領主の乱心
ストラ=ユーストマット。それが俺たちのいるこの都市、ヴィンシブルを治める者の名だそうだ。
ニキーノの話によると彼女もまた魔物で、そのスキルは『最善選掴』。自身の保持する情報を統括し、そこから現状取り得る最善の行動を導き出すという類のものだ。
そして彼女のそのスキルのおかげでヴィンシブルは周辺の魔獣、盗賊などに上手く対処することができて――いたらしい。
「いたってことはいまはそうじゃねえってこと?」
「ああ、そうだよ。アンタもこの街と外とを繋ぐ門を通ってきたんならわかるだろ? 来るもの拒まずの精神に目覚めたのかは知らないけど、おかげでガラの悪い連中が増えちまってるのさ。そのうち魔獣も受入れちまいそうで怖いよ、アタシは」
ああ、街に入るとき特に調べられなかったのはそういう訳だったのか。裏世界ではあれが普通なのかと思ったよ。
「それに最近じゃ三日に一回は住民を城に集めてパーティーは開くし……、ああそういや今日も開催するってお触れが出てたね。はあ……、一体領主様はどうしたっていうのかね? 無駄金使う余裕なんてないのに」
ドメニコはそう言って浮かない顔でため息をつく。
「まあ、まだそこまで深刻な問題は起こってないがね。婆さんが心配してるとおり、時間の問題だろうなあ。いや困った困った」
「ニキーノさん、困ったようには見えないよ……」
「いやいや、イアちゃん。わしは本当に困っとるよ? 恐らくじゃが、昨日ラフィが余所者に絡まれたのも無関係ではないだろうしの。今度も二人が助けてくれるとは限らんじゃろう?」
確かにそうだ。たまたま俺とイアがいたから良かったものの、あれが大事件に繋がる可能性だってあったのだから。
「ニキーノさん。それで領主様がおかしくなったのはいつからなんだ?」
彼の話から考えるとやはり禍渦は城内にあるとみて間違いなさそうだ。領主がおかしくなったのは近くで禍渦の影響を受けているせいだろうしな。禍渦さえ壊せば時間はかかるかもしれないが元に戻すことも可能な筈だ。
「ううむ、一カ月と少し前くらいだったかの。その頃からストラ様に異常が見られるようになったんじゃが……」
「どうしたの、ニキーノさん?」
突然、言葉を詰まらせたニキーノを心配してイアがその顔を覗き込む。しかしニキーノは彼女に気づくこともなく、ブツブツと何事か呟いていた。
「いや……、おかしくなったという言葉は適切ではないような……。何と言うかあれは……」
「おーい、ニキーノさーん!!」
「ん? おお、スマン、スマン。それでもう他に聞きたいことはないかね、頼人君」
「ああ、これで十分だよ。ありがとね、ニキーノさん、ドメニコさん」
「こんな話で良いならいくらでも話してやるよ、どうせ他にすることもないんだから。――っともうこんな時間か。ラフィを起こしてくるから少し待ってな」
そう言ってドメニコは教会の中へと姿を消す。俺が見上げると空は既に赤く染まっており、闇の訪れが近いことをこの街に住む全ての者に知らせていた。
「……いまさらだけどさ、俺たちにベラベラと領主様のこと話しても良かったのか?」
「かっかっか、勿論さ。ラフィの恩人に親切にしても罰なんぞあたりゃあせんよ」
「でも、私たちだって言っちゃえば余所者なんだけどなあ。もしかしたら領主って人に悪さしちゃうかもしれないよ? 主に頼人が」
「そこは私たちって言っとこうぜ、イア」
あと、無意識だろうけど何か変態臭いからやめてください。
「なあに、君らはそんなことはしやせんよ。禍渦とやらを探しているだけなんじゃろう? その禍渦というものが何かは知らんが、ストラ様を元に戻してくれるなら、何だって構わんしの」
「なッ!?」
思わず間の抜けた声が飛び出す。しかし、そんなことを気にする余裕などない。
俺は裏世界に来てから誰かに禍渦について話した覚えはないし、ニキーノとはこの十数分の付き合いだ。
勿論こちらの人間が禍渦について知っている可能性もゼロではないが、仮にそうであったとしても俺とイアが禍渦を探しているということ、そしてそれを破壊することで領主が元に戻る可能性があることなどを知っている筈がない。
目の前の人の良さそうな老人が、急に未知の化物へと変貌する。橙に染まった幻想的な街の風景が不安で黒く押しつぶされていく。心の中で恐怖が頭をもたげるのを感じた俺はニキーノから距離を取りつつ、臨戦態勢に入ろうとして――
「あれ、ニキーノさん何で私たちが禍渦を探しているって知ってるの? あ、もしかして頼人が教えた?」
イアの声でずっこけた。
相も変わらず俺の相棒は緊張感の欠片もないな。
「いいや、頼人君はわしに禍渦が何なのかは何も教えとらんよ。わしが勝手に聞かせてもらっただけじゃ」
「? 喋ってないのに、聞いたの?」
地面に倒れ伏した状態の俺を放置したまま、イアはニキーノの言葉に小首を傾げる。
「ああ、頼人君の心の声をね。わしはサトリじゃからのう、もうあんまり力は強くないが人一人の心の声を聞くぐらいならわしのような老いぼれにも可能じゃて」
「サトリってあのサトリ?」
山奥に住み思っていることを全て見透かす妖怪。姿は人のようだとも猿のようだとも言われている……だったか? 昔龍平にそんな話を聞いたことがあるような気がする。まあ、アイツは年がら年中そんな話をしてきやがるからその全部を覚えている訳ではないけど。
「そう、その認識で合っとるよ。わしらサトリのスキルは『心申拾集』。言わずもがな、他人の心を読みとる力じゃ。耄碌しとらんかったら一キロ圏内の人の心全て覗けたんじゃが……。かっかっか、老いには叶わんのう」
………………えーっと、ニキーノには世話になったし、心を読まれてるのも承知で言うんだが。
「……悪趣味なスキルだな」
「……だよね」
「かっかっか、まったくじゃな!!」
「アンタ…………」
呵々大笑する老神父に冷たい視線を浴びせながら嘆息する。
「まあ、安心せい。わしとて自分が可愛いからの。頼人君たちのしようとすることに手出しする気はない、アドバイスとして口は出させてもらったがそれぐらいなら構わんじゃろう? 勿論婆さんやラフィに言う気もない。あの二人はわしと違って君らに干渉しそうだからのう」
「…………なら、良いか。とにかく口外しないでくれるってのは助かるよ」
神様曰く、バレたらバレたで構わないと言っていたが、俺はそうは思わないんでな。知らないままでもどっちの世界も上手く回っているんだし、下手に刺激を与える必要はない。混乱を招くだけだ。
「ありがとー、ニキーノさん」
「かっかっか、これでも神父じゃからな。昔から心申拾集で得た情報は心の奥底に仕舞っておくことにしてるんじゃよ。デリケートな悩みを持った迷える子羊もおるんでな。
おはよう、ラフィ。よく眠れたかい?」
ニキーノがそう言うと同時に教会の扉が解放される。そしてそこから現れたのはラフィルナとドメニコ。
「おふぁよう、おじーちゃん。うん、さっぱりしたよ」
「そりゃあ、良かった。さ、パーティーが始まる前に一旦家におかえり。今日わしらは行けんから二人と一緒に行くと良い」
「うん。わかった」
「頼人、イア。ラフィを頼んだよ」
「ん、ああ」
こちらにとっても城の中に怪しまれず入り込めるのはありがたい。刻一刻とタイムリミットが迫っていることを考えると今日このタイミングでしか城の中には入れないだろうからな。
「頼まれましたー!! 行こっ、ラフィルナ!!」
「ふぇっ!? 何で走るの? 何でイアは私の腕引っ張ってるのー!?」
そう言いつつイアと駆けだしていくラフィルナ。う~ん、あの子美咲と同じで流されやすいタイプだな。
「じゃ、俺もこのへんで」
「ああ、さようなら頼人君。暇があればまた寄っておくれ。婆さんと一緒に待っとるよ」
「約束はできないけど――なッ!?」
ニキーノのその言葉に頷こうとした瞬間、未知の力に俺はその身を引っ張られる。一体何が起こったのか確認する前に、犯人が声を響かせ俺の名を呼んだ。
「頼人―、早くー!! 巻きとっちゃうよー!?」
「ちょ、それだけは止めて!!」
そんな釣られた魚みたいに扱われるのは御免蒙る。背中に刺さったコードに高速で巻きとられる前にさっさとイアの所に行くとしよう。
そうして俺は振り返ることもせずに、闇に支配される前の街を駆けていった。
天原頼人とイア、そしてラフィルナの姿が見えなくなった後、ドメニコはおもむろに口を開いた。
「やれやれ、あの二人、害はなさそうだけどおかしな連中だったね、爺さん」
「かっかっか、そうかい? 今時珍しい真っ直ぐな目をした若もんだったと思うがなあ」
彼の場合その真っ直ぐさが問題なのだが。しかし、その言葉を飲み込み、老人は続ける。
「それにしても最近は来客が多いもんじゃな。わしらからしたら話相手が出来て嬉しいもんじゃが……」
「頼人もそうだけど、若い子の間で何か探し物するのが流行ってるのかね? ほら昨日も確か何か聞きに来てた子がいたろ?」
「ああ、そうじゃったな。金髪の可愛いお嬢ちゃんじゃったわい。名前は何といったかの……、いかんいかん忘れっぽくて困る。婆さんは覚えとるか?」
ニキーノのその問いにドメニコは首を横に振る。
「いいや。大体アタシは爺さんが話してるのを見ただけだから、よくは知らないね」
「ううむ……、何かスッキリせんのう」
「思い出せないなら諦めちまいな。そんなことより今日の夕飯はアンタの好きなエディバラの丸焼きだよ」
「マジでか、婆さん!! わし一人で食べちまっても良い!?」
「じゃあアタシは何を食べろって言うんだい……。食べ終わったら懺悔室を開けるからね。今日もご近所さんの相談ごとに乗ってやんな」
はしゃぎながら教会の中へと引っ込むニキーノを、ドメニコは苦笑まじりに眺めていた。
今日もヴィンシブルの一日が終わりを迎えようとしている。
そしてこの街での禍渦譚も。
そろそろ終盤である。