラネフ家の祖先の絵が飾られ、壁際の背の低い棚には種々の調度品が、部屋の中央にはテーブルとソファーが置いてある。
それは迎える人間を温かく受け入れるというよりは、威圧する為のものだろう。
だが今アキムの目の前にいる男は、そのような圧力をまるで感じていないように見えた。
まだ若い――いや、若い外見をした男だ。
整った顔貌に、細身の体付き。
やや長めの色の薄いブロンドの髪をオールバックに整えている。
服装は黒のタキシードに、ステッキ。まるで夜会か何かの為の服装のようだ。
そんな男の名前は、タリス・マンチェス。
王都ロートの法衣貴族であり、現在コーネスライトに滞在している駐在官の一人だ。
駐在官といっても大した権限がある訳ではない。精々が自らの意見を王都に報告するくらいの事しか出来ない。
だがアキムには、この男を重要視するだけの充分な理由があった。
まずは何といっても、この男のバックグラウンドだ。
男爵位を持つ法衣貴族。
それ自体は大したものではない。
一代限りの騎士爵よりは上だとはいえ、領地を持たない法衣貴族。
星の数ほど、と云えば明らかに言い過ぎだが、かなりの数が存在する。
だがそれだけではこの男は計れないのだ。
かつてこのアルネシアを建国したファーミット・エウロネーズ。
二百年前、稀代の英雄であった彼と共に戦い、国難を切り抜けた英雄。
その無形の影響力だけをとってみても、恐るべきものだ。
更には魔物を数限りなく殺して得た魔素により、不老長寿の位階まで自らを高めている超越者の一人でもある。
どこにどんな人脈を持っているか判ったものではない。
領主とは云っても、地方に根差した他の領主貴族と異なりアキムはいわば雇われだ。極論を言ってしまえば、このコーネスライトの領主の地位など誰にでも務まるのだ。
そんな緊張感を持って、アキムは目の前の男――タリス・マンチェスを迎えていた。
だがタリスはそんなアキムとは裏腹に、その口元には人を安心させるような笑みを浮かべている。その笑みが作られたものだと判っていても、アキムは僅かに緊張が和らいだのを感じていた。
「それで、今日はどのような御用件ですか?」
アキムがタリスへ水を向ける。
「少しお知らせしたい事がありまして……」
返ってきたタリスの言葉は、思わせぶりなものだった。
「と、言うと?」
「ロイスとの本格的な戦争も睨んで、いよいよロートが兵站に本腰を入れる動きが見られます」
「…………」
やはりそれかと、アキムは歯噛みする。
現在、コーネスライトの北にある魔導国家ロイスとアルネシアは微妙な関係にある。
そもそもロイスは、大陸開拓の黎明期にアルネシアから離反した魔導師たちが中心となって建国した国家だ。
当然の事ながら何事もなくロイスが独立できた訳ではない。そこには凄惨を極める戦争があった。
そしてその結果、当初ロイスが領有を主張していた土地の中で現在のアルネシア最西端、すなわちガロリア大森林と呼ばれる秘境に面した地方一帯がアルネシアに奪われ、現在のロイスとアルネシアの国境が確定した。
だがお互いに、その結果に満足している訳ではない。
以降、ロイスとアルネシアの間では小競り合いが絶えず、何度かは大規模な紛争に発展した。
そんなロイスとアルネシアの関係は現在かなりの緊張状態にある。
それは通商都市であるコーネスライトとも決して無関係ではないのだ。
寧ろ、大いに関係があると言ってよい。
なにせロイスとアルネシアの緊張の理由、少なくともその一つは、コーネスライトの商人などが密かに持ち込む違法な商品の数々だ。
例えば奴隷、例えば魔具、例えば傭兵。
そのようなロイスからアルネシアへの非正規の物流。
その規模はここ最近拡大の一途を辿り、アルネシアを苛立たせている。
「王都はロイスからの密輸に神経を尖らせています。それは単純に法の統制という問題だけでなく、もっと直接的な被害、つまりは工作員が入り込む危険性、危険な魔具による実験が行われる可能性、そういったものを睨んだものです。そして、こういった危険性を排除するにはロイスとの国境線を厳重に警戒するしかない。その為には、ロイスに程近いコーネスライトにも相応の役割を果たしていただく必要があります」
「……それは充分に承知していますとも」
アキムがやや苦いものを口調に滲ませ、答えた。
出来れば、やっている。
後先の事など何も考えず、そう返してやりたかった。だが無論、そんな事は出来ない。
だがタリスは、そんなアキムの内心を察したようだ。理解ありげに一つ頷く。
「ええ、無論そうでしょうとも」
その言葉をまともに受け取っては領主など務まらない。案の定、にこやかな笑みを厳しさを含むものへと変えて、タリスは言葉を続けた。
「ですが、現状とても充分とは言えませんね」
「それは先程も申し上げたとおり、私も充分に判っています。しかし……」
「武力が足りないと?」
「ええ」
その通りだった。
元がそれほど大きくもない法衣貴族であったバラネフ家に、独自の武力など殆ど無かった。
それに比べ、コーネスライトの商家達はその豊富な資金力で質量ともにかなりの数の手駒を揃えている。彼らは単純にいざというときの為の武力と言うだけでない。普段から、諜報や盗難、果ては暗殺までイリーガルな作業に従事する者も多い。
表だって領主に反抗はしてこないものの、いざという時になればどうなるか判ったものではないのだ。
尤も、バラネフ家とて手をこまねいていた訳ではない。
祖父の代からこのコーネスライトの領主になり、アキムで三代目。その豊富な税収で独自の兵力を集め、組織化を進めてきた。
そして、その努力は徐々に実を結びつつある。
「ですが、段々と事態は改善しています。現在は組織化が進んだ兵力を背景に商人共に徐々に圧力を掛けている段階です。間もなく良い知らせをお聞かせ出来ると思いますよ」
「それは大変結構」
「ですので、その、王都の方にはよろしく言っておいて貰えれば……」
爵位としてはアキムの方が上だ。
アキムは一応は子爵位を預かっている。いや、領地がある事を考えれば只の法衣の子爵より社会的な地位で考えれば上の筈だ。
ましてやタリス・マンチェスは領地も持たない只の法衣男爵。普通に考えれば、地位にはかなりの差があると云って良いだろう。
だがアキムの言葉には、どうしても懇願するような色が混じった。
そうした方が得だと、打算的に考えている部分もある。だがそうでない部分も多分にあった。
商人に侮られる祖父を見てきた。
それを覆そうと懸命の努力を続け、ついには叶わなかった父を見てきた。
現在アキムの手元にある兵団は、アキムだけの努力によって作られたものではない。
祖父の、父の、そして彼ら二人に協力してくれた家臣たちが長年の間、必死に努力して作り上げた精華なのだ。
それが真に報いられるのは、これからだ。
今になって梯子を下ろされるなど、冗談ではなかった。
それを防げるのならば、その可能性があるのならば、アキムは何でもするつもりだった。
「ええ、勿論。王都とて、この地に積極的な野心がある訳ではない。送り出した領主がきちんと都市を運営できるというのであれば、それをすげ替えたりはしないでしょう」
「そうですか」
ほっと、アキムは息を吐く。
そこに不意打ちのような、タリスの言葉が飛んだ。
「なにせ王都ではロイスへの対抗に新たな都市を建設するなどという話も出ているようです。また王立騎士団を此処に派遣して、それによってこの地方一帯の紊乱に対処するとかいう話も」
「なっ!?」
思わず声が漏れる。
どちらも、到底認められるものではない。
新たな都市が建設されれば、恐らくコーネスライトの失敗も鑑み相当量の兵力が置かれる事になるだろう。当然ながらこの武力は王都に忠実な存在が選ばれる筈だ。最悪、王の武の象徴である王立騎士団が派遣されるという事すら考えられる。
そしてそうなれば、ロイスへの兵站などについてはこの都市がほぼ全て持っていくだろう。事実上の特権が与えられる可能性すらある。
王立騎士団のコーネスライトへの派遣にしたところで似たようなものだ。
王立騎士団は王の武の象徴。
それが戦争状態でも何でもないのに派遣されるという事は、領主にその領地を治める最低限度の統治能力すら無いと王都が判断した事になる。当然そんな領主が安穏とその地位に安んじられる筈もない。いずれ適当な人間が現れた時に領主の地位から追放されるだろう。
驚愕が覚めやらぬアキムを前に、タリスは言葉を続ける。
「本来ならば、このようなケースでは単純に領主の首をすげ替えるのが普通です。ですが王都も単純に人を派遣してそれで済むと考える程愚かでは無いようですね。それ故にもっと単純で根本的な措置を、と考えたようです」
「…………」
「元々アルネシア西部は境界線が不安定で、一応はある、といった程度だと聞いています。ここら辺を徹底させたいという考えは王都の法衣貴族の間にはずっとある訳ですが、今回もそこら辺からの話かも知れませんね」
「しかし……」
タリスの話自体は、アキムも聞いた事があった。
そもそもアルネシアの西部は、ロイスからの戦争によって奪った比較的新しい領土だ。また充分に探索も開発もされていない場所も多い。
そこにロイスとの戦争で功があった人間を暫定的に領主につけた訳だが、その境界線の引き方はどうしても適当なものにならざるを得ない。そもそも簡単な地図しかなかったのだから、それを元に大体の境界線を作るしかなかったのだ。
だが仮に同じ程度の功を上げ、同じ規模の広さの土地を与えられた二人。
その片方の土地に、非常に価値のある植物を生やす森があった。
もう片方の土地には害にしかならない魔獣が生息していた。
そんな事になれば不満が出てくるのも当然だし、そもそも規模の大きな領主の命綱を規模の小さな領主が握っている等といった事態は、王都としてもそのままにしておく訳にはいかない。
それを行うためには武力と権限と専門知識を持った中立的で信頼できる集団が必要な訳だが……そんなものが都合良く存在する訳もない。
王都が王立騎士団を派遣するというのは、そこら辺を出来れば一挙に進めたいと云う思惑があるのかも知れない。
だがどちらにしろ、アキムにとって気軽に喜ぶ事の出来るような申し出では無かった。乱暴に言ってしまえば、横からしゃしゃり出てきた王都が、これからも美味しいところをずっと貰っていく。そんな申し出にも近い。
王立騎士団とは、それだけの権限も実力もある組織だ。
そんなものの永続的な派遣などアキムは到底認められないし、それは他のアルネシア西部の領主達も同じだろう。
だが、アキムは一つ気になる事があった。
「何故、今になって?」
アルネシア西部の状況も、ロイスからの密輸も、随分と前からこんな状況だ。
王立騎士団の派遣や新都市の建設など随分と大掛かりな対策を持ち出してくるにしては、切っ掛けが足りないようにアキムには思えた。
「そうですね。確かにご推察の通り、このような動きが既定路線になっている訳ではありません。ですがロートにおいて不満が高まっているのも事実です。何か大きな切っ掛けがあれば、事態が一気に動き出す事も充分に考えられるのです」
「……っ」
身を乗り出して、此方を覗き込むようにして告げられたタリスの言葉に、アキムは思わず息を飲む。
灰色にも見える薄い蒼色の瞳が、アキムを捉える。
魅入られ、吸い込まれてしまいそうな怪しげな美しさを秘めた瞳だった。どこか退廃的で、思考を麻痺させるような妖美さがある。
アキムは腹に力を入れた。
視線を逸らす事はしなかった。そんな事をすれば負けだと判っていた。逆にそんなタリスの瞳を真っ向から見据え、告げた。
「そのような切っ掛けは――私が起こさせないとお約束しましょう」
タリスはアキムの言葉に一瞬目をぱちくりとさせ、破顔する。それまでの怜悧な面差しと異なり、笑みを浮かべたその顔は随分と愛嬌のあるものにアキムの瞳に映った。
「ははっ、流石です。それならば安心ですね」
「ええ、お任せ下さい」
「では私も王都にはそう伝えさせていただきます。ただ一つだけ」
「……何です?」
「これから貴方と領内の商人達との対立は、多かれ少なかれ避けられないでしょう。その際には無論最低限に抑えるべきとはいえ、武力の行使も避けられないかも知れません」
「…………」
確かにそれはアキムも重々承知していた。
聞き分けの良い人間ばかりではないのだ。だからこそアキムは兵団を整え、それを交渉のカードにしようとしている。だが切れないカードに意味はない。いずれ試される事態が起こりうるのも、容易に想像が出来た。
そんな事態に対し一抹の不安もないと答えれば、嘘になる。
「その際はご相談に乗りますよ。こう見えてもそれなりに腕に覚えはあります」
「……ははっ」
だが他人に簡単に下駄を預けられるような事ではないのも確かだ。
アキムは苦笑に近い笑みを浮かべ、誤魔化した。
助力を受け入れるでもなく断るでもない、曖昧模糊な態度。だがタリスはそれを予想していたのだろう、あっさりと受け入れると懐から時計を取り出し時間を確認すると席を立った。
「さて、名残惜しいですが、そろそろお暇しましょうか」
用件は全て終わったという事だろう。
引き留める理由もないアキムも立ち上がり、タリスと固く握手をして再会を誓った。
そしてその後、廊下へと繋がる部屋の扉を自ら開け、外に控えていたメイドに目配せで会談が終わった事を告げる。
これはタリスが一人で此処を訪れたのでは無かったからだ。
同伴者はタリスの妻である、レイラ・マンチェス。
鴉の濡れ羽色とでもいうのだろうか、黒い艶やかな髪を腰まで伸ばした少女だった。幼いという程では無いが、まだ若い外見をしていた事は確かだ。
だが何故か、少女は蠱惑的な妖美さを漂わせていた。
人形のように整っているものの、まだあどけなさが残る顔つき。
女性らしい起伏は見えるものの、まだ成熟しきっていない肢体。
細い四肢。黒曜石のような瞳。それらを華美ではあるものの、露出を最低限に抑えた黒いドレスに包み、口元には控えめな笑みが浮かんでいた。
初めて少女と会ったアキムは、その微笑みから、そして僅かに覗く白く肌理の細かい肌から、中々目を離す事が出来なかった。魅入られたように目が自然と吸い寄せられた。
正直、男として嫉妬心が湧き上がったのも否定できない。
あの少女はどうも嗜虐心と被虐心を掻き立てるようなところがある。別段、色を好むという訳でもないアキムですらこれだ。
不思議な雰囲気を持つタリスと並んでいると、どうも人ならざるモノを相手にしている気さえしてくる。
……ま、それが超越者というものかも知れないが。
魔素を吸収した人間は超常の力を得る。
それは性別、年齢、才能によらない。
だが魔素を操るのには技術と経験が必要だし、上手く操るには才能もいる。そして操りきれない魔素は害になる。尤も、制御できるのならこれほど便利なものもない。
その実例が、超越者と呼ばれる存在だ。
魔素の蓄積具合、その段階によって分けられた位階が10を超えた人間をそう呼ぶのだが、彼らは『物質』としての制限をほぼ受けない。殺されない限り死なないし、食事なども取る必要はない。寿命というようなものも存在しないし、老化もしない。魔力さえあれば生きていけるのだ。
そんな超越者の一人であるタリス。
そしてその妻、レイラ。
調べさせた人間の報告によると、彼女もまた超越者の一人である可能性が高いらしい。彼女のように名前を知られていない超越者は多くはないが、いない訳ではない。色々な面倒が嫌になる超越者はそれなりに多い。もしかしたら彼女もその類なのかも知れない。
やがて廊下の奥から、そんなレイラ・マンチェスの姿が現れた。
ちらりと視線を後ろにやれば、タリスも帰り支度が終わったらしい。黒のコートにシルクハットを身に付け、此方へ向かってくる。
「それでは失礼します」
最後にタリスはそんな風に一声告げて去っていった。
本来なら玄関先まで送るべきだったのかも知れないが、タリスが固辞した事もあってアキムはその部屋でタリスと別れた。
部屋の扉を閉め、ソファーへ深く身を沈める。
身体がやたらと重たかった。
だが有意義な会談だった。感触も悪いとは感じなかった。それはせめてもの救いだろう。
そもそもタリスのような中央の人間と、アキムのような地方領主の関係は極めて微妙だ。当然ながら地方は中央の口出しを基本的には歓迎しない。だが逆に、中央は地方の領主を上手いこと制御しようと狙っている。
その為の手札は大きく分けて4つある。
一つ目は王立騎士団。
二つ目はロートの地下にある大迷宮。
三つ目は冒険者ギルド。
そして四つ目が紋章官を代表とする文官だ。
この中でタリスは四番目のタイプに入る。
彼ら文官は、地方の領主が領主として相応しいかを判断し、地方貴族間の婚姻などの許認可も請け負う。そして当然ながら中央への納税や、労役なども彼らがその内容と量を決める。
紋章官とは、いわば中央から地方へ派遣される文官の最高位だ。
領主の任命や婚姻などに、事実上かなりの権限を持っている。またその過程において、その地方の情報を調べる必要がある事もあり、中央への定期的な報告なども義務づけられている。
それらが基本的な任務だが、他にも種々の調査や、非常事態には領主代行のような事すら認められている。尤もこれらの権限は殆ど使われる事は無い。
領主ならば誰でも、領内の事に中央が首を突っ込むのは嫌がるし、それを実際にやるには専門知識だけでなく武力なども必要になる。それらを兼ね備えた人間など酷く稀だ。
尤もいない訳ではない。彼らは通常の紋章官と区別するために武装紋章官などと呼ばれ、その中でも特に一定の土地に縛られない者たちを独立武装紋章官などと呼称する。
コーネスライトにも当然担当の紋章官は存在しているが、彼らは商人などの接待で骨抜きにされており、恐らくまともに報告すら上げていない。
それを考えればタリスが次期紋章官になる可能性は充分にあるし、そうでなくても報告が重要視される可能性は高い。
「俺は……手ぬるい、のか?」
アキムはソファに身体を沈めながら独りごちた。
あそこまで言った以上、アキムとしても取り締まりを強化する必要がある。だが下手をすれば商人達との間で戦争になるという状態で、過激な強攻策に出る勇気をアキムはどうしても持つ事が出来なかった。
商人たちとアキムは、ある点では敵対しているが、大きな枠では一蓮托生の間柄だ。彼らも愚かではない。そして商人という性質上、利には聡く面子など非物理的なものに必要以上に拘らない。
他の貴族などより妥協と交渉は容易い筈なのだ。
「取り敢えずは商工会の連中と会合を開いて……それからか」
アキムは実際に口を出しながら、予定を立てていった。
……これからだ。
胸には熾火のように燃える心志があった。
ここ数年でコーネスライトは大きく変わるだろう。それは間違いない。
だがその後、コーネスライトが商人達が秩序の元に自由に商活動を行える活気ある都市になっていくか、それともその逆か。
それはこれからの自分に掛かっている。
「……ふぅ」
息を吐く。
重圧は感じている。
だが同時にやりがいも感じていた。
今この時、自分がコーネスライトの領主であると云う事。
それはある意味ひどく幸運な事なのだ。
祖父も、父も、このような時局には恵まれなかった。
それに自分は巡り会えた。
「なんとしてでも……成し遂げてみせる」
まるで宣言するかのように、アキムは自らの覚悟を静かに独りごちた。
馬蹄が規則的に床を叩く音が、どこか柔らかさを伴い室内に響いていた。
密閉された大きめの客車部分を持つ二頭立ての馬車。
その客車部分にタリスとレイラは乗っていた。領主館での会合の帰り、自らの家に戻るところだった。
そんな馬車の室内には、タリスとレイラ以外にも、もう二人ほど別の人物の姿がある。
一人はゴブリンの男だ。
ゴブリンの特徴として、背はヒューマンの小さめの成人女性と同じ程度で、毛髪の類は一切ない。肌は緑色で、耳は尖っている。
それは馬車内にいるゴブリンの男も変わらなかった。
だが細長い顔が多いゴブリンとしては幅広の顔つきと、そして何より両目をそれぞれ覆う円形の黒いレンズが特徴的だった。サングラスのようにも見えるが、レンズが楕円形ではなく純粋な円であり瞼や眼球の部分をすっぽり覆うように作られている所為で、それは眼鏡というよりは何か無骨な観測器具のように見えた。
もう一人はリザードマンの男だ。
リザードマンとしてもがっしりとした体付きをしている。馬車の客車としてはやや大きめの室内だが、ヒューマンを基準に作られているせいか、多少窮屈そうだ。
細かい刺繍が施されたフード付きのローブを被り前傾姿勢で座り込むその様子は、爬虫類特有のぎょろりとした目線と合わさり、どこか不思議な威圧感を醸し出していた。
ゴブリンの男の名前は、ベルン・ボダルト。
リザードマンの男の名前は、カスパル・ブリーゲル。
二人ともタリスの腹心の部下だ。
「それで首尾はどうですか?」
対面に座ったベルンとカスパルに向かって、タリスが問い掛ける。
その口調は部下に話しかけるのとしては随分と丁寧だったが、慣れている室内のメンバーは特に気にもしなかった。
「何の問題もありやせん」
答えたのは、ゴブリンのベルンの方だった。
カスパルはそもそも身じろぎ一つしなかった。
だがやはりそれもいつもの事だ。カスパルは必要がないのに自ら口を開く事はしない。このような報告などは全て相方のベルンの分担だ。
「運び屋の準備も出来ているようですし、その護衛も手配済みみたいです。あとロンダリングの為の予約も入れてます。かなりこの仕事に賭けているようですよ」
「それは重畳」
ベルンの歪んだ笑みにタリスは涼しげな笑みで答えた。
「護衛の戦力の調査は?」
「此方に」
「……ふむ」
書類を受け取ってざっと確認する。
大体予想の範囲内に収まっている。だがその範囲の中ではかなり上だ。どうやらぎりぎりを突っ張ったらしい。
「ま、問題ないでしょう」
暫くの黙考の後、タリスはそんな言葉を口にした。
それを受けてベルンとカスパルも動く。
「では予定通りに」
「ええ。いよいよ始まりです」
「……ひゃは」
耐えきれないようにベルンが嗤った。
やがて馬車が止まり、二人は外へと出て行く。その際には隠蔽の魔術を掛けるのも忘れない。見られたらまずいという問題以前に、ゴブリンなどが街中を歩いているといらぬ問題を引き寄せるからだ。
特にゴブリンは、街でまともに生きていくのは非常に難しい。
養殖され、貴族の試し切りや実戦を経験させる相手になっているくらいだ。
「酷い男ね」
元の二人になった室内。
馬蹄の音が小気味よくリズムを刻む中、レイラが口を開いた。
その口元には、やはりどこか婀娜っぽい笑みが浮かんでいる。
「なんです、藪から棒に」
「ロイスからの密輸を批判しておいて、もう片方ではロイスからの密輸を斡旋する。これを酷い男だと言わずに何というの」
「聞いていたんですか?」
「聞こえるの。知っているでしょう?」
「…………」
レイラの言葉にタリスは特に何も答えなかった。
馬車に埋め込まれた窓の縁に肘を乗せ、ただ正面を見るともなく見ているだけだ。その口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。どこか恍惚としたものすら感じられた。
暫くレイラもそんなタリスの横顔を眺めていたが、会話をこれ以上続ける気がないのを察して視線を外した。これみよがしの溜め息を一つ吐いて、少し乱暴に背もたれに背中を預ける。
先程出て行ったカスパル程の体格ならば様になったのかも知れないが、レイラの体格ではぽすっと軽い音がしただけだった。
「……いよいよです」
そんなレイラを案の定気にもとめず、タリスは先程ベルン相手に言ったのと同じ言葉を呟く。
レイラは軽く嘆息してから、タリスと同じく窓の縁に肘をかけた。行儀が悪いかも知れないが、構うものか。そんな反骨心にも似た感情が胸を占めていた。
馬車はそんな二人を乗せて予定通りのコースを進んでいく。
外からは物売りの景気の良い声が聞こえてくる。
コーネスライトの都市は、そしてアルネシアは、まだ平穏と繁栄を享受しているように見えた。
一話の分量はこの程度を基本にしたいと思っています。あまり短くてもやりにくいので。