心の天秤
「うぉぉぉぉおおおおおおおお!!」
『がぁっはっはっはぁ!!』
「きゃあああ!!」
「うわぁあああ!!」
廊下の隅で恐怖に悲鳴を上げる生徒たちを尻目に俺たちは鬼ごっこを継続していた。
イアと二手に分かれた後、ジェイソンが追いかけて来たのは俺の方。一瞬の逡巡もなく俺の方に来た。初めからイアなど眼中にないくらいの迷いの無さだった。
……泣きてえ。
『ふうんッ!!』
「だぁぁあああああああああ!?」
咄嗟に下げた頭の上を缶専用のごみ箱が飛んでいく。
ああ……、さっきは何だったっけ? 脚立か何かだったっけ?
というのもジェイソンは俺との追いかけっこを始めたときから、目についたものを片っ端からぶん投げてくるのだ。初めは玄関付近で粉々にした下駄箱の破片だったのだが、いまでは当たれば気絶じゃ済まないようなものまで投げつけてくる始末である。
「ごふっ!!」
あ、ウチのクラスの伊山くん? 伊渕くん? が巻き添えくらった。
しかし特に気にすることなく廊下に倒れ伏す彼を跳び超え、尚も逃走を続ける。
「ゲームバランスが崩壊してるって強さじゃねえぞ、コイツ!!」
本来は生徒が教師を狩るイベントの筈が、どうして今や生徒が狩られる側になっているのか、甚だ疑問である。しかし、その疑問を解消させる暇も、ましてや後ろに迫る怪物をどうにかする手段を考える余裕は、いまはない。
「取り敢えず、逃げ切る……のは無理そうか。なら――」
何処かに隠れるしかないな。
そう結論づけた俺は、走りながらその候補地を探し始める。
目に入るのは他学年の教室、音楽室、実験室……、等々。
どれもこれも中途半端な場所ばかりである。
ここにはいないだろう。
こんなところにいる筈がない。
ジェイソンがそう思えるような場所でなければ直ぐに見つかってしまう恐れがある。そのため隠れ家は慎重に探す必要があるのだが……。
『だぁああらっしゃぁぁあ!!』
「いぃぃぃいやああぁぁぁぁ!?」
生憎と落ちついて探す時間は取れそうにない。
となれば運命的な出会いに期待するしかない。まあ、見た瞬間に「これだ!!」と思えるそんな場所がそう簡単に見つかるとは思えないけどな。
全速力で廊下を走り、突き当たりを左へ。そして曲がり終えたその瞬間、俺は思わず足を止める。
「ここは……」
見つけた。
ここなら絶対にあの化物も入れないし、入ろうという考えすら浮かばないそんな場所。言うなれば不可侵の聖域を、俺は見つけてしまった。
だが、しかし。
だが、しかし、である。
それは俺も同様だ。この場所において俺もジェイソンと同じく招かれざる者、異物だ。そんな俺がこのサンクチュアリに足を踏み入れて、本当に良いのか?
『待てえぇえい!!』
しかし、いまの俺に選択肢はなく、ここで二の足を踏めばリタイアという酷な現実しかない以上、致し方ない。
生き延びる為に禁忌を犯す。
追い詰められれば人は人を殺し、欺き、貶める。
誰だってそうだ。自分の命を守るためならば、手段を選んでなどいられない。
そう割り切った俺は目の前の扉の取っ手を掴み、聖なるその地へと足を踏み入れた。
扉を閉め、開かないよう押さえたまま、外の様子を窺う。
生徒の悲鳴に混じり、爆音を響かせ廊下を走るジェイソンの気配が近づき、そして通りすぎたことを確認すると、漸く俺は深いため息を吐く。
「――ッはぁぁあああ……、死ぬかと思った……」
ここ最近では禍渦との戦い全て含めても一番の恐怖体験である。しかもいま俺は同調ナシの生身の状態。恐怖も一入だ。
だが、何はともあれこうして安全地帯に身を置くことが出来た。あとはどうやってあの化け物を攻略するかだけを考えれば良い。
しかし、その甘い考えは直ぐに完膚なきまでに破壊される。それはジェイソンによってではなくこの部屋に響く水音によって、だ。
そして次に聞こえたのは扉が開く音。いま俺が入ってきた扉はまだ身体全部で押さえつけているため、開いたのはこの扉ではない。ということは軋んだ音を上げたのは別の扉ということになる。
「――――――あ、天原……君?」
振り返ると、そこにいたのは扉を開けた状態のまま、こちらを見、引き攣った笑みを浮かべた南こと南嬢さんだった。
誰もいないことを願って侵入したのだが、そんな奇跡は起きなかったらしい。
南嬢さんに発見されてしまったので観念して告白すると、俺が入り込んだのは男子禁制、女性の花摘み場。
女子トイレである。
「き、きゃ――、むぐッ!?」
悲鳴をあげそうになる南嬢さんに飛びかかり、その口を手で塞ぐ。ここで叫ばれたら如何に校内が阿鼻叫喚の坩堝と化していたとしても、人が集まってきてしまう。勿論ジェイソンも。それだけは避けなければならない。
咄嗟にそう判断した俺は迷うことなく、南嬢さんをこうして拘束した訳なんだが……。
あれ、これ立派に犯罪じゃね?
口を塞がれたことで更に驚いたのか南嬢さんは俺の腕を叩き、この手を放すようにと、目で訴えかける。
「……叫ばない?」
「むー!! むー!!」
必死に首を縦に振る彼女のその仕草に嘘はなく、俺は何の心配をすることなくその手を放す。
「はぁ……、はぁ……、苦しかった……」
ぺたりと尻もちをつく格好でその場に座り込む彼女は胸に手をあて、しばらくの間呼吸を整えようとする。
ふむ……。そこまで強くした覚えはないのだが、彼女にとっては十分恐怖の対象となる強さだったようだ。
「ふぅ~……」
「落ちついた?」
そう声をかけると南嬢さんはジトッとした目でこちらを睨みながら言葉を返す。
「……おかげさまでね。それで? 天原君はこんなところで一体何をしているのかな?」
「いや、はは……、ちょっと怪物から逃げてまして……」
「ふうん…………、それで?」
「ホント、マジすいませんッした!!」
怖えよ!!
さっきまで怒ってた顔が笑顔なのが尚更怖えよ!!
「はぁ……、良いよ、もう……。ちゃんと謝ってくれたし」
仕方がないなあ、という表情で立ち上がる南嬢さん。
おお、発見されたのが優しい狸で良かった。これがもし暴虐の化身、あの黒猫だったら問い質すことなく腹パンだったことだろう。
「っていうか信じてくれるのか?」
この騒動に乗じて女子トイレに入ってみたい願望に身を任せた男子の一人かもしれないのに。
「ふふ、じゃあ嘘なの?」
「誓って本当だ」
「でしょ? あなたは有名だって言ったじゃない。あなたが嘘を嫌いなことも、嘘を吐かないことも知ってるよ」
そう言ってニコリと笑う南嬢さん。
おお、天使が、ここに天使がおった……。
「それは、それは。ご理解頂いてるようでどうもありがとうございます」
「ふふっ、いえいえ、どういたしまして」
ふう、やれやれ。どうやらこの場は丸く収まったと見て良いだろう。だが、いくらこの場が上手くいっても結局のところ残る問題は変わらない。如何にしてあのジェイソンを打破するか、だ。
「そうだ、南嬢さん」
一人でも考えていても埒が明かない。そう判断し、目の前の彼女に相談しようと思い声をかけたのだが。
「南嬢さん? 誰それ?」
えらく可愛らしく小首を傾げられてしまった。
「え? 龍平……、桐村がそう呼んでたからてっきりそうだと……」
ああ、でも待てよ。三田は『南』と呼んでたっけか。教師が生徒をあだ名で呼ぶことの方が少ないということを考えると、どうやら俺は思い違いをしていたらしい。
『南』が本名で。
『南嬢』があだ名。
そういうことか。
「ふうん、私って知らないところでそんな風に呼ばれてるんだ。でもその名前も悪くないかもね」
そして彼女は笑う。何処か寂しげに。
「なん――、いや南さん?」
「ねえ、天原君。嘘が嫌いなキミを見込んで一つ聞いても良いかな?」
寧ろこちらが質問したいのだが。しかし、南さんがさっき浮かべた表情が気になった俺は首を縦に振ることで、こちらの意思を彼女に伝える。
そして、それを確認した彼女はぽつりと、俺にとって衝撃的な告白をしたのだった。
「私ね、嘘を吐きたいんだけど……どう思う?」
「…………は?」
思わず、そう尋ね返してしまう。
いま、この女は、何と、言った?
「私、嘘を吐きたいの」
「え……、と。それは、どうして?」
頭を百トンハンマーでぶん殴られた衝撃をどこにも逃がすことができないまま、俺疑問を口にしていた。
「えっとね。私のお爺ちゃんのこと、知ってる?」
「知ら……、ない」
「やっぱり。きっとそうだと思ってたよ。関わり方がみんなと違うなーって感じてたから」
柔らかい笑みを浮かべ、目の前の少女は話を続ける。
「私のお爺ちゃんはね、さっき開会宣言をした校長と理事長を兼任してる南大二郎なの。……吃驚した?」
「……それなりには」
嘘を吐きたいって言われたことの方が衝撃的だったよ。
だが、正直者と信じていた相手に裏切られた、という衝撃がやや和らいできている。それは彼女の言葉から、彼女が『未だ』嘘は吐いていないと推測でき、俺の返答次第では正直者でい続けることができるかもしれないという小さな望みがまだ残っていたからだろう。
「……私はこれまでちゃんと『私』を見てもらったことがないの。みんな私を南燕としてじゃなくて南大二郎の孫としか見てくれないんだ」
何処に行っても、必ずお爺ちゃんの話をされる。
最近の御趣味は?
好き嫌いは?
今度、間を取り成していただけませんか?
私を一人の人間として見てくれない。お爺ちゃんに取り入るための道具としてしか見てくれない。
長年溜めこんだものを吐き出すように、彼女はそう続けた。自分がどのような扱いだったか、こんなこともあったとか。
友人に愚痴をこぼすかのように話し続けた。
「だから、だからね? そうやって私に近づいてくる人に嘘を吐きたいの。『私は南燕じゃありません!!』って!! そうだ!! これからは南嬢って名乗れば――」
「はい、ストップ」
「あいたぁ!!」
これ以上、馬鹿なことを言い出す前に南にデコピンをお見舞いする。
「な、何? 人が真剣に話してるのに……」
「オマエが何だ。馬鹿なこと言い出しやがって」
まったく、動揺して損した。そんなしょうもない悩みで嘘なんぞ吐く必要ないだろうに。
これまでは少し他人行儀な口調で話していたがもうそんな必要もない。こんな馬鹿にはいつもの口調で十分だ。
「『私』を見て欲しい癖に、自分を偽ってどうするんだよ?」
「……あ」
目の前で南はいま気づいたかのような、そんな間の抜けた声を上げる。
「それにな、オマエをちゃんと『南燕』と見てるヤツだってちゃんといるだろうが。他の教師連中は知らねえが、体育の三田は変な扱いしなかったろ? それにオマエの友達はオマエを腫れ物扱いするのかよ?」
彼女はゆっくりと首を横に振る。
「そうだろう。ほれ見ろ、何処に嘘吐く必要がある? ちゃんとジジイ抜きでオマエの魅力に気づいてるヤツもいるじゃねえか。気づいて貰えねえヤツがいるのはまだまだ努力が足んねえだけだよ」
俺の中学時代のように周囲全てが敵だった訳じゃない。
「で、でもお爺ちゃんのことを聞いてくる人はいっぱいいて……」
「なら今度ジジイのこと聞いてくるヤツがいたらこう言ってやれ。『んなこたぁ、ジジイに直接聞け!!』ってな」
「…………」
「返事は!?」
「!! わ、わかった、私やってみる」
「嘘吐かない!?」
「つ、吐かない!!」
「よし!!」
多少、いやかなり強引な気がしないでもないが、いまはこれで良しとしよう。あまりのんびりはしてられないのだ。細かいケアはまた後日、ということで。
「さて、今度はこっちの番だ。――南」
「……は、はい!!」
「オマエのジイさんが連れ込んだあのジェイソン。どうやったら倒せると思う?」
「ええっ、あれやっつける気なの!?」
「だから意見を聞いてんだ。で、どうよ? 何か思いつかねえか?」
「ええー……」
眉に皺を寄せて考え込む南。初めは頭の良いヤツだと思って質問したが、あの程度で嘘吐きになろうとするお馬鹿さんであることが発覚したいまとなっては期待薄である。
「んん~……、やっぱり無理だよ」
案の定、降参とばかりに両手を上げ、南はそう告げた。
「私がよく読むファンタジー小説とかじゃ人が怪物を倒すけど、実際にあんなのがいたら人には倒せないって。怪物を倒すには同じような怪物じゃないと」
「…………南」
「ん、何?」
「今回のハロウィーン・イン・豊泉の詳しいルール覚えてるか?」
「え、私は覚えてないけど、事前に配られたルールブックなら持ってるよ」
南からそれを受け取ると、俺はその隅々に目を通す。俺の考えが正しければ、これであのジェイソンを仕留めることが出来る筈だ。
時間にして十分。ルールブックを読破した俺は思わず笑みを浮かべてしまう。
「くっく……、やっぱそうか」
「……天原君?」
突然、笑い出した俺を怖々といった様子でこちらを覗きこむ南。俺はそれに構わず、すっくと立ち上がる。
打開策は見つかった。あとはイアと合流さえできれば……。
そんな考えを頭の中で巡らせていると、トイレの壁にある、少し開いた窓から見覚えのあるモノが屋上から伸びているのが目に入った。
それは青く輝くコード。あの光、間違いなくイアだ。
いつもなら人の目を引くようなことをするのは止めろと拳骨をプレゼントするところだが、制限時間が迫るいまこの場、この状況に至ってはファインプレーと言わざるを得ない。それにあれは彼女なりに俺と合流する方法を頑張って考えた結論なのだろうし、無下には出来ない。
「よっし、じゃあそろそろ行くわ。南、サンキューな」
「あ……」
南は俺を引き留めようとこちらに手を伸ばしたようだが、その手から逃れるように、早々に俺は女子トイレを後にする。
時間がないということもあったが、これ以上ここにいたら嬉しくてどうにかなってしまいそうだったからだ。
美咲と龍平以来の初めての嘘を吐いたことのない人間に出会えた。その人間が道を外れようとするのを未然に防ぐことが出来た。
友人であろうが、なかろうがこんなに嬉しいことはない。
扉を閉じ、廊下に出た俺は一度深呼吸をする。
ああ、ダメだ。
この喜びを抑えられそうにない。
そう悟った俺は『仕方なく』その溢れんばかりの気持ちを抱えながら、屋上を目指し、一目散に駆けだした。
そういえばエヴァンゲリオンQが上映されましたね。見に行ってみようかなと思案しています、久安です。
流石、南さん。流石良いとこのお嬢様。考えが甘いぜ!! よっくんも少し苛々したみたいですが書いてる私も苛々しましたとも。甘えんじゃねえ!!
その鬱憤を晴らしたいという欲求故か、次回、次々回、次々次回と殴り合いの予定です。殴り合い宇宙です。
次回更新は11月22日 10時を予定しています。




