譲り受けたる力の名は
暗い。
何処も彼処も真っ暗だ。
目を閉じている訳でもないのに一筋の光さえ感じることが出来ないとは。
おかしなことはそれだけではない。
周囲には明かりも目印もないというのにどうして自分が進むべき方向が分かるというのか。そのおかしさを理解していながらも俺は手探りで進んでいく。
方向が分かっているといっても何も見えないということは中々怖いものだ。深緋はこんな世界で生きてきたのかと思うと同情ではなく、感心してしまう。
そしてそんな世界で生きてきたからこそ、あんなにも目を輝かせて世界を見るのだろう。満月と同調している間しか目にすることのできない世界を愛おしく眺めるのだろう。
『……ちょーっとはしゃぎすぎだけどな』
それにあの人の心を抉るような発言は生来のモノに違いない。未だそれ程深い付き合いがあるわけではないが何故かそれだけは確信を持って言えた。
『――――ん?』
深緋の毒をどうやったらもう少しライトにできるかを考えながら進んでいると、俺の手が何やら柔らかいモノを掴む。
突き当りか?
初めはそう思ったがどうやらそういう訳でもなさそうだ。壁にしては温かいし、もう片方の手で暗闇をまさぐるとその手は更に奥へと進む。そして手を引き戻す際に右手で掴んでいるモノとは別の柔らかいものに触れるが、その正体は分からない。
分かったことといえばいま俺が触れているものは壁ではなく、この場所に立てられた像かなにかだということだ。
両手でペタペタとソレを触り、それが人型をしているということ。また、スカートらしいものを穿いているということも分かった。
『……女の銅像か何かか? にしても何でこんなとこに――』
『かっか、思う存分堪能したかの?』
『――!?』
突如光のもとに晒される空間。
そして喋り出す銅像。
その二つの衝撃に俺は一瞬たじろぎ目を瞑るが、耳に届けられたババア口調にまさか、という思いを抱きつつもゆっくりと瞼を開ける。
『中々に良いカラダじゃろ? 妾はスタイルには結構自信があるのじゃ』
俺の視界に現れた悪戯っぽく笑うその女は紛れもなく先ほど異常禍渦に喰われた彼女。
『フィオレンザ?』
馬鹿みたいに目を丸くしてそう問いかける。すると彼女は俺がはっきりと覚えているあの尊大な態度で、
『うむ』
そう満足げに頷いた。
『オオ、オマエ何で生きて……ッ、何でここに!?』
『かっかっか、良い反応じゃのう。それでこそ演出に力を入れた甲斐があったというものじゃ』
『演出ってオマエ、貞子のことか、コラァ!?』
彼女のその言葉を聞いて全ての疑問が頭から吹っ飛び、怒りがこみ上げる。
『おお、楽しんでくれたかの?』
『楽しめるかぁぁ!! 完全に出演者になる覚悟決めてたからな、俺!? 竜司になる覚悟決めてたからな!?』
『男らしくてなにより。ならば妾は玲子役を所望しよう』
『違うね、いいとこ智子だね!! 物語開始早々に退場しろや!!』
『なんじゃと!? むむむ、せめて舞で手を打たんか? ああ、でも「らせ○」では酷い目に遭うか……』
『詳しいな、オイ!! つーか何で、表の世界の小説に堪能なんだ、オマエ!?』
『いや、昔あの洞窟で見つけたんじゃよ。どうにかこうにかして翻訳したら表のモノだということがわかっての。腐るほど読み返したものじゃ』
『何でそんなとこにあったのかとか、聞きたいことは山ほどあるけど、よくあんな薄気味悪ィとこで読めたな……』
『なに、自分で言うのもあれじゃが、妾はそこそこ肝が据わっておる。並大抵のことでは驚かんよ』
『そうか、それは良かった。……………………そのシリーズ新作が出たんだよなあ』
『ええぇぇぇええええええ、ウソォォオオオオオオ!?』
『こっちが驚くほど簡単に驚いてんじゃねえか!! オマエの肝は据わってなんかいねえよ、グラッグラだよ!!』
『お、おのれ、謀りおったな……。前言撤回じゃ!! 男らしくなどない、貴様など精々が田力らしい程度よ!!』
『田力ってなんだ!?』
名前だけ聞くと農民が持ってそうな力だな、それ。この不作を乗り越えるためには禁断の力、田力を使うしか……、みたいな。
『ほれ、あの妾が五歳のときに隣に住んでた、あの――』
『知らねえよ!! 田力くんがどんな男だったのか俺は知らねえよ、知る由もねえよ!!』
というか人の名前なのか。
『一言で言えばちょっぴり助平じゃったのう。合法的に風呂場を覗こうとして局部を切り落そうとしたのは忘れられん』
『本末転倒だが男らしいじゃねえか、田力くん!!』
エロの為にそこまで身体を張ることが出来るとはまさに男の中の男。真似するつもりは毛頭ないが、君のことは生涯忘れまい。
『と、まあそんな下らぬ話はこれまでにして……、のう頼人よ』
『何だ?』
『貴様はいつまで妾の乳を揉み拉くつもりなのじゃ?』
『いやあ、あっはっは』
ううむ、平然としていたらもしかしたらバレないかと思っていたのだがそんなことはなかったぜ。
『まったく……、良い思いをさせてやろうと掴ませたらまさか長々と揉まれるとは思わなんだ。まあ、別に減るものではないから構わんが』
『大らかだな。腕へし折られるかもとか思ってたんだが』
『貴様は妾を何だと思っておるのじゃ。妾はフィオレンザ・ヴァリエールじゃぞ? 乳袋を揉まれたくらいでごちゃごちゃぬかすような小さな器は持っとらんわ』
『おい、やめろ。乳袋とか言うな。全世界の男を萎えさせるような発言をするな』
『ここに来てから一番の真面目ヅラをここで使うか……、どうしようもないのう、頼人は』
かっか、と。
軽く笑い声を上げるとフィオレンザは仕切り直しと言わんばかりに真面目な表情でこちらを見た。
『さて、楽しいお喋りはここで終わりじゃ。そろそろ本題に入ろうぞ。このまま帰られては妾が頼人をここに呼んだ意味がなくなるしの。何もないところじゃが、ま、座るが良い』
御社のような真白い空間の中、自慢の黒髪を撫でつけながらぺたりと尻を床につけ胡坐をかく。それに俺も倣い、対面するように座りこむ。
『それにしても頼人よ。妾に会えたこと、意外に驚かんのじゃな』
『いや、驚いてたろ』
そりゃもうバッチリと。
『禍渦に喰われてとっくに消化されたもんだと思ってたからな』
『じゃろうのう。ただ、それでも順応するのが早すぎるぞ。どうやって貴様は幾千、幾万の情報の中からここを選んだのか疑問に思わなかった訳ではあるまいに』
それはそうなんだが、いるもんはしょうがねえ。幻覚ならそれが嘘だと、偽物だとわかるが、いま俺の目の前にいるフィオレンザは間違いなく本物なのだから。
『はいはい、じゃあ教えてくれよ。どうやってオマエは俺を導いたんだ?』
『……何やら腹の立つ言い方じゃが、まあ良かろ。簡潔に言えば「血」じゃよ。ほれ、妾が喰われる前、貴様に血を飲ませたじゃろ? 微量であろうとも妾の一部を身体に宿しておれば互いに引き合うものなのじゃ』
ああ……、あれただの嫌がらせだと思ってたよ。口に指突っ込むとかどんだけ俺のこと嫌いなんだよとか思ってたよ。
『ん? 待て待て。つーことは何か? オマエはこうなることを予測していたってことか?』
『かっかっか、流石の妾もそんな見透かすようなことはできんよ。あれはただの「置き土産」のつもりじゃった。頼人がここに来ると分かっておったなら、必要なかったことじゃからのう。まあ、血を飲んでなければここには来られなかった訳じゃから、あながち無駄ではなかったがの』
置き土産?
それはどういう意味だと俺が問いかける前にフィオレンザは言葉を続ける。
『ちなみに妾が未だ消化されず自我を保っておるのは禍渦と魔物の混成体だからと考えておる。ああ、いや理由はどうでも良いのじゃ。無防備に禍渦の情報の渦に飛び込んだ馬鹿者を助けられたという結果があれば良い』
『ああ?』
『やはり気づいておらんかったか……。貴様、まだまだ大丈夫だと思っておったじゃろ? あのまま渦の中心にいればものの数十秒で消滅しておったぞ?』
『……マジで?』
フィオレンザの声が初めて少し怒気を孕ませていたことからも俺がどれほど危険な場所に身を置いていたのかが窺える。
『まったく、貴様は……。この禍渦の核の破壊方法を探しに来たというのに自分が死んでは元も子もなかろうて』
『その口ぶり……、まさか知ってんのか!?』
『そんなもん知らん』
こ・の、ババアと孫は!! 似すぎだろ、色々と!!
『頼人も見たじゃろう? これだけゴチャゴチャ混ぜこぜになっとるんじゃ。他の喰われた禍渦どもは自分が何だったのかなんてこと、とうに忘れてしまっとる。謂れも、死の原因も。ここで必死に真っ当な破壊方法を探したところで無駄骨じゃろうの』
『なら、どうしろってんだよ……?』
もし、フィオレンザの言う通り弱点がないのであれば手の打ちようがない。何か手がかりがあると思ってここまで来たというのに……。
『この禍渦の謂れは知らん。壊し方も知らん。だから妾が頼人に出来るのは力を与えてやることだけじゃ。そもそもそのつもりでここに呼んだのじゃから』
肩を落とす俺の手をぎゅっと握り、彼女は目を真っ直ぐ見据える。
『「置き土産」だけで十分かとも思ったが、コレ相手では心許ない。余すところなく持って行くが良い。ただ、心して使うのじゃぞ?』
『? 何を?』
『良いから聞け。貴様がここから出ればすぐに妾は消える。吸収に邪魔な異物が無くなるからの、コレも本格的に動き出すじゃろう。気をつけることじゃ』
『いや、だから何を……』
『じゃから聞けと言うに。――「それ」は長らく妾のものじゃったからしばらく慣れんかもしれん。いつまで保つかもわからん。それでも貴様を守ってはくれる筈じゃ。いや守ってみせようぞ』
手を握る彼女の手に力がこもる。また、いままで気づかなかったが空間を照らす光が徐々に弱まってきていた。
『……そろそろ時間じゃの。馬鹿な話をしていたらあっという間じゃったわ。かっか、まああの世への土産話としては新鮮で良いかもしれん。では――』
にかっと破顔すると、それまで頑なに離そうとしなかった俺の手をあっさりと離す。
そして――。
『また会おう、などとは言わんぞ。――さらばじゃ、我が友よ』
その笑顔を崩すことなくフィオレンザは空間を覆う暗闇の中へと溶けていった。
彼女らしく堂々と、何も惜しむことなく前を向いて。
『フィオ――』
彼女の名を呼ぼうと、その手を掴もうとするが、俺の身体は彼女が闇に呑まれると同時に後方へと見えない力で引き寄せられていた。
『イアか……!?』
どうやら限界時間が来たらしい。若しくは持ちこたえられなくなったか。
どちらにせよイアがコードを切断する以上、俺はもうここにはいられない。
『…………じゃあな、フィオレンザ』
届くことのない別れの言葉を口にする。俺に明確な殺意を抱かせなかった初めての禍渦に対して、少々の名残惜しさを含ませながら。
「っ、もう限界!!」
思わず口に出して叫んでしまう。禍渦の情報を探している頼人の為にももう少し踏ん張ってあげたいところだけれど、流石にこれ以上は無理だ。
八本のコード全てを禍渦に接続していることを言い訳にしたくはないが、実際そのせいで私の行動可能範囲は大幅に小さくなっている。勿論接続中とはいえコードは伸縮することは可能だが、コード同士、また触手と絡まらないよう動かなければならないのであまり無茶な動きができないのだ。
「痛ゥ……ッ!!」
しなる触手を両腕で押さえ、何とか身体への直撃を避ける。しかし代わりに両腕は軋みを上げ、二度目はないことを訴えてくる。
負傷はこれだけではない。裂創、擦過傷、挫傷と、私の身体は怪我のオンパレード。幸いにして骨折はないし、臓器が傷んだ気配もないが、それでも痛いものは痛い。
また、リーンハルトに動きはない。禍渦と私の距離が近すぎて力を使えないのか、私が動き回っているから狙いが定まらないのか、それともガス欠か。どちらにせよ現時点で彼からの援護を期待することはできないようだ。
「…………あれ?」
と、呆けた声とともに必死に回避に徹してきた私の脚がようやく止まる。しかし、止まったのは私だけではない。先程まで四十本以上の数の触手を振り回していた禍渦の動きも止まったのだ。
完全なる静止。
禍渦の本体は岩のように動かず。
そこから伸びる触手は大樹のように風に揺らぎもしない。
「一体どうなって……」
そこまで言いかけて口を噤む。そして一息入れる間もなく後ろに跳んだのはほぼ直感によるものだった。
さっきよりも状況は良い筈なのに。
あれだけ暴れていた禍渦も大人しくなったのに。
どうして首元に刃物を押し付けられているような錯覚に陥るのだろう?
「――ッハァ、ハァ」
思わず首元を震える指でなぞる。
大丈夫、ちゃんと繋がってる。私の首と胴体は未だ仲睦まじく互いにひっついたまま。きっと、いまのは私が過敏に反応してしまっただけだろう。
いけない、いけない。辺りもやけに暗くなってきたみたいだし、いくら同調中は暗闇に対応できるとはいえちゃんと相手の動きを見ておかないと――って暗闇?
もう日付は変わってこれ以上闇が深くなることなんてない筈なのに?
「イア君!! 後ろだ!!」
私が異変を感じた頃、遥か後方でこれまで沈黙を守ってきたリーンハルトが叫ぶ。その声に反応して振り返ると、そこには構築されつつある巨大な壁。
その壁は全ての触手の先端へと繋がっており、私に気づかれないように私とリーンハルトとを分断するつもりらしい。そして腹の立つことにその策略は見事に成功した。
前方には禍渦の本体。
後方には触手で形成された壁。
左右ももうほぼ封じられており、いまから脱出は不可能。
反応するのが遅かったということもあるが、壁を形成する時間は数秒だった上に何よりコードを回収するのに手間取っていたからだ。無事コードと頼人は回収したものの、頼人が禍渦のかなり深い部分まで探っていたせいで彼の意識が戻るのにはまだ時間がかかる。
つまり、この状況を私一人で打破しなければならないということだ。
「うわ……」
それだけでも最悪なのに更に状況は悪化する。後方及び左右に形成された壁が徐々に私を押しつぶそうと迫ってきているのだ。
取り込まれる恐れはないだろうが、あれ程の質量を持った影を受け止めることなど流石に出来ない。触手の一本でもあれだけ苦労したんだから。
そんな私の焦燥など知ったことではないのか、野球に使われるグラウンドのダイヤモンドほどの大きさだった包囲網は縮小速度を徐々に上げ、既にキャンプ用テント程度の大きさしかない。
「頼人ッ、ねえ、どうしよう!?」
彼からの返事はない。
ああ、まただ。ダメだと思っていてもどうしても最後には頼人を頼ってしまう。
私の悪癖。自分が人間ではなく、判断を放り投げてしまう造り物である証。
だが、いまは自己嫌悪に陥る時間すら惜しい。どうにかしてこの壁を突破しなければ私もろとも頼人も死んでしまう。
「――ひゃッ!?」
出来るかどうかは分からないが、いっそコードで無理矢理抉じ開けてやろうかと思ったのも束の間。私のその無謀な考えはリーンハルトによって却下される。
突如、私の背後の壁に開いた穴。その穴は人一人が余裕で通れるほどの大きさで綺麗な長方形の形に切り取られていた。これは間違いなくリーンハルトの簡易門の力。これまで手を出してこなかったが、流石に一人で脱出するのは困難だと判断したのだろう、ありがたいことに脱出路を作り出してくれた。
何の躊躇もなく、というか躊躇などしている暇もなく私はその穴から転がり出る。
危なかった……、あと少しで本当にぺしゃんこになってしまうところだった……。
そうして確実に迫っていた死の恐怖に若干身震いしながら、未だ収縮を続ける禍渦から更に離れようとしたとき――。
「それ」は起こった。
身体を十分縮め切った禍渦はまるでバネの原理を利用したとでも言わんばかりに。蠕動を続ける身体からとんでもない勢いで、全方位に向かって鋭い針を伸ばす。
決して油断していた訳ではない。寧ろ死の恐怖からより一層警戒心は強まっていた筈だ。にも関わらず収縮を終えた禍渦から私を突き殺そうと伸びる幾千、幾万、幾億の針を避け切れなかったのは、単純に速さの問題。
こちらがその針を視認し。
それを危険だと判断し。
防御、もしくは回避しようと行動するそのコンマ三秒の僅かな時間で、既に回避不可能な位置にまで侵入されている。
リーンハルトは恐らく大丈夫だろう。元々かなり遠くにいたし、最悪簡易門で自分を移動させれば済む。ただ、私を助ける間などない。
彼が私を簡易門で移動させる時間的余裕があるならば、自分で壁なり何なりを具現化してどうにかしている。そして現実、そんな時間はないのだ。
この状況下ではノータイムで身を守れなければどうにもならない。
咄嗟に構えた刀を粉々にし、私の全身目がけて直進する針の群れ。それを見て、もう自分に手がないことを悟る。
――頼人、ゴメン。私……。
パートナーに謝罪の言葉を口に出させてもくれない、その刹那。
『『禁世端境』』
待ち望んでいた彼の声が、頭の中で力強く響いた。
湯葉の美味さに最近目覚めました。どうも、久安です。
シリアス百パーセントにしようかとも思いましたが、フィオレンザにはそんな湿っぽい感じは似合わないと思い急遽変更。やっぱり笑って逝く方が彼女らしい。
さあ、次回からよっくん無双と言いたいところですがそんなに甘くはないのです。若いうちは精々苦戦するが良いわ!!
という訳で次回更新は1月23日 7時です。多分次回更新で連投は一旦ストップです。ご了承くださいませ。




