都市とお金と禍渦と
世間一般の人は退屈をどのようなときに感じるのだろうか?
学校で授業を受けているとき?
何の変化もない日常を過ごしているとき?
それともゲームで永遠に続くかのようなレベル上げをしているときだろうか?
まあ、退屈を感じるときがいつであろうと問題はない。問題なのは退屈を感じるきっかけなのだ。
退屈は『繰り返す』ことで起こる。同じことを何度も何度も経験することで、刺激的な経験であっても徐々に色褪せていく。どれほど感動的な映画でも、どんなに面白い漫画でも繰り返す度に鮮度は落ちる。
概して人は不変を、普遍であることを嫌う。安定志向を求める人間であろうとも心のどこかで変化を、自分に特別性を求めているのだ。
そして人は退屈を解消しようと、己に纏わりつく粘っこい不変と普遍を排除しようと行動する。
それは、例えば朝食をパンからご飯に変えるだとか。
髪形を変えるだとか。
奇抜なファッションに身を包むだとか。
……いまの俺みたいに全力疾走するとか。
人によって千差万別なのである、うん。
で。
何で俺がいま全力疾走しているかなのだが……。
『きゃっほー!! 飛ばせ、飛ばせー!! そのままぜんそくぜんしーん!!』
イアがただ方向を示すだけの状況に飽きてしまったことに起因している。この世界の景色には未だ興味を持ち続けているようだが、それもいつまで続くか……。
彼女に対するさっきまでの評価は改めねばならないだろう。イアは退屈を感じることはないのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「うおぉぉぉぉおおおおおおおっらぁぁああああああ!!」
半ばヤケクソになりながらも俺は十数分前に突入した森の中を走り続ける。ちなみに俺がこうしてイアの退屈を紛らわそうと奮起しているのは別に尻に敷かれている訳じゃあなく。単にいつも世話になっている相棒への恩返しである。
世界のほんの一部しか見ていなかった俺に、本当の世界の在り方を知るきっかけを作ってくれた相棒へのささやかなプレゼントと言っても良い。
『すごい、すごい!! 螢火が後ろに飛んで行ってるみたい!!』
彼女の言葉通り歩いている段階ではぼんやりとその場で淡い光を放つだけだった螢火は、いまではテールランプが宙に光の線を描くのと同じように伸びていく。
「おおい!! まだか!? まだ着かねえのか!?」
手と足を休ませることなく動かしながら、俺はイアにそう問う。同調しているおかげで身体能力が飛躍的に向上しているとはいえ、いくら何でもこれ以上の全力疾走は避けたい。
何て言うか、こう痛いのだ。息を吸わなくちゃいけないのに、口を開けると歯が全部抜け落ちるんじゃないかと心配してしまうほどに。
天原エクスプレスにはそんなに気力という燃料は積んでいないのである。
『そう言えばそうだね。う~ん、もうすぐ見えてもおかしくない筈なんだけどなあ……。って、噂をすれば崖だね。頼人、見えてきたよ』
「漸く着いたってのは嬉しいけど、それを言うなら噂をすれば影――ああ、いや、確かに崖だな」
走り続け棒のようになった足にやっとこさ休息を与えながら、イアの言葉にそう答える。
森を抜けた俺が見たのは果てなく広がる青い海と切り立った崖。
そして崖の上には写真や映画でしか見たことのないような西洋風の城が偉容を誇っていた。巨大な居館を囲うように地上から伸びる三つの尖塔は雄々しく天を突き、そして更にそれを包み込む形で城壁が長々と築かれている。そこに住まう人間の、まあ、住んでいるのが人間かどうかは知らないが、兎にも角にも主の風格を表しているようであった。
「……リアルにこういう城見たのは初めてだよ、俺」
海外に旅行とか行ったことがあれば別なんだろうけれど。禍渦退治で日本の外に出たときも観光なんてしてる暇はなかったし。
『でっかいねー、すっごいねー』
「ああ、あれだけ大きいなら住民も多そうだ」
『住民? あそこに住んでるのって偉い人だけなんじゃないの?』
「見える建物は城だけじゃないだろ? ほら、ボロボロの小さな家みたいなのが幾つもある。城塞都市みたいなもんだな、ありゃ」
そう言いながらも眼下に広がる都市を観察する。やや日が傾きかけているのではっきりと見ることはできなかったが、都市の中で蠢く無数の影は人の形をしているように見えた。どうやら裏の世界でも表の世界同様、文明は発展しているらしい。その発展スピードには大きな差があるようだが。
まあ、何はともあれ人間がいることがわかったのは幸先が良いといえるだろう。禍渦に関する情報収集をするにしても言語をもたない獣しかいなければそれも叶わないのだから。
「イア、禍渦の発生地点はあそこなんだな?」
『うん、神様から送られてきたデータと地形が一致するし、何よりあそこから嫌な気配がするしね。まず、間違いないよ』
「そうか……。んー、どうすっかな」
『どうすっかって、何が?』
「いや、どうやって中に入ろうかと思ってさ」
禍渦の気配があそこからするならば、都市に入ることが絶対条件な訳だが、まあそう簡単にはいかないだろう。城塞都市というのは外敵から集落を守るためにある。おいそれと外の人間を受け入れてはくれない筈だ。
『正面からお邪魔しまーすって言って入っちゃ駄目なの?』
「それで入れりゃ苦労しねえよ。まあ、とりあえず正面から穏便に入れるかどうかは試してみるけど、あんまり期待するなよ? 多分追い返されると思うから」
「……そう思ってたんだけどなあ」
「ほら、入れてくれたでしょ!? ちゃんと正面から行けば大丈夫なんだよ、きっと!!」
「……ああ、吃驚した。あんなににこやかに迎えてくれるとは思いもしなかったぜ……」
テーマパークの受付嬢ぐらいの柔らかな笑顔で鎧を着込んだ髭面のオッサンが高らかに「ようこそッ!!」と叫んで近づいてきたときは、ある意味もう駄目かと思ったが。
何でこんなに不用心なのかとか、身元すら確認しなくて良いのかとか尋ねたいことは山ほどあるのだが、まあ何事もなく都市の中に侵入できたから良いとしよう。
そう自分の中で結論を出して、周りを見渡す。
都市の中は活気に満ちており、やや広めの道に様々な店が威勢よく商売に勤しんでいた。
この都市に住んでいるのはどうやら俺やイアと同じ人間のようだ。門兵のオッサンやこうして商売をしている者におかしな点は見受けられないし、あちらからも奇異の目で見られていないことから考えると、どうやらこの裏の世界においても人間は大きな支配領域を保持しているらしい。
「さ、これからどうするの?」
既に同調を解除し、俺の身体から出たイアが小首を傾げながらそう問いかける。
「そうだな……」
一番の障害であった都市への侵入をクリアしてしまった以上、もう特に急ぐ必要はない。そう言うのもここから禍渦を探すのは至極簡単なことであるからだ。
イアはある程度禍渦に近づけば、その気配を感じることができる。つまり、この都市の中に禍渦が在るというのであれば、都市の中を隈なく歩けばすぐに発見できるということだ。
「もう日が暮れそうだ。とりあえず休める場所、まあ宿みたいなものぐらいあるだろう、それを先に探して――」
あ、と。
そこまで言って大きな問題に気が付いた。
都市の中にどうやって入るかとか、禍渦が何処にあるのかとか、そんな問題はどうでも良い。いま直面している問題に比べれば、些細なことでしかない。
「どうしたの、頼人?」
俺の異常を察したのかイアは心配そうな顔で項垂れる俺の顔を覗き込んでくる。
「…………金」
「え?」
「金がない」
いや、金は持ってるんだが。
その中の紙幣も硬貨もここではただの紙切れと金属の塊でしかない。そう、この裏世界で表世界の通貨が使える筈がないのである。
「こんなことなら神様からこっちの金巻き上げておくんだったぜ……」
「頼人、目が怖いよ……?」
「ん? おお、悪い、悪い」
思わず出た本音でイアを不安がらせてしまった。うん、これからこういうことを言うのは心の中だけにしておこう。
それにしてもこれから一体どうしたものか。このままでは最悪野宿という可能性も……。
俺がそうして迎えたくない未来を想像していると、すぐ傍の路地から何やら言い争う声が聞こえてきた。
いまはイアと同調していないので何を話しているのかはわからないが、語気や声の大きさから揉め事だということを理解する。
「イア、あれ何て言ってるかわかるか?」
「あ、うん。え~と、何か色々事情があるみたいだけど、男の人は掻い摘んで言えば服を汚したんだから金を出せって言ってるよ」
まったく、せっかくの異世界訪問が台無しだ。どっちの世界にもどうしようもないヤツというのはいるものらしい。
「はぁ……、宿と金をどうするかはとりあえず置いておくとして……。行くぞ、イア」
「はーい」
そうして俺とイアは未だ言い争いが聞こえてくる薄暗い路地に足を向けた。