神は施しを与えない
「ちょ、おい!!」
ようやく口から出た言葉はそんなどうしようもないものだった。それを気にしている暇もなく、慌てて泉の中を探すがどこにもアヴェルチェフの姿はない。なおももがき続ける禍渦の姿があるのみである。
まさか、もう――。
そんな不吉な考えが脳裏をよぎる。
しかし、そんな考えは何処からともなく届けられた声によって掻き消された。
「命は大事にしたまえ。『ソレ』は至上の宝なのだから」
陰気な、それでいて身体の奥底に響くその声は暗闇から聞こえてくる。反射的に声のした方を向いた俺が見たのは髑髏。
闇の中にゆらゆらと浮かぶ髑髏の仮面だった。いや、正確には仮面だけではない。普通の人間が見れば仮面だけが浮いているように見えるだろうが、俺の目には髑髏の仮面を被った人物の服装まではっきり捉えることができる。
表情は仮面でわからないが、長い黒髪、そして濃紺の紋無羽織、白袴というこの異国の地にそぐわない出で立ちにも関わらず、その姿には堂々とした気迫があった。
更に視線を下へと向けるとそこには黒鼻緒の下駄。そして、その足下には――。
「アヴェルチェフ!!」
ユーリともども地面に倒れ込むアヴェルチェフの姿。
良かった、無事だったか……。
そう安堵したのも束の間、すぐに気を引き締める。
訳のわからないことが一度に起き過ぎだろう。アヴェルチェフとユーリはいきなり俺の背後に瞬間移動するわ、髑髏の仮面が現れるわ……、もうこれ以上のゴタゴタは勘弁してほしい。
「……誰だ、オマエ」
銃口を仮面に向け、そう問いかける。
禍渦が満足に動けないいま、最も警戒すべきは得体の知れないあれだ。一瞬たりとて集中を切らしてはいけない。そう考え、そして実行していた筈なのに――。
どうして俺は仮面の動きを見失ったのか。
「そうか、メフィスト。彼が天原くんなのだな?」
そう、背後で声がするまで仮面の男の所在を掴めずにいた。
「ッ!?」
振り向きざまに銃を向けようとするが、その行動は読まれていたらしく腕を掴まれ、狙いを定めることが出来ない。
だが、ちょっと待て……メフィスト? いまそう言ったか?
「そうかい、アンタがリーンハルトか……」
まともなヤツだと思ってたのに何だよ畜生。俺に負けず劣らず頭のおかしそうなヤツじゃねえか。
「ほう? 君は味方と分かっている相手に銃を向けるのかね?」
「味方かどうかは俺が決めるこった。オマエにどうこう言われたかないね」
「だが、ここで私と争うより早く禍渦にあの男を与えてやるべきではないか? そうすれば禍渦を壊せるのだろう?」
「……オマエ、何でこの禍渦の破壊方法を知ってるッ!?」
「何、とあるお嬢さんに色々と教えてもらい、そこから推測しただけのこと。どうにもこの禍渦、情報秘匿は得意でないらしい。ベラベラと自分のことをよく喋っていたそうだよ」
うおぉい、それって玖尾さん!? 玖尾さんだよね!?
あのヤロー、トンズラこいたと思ったらこんなヤツ連れてきやがって……。いや、元々来る予定ではあったんだけども!!
「そこまで知ってるんだったらさっきどうして止めた? あのまま二人が泉に落ちりゃあそれで禍渦は壊れていたんだぜ? アンタだろ? さっき二人を移動させたのは?」
推理……なんて大層な物ではなく単純に消去法で考えてコイツしか考えられない。どんな力を使ったのかは生憎とわからないが。
そして正直者が死ぬのが我慢ならなかった俺とは違い、リーンハルトにはアヴェルチェフを助ける理由も義理もないのだ。理屈に合わない。
「ふむ、何故止めた……か。だが、それはさっきも言っただろう? 命は粗末にするものではないからだ」
「あ?」
「今回死ぬのは一人で良い」
そう言ってリーンハルトが空いた手の指を鳴らす。思わずそちらに目をやっている間に再び俺の前から彼の姿が消え失せていた。
「ひ……!!」
今度はヤツの姿を探して辺りを見回す必要はない。ユーリ・ガザエフの小さな悲鳴が俺にリーンハルトの位置を教えてくれている。
声を頼りに再び銃口を向けるが、俺は引き金を引くことができなかった。何故ならいま撃てば、俺はアヴェルチェフとの約束を守れなくなるからだ。
「や、やめろ……う、撃たないで……ッ!!」
言われなくても撃てねえよ。
リーンハルトがオマエを楯にしている間はな。
彼はさっきとほぼ同じ位置に移動し、そしてあろうことかユーリの首根っこを掴み、まるで楯にするかのように自身の正面にぶら下げていたのだ。
俺がユーリを殺しては禍渦の破壊条件は満たされない。あくまでも彼は禍渦に殺されなければならないのだから。
「貴様――、ッ!?」
未だに状況が上手く掴めていないようだったが、事態が良くない方向に向かっていそうだということは把握したらしいアヴェルチェフがリーンハルトに飛びかかる。しかし、彼を掴もうとした手は宙をかき、捕えるには至らない。
そしてリーンハルトは泉の縁に再び姿を現す。
「ひ……、ひィ…………!!」
「そうだろう、怖いだろう? 君の一番大事な物が奪われようとしているんだから。だから、それを奪った私を決して許すな。恨め、祟れ、呪え、怨嗟の叫びを上げ続けろ」
まるで神への供物のようにリーンハルトはユーリの身体を天に掲げる。そうして止める間もなくそれは実行に移される。
「さようなら、――良い旅路を祈っている」
「やめ――」
そう叫ぼうとした瞬間、リーンハルトの手からユーリの姿が消える。そして新たに彼が現れたのは――禍渦の直上。
飛沫を上げ、泉に放りこまれたユーリは腕をばたつかせ、岸を目指そうとするがそれは叶わない。すでに禍渦が抱きしめるように彼の全身に纏わりついている。
「……ッ!! …………ッ!?」
口を塞がれ、脚を引かれ、徐々に身体を融かされつつある彼に抵抗する手段などない。このまま禍渦に殺されるのを待つだけだ。
『あ……あ、ゆゥーリ、ユ……リ』
未だに再生の追いつかない不気味な風貌で、しかし心の底からの喜びをその顔に浮かべながら禍渦はこう呟く。
『やっ……と、一……緒……』
そしてそれを最後に禍渦ことオリガ・ガザエフはユーリともども霧散、消滅した。後に残るのは泉の水面の波紋だけ。
『……禍渦の核、完全に消滅したよ』
イアがそう教えてくれるが、そんなことは血の昇った頭には入ってこない。俺はリーンハルトに近寄ると、思い切りその胸倉を掴みあげた。
その衝撃で髑髏の面は剥がれ落ち、彼の素顔が明らかになる。
落ちくぼんだ目。何筋も刻まれた皺。まるで病人のようなその顔にやや面食らうが、すぐに勢いを取り戻し、俺はリーンハルトを怒鳴りつける。
「おい、ふざけんなよ、てめぇ……!!」
「今度は何だね?」
やれやれといった様子でリーンハルトは俺を見る。
「ユーリを放りこむのはオマエの仕事じゃねえ、アイツの、アヴェルチェフのやるべきことだ!!」
一緒に飛び込んだのはいただけないが、今回アヴェルチェフは相当の覚悟を以てユーリは自分が手を下すと、そう言ったのだ。その機会を奪うということは彼の本気の覚悟を踏みにじることと同義ではないか。
「うん? 彼は同郷の人間ではないのかね? ならば私か君が処理した方が一番だろう。それに解決策を聞いた時点で、私以外の人間に始末を譲る気はなかったよ」
「ああ!?」
何言ってんだ、コイツ?
俺が眉に皺を寄せると突如、リーンハルトはこんな問いを投げかける。
「――君たち、人を殺した経験は?」
「……何だと?」
「答えたまえよ。その手を赤く染めたことはあるかねと聞いている」
「……ねえよ。それがどうした」
禍渦を殺したのはノ―カウントだけどな。
「そっちの君は?」
リーンハルトはアヴェルチェフにも問いかける。しかし彼は口頭で答えることはなく、ただ力なく首を横に振るだけであった。
「ふむ。やはり私が始末して正解だったな」
「意味がわからねえ。どういうことだ?」
「何、簡単なことさ。犠牲を最小限にすることは勿論だが、手を汚す人間も最低限、かつそれを望む人間がすべきだというだけさ」
リーンハルトはそう言うと掴んでいた俺の腕を振りほどき、俺の横を何事もなかったかのように歩き去っていく。
「おい待て、まだ話は終わってねえぞ!!」
再びリーンハルトの腕を掴もうとするが、彼は先ほどと同じようにいつの間にやら俺の手の届かないところに移動していた。
「生憎と私は君に話すことはもうないし、仕事はある。次はドイツに行けと『あの男』から連絡が入った。――はは、嬉しいね。また皆殺しのオーダーだ。私のような人殺しのことがどうしても知りたいというなら彼に聞きたまえ。私自身の口から聞くより第三者から聞いた方が納得もできるだろう? ――ではね、天原くん」
そう言って仮面を着け、リーンハルトはこの場から離脱する。今度は再び俺の周囲に現れることなく、どうやら本当に次の仕事場所へと向かったらしい。
彼が去った後、この場に残ったのは、俺と、アヴェルチェフと。
そしてやり場のない怒りだけだった。
『今度は何です、頼人くん? こっちも忙しいって言ったじゃないですかー』
スコトゥーハからイェジバへと戻り、アヴェルチェフの家の一角で俺が電話をかけた相手は相も変わらず人の感情を逆撫でするような声で応答する。
『そんなに私が恋しかっ――』
「黙れ、いまはそんな馬鹿話に付き合う気はねえ」
『――どうかしましたか?』
俺の声色で何事かあったことを察したらしい神様はいつものふざけた調子を潜ませた。どうやらこれ以上、からかうと本気で俺が爆発しかねないと判断したようだ。
「どうもこうもねえ、一体何なんだ、あのリーンハルトってヤツは!?」
メフィストとはまだやっていけそうな気がしたがアイツはダメだ。何というか俺の中の全細胞が拒否反応を起こしている。
『何って君と同じ、私が雇ったアルバイトですよ。まあ、彼の仕事は君や深緋ちゃんのとはちょっと中身が違いますが』
「……どういうことだ?」
『君たちには禍渦を壊す仕事をお願いしています。これはいわば事件の原因そのものを取り除く作業ですよねー? ですが私が普段彼、リーンハルト・デーレンダールに命じているのはそれではなくて、その余波で生じた障害を排除することなんですよ』
「障害……? ッ、まさか――」
思いついた考えに全身からサッと血の気が引く。
『ええ、そのまさかです。彼は禍渦の影響を受けて精神に異常をきたした人間を殲滅するプリベンター。いわば汚れ役ですねー。ええと今回は……五十二人ですか。まあ少ない方ですねー。次のドイツじゃあもっともっと死人が出ると思いますよ』
「殲滅……」
『ああ、誤解しないでくださいねー? 殺すといっても正気に戻れないほど精神を汚染された人間に限ります。無差別に殺している訳じゃあありませんから。勿論私としてもそんなことしたくないんですが、汚染を除去する方法はありませんし、放っておくと被害がどんどん拡大するので仕方なく、といったところです』
「……そんな仕事をアイツに任せている理由は?」
『あっはっは、それはですねー。彼が、君や深緋ちゃんのように私と対等な条件で契約を結んでいないからですよ』
何が面白いのか、俺にはさっぱりわからないが神様は愉快そうに続ける。
『君たちには私の方からお願いしましたが、彼の場合は私にお願いしてきたんですよ。基本的に私が人造端末を貸与するのは同調率の高い人間に対してのみです。ですが彼の場合はその初期値が五.九パーセント。同調に最低限必要な数値が五.五パーセントですから、かなり低い値といえます。正直、お断りするレベルですよ、これは』
「それでも、最終的にオマエは契約したのか」
『はい、理由が大変興味深かったものですから。ふふ、何だと思います? ――復讐ですよ、復讐!! 自分の家族を殺した人間に復讐するために力が欲しいんですって、笑っちゃうでしょう?』
「……いいや」
『あれ、そうですか? とても滑稽だと思うんですが……。あ、一応言っておきますけど、その仕事に関しては彼も快く了承してくれましたよ。何でもそんな仕事をするのは一度手を汚した人間がするべきだとか何とか……よくわかりませんでしたが』
「オマエは――」
思わず、俺は問いかける。先に断っておくがこれは別にリーンハルトが不憫だとかそんな感情から出たものではなく、単純にはっきりさせたいと思ったから。
『はい?』
「そんなことを人にさせるのを何とも思わねえのか?」
『ええ、まったく』
さらりと、そして悪びれる様子もなく、神を自称する男は即答する。
『これはビジネスです。私は無償で君たちに何かしてあげた覚えはありませんよ? イアを貸与して、世界に散らばる嘘と真実を学ぶかわりに頼人くんは禍渦を壊す。満月を貸与して、自由に動く身体を得るかわりに深緋ちゃんは禍渦を壊す。
そしてメフィストを貸与して家族の仇を討つかわりにリーンハルトは汚染された人間を殺す。すべてはギブアンドテイクですよ』
「ふん……世界を守ってる男の言い草とは思えねえな」
だが思いのほか、動揺はない。きっとこれまでのやり取りの中でこの男の本性は大方予想がついていたのだ、……と思う。
『生憎と仕事とプライベートは分ける主義ですので。さあ、もうそろそろ良いでしょう? こちらも仕事が残っているのですよ』
「ああ、取り敢えずアイツがそういう人間なのか。オマエがどんなヤツなのか。それは少しはわかった。だから一つ教えといてやるよ。リーンハルトは納得なんてしちゃいない」
『は? 頼人くん、それ――』
「じゃあな」
神様の追求を無視し、通話を切り、携帯の電源も落とす。
精々、思い悩むといいさ。あんな男を俺に送ってきやがった礼だ。
あの男は快く了承したなどと言っていたが、リーンハルトは望んで人殺しなどしている訳ではない。寧ろ、心の底から嫌悪していると言っても良い。
彼が別れ際に呟いていた一言。
――はは、嬉しいね。また皆殺しのオーダーだ。
あの言葉には嘘しかなかった。
こんな仕事などしたくない。そういう想いがあの一言には込められていた。
だからこそ、俺はリーンハルトが嫌いなのだろう。
自分の意思を殺し、愚直に神との契約を生かし続ける矛盾を体現しているあの男が理解できないから。
一つの行動に嘘と真実が混ざり合っている。
自身の誓いのために嘘を吐く玖尾も同じような存在だが、この二つは似て非なるものだ。リーンハルトに目的など存在しない。つまり終わりはない。
永遠にその矛盾を抱えたまま、自分を殺して、他人を殺し続ける殺戮兵器。
俺も大概だがあの男もどうかしている。
『……頼人?』
「……大丈夫、大丈夫だ」
震える体を懸命に抑えつける。
あんなものを見るのは初めてだ。
何だ? 何なんだ、アイツは?
アイツは、リーンハルトは誰の為に嘘をついている?
自分の為でもなく。
他の誰かの為でもない。
わからない、わからない、わからない。
アイツはあの嘘で一体何を守ろうというのかがわからない。
――一体何なんだ、あの生き物は?
リーンハルトの得体の知れなさに身体の震えが止まらない。
未知の生き物に出会った恐怖が治まらない。
「帰ろう、イア。少し……疲れた」
『……良いの? アヴェルチェフに何にも言わなくて』
「良い。アイツは……放っておいても大丈夫だ」
それよりも早く。
一刻も早く、この心を落ち着けたい。
だから俺は、まるで見えない何かから逃げるように、その場を後にした。
天原頼人の部屋をノックするが返事はない。
まさかと思い、ドアを開けるとそこには誰もいなかった。開け放たれた窓から察するに彼は挨拶もなしにここから出て行ったようだ。
俺は部屋の中に入り、ゆっくりとベッドに腰を下ろす。
「…………」
全ては終わった。
事件の元凶であった禍渦とやらは壊れ、これでまたイェジバにも平穏が戻るだろう。
「……だが、元には戻らない」
死んでいった者は生き返らないし。
村人の俺への信頼も消え失せた。
明日にでも村人には全てを説明しなければならないだろう。ここで一体何が起こっていたのかを。そして俺が何を犠牲にしようとしていたのかも。
それが防人としての最後の務めだ。どのような扱いを受けようとも果たさなければならない。
だが、それにしても――。
「消えるのが少し早すぎやしないか? おかげで伝えそびれてしまった」
この部屋を訪ねたのも全てはその為。彼の誤解を訂正するためだ。
「俺は正直者などではない」
何故ならあのとき。
あの髑髏の男がユーリを『殺してくれた』とき、俺は内心、安堵していたのだから。
自分の手で彼を殺さずに済んで良かったと思ってしまっていたのだから。
そうしなければ村を救えないことは分かっていたのに。他人に人殺しという重荷を押し付けてしまった。
「…………く、うう」
だから、俺を正直者と評してくれたあの少年に伝えたい。
俺は、本当は薄汚い卑怯者なのだと。
「ぐっ、うう、うぁぁあぁあ……ッ!!」
自身の情けなさと、惨めさに涙を堪えることが出来ない。それでも何とか溢れ出る涙を拭い、嗚咽を噛み殺し、天原頼人が出て行ったであろう窓へと手をかける。
そうしていまや満天の星をその身に宿し、眩い光を放つ空を見上げ、今度こそ自分に誓いを立てる。
いつか、必ず彼に伝えよう。
本当の俺を。
そして問おう。
こんな俺を認めてくれるかを。
ジ・インビテイション・フロム・ルサルカ 幕
ザ・デイ・オブ・マイ・コンパトリオット へ続く
こんにちは、風邪をひいたぜ、久安です。
「ルサルカ」は今回で幕となりますが、これまでと違って解決後の「終わった、終わったー」みたいな清々しい気分は誰にもありません。何処かどんよりとした印象があることと思います。(なければそれは私の力不足なんだぜ)次回は逆にさっぱり終わらせる予定ですのでご安心? を。
本章の元ネタはそのまんまドヴォルザーグ「ルサルカ」。色々こねくりまわしたので原型は殆どありませんが……。
今回は主人公の座がヴォルくんに奪われたので次回「コンパトリオット」では頼人くんが主人公、主人公することを祈って。神様がこれ以上腹黒くならないことを祈って。この辺りで失礼させていただきます。
次回は10月28日 10時更新予定です。




