仮宿問答
「おかわりっ!!」
「う、うん」
イアの補給要請を受けて素直にテーブルと台所と思しき場所を往復する翼の少女。この光景をもう何度見たことか。確かいまので四回目だったと記憶しているが途中から気分が悪くなって数えるのを止めてしまったので合っているかは分からないが。
状況を説明すると俺とイアは助けた少女の家に転がり込んで食事を振る舞われている。案内された彼女の石造りの家はやや冷たい印象を与えたが、俺たちの心が温まっていることは言うまでもないだろう。
それにしてもこちらの食料も表世界と違いがなくて助かったと言わざるを得ない。芋虫みたいなモノを遣った料理を出されたらどうしようかと思ったぜ。
「……イア、まだ食うのか?」
「ふぁって、ふぁべふぇるほきにふぁべふぇおふぁないふぉ」
「………………口の中のモン飲みこんでからもう一回頼む」
そしてこっちに飛ばさないでください、お願いだから。
「だって、食べれるときに食べておかないと。次いつ食べれるかわからないでしょ?」
口の中のモノを水で流し込んだイアが再び口を開く。
まあ、確かにそうなんだが、それにしても食い過ぎだろう。……言ってる傍からまたおかわりしようとするし。
「悪い、ラフィルナ。この調子じゃコイツ、この家の食料全部食っちまいそうだ」
「大丈夫だよ、いつも食べきれなくて困ってたから。イアが食べてくれるならその方が良いと思うし」
俺たちが助け、俺たちを助けてくれた目の前の少女、ラフィルナはそう言ってこちらを見上げ微笑みかけてくる。
「そう言ってくれると、救われるよ。でも『いつも』っていうのはどういうことだ?」
「それは――」
ラフィルナが答える前に、俺の質問はその意味を失う。というのも彼女の家を訪れた人物がその答えを引っ提げて来てくれたからだ。
「ラフィ、いるかい?」
ラフィルナの家の扉をノックする音と共に優しく彼女の名を呼ぶ声がする。その声を聞くと彼女は大きく返事をしながら扉へと駆けていく。
「はーい、ちょっと待って、おばーちゃん!!」
「おばーちゃん?」
ラフィルナが扉を開けるとそこに立っていたのは一人の老婆だった。それ自体は特に珍しい光景ではないのだが、少女の背中に翼が生えていたり、老婆の額に一本角が生えているだけで何とも奇妙なものへと変貌する。
何かシュールだ……。
「うんうん、今日もラフィは元気だね。ほらこれ、こないだのお礼にリンゴを持ってきたんだ。良かったら食べておくれ」
「わあ、ありがとう。でもいつもこんなに貰っちゃって良いの? 何だか悪いよ……」
「良いんだよ、そんなこと気にしなくて。世話になってる孫に小遣いあげるようなものさ。……ん、誰だいアンタたち?」
「こ、こんばんは、俺たちは、ええっと……」
何て言ったら良いんだろうな?
恩人か? いや俺たちにとっての恩人だけど。
「怖い人から私を助けてくれたの」
「おお、そうかい!! アンタたち、ラフィを守ってくれてありがとうね。アタシはドメニコ。この子の婆ちゃんみたいなものさ。まあ、この辺に住んでる爺婆は皆そう言うんだけどね」
ドメニコと名乗る老婆はそう笑うと、再びラフィルナに向き直り、その小柄な少女を抱きしめる。
「ラフィ、お前もちゃんとお礼をするんだよ? 人の好意に甘えるだけのヤツになっちゃあいけないからね」
「わかってるよ、おばーちゃん」
照れながらもラフィルナはドメニコの抱擁を拒む様子はない。俺はそれを見て、心が温かくなるのを感じた。
いいな、やっぱりこういうの。俺にはもう親も爺ちゃんも婆ちゃんもいないけど不思議と妬ましいという感情はない。勿論少しは羨ましくはあったけど。
「さあ、もう夜も遅い。ラフィあったかくして寝るんだよ?」
「うん、おばーちゃんもね」
「ああ、勿論さ。また風邪なんか引いてラフィの世話になるのも悪いしねえ。それじゃおやすみラフィ、良い夢を」
ドメニコがそう言って出ていった後、ラフィルナはリンゴの入った袋を抱えてこちらにヨタヨタと歩いてきた。
その様子があまりに頼りなかったため、援護に向かうことにした。
「何処に置けば良いんだ?」
ヒョイと袋を持ちあげ、ラフィルナに問いかける。
「あ、ありがと。じゃあそこの棚に入れておいてくれる?」
「あいよ、了解」
指定された棚へと袋を格納する。そこには他にもオレンジやグレープフルーツなどの果物が所狭しと並べられており、柑橘系の果物特有の爽やかな香りが鼻を突いた。
「成程ね……。ああやって食べ物をくれる人がたくさんいるってことか。それにしても世話ってなんだ? 爺さん婆さん連中の話相手にでもなってるのか?」
「あはは、違うよ。一緒にお話しするだけでこんなに貰ってたら私、自分のこと嫌いになっちゃうし。ドメニコおばーちゃんが言ってたのは私のスキルの世話になってるってことだ」
「スキル?」
「うん、ヨリトだって持ってるでしょ? 魔物が持ってる固有スキル」
……言っている意味はよくわからないが、どうやら俺も同類だと思われていたらしい。表世界にはいない、つまりラフィルナのように翼の生えた、ドメニコのように角の生えた生き物を指して魔物と言っているのだろうが……。
「あ~、いや俺は人間なんだけど」
仕方なく俺はそう白状する。どうせ黙っていてもいずれバレるだろうし、それに何より嘘をつくのは嫌だ。
さて、この告白でラフィルナはどう出るのだろう? この裏世界で人間がどのような立場にいるのかわからない以上、可能性は無限大である。
怖がられるか。
忌まれるか。
憎まれるか。
しかし、ラフィルナの反応はそのどれでもなかった。
「あ、そうだったんだ? てっきりヨリトも魔物だとばっかり思ってたよ」
彼女はやや驚いてはいるが、俺が人間だからといってどうこうするつもりはないらしい。
その様子にホッとするとともに好奇心が首をもたげ始めるのを感じた。
「実は俺とイアはこれまで魔物に会ったことがなくてさ。いまいち魔物のこととか知らないんだけど、少し教えてくれないか?」
「いいけど……。イアはほっといて良いの?」
「お腹一杯になったら直ぐに爆睡する子のことなんて知りません」
俺のその言葉が示す通り、イアはテーブルに突っ伏して、スプーンを握ったままスヤスヤと眠っていた。さっきから静かだと思ってたら、さてはドメニコ婆さんが来る前から寝てやがったな、オマエ?
「あはは。そうだね」
ラフィルナは無邪気にそう笑いながら空いている椅子に座り、俺にも座るよう促してくる。こういった気配りが出来るあたり、イアとは違うなあと思わされる。まあ、実際問題として二人の年は七、八年差があるのだが。
「じゃあ、まず何から知りたい? 私も全部知ってる訳じゃないし、上手く答えられるかもわからないけど」
「そうだな……そもそも人間と魔物ってどれくらいいるんだ?」
「そんなことから!? はぁ~、ヨリトたちってよっぽど遠くの田舎から来たんだね……。あ、ごめん、別に馬鹿にしてる訳じゃないんだけど」
「いや、いいさ。無知なのは本当だからな」
申し訳なさそうにこちらを見るラフィルナに手を振って問題ないことを伝えると彼女は安心したようで話を始めた。
「ええっと、最近の正確な数っていうのは誰も調べたことがないからわからないんだけど、大体の比率なら人間が七、魔物が三ってところかな」
「ふうん、人間の方が多いんだな。この都市を見るとまあ、納得だが」
「え? この街に人間なんて数えるほどしかいないよ? 多分ヨリトが見たのは人型の魔物だよ。パッと見じゃ大してわかんないし」
じゃあ、あの門兵もコルンとドッペルも実は魔物だったということか。完全に思い違いをしていた訳だ。
「それにここは元魔領――つまり元々魔物だけが暮らしていた場所だし、まだあんまり人間でここに移り住もうと思う人は少ないんだよ」
「ん? ということは魔物と人間ってそんなに仲良くないのか?」
俺のその疑問にラフィルナは首を横に振ることで答える。
「ううん、いまはそんなことはないよ。ここはただの人間が環境的に暮らしにくいってだけ。でも魔領とかに分かれてた時代は酷かったみたい。三百年くらい前だったかな? 『無境王』って人が人間と魔物の両方の王さまになってから仲良くなったんだ。……他に何か聞きたいことある?」
「ああ、そうそうスキルってのは何なんだ? さっきラフィルナが言ってたろ? 固有スキルが何とか……」
「う~ん、何っていってもなあ……。言葉通りの意味だし。魔物っていうのはね、種族ごとにそれぞれ一つ力を持ってるの。私だったら『心癒福音』っていう癒しの力。ほら、さっきおばーちゃんがいつも世話になってるって言ってたでしょ? あれはいつもおばーちゃんの腰痛を治してるからだよ」
「へえ、羨ましい。ちなみにさっきの婆さんのスキルは?」
俺がそう問うとラフィルナはさっと目を逸らし
「……『心中刺突』。詳しくは教えてくれなかったけど、相手を確実に仕留めるものだって」
「おっかねえな、あの婆さん!!」
いくら何でも物騒すぎる。
「狙った獲物は逃がさない……。貴方のハートを一撃必殺、マジカルドメニコ!! ってこないだ言ってたよ。まあ個体によって力の大きさは違うから一撃必殺とはいかないとは思うけど」
「……………………」
あ、ヤバイ。あの婆さんがポーズとっていまの台詞言ってるの想像したら吐きそうになってきた。
「ヨ、ヨリト!? 顔が酷いけど大丈夫!?」
「いまので心が死んだわ!!」
心底心配してくれてんのはわかるんだけど!! 言い間違い方が酷え!!
「話も丁度区切りがついたし、体調が悪いんだったら今日はもう休んだら? 二階に空いてる部屋もあることだし」
「ん? いやいや飯御馳走になっただけでお礼は十分だ。これ以上世話になったら逆に俺たちが礼をしなくちゃならなくなっちまう」
イアが暴食の限りを尽くした時点で既に心苦しいというのに。
「もう……、そんな損得勘定でお礼した訳じゃないんだから、ごちゃごちゃ言わないの!! お金がなくてご飯食べられないってことは宿に泊まることもできないんでしょ? なら黙って人の好意に甘えればいいじゃん」
そうは言ってもなあ……。こんな小さい子に何から何まで世話になるっていうのは些か気が引けるというか……。
そうやって俺が決断できずにいると痺れを切らしたのか、ラフィルナは
「ああ、もうじれったいなあ!! この街にいる間泊めてあげる!! はい、これでこの話はお終い!! ほら、イア担いで二階に行った、行った!!」
そう言って俺とイアを強引に階上へと押し上げる。
「わ、わかった。ありがたく泊まらせてもらうから押すなって!! 落ちたらどうすんだよ!!」
この街に着いた時は性根の腐ったヤツばっかりだったらどうしようかと思ったがどうやらそれは要らない心配だったようだ。
こんな見知らぬ土地で、互いのことをまだ全然知らないのにこうして心を温かくしてくれる。この少女も、あの老婆も自分以外の人を想って笑いあえる。
……まったく、魔物のスキルとやらはとんでもないな。確かにラフィルナの力で癒されたよ。
二階へと向かいながら俺はそんなことを心の中で呟いていた。