chance encounter
夕暮れ時の薄暗い路地。
橙と黒の入り混じった幻想的なその場所も立ち入る人間次第で酷く世俗的な場所に成り果てるものだ。
そんなことを考えながら俺は三つの影に近づいていく。
三つの影のうち、二つは大柄な男二人のもの。そしてその一人の、無駄に筋肉のついた胸板を覆う真っ白な衣服に何やら真っ黒な液体がこびりついていた。
(ああ、汚したってあれか……)
男の服から目を逸らし、その足下に目を向けるとそこには身体を縮こまらせた小柄な影があった。彼女はこちらに気が付くと、自分を怒鳴りつけていた男と、新たな二人の闖入者である俺とイアのそれぞれに忙しく視線を走らせる。
「ぼ悪☆@ける?いい&!!」
少女の視線でこちらに気づいたのだろう、服を汚された男の連れと思われる男が俺を見据え、何やら叫んできた。
「イア、アイツ何だって?」
「え~っと、『何見てんだ、見せもんじゃねえぞ!!』だってさ」
うん、やっぱり大体合ってた。
「じゃあ、あの馬鹿二人に『まあまあ、何があったのか知りませんがとりあえず落ち着いて』って言ってみ?」
「ええ~、頼人が言ってよ。半同調状態なら頼人でも言葉は通じるようになるから」
そう言ってイアはコードの一本を俺の背中に勢いよく突き立てる。
「おうっ!? ちょ、せめて刺すなら刺すって言ってくれよ。どんなに慣れようが同調は痛いんだから……」
イアは背中に生えた八本のコード全てを俺の身体に突き立てることで俺との同調を行う。しかし、それにはかなりの精神力を要するらしく、極度に精神が疲労している状態や、物質を具現化させるというイアの力を使いすぎた場合、同調することはできないのである。
そういった場合に役に立つのがこの半同調状態だ。この状態で物質を具現化することはできないが、半分とはいえイアと同調しているので回復力などは強化され、このように翻訳機能も共有することもできる。
「お、おい、コルン。あのガキ、女に背中刺されてピンピンしてるぞ。気味が悪ィ……」
どうやらイアのコードの先端にあるボールペン程の大きさの針が俺を貫いたことに驚いているらしい。
「ああ? なんだよドッペル、ガキがどうしたって?」
コルンと呼ばれた男、つまりは服を汚された男はイアが俺にコードを突き刺したところ目撃していなかったようだ。一目俺たちを見た後、恫喝する作業に戻っていたと推測される。
「いや、だから女が――」
「あ~、ちょっと良い?」
ドッペルという名の男の言葉を遮り、俺は男二人に呼び掛ける。
「何があったのか知らないけど、大の男が二人がかりで何やってんだよ、格好悪い」
そして、俺がこう言うと案の定使い古された台詞をコルンは叫ぶ。
「うるせえ!! このガキは俺の八万セギルもした服を汚しやがったんだぞ。許す訳にいくか、弁償だ、弁償!!」
恐喝相手を押しのけ、俺の目前にまで迫るコルン。何やら興奮しているようだが、そんな風に迫られたところで怯む理由にはならない。笑って怒るイアの方がよっぽど怖いわ。
「ふうん、八万セギル……ねえ」
「ああ、そうだ。八万セギルがどれほどの金か、お前もわかるだろう?」
いや全然。それが日本円にしていくらなのか見当もつかない。というかこの世界の通貨のことなんてわかる訳ないだろうに。
だが一つだけ確信のあることがあった。
「オッサン、嘘は良くねえよ」
「な、何だと?」
「その服、八万セギルもしてねえんだろ? 俺には嘘は通用しねえ」
まったく。異界に来てまでこんな気分を早速味わうことになるとは。不快でしょうがない。
「い、いいや、この服は八万セギルしたんだ!! お前こそ嘘をつくんじゃねえ。嘘が通用しねえだあ!? なら証拠を見せてみろよ!!」
「……あちゃ~」
イアが御愁傷様というような表情でコルンを見る。そして恐る恐る俺の方を振り返って、すぐにその視線を逸らした。
「……良いのか、そんなこと言って?」
「ああん? 実際分かる訳ねえんだから良いに決まってんだろ!!」
ああ、うん。
じゃあ、遠慮なくお前の嘘を暴いてやるよ。
「……靴は厚底。実際の身長より結構プラスしてんだな、アンタ」
「ッ!?」
「それに……へえ、そんなモノ載せてるんだ。大変だね、まだ若そうなのに」
「な、何のことだ!?」
「イア、コイツ押さえててくれないか?」
「え、あ、うん」
三本のコードが瞬時にコルンの身体に巻きつく。所謂簀巻きである。当然、俺の目の前の男はバランスを失い、盛大に地面に倒れ込むこととなった。
「ぐおっ!?」
「コルーン!!」
駆け寄ろうとするドッペルをイアにコードで牽制してもらう。さっきコードが俺の背中に刺さった光景を見ているからか、彼がそれ以上こちらに踏み込んでくることはなく苦々しげにこちらを睨むだけであった。
「そんな目で睨むなよ。取って食おうなんて考えてねえからさ。……さぁ~て、じゃあ本当の自分を曝け出す時間だぜ」
「ま、待て!!」
「何をだ? もっとはっきり言ってくれないとお前が何を止めてほしいのか俺にはわかんねえなあ~」
「こんの……!!」
「ああ、マズイ。このままだとアンタの頭に俺の手が直撃してしまいそうだ。……なあ、どうする?」
「………………!!」
コルンの顔からさっと血の気が引く。どうやらよっぽどこの隠し事を公にしたくないらしい。
「――るかった」
「うん?」
「だから悪かった!! 嘘をついたのは認める!! だ、だからこれ以上は……」
おや、意外とあっさり落ちたな。まあ、手間が省けて良いけど。
「オッケ。俺だって鬼じゃねえ。ちゃんと認めてくれれば――あ」
「あ~…………」
「コ、コルン……」
「…………………………………」
俺のうっかりに、イア、ドッペル、そしてコルンそれぞれ異なる反応を示す。
イアは憐憫を。
ドッペルは驚愕を。
当然コルンは絶望を露わにする。
「う、うおおああああああああああああああああああ!!」
咆哮をあげながら信じられない力でイアの拘束を振りほどき、自由になった両手で自らの頭頂部を、何かを確かめる手つきで触りだすコルン。
「わ、悪い。まさかこんなにあっさり落ちるとは思わなくて」
俺は地面に落ちた「ソレ」を掴んでコルンに謝罪する。だがそれももう後の祭り、完全な手遅れ。
「コルン、お前……」
ドッペルがやや気を遣いながらコルンに声をかけるが、どうやらそれが逆にいけなかったらしい。
「み」
「み?」
「見るなあああああああああ!!」
「コルーーーーーーーーーン!!」
限界まで声を張り上げて疾走するコルン。
そしてそれを追うドッペル。
騒ぎの中心であった男二人がいなくなったことで静けさを取り戻した路地はその幻想性を取り戻していた。
「…………頼人」
「…………うん、今度会ったら謝る」
前半の落ち度は明らかにあちらにあったが、後半は確実に調子に乗った俺が悪い。あの傷が癒える傷なら良いのだが……。
「とりあえず、それは置いといてだな」
小さくなっていく男たちの後ろ姿を見送り、振り返るとそこにいるのは未だその身を縮こまらせ震え続ける姿があった。
「お~い、いつまでそうやってるつもりだ?」
「ッ!?」
ビクッと一段と大きく震えた後、恐る恐るといった様子で俺とイアを視認する。そして男二人が居なくなったことで安心したのか、吐息を漏らす。
路地の中でも一際薄暗い隅っこにいるため風貌は見てとれないが身の丈から考えると年齢は七、八歳といったところか。
「……あれ、さっきの人たちは……?」
「あんだけ騒がしかったのに見てなかったのか……。逆に度胸あるな、オマエ……。まあ、いいや。さっきのオッサン連中ならどっか行っちまったぞ」
「そう……、良かったあ……」
心の底から安堵する影を見て思わず俺の頬も緩む。だが、いつまでもこうして和んではいられない。一刻も早く対策を講じなければ。主に金銭面の。
「今度からは気をつけろよ。また助けてやれるとは限らねえんだから」
そう言って俺は路地から出ようとしたのだが、何やら背中を引っ張るものがある。
ああ、イアと半同調しているから自由に歩き回れないのか。
「イア、行くぞ」
しかし、イアからの返答はない。
「イア?」
不審に思い振り返ると、そこには――。
地面にうつ伏せに倒れたイアがいた。
「ええええええええええ!?」
何やってんの!? ねえ、何やってんの!?
慌てて抱きかかえるとイアは一言。
「お腹……減った」
そう呟いた。
「イアァァァァアアアアアアアアアアアア!!」
そうだよね!! こっちでの食事が楽しみだからって晩御飯抜いてきたもんね!!
そもそもそれを抜きにしてもイアの燃費は悪いのだ。これはその辺りのケアを疎かにしていた俺のミスである。
腕の中で横たわるイアを抱えながら途方に暮れていると目の前に天使が舞いおりた。
いや、単なる比喩表現ではなく。まさしく天使。
というのも先ほど俺が助けた少女が満を持して橙の光の中にその身を晒し、背に生えた羽を広げ、こう告げたのだ。
「ご飯…………食べる?」
ああ、地獄で仏、裏世界で天使とはこのことか。
少女に羽が生えていたことには驚いたが、いまはそんなことはどうでも良い。俺は躊躇うことなく少女の手を握り、目に涙をうっすらと浮かべながらこう言った。
「この子……、最低おかわり三杯はいくけど大丈夫?」