reinforcements
ジェヴォルダンを覆う『禁世端境』が粉々に破壊された頃、村の付近の丘には一つの人影とその周りを飛び跳ねる一匹の獣の姿があった。
一方はその褐色の肌を襤褸切れで覆い、頭の天辺で雑に纏めた黒髪を靡かせ薄紫の双眸で結界が壊れる様を所在無げに眺めている。
そしてもう一方、見事な虎縞をその身に宿した猫はといえば相方の周りをぴょんぴょんと飛び跳ね、何やら催促しているようだ。
「ほらほら、やっとあの面倒な結界が無くなったよ!! ボク、ああいや、私たちも行かないと!!」
一般常識として猫は人語を解さない筈であるが、人影が驚くことはない。その人物は口を利くのも面倒そうではあったが、最終的にはボソリと呟くように答えを返した。
「……それ、私、の、仕事、違、う」
口まで覆われた襤褸切れの向こう側で、もごもごと口を動かすその小柄な少女はトラネコにそう返すと再びジェヴォルダンへとその瞳を向ける。
その薄紫の瞳は螢火の光に照らされ眩い輝きを放っていたが、その輝きを台無しにしているのは眼の下に刻まれた濃い隈。
それは不眠によるものか、疲労によるものか。それともその両方か。何も語らぬ少女から答えを得ることはまず不可能といえる。
「……あっれー、もしかして言われたことしかしないつもり?」
恐る恐る尋ねるトラネコに彼女は首を縦に振ることで肯定する。
「きゃっほー、こんなにやる気のないマスターに当たるとか私、ああいや、ボクってカワイソー」
「……喜んで、る?」
「喜んでないよ!! 寧ろ憤ってるよ!! そしてこの憤りを何処にぶつけたら良いのか皆目見当もつかなくて更に憤ってるよ!!」
「……そ」
「ひゃっほう、マイマスターったら平常運転カッコイー、――と褒めたようにみせかけての猫パーンチ!!」
「……ガー、ド」
「はぅあッ!! 肉球をふにふにするのは反則、はんそーく!! 一発退場だよ!!」
「…………」
「ああッ!! 冗談、冗談だからそんなシュンとしないでよ!! もう、未だにボク、ああいや、私はマスターのことがイマイチ分からないよ」
「……まだ、三日、目」
「あっはー、日にちなんて関係ないよーう。同調しちゃえば人柄なんてわかっちゃうもん。ズバリ、マスターは根暗で人見知り!!」
「…………」
「今度は本心だから存分に落ち込むが良いやーって、イヤーッ!! 尻尾引っ張らないでー!! 取れるからーッ!! イ○ヨーみたいに容易く取れちゃうからーッ!!」
「……罰」
「キッツー!! 罰キッツー!!」
バタバタと暴れるトラネコを片手に掴み、少女はすっくと立ち上がる。その身体は表世界であれば小学生と見間違う程の小ささであったが、そこから発せられる威圧感は尋常ならざるもの。
そのプレッシャーを感じ取ってか、散々軽口を叩いていたトラネコも神妙な面持ちでそれに応える。
「マスター気づいた? アイツどうやらジェヴォルダンの中に入っていくみたいだよ。取り敢えず作戦は成功ってことみたいだけど、それでもマスターはここから動かないの?」
「…………ん」
いつもより長い沈黙の後、再び短い返事で己の意思を示す。少女の両足は頑なにその場から動かない。動かそうとしない。
「……、仕事、は、印、上がってか、ら」
「うーん、そこまで神経質にならなくても良いと思うけど……。だってアレはマスターの――」
「良、い」
褐色の少女は間髪入れずに否定し、掴んでいた尻尾を放す。再び自由を得たトラネコはひらりと地面に着地すると傍らに立つ少女を見上げた。
「……私、パーントゥ、を、そんなこと、に、使わな、い」
パーントゥ。そう呼ばれた獣はくすぐったそうに身体を震わせ、左右で異なる、グリーンとブルーの瞳で主を見つめる。
「優しいね、マスターは。だから私、ああいや、ボクはマスターが好きだよ」
「……そ」
「ご飯がもっと美味しいモノになればもっと好きになるんだけどなー」
「……それは、無、理」
「あっはー、だよねー。でもいい加減あの得体の知れない魚みたいなの食べたくないんだけど? 何、あれ? 何でお肉紫色なの?」
「……エディバラ、は、別名、腐、魚」
「きゃっほう、出会って三日目にして自分が食べていたのが腐った魚だってことがわかったぞー。えぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼッ!!」
「……パーントゥ、汚、い」
「人に、いや猫にとんでもないモノ食わせといてそれはなくない!?」
「……エディバラ、は、生、だと、不味、い」
「……ちなみに適切な処理を施したのち、調理すると?」
「…………」
想像したのか、何処かの誰かのパートナーに負けず劣らず、少女の口からは滝のような涎が流れ出ていた。
「マ、マスターが!! あのとんでもなく無表情で根暗なマスターが涎を垂らして微笑んでいるだとぅ!?」
「……垂らして、な、い」
「いやいや、垂らしてるよ!? ほら、その身体に巻いてる布もびっちゃびちゃじゃん!! いくら何でもこれはヒド――ひぃいいい、ごめんなさい、ごめんなさい!! 謝るから抱きしめようとしな、あああああああああああああああああああああああああああッ!!」
涎塗れの襤褸切れ越しに抱きつかれたパーントゥは薄れゆく意識の中でその自慢の柔らかな毛が死んでいくのを感じていた。
ピクリとも身体を動かさなくなった相方を見、流石に心配になったのか少女はパシパシとトラネコの頬を叩く。
「……起き、て」
「……ハッ!? ボク、ああいや、私は一体?」
「……勝手、に、気絶、してた、だ、け」
「ああ、そうなんだ――って違いますぅー!! マスターのくっさい涎で意識飛ばされたんですぅー!!」
素早く体勢を整えると、少女の手の届かないところにまで離脱するパーントゥ。その判断は的確だったようで、迫りくる少女の抱擁から逃れることに成功していた。
「……パーントゥ、酷、い」
「どっちがだよう!! 自慢の毛をヨッレヨレのクッサクサにされたんだからこれくらいの悪ふざけは許される筈だよ!!」
「……審議中」
「おおぅ、脳内会議をリアルでやる人初めて見たよ……。あれかな? もしかして一休さんもポクポクやってる間頭の中で小さい一休さんが会議してたのかなあ」
そんな下らないことに思いを馳せるパーントゥの隣で眼を瞑り、考え込む少女。そして三十分後――。
「……判決」
「お、やっと出た? 待ちかねた、待ちかねた。さっきからドンパチ五月蠅くってさあ……」
丸くなっていたトラネコは立ちあがり、少女から少し離れた場所で静かにその決を待つ。ただそれなりに警戒はしているようで、いつでも逃げられよう準備していた。
少女は感情のない瞳でトラネコを一瞥し、そして、
「……無罪」
そう判決を言い渡した。
「……ふぅー、やれやれ。ようやく落ち着けるや」
安堵の息をつくとパーントゥは軽快な足取りで少女へ近寄って行く。どうやら三十分という無言の時間はそれなりに苦痛だったらしい。
しかし、彼の、いや彼女のか。何にせよこのトラネコが味わう本当の苦痛はこれからだった。
「ひょぅあッ!?」
首根っこを掴まれ、軽々と持ち上げられる。最早トラネコに逃げる術はない。
「ちょッ、無罪は何処行ったーッ!?」
「……行方不明、につき、有罪」
「ひゅう!! 横暴とかそんなレベルじゃないね、それ!! 私、ああいや、ボクのプリティーな髭を引っ張るのは止めてよ!!」
「……却下」
そう言って容赦なく髭を引っ張る少女。しかし、それも数秒の間だけ。その瞳は既にパーントゥではなく、空に輝くピンク色の何かを見上げていた。
「あいやー、やっぱり撃ちあがったね。ほら、これでもうマスターの手足を縛るモノはなくなったよ?」
同じようにその何かを呆れながら見つめるトラネコはそんな言葉を口にする。これで思う存分やれるだろう? と問いかける。
「……ん」
小さく頷いた少女だったがトラネコの首根っこから手を放すことはなく、もう片方の腕を獣の口元に差し出す。
「じゃあ行こう、マイマスター。彼らを助けに、仇を討ちに。善いことしに行くんだから善いこと一つくらいあっても良い筈さ」
「…………」
その声に返事はない。少女の瞳はただジェヴォルダンを、向かうべき先を見据えるのみ。そしてそんなことはトラネコも承知の上だったのか気にする様子もなく少女の細腕へと牙を突き立てる。
瞬間、橙の柔らかな光が生まれる。螢火の光を取り込み、その存在感を更に濃く、明確なものにしていく。
そうして橙の光が治まったころには既にその場に少女もトラネコもおらず、地面に謎めいた渦巻き模様があるだけだった。
雪、関西は降りませんでしたね。どうも久安です。
一日早くお届け出来たことに自分自身驚いております。――が連絡に気づかなかった方がもし居られたらすいません、こちらの不手際です。今後はそも更新日変更がないよう気をつけます。
さて『善因善果フェイタリティ』が始まりました。……としかいまは言えることはありませんが、予想通り戦闘だらけになりますとだけお伝え致します。
次回更新は1月18日 7時を予定しています。




