黒の衝突
黒い暴風が俺を追い越そうとする。その終着点は言わずもがな、学生二人が倒れ伏す校舎横のグラウンド。そしてそこに辿り着くと同時に、あの黒い鎌鼬は二人の命を刈り取るだろう。
何の躊躇いもなく。
一片の後悔もなく。
その内に沸き立つ憎悪に身を任せたまま、その身体を喰い千切り、引き裂き、ただの肉塊へと変えるだろう。
そのことに不満はない。
寧ろ、その背を押したくもなる。
だが。
「ソイツはやらせねえ!!」
あの仮面を剥ぐまでは、ジェイソンに死なれては困るのだ。それにイアの野望も粉々に打ち砕かれてしまう。
だから俺は真横を通り過ぎようとする前にその狼の前に立ち塞がる。
「……どうして君が邪魔をするの?」
俺に進路を塞がれたことで脚を止め、狼はそう問いかける。
「オマエが俺の邪魔をするからだ。あのゴミ二人をどうしようと勝手だが、あの仮面の男ごと殺ろうとしたろ?」
「何が悪いのさ? 彼ら人間は僕を否定した。なら僕には逆に彼らを否定する権利がある」
「おいおい、アイツは何もしてねえぞ?」
「そうだね。でもそんなこと関係ないさ。種の中の一人が牙を剥けば、それは種全体の責任になる。人間はよくそれが元で戦っているじゃないか。同じ人間同士で。種を国家や民族という単位に下げてね。それが今回は僕という『単独の種』と人間という種の間に起こっただけだよ」
「はっ、人間を皆殺しにでもする気かよ」
「あ、それもいいね。――試しにやって見せようか?」
そう言って獣は跳ぶ。俺をかわし、目標を噛み殺す為に。
いまの問答の間に逃げてくれればと思ったが、やはりそう上手くはいかない。突然の出来事に二人の学生は勿論、ジェイソンすらもその場から動けずにいる。
その動かない的に黒狼の牙が、爪が迫る。
三人を物言わぬ屍に変えようと、殺意をのせて凶器が振るわれる。いや、振るわれようとした。
「――え?」
「悪ィなあ。人間全部殺す気なら見逃す訳にはいかねえんだわ」
それを容認すれば俺の大事なものまで壊されてしまうことになる。それにまだ見ぬ正直者たちが殺されるのは忍びない。
そういうことで俺の頭上を通過しようとしたところをコードで捕縛する。狼の身体を絞め上げ、そして。
「血の昇った頭、ちょっと冷やそうや」
「――ッ!!」
固い土で覆われたグラウンドに思い切り叩きつけた。
響く轟音。
生まれる烈風。
そして舞い上がる土煙。
『やり過ぎ……じゃない?』
「何言ってんだ。魔物がこんなことでくたばるかよ」
『そ、そう……って魔物!? あの狼魔物なの!?』
「それしか考えられねえじゃねえか。オマエが反応してないとこ見ると禍渦じゃねえんだろ? だとしたらあんなデタラメな生き物は魔物以外にありえねえ」
確か玖尾が言うには表では妖怪って言うんだったっけか?
まあ、そんなことは何だっていいさ。呼称などいまは大した問題ではないのだから。
「つー訳だ。まだ殺意が折れないんなら相手になるぞ?」
「……わかったよ」
土煙の中、何かを諦めたような、悲しむような、そんな気持ちが込められた声が響く。
「君が邪魔する気なら、先に君を排除するまでだよ。でも安心して、君は殺さないから。どうしてかなあ? 君とは仲良くなれそうな気がするんだ」
「そりゃ、どうも」
「……先に謝るね」
「あん?」
「君は殺さないけど、きっと――」
「――ッ!?」
土煙の中を切り裂くようにして、現れた黒狼は。
その巨大な顎門を目一杯開け広げ、左腕を喰らわんと急接近する。
「五体満足じゃいられないだろうから」
そうしてガチリと。
剣のような鋭い牙を生やした黒狼の顎門が勢いよく閉じられた。
「………ッぶねえな、オイ!!」
間一髪。あのまま挟まれていたら間違いなく千切れていただろうが、寸でのところで腕を引き抜いていた俺の左腕は無事。引き抜く際に少々、傷を頂いたけれど、俺は元気です。
『ん、一応治癒しとくね』
「おう」
そこまで深刻な負傷ではないが、治せる間に治しておくにこしたことはない。左足で狼の鼻先を蹴り飛ばし、その反動を利用してやや距離をとる。
鼻を蹴られた狼はといえば特に反応を返すことなく、離れた場所に移動した俺のことをただジィッと見つめていた。
「な、何アレ……」
「ば、化物!!」
校舎付近では既に騒ぎを聞きつけて、生徒、教師が集まり始めている。校舎の中からグラウンドを見下ろしている者も数多く、その中には見知った顔もあった。
「マズいな……」
こうして集まられては守るのは難しい。もし、狼の気が変わって先に人間を始末し出したら手に負えなくなる。せめて校舎の中に避難してくれれば、まだ守りようがあるのだが……。
「おい、オマエら!! 死にたくなかったら、校舎の中に入れ!!」
仕方がなしにわらわらと集まる人々に、声を張り上げそう勧告する。しかし、見ず知らずの、しかも見るからに怪しい人間の言うことを素直に聞く訳はなく、ただ戸惑うように辺りをウロウロするばかり。
「――ったく、これでどうだ!?」
面倒になった俺は右手に具現させたままだった銃を空に向かって連射させる。これでもダメなら今度は手榴弾でも投げつけてやろうか?
巨大な狼が現れ、既に収拾がつかない程の騒ぎになっているのだ。もう遠慮する必要もない。寧ろ警察がすっ飛んで来る前に、さっさと始末をつけるべきだろう。
銃声を聞いた大衆のざわめきが嘘のように消え、一瞬だけ時が止まる。
その一瞬の間に恐怖は伝染する。生徒、教師の間に、『命が危ない』という共通の認識が爆発的に拡散する。
そして。
「う、うわぁぁぁぁぁああああッ!?」
一人の男子生徒の上げた悲鳴により、風船のように膨らんだ恐怖が破裂する。
押し合いへしあい、我先に、我先に、と校舎の中へと逃げ込んでいく。
教師も、生徒も同じように。
自分の命を守るために他人の命を蔑ろにして、逃げまどう。
「……醜いね」
落胆したように、黒狼はポツリとそう呟く。
「そう言うなよ、誰だってあんなもんだ」
「そう……、かもね。……ところで――君の後ろにいる人は逃げなくていいの?」
「はあ?」
まだ残っている馬鹿がいたのかと、苛立ちを隠すことなく振り返るとそこにいたのは誰あろうジェイソン君であった。
……いや、オマエ何してんの?
『話はよくわからんが、オマエは人間を喰おうというのだろう?』
「食べないよ、気持ち悪い。殺しはするけど。ああ、そうだ。お礼がまだだったね。さっきは怒ってくれたのはありがとう。でも君も人間である以上殺す。それだけさ」
『そうか……、ならまず俺が相手になってやる。さあ、俺が人類代表だ!! かかってこ――』
「やかましい!!」
俺のポジションを勝手に強奪しないで頂きたい。誰とも知れない輩に、しかもただの人間にこうも出しゃばられるのは容認しがたいものがある。
『ん、オマエ……、さっきのヤツ……か? おかしいな、慎ましいなりにちょっとは悩ましい身体をしてたと思うんだが』
「うるせえ、俺は俺だ。何にしてもオマエも校舎の中に入ってろ。死にたくなけりゃあな」
俺に悩ましい身体した相棒はいねえよ。チンチクリンが一人いるだけだ。
『ふざけろ、ここは俺の街だ。余所者に好き勝手やられる訳にゃあいかねえよ。たとえそれが獣と化物だったとしてもだ』
「――ああ、そうかい。なら無理矢理にでも退場願うぜ」
銃を消し、新たに物質を具現化する。
いくら腹が立つといってもコイツだけは殺すことなく打倒しなければならない。イアが上手く力加減できないことを受けてずっと解決策を考えていたのだが、これなら問題あるまい。
放水車。放水砲。
海外では暴徒やデモの鎮圧のために用いられるこの兵器ならば、加えてこの至近距離ならば筋肉の鎧に阻まれることなく、高圧力で放出される水で以て、ヤツを無効化できるだろう。
「事が終わるまでちょっと寝てろ」
いきなり放水車が目の前に現れたことに対する驚き故か、ジェイソンは動かない。しかし、俺は躊躇うことなく、狙いをつけ放水を開始する。
『ぬ、おぉぉぉおお!?』
勢いよく放たれた水は寸分違わずジェイソンの身体へと直撃し、その身体をやすやすと吹き飛ばす。
あれの後ろは俺が開けた大穴がある。一先ずそこまで吹き飛ばしてしまえば邪魔が入ることもないだろう。こうして頭部を凄まじい圧力で放たれる水で攻められているのだ。いくらジェイソンが化物じみているといっても人間であるならば意識を失わずとも、しばらくの間行動不能になることは間違いない――が。
「――へ?」
首尾よく目先の障害を吹き飛ばした俺の口から素っ頓狂な声が飛び出す。それは別にジェイソンが放水に耐えたとかそういうことではなく、顔面に放水を受けたことによって仮面が飛び、露わになったその素顔が予期せざるものだったからだ。
「ジジイ!? 何してるんですか、アンタは!?」
正体がバレるのも構わずに俺は叫ぶ。「手芸や 鉄人」の主。大鉄鋼人の俺にとっての呼び名を。
しかしながら、彼の身体は既に大穴に吸い込まれるように消えて行き、答えを得ることはできない。
ああ、クソッ!! 色んな事が一度に起きすぎだ!! 俺の頭をパンクさせる気かよ!!
苛立ちを隠せぬまま放水車を消滅させると、漸く黒狼が口を開いた。
「そろそろ良い? 待つのも飽きたし、それに何より――僕は君と遊びたい」
そんなことはないのだろうけれど、まるで人間を殺すことはそのついでと言わんばかりの口ぶりである。俺が手の内を明かすのを見ている間に闘争本能が駆り立てられたのだろうか?
一度、大きく息を吸い込み、そして吐き出す。
……ジジイのことは一先ず後回しだ。バレたにしろ、バレてないにしろ、いますぐどうこうできることではないのだから。
そう、そうだ。
いまは目の前の獣をどうにかすることを考えろ。
気持ちを切り替えた俺は獣を一瞥し、その声に応える。
「そんじゃ始めるとすっか。俺が負ければオマエはここにいる人間を好きにすりゃ良い。俺が勝てば――ん? 特に何も無くねえか!?」
『……いま気づいたの?』
考えてみればメリットゼロの戦いじゃねえか、コレ?
そんな衝撃に身を震わせていると、さも可笑しそうに黒狼は笑う。
「はは、そうだね。じゃあもし君が僕に勝てたら僕の命、好きにすると良い。これは僕と君との戦争なんだから!!」
「んなの別にいらねえよ!!」
そう互いに叫び、戦闘が再開される。
……出来ることなら警察が来るまでの間に全て終わらせてしまいたいものだ。いつあの耳障りなサイレンが鳴り響くかわからない。この戦いの終了のゴングがそれにならないことを祈りながら、俺はコードを獣に向けた。
目の前の名前も知らない黒コートの男は先ほど僕を捕まえた青く光るコードを伸ばして、再び捕獲を試みようとしている。
確かにあのコードの動きは速い。ついさっきも決して手を抜いた訳ではないけれど、いとも簡単に捕まってしまったのだから今回も同じ結果になってしまう可能性は高い――、そう考えるのが普通だろう。
ただ、同じ轍を踏む、ということは僕に限ってはあり得ない。
これは自分に絶対の自信を持っているということではなく、必然的にそうなるから言えることだ。コードの限界速度があの速さであるならば僕はもう捕まらない。
現にこうして真正面から突撃しても、難なく全てのコードをかわし彼へと詰め寄ることができる。
コードが遅くなった訳ではない。
僕がコードよりも少し速くなっただけのこと。それは瞬きをするよりも僅かな時間だけれど、その僅かさえあれば出来損ないの僕にもよけるくらいならできる。
そうして迫る僕に驚いたのか、彼はその手に何処からともなく銃を取り出していた。
そう、理屈はわからないけれどそれが君のスキルなんだね。見たところ何かを取り出す能力か何かだろうか? いままでそんな力を見たことがないので断言はできないけど。
そしてわからないことはもう一つ。
僕と同じ匂いのする君がどうして人間をかばおうとするのか、だ。いくら考えてもどうして彼が別種の生き物を守る理由がわからない。まあ尤も、人間全部というよりは『特定の誰か』、という様子だったが。
いますぐ教えてほしいという思いはあるが何にせよ、どれもこれもいずれはっきりすることだ。
僕が負けて彼に殺される前か。
僕が勝ってここの人間を殺した後か。
そのどっちになるかはわからないけれど。
そろそろ次章の構成を練らなくてはと焦る毎日、どうも久安です。
あっという間に十一月も終わります。しかし作中ではまだ十月なんですなあ、これが。何という遅筆。圧倒的遅筆。
『コンパトリオット』は十二月前半で終わる予定。次章は裏世界が舞台の『悪因悪果ミミクリー』をお送りします。お楽しみに。
次回は11月30日10時更新予定です。




