第八話 村の過去
つい先ほどまでは晴天だった空も、今や灰色一色に染め上がっていた。
そんな灰空の下、時折見上げては何時天気が崩れるのか、と考えながら歩み進めていた。
何時しか会話はなくなっていた。
自分の息づかい、草木を掻き分け、雑草や砂利を踏み倒す音だけが耳に残る。
その状態でしばらく歩いていると、先頭を歩いていた一人が立ち止まり、こちらに振り返った。
「――――よし、止まれ」
周辺を確認しながら、ぽつりと呟いたのはヒノさんだった。
僕と右隣にいたイルゼは無言で頷きそれに従うが、ただ一人納得がいかないといった表情を浮かべている人物がいた。
彼は一歩、前に出ると、疑いの眼差しを向けながら言う。
「ヒノさん……いい加減、理由を教えて欲しいのですが」
そう訊いたのは、僕の左側を歩いていたアランさんだった。
「……理由?」
呟いたヒノさんの視線は彼に向けられ、何を言っているんだとばかりに訊き返していた。
だが、彼がこう思ってしまうのも無理も無い。
なぜなら……。
「――もうこれで”4回目”ですよ? 今まで何回か狩りに出たことがありますが、こんなことは初めてです」
彼の言うとおり、確かにこれが4回目の指示だった。”止まれ”と。
僕はなんて事のない、指示の一つだと思っていた。
でも、こう何回も言われると多少なりとも違和感というか、疑問のようなものがでてくる。
僕とイルゼ、そしてギルさんは黙って二人を見ていた。
そして少しの沈黙の後、ヒノさんがしゃべりだす。
「先ほども言っただろう?空が荒れるから…――」
「誤魔化さないで下さいよ! ――”本当の理由”を教えて下さい」
「……、」
彼の言葉にヒノさんは黙り込んでしまった。
そんな二人を見兼ねてか、今度はギルさんが二人の元へ歩み寄る。
「お前ら、ヒノを困らせるな。こいつはお前達のことを考えて行動してるんだよ」
強めの口調で、ギルさんは僕たちに話していた。
けど、アランさん含め、僕達3人は納得がいかなかった。
ギルさんは僕達の気持ちを知ってか知らずか、力ずくで退かそうとしていた。
なので、僕はその間に割って入ることにした。
「坊主……」
「…ヒノさんやギルさんが僕達のことを考えてくれているのは十二分に分かってます。だけど、何も知らずにただ二人に守られているのは僕は嫌です。イルゼやアランさんだって、僕以上に嫌なはずなんですよ!」
それはギルさんに向けた発言だったが、同時に自分にも言い聞かせていた。
僕の発言を聞いた彼は、一瞬、虚を衝かれたような困り顔を見せたが、すぐに元の表情に戻っていった。
そしてギルさんのゴツゴツした手が僕の肩に置かれる。
「…そんなことは分かってるんだよ」
「だ、だったら!」
「……悪い、大人しくしていてくれ」
やっぱり反応がおかしい。
これはもしかしてイルゼが言っていたことが当たっているのかもしれない。
”戦闘前の顔してるぜ?”
確かイルゼは、こんな事を口にしていた。
そうなると、一体何と戦うんだ?
(ナキトリ…は無いよね)
あれは経験したから分かる、危険度は無いと。
なら後僕が知っているのは……。
(群狼……?)
群狼なら警戒するのはありえる。
…ありえるけれど、ここまで内密にするほどのことなのだろうか。
思い出す限り、群狼2,3匹程度だったら、ギルさんの戦いっぷりを見れば一人でも何とかなるはず。
加えて今回はヒノさんもいる。正直なんてこと無いと思うけど。
(でも、今日は一度も姿を見てない。やっぱり違うのかな?)
そう、ここまで練り歩いてきたが一度も群狼の姿を目にしていない。
僕の知らないモンスターの可能性があるけど、だとしても、なぜ教えてくれないんだろう。
「さぁ、戻ってくれ坊主」
「で、でも!」
両肩を抑えられ、後ろの二人の元へ押し戻そうとしてきた。
僕は、ここで訊きそびれたら恐らくもう教えてくれないと思い、何とか抵抗しようとするが、ピクリとも体が動かない。何て力だ…。
「ギ、ギルさん…離してください!」
「お前がさがるなら離してやる」
聞く耳持たず、といった感じで徐々に押していく。
もう耐えられないと諦めたその時、フッといった感じで、唐突に押されていた力が無くなった。
何事かと思った僕は、視線をギルさんに戻すとその肩には手が置かれていた。
「ギル、そこまでにしよう。そんなに知りたいなら教えてやる」
黙り込んでいたヒノさんが、彼を手で制して止めていたのだ。
「本当ですか!?」と、僕達三人は口を揃えて彼に問いかけると、無言で頷いてくれた。
「……だがよ、アラン。お前が言っていたのが本当だったら」
「いざという時があるからな。知りませんでした、なんて言い訳にもならん、あの時のようになるのはゴメンだ」
アランさんがそう告げる。
僕達にとっては何のことだか分からない。
「……分かった」
ギルさんは一度、苦い顔をしたが、やれやれといった感じで一歩下がった。
変わってヒノさんが一歩前に出てくる。
「教えてくれるんすか?」
「ああ、俺がお前達に言わなかった…いや、言えなかったのは”怖かった”からだ」
「怖い?」
イルゼの言葉に、「そうだ」とヒノさんは肯定する。
「……この村は年々狩人が少なくなってきている。それは知っているな?」
イルゼとアランさんは無言で頷いた。
「それは昔から変わらなくてな。お前達のように、新人を育てていこうと村で決定された。だが、それは少し軽率な判断だった」
そこまで話すと、彼は苦い表情を浮かべた。
「……もしかして”あの事件”の…」
「あの事件って?」
アランさんが恐る恐る言葉を口にしたが、僕は何のことだか分からずに思わず訊いてしまった。
「そうだな…アキは確か群狼と戦ったことがあったな?」
「え? は、はい」
唐突にそんなことを訊かれたので、僕は頷いて答える。
「…昔、村で群狼狩りをやろうって話になったのを聞いた事があるんだ」
「群狼……狩り」
「そうだ、当時の村長はそいつらを新人達”だけ”に狩らせることで、力をつけさせようと思いたったらしい」
「そ、そんな」
彼の言葉を聞いて僕は青ざめた。
それが本当なら恐ろしいことだ。実際に戦ったことのある僕には分かる。
あれは表現するなら、荒れ狂う野生の熊に対し、防具も無しに素手で立ち向かうのと同じぐらい危険なものだ。
それほどの危機感を僕はあのとき感じ取っていた。
ヒノさんは溜息を一つ零すと、話し始める。
「話を聞く限りだと、”群狼”自体は新人らで何とかなったらしい」
「らしいって…」
何かあったのだろうか。
「生き残った人間は口を揃えて言ってたよ、”群狼じゃない、白狼にやられた!”とな」
「白狼……」
初めて聞く名前だ。
白狼、普段は配下である群狼を狩りに行かせている狼らしい。
「その時は俺とギルもいてな。現場は酷い惨状だった。新人の半分はそいつに喰われて死亡、どうにか生き残ったものも怪我が酷く現場に復帰することが適わない状態の人間が圧倒的に多かった」
加えて、大怪我した人も長くは生きていられなかったらしい。
理由として、当時は村の医療が発展していなかったからだ。
せいぜい薬草を患部に塗りあわせ、包帯で包むぐらいが限界だったらしい。
「村の大人達は泣きながら後悔したさ、中には自分の息子や娘がいた連中もいたからな。あれはもう思い出したくないほど…」
これまでに無いほどにヒノさんとギルさんは悲しそうな表情をしていた。
「その後は…どうしたんですか?」
僕は恐る恐る訊いてみた。
「提案した前村長は酷い仕打ちを受けてたよ。だけどそれはおかしい、と俺は思っていた」
「それは俺もだ、結局は賛成した俺たち大人全員のせいだってのによ……頭の中では分かっていてもそうはいかなかったのかもな」
確かに、それは未然に防げた展開だった。
だけどそれが一番効率が良いと判断してしまった村は、結果として失うことになってしまう。
そうして生まれた”悲しみ”、”絶望”、そして”怒り・憎しみ”。
どこにぶつけていいのか解らないその負の感情は、”提案者だった”だけの理由で、前村長に全て注がれてしまった。
なんとも悲しい話だ。
「まあ、その後新たに村長が選ばれてな。それがムーゥ村長というわけさ」
「あいつになってからは色々と方針は変わってよ、それはもうてんてこ舞だったさ。だが、そのお陰で今のリンド村がある、ってわけだ」
「そうだったんですね」
「…俺、知りませんでした」
「俺も…」
少しの沈黙。
ヒノさんは「さて」と一言呟くと、再び話し始める。
「長々と話したが、結論を言うと失うことが”怖かった”というわけだ」
「それがお前らに言わない理由になるっていったら、ならないんだけどよ…」
「すまない…あれ以来、俺達は臆病になってしまってな」
と、そこまで話終わると、僕の鼻先に冷たい何かがぽつんと落ちてきた。
「…とうとう降ってきたか」
ヒノさんが言っている間にも、ぽつぽつと徐々に粒は増えてきた。
でも、まだ肝心な事が解っていない。
「ヒノさん、事情は解りました。けど、理由がまだ……」
「…そうだったな。理由は、先ほどの話の中に出てきたんだが……それは――――」
確信に触れようとしていた所で、状況は一転、最悪なものとなってしまう。
なぜなら。
ウォォォォォォォォォォォン――――!!
ヒノさんはそれ以上しゃべる事が出来なかった。
それは同様に、僕達にも言える事だった。
地響きにも似た、この山すべてに響き渡るであろう雄叫びが僕の耳に突き刺さった。
その剛音が無くなるとヒノさんは歯を食いしばりながら続けた。
「それは…白狼が近づいてきている事だ…」
全身が強張る。
その雄叫びに続くように、森の至る所からさらに群狼の声が聞こえてくる。
先ほどのに比べたらなんて事の無い、小さな雄叫びだが、それでも今の僕の心には充分に重く圧し掛かってきた。
眼球だけを横に動かしてみると、二人も小刻みに震えているのが見えた。
何てタイミングが”良く”て”悪い”んだろう、と…僕は心の中で思った。
「……っ」
半ば反射的に僕は腰に差してある刀に手をかける。
すぐにヤツらは来る、と僕の脳は警告を鳴らしていた。
見ると、僕だけではなかったようだ。
ギルさんは背中にあった大斧を手に持ち、ヒノさんも銅剣を手に取っていた。
数秒遅れて、イルゼとアランさんも各々自分の得物を手に取った。
イルゼが苦笑いしながらしゃべりだす。
「…へへ、もう少し早く言って欲しかったっすよ…」
「すまない、俺達もまさかこんなことになるとは思わなくてな…」
「…想定しておいて下さいよ」
「ごもっともだ」
「…逃げられるんですか?」
僕が二人に質問する。
「衝突は避けられないかもな…」
「だが、生きて帰す。行くぞ、ついて来い」
「「「はい(っす)!」」」
簡潔にそう述べると、ヒノさんが走り始めた。
続くように僕たちも後をついて行く。
「…ギルさんはいかないんですか?」
「……悪いな、坊主」
「えっ!?」
突然謝り出したギルさんにビックリする。
「突然どうしたんですか?」
「色々とな、お前さんを巻き込んでしまって申し訳ない」
「…謝らないで下さい」
ぽつりと、僕は呟いた。
同時に、僕とギルさんの視線が重なる。
「そんな事を言わないで下さい。僕は自分の意思で此処にいるんです、だから…謝らないで下さい」
「……、」
「何時もの、我の強いギルさんでいてくださいよ…」
ギルさんは俯いた。
…と思ったら、僕の背中をバシン!と大きく叩かれた。
「……うわ!!」
「がっはっは!…わかったよ、坊主! だが、”我の強い”じゃなくて”ナイスガイ!”って言ってくれよ!」
「はは…それでこそギルさんだ」
この人の笑いには安心させられるものがある。
お陰で幾らか緊張は和らいだ。
「ホラ!さっさと行け、俺は後ろにいる」
「は、はい!」
雨脚が強くなっていく中、僕は走り出す。
これから相手にするのは村を絶望に陥れたモンスター達だ。