マンモンの双頭
「●●●」
それは件の一族の長の娘として産まれた私の名前。
父さんからクダンという名を譲り受ける前の名前。
もう誰にも名乗ることのない名前。
もう誰にも呼ばれることのない私の本当の名前。
その筈なのに。
「●●●」
その名を呼ぶ声が耳に纏わりついて離れない。
「……やめ、て。やめて、よ、う」
そんな声で私を呼ばないで。
そんな憎しみを込めた声で呼ばないで。
「●●●、どうして助けてくれなかったの?」
「どうして見捨てたの?」
「……わ、私」
「視えていたんだろう? ●●●にはこの未来が」
「「「「「この地獄が」」」」」
目の前に広がるは故郷の変わり果てた姿。
『天秤幻視』で私が視たものと何も変わらない光景。
血を滴らせ咲き誇る金盞花に彩られた集落に一人取り残された私を、仲間だったモノが取り囲む。
恨む、恨むぞと声を轟かせる。
「……ちが、違……、う。わた、私、は……」
違う、違うのだ。
私だって何もしなかった訳じゃない。長だった父さんに視えた未来について相談した。出来る限り詳細に。鮮明に。
でも、ダメだった。
父さんも、誰も、出来の悪い私の視た未来を信じてくれなかった。ただの悪い夢だと言って真剣に取り合ってくれなかった。
視た未来を、皆の心を変えることはできなかった。
「それは●●●ちゃんのせいさ」
「●●●がもっとちゃんと長に伝えていれば死なずに済んだ」
「……だ、って、それ、は…………」
無茶だと、口に出そうとして唇をぎゅっと結ぶ。
『天秤幻視』は確かに未来を視通せる。個人差はあれど任意に未来を視る場合、そして私の場合であれば十日くらい先の未来までなら視通すことが出来る。
私の十日という幻視時間は一族の中で歴代最長らしいが、正確さは歴代最低らしい。二十秒までなら何とか間違うことなく視ることができるのだが、三十秒を超えるとその精度はないに等しく最早妄想の域だ。
他の皆は一日、父さんに至っては二日先の未来まで正確に視通すことが出来るといえば、私の無能さが理解できるだろう。
だから、誰も私を信じなかった。
誰も私のもう一つの幻視の正確さを信じなかった。
自らの意思で未来を視るのと違い、強制的に見せられる未来。お告げや虫の知らせに近いそれは私たちクダンの間では軽視されていたのだが、どういう訳か私のソレは一度も外れたことがなく、私の密かな、そして唯一の自慢――だった。
しかし、それもいまではただの証だ。焼き鏝など使うことなく苦痛と共に、心に深く刻まれた、私の罪の証。
もっと皆にその正確さを披露していれば。
もっと私が口上手であれば。
そしてもっと――。
私が優秀であったなら。
皆は私を信じてくれただろう。
父さんは私を信じてくれただろう。
「……ごめん、なさ、い」
だから、これは臆病な私に対する当然の責苦。
「……皆を、見捨てて、逃げ、て、ごめん、なさ、い」
殺されることに怯えて一人逃げ出した私への罰。
――善いこと一つくらいあっても良い筈さ。
それは違うよ、パーントゥ。
静かに、それでいて強くパートナーの言葉を否定する。
仲間を見捨てて一人で逃げた私に善いことなんて起こる筈がない。
起こってはいけない。
だからもし、こんな私に善いことが起こるとすればそれはきっと――。
『クダン』
「…………え?」
それはいまの私の名前。
しかし、いまここでその名を呼ぶ者はいない。
ここにいるのは怨嗟の声を上げる件の一族しかいない筈なのに。
『聞いてんのか、クダン!! ったく……、リーンハルトといい、オマエといい……、俺の同僚は辛気臭いのばかりで嫌になるぜ』
「……ヨリト?」
私の名を呼ぶその少年は私の後ろに立っていた。
呆れた顔で、私を見下ろしながら。
『他の誰に見えるってんだ。馬鹿言ってねえでとっとと戻るぞ。イアもあんまり無茶出来る状態じゃねえ』
どうやってここへ?
そしてイアとは誰?
ああ……、そういえばイアとは確か彼のパートナーである人造人間の名前だがそんなことよりも。
「……無理、だ、よ」
『何がだ』
「……皆、許して、くれ、な、い」
『許される必要はねえ、これは禍渦の幻覚だ。この鬱陶しい偽物の亡者どもの妄執を踏み超えさえすりゃあ終わる』
「……もっと、無理、だ、よ。一人、逃げた、私、が、謝罪、なんて、して、も、意味が、な、い」
どれだけ謝っても皆は私を許さないし。
どれだけ謝っても私は私を許さない。
だから、私はこの地獄から出られない。
『逃げた? おいちょっと待て。オマエ前提からして間違ってんぞ』
「……どういう、こ、と?」
『さっきから見せてもらってたけどアイツらが死んだのはアイツら自身のせいだ。オマエが逃げたから死んだ訳じゃねえ』
「……違、う。私、がもっと――」
『いいや、だってオマエはちゃんとチャンスをやっただろうが。ここは危ない。逃げてくれって何度も何度も訴えただろう? それを聞き入れずにその場に留まったアイツらが馬鹿なのさ』
「……違、う!!」
死んだ皆を馬鹿呼ばわりした少年に思わず声を荒げる。すると流石に失言だと認めたのか、彼はバツが悪そうに頭を掻く。
『あー……、言い方が悪かったか。兎に角だ。オマエは村がああなるとわかった後自分なりに考えて、最善を尽くした。違うか?』
「………………違わ、な、い」
『オマエの親父さんや仲間は最善を尽くしたオマエにあんな言葉をかけるようなヤツなのか?』
「……違、う」
皆、いつも『天秤幻視』が上手くいけば褒めてくれた。失敗したら今度は上手くいくさと励ましてくれた。
『だろ? それに自惚れんなよ。一族全員を見捨てた? 助けられなかった? 笑わせんな、人間だろうが魔物だろうが、普通守れるもんは自分だけだ。そう簡単に他の誰かを救えると思うな』
どうしてだろう、涙が出るのは。
どうしてだろう、身体が震えるのは。
『クダン、オマエの罪は何だ?』
「……私、私の、罪、は」
皆の心を、人の気持ちを変えられなかったことでも。
一人で逃げた臆病さでもなく。
「……弱かっ、た、こ、と」
何よりも皆を守れる強さを持っていなかったこと。
皆の命に、私の命。それに住み慣れた優しい場所。
私は弱いくせに多くを望み過ぎたのだ。
『そうだ、弱くちゃ何もできねえ。誰かを守ることも、何かを殺すことも、それに自分の信念を貫き抜き通すことも。それは誰にでも言えることだ』
オマエにも。
オマエの仲間にも。
勿論俺にも、と。
苦笑いしながら少年はそう口にする。
『だから件の一族が負うべき罪は等価だ。オマエも死んだ奴も全員罪人なのさ。弱いから何も守れなかった。でもな、オマエは他のヤツらが守れなかったモンを守っただろ』
「……それ、は、何?」
少年は問いかける私の頭に手を載せる。
『自分の命だよ。立派じゃねえか、一番出来の悪いヤツがあんなバケモンから逃げ延びたんだぜ?』
俯く私の頭をグシャグシャと一頻り撫でると。
『だから――後は分かるな?』
肩を掴み、私を皆の方へと向き直させた。
「……う、ん」
まだ、涙は止まらない。
まだ、身体の震えは止まらない。
でも、それでも。
いま、自分が何と言えば良いのかはわかっている。
「……ごめん、なさ、い」
声を絞り出すようにして、私は謝罪の言葉を口にする。
「……皆を、守れ、なく、て……、弱くて、ごめん、なさ、い」
弱くて皆を守れなかった私に善いことなんて起こる訳がない。
起こってはいけない。
だけどもし、こんな私に善いことが起こるとすればそれはきっと――。
強い誰かに手を引かれたときなんだろう。
いま私の両肩にのせられたこの温かい手の持ち主のような誰かに。
薄れゆく故郷を目に焼きつけながら、そう私は思った。
もう一月も終わりですね。どうも、久安です。
以下、疑問に思われた方向けの補足というか何というか。
「あれ、一日先の未来が視えるんだったら回避できたんじゃね?」的なことを思われた方いらっしゃると思います。私としてもその疑問は尤もだと思いますが、もし本当に自分に未来が視える力があったとしたら日常的に使わないと久安は思いました。
だって、毎日何が起こるか朝起きたら判ってるなんて生きてて面白くないでしょう? そう考えたからこそ「件の一族は普段自分から力を使わない」という言わば裏設定を作った訳です。
私の感覚が一般とかけ離れていたらごめんさい。ただ、ご納得頂ければ幸いです。
ダラダラと書きましたが次回更新予定です。
次回は2月2日 7時を予定しています。それではッ!!




