空へ墜ちる雷電
『……あらあら、どうして戻ってきたのかしら? 折角忌々しいあの女があなたたちを逃がしてくれたっていうのに』
スコトゥーハに戻るや否や、俺たちに投げかけられたのはそんな言葉。気配を読んだのか、禍渦はこちらが呼びだす前に数時間前と同じ姿で出迎えてくれた。
「アイツも酷い言われようだな。ま、そう言いたくなるのもわかるけど」
前に来たときも泉の周囲は開けた場所だったが、玖尾が焼き払ったのだろう、木々は一つ残らず消え去り、焼け野原と化していた。
ここまで住処を荒らされたのでは恨み言の一つや二つ言いたくもなるというものだ。
『それで? 私の鬱憤をあなたの命で晴らさせてくれるとでもいうの?』
「はっ、まさか」
禍渦相手にそんなことをしてやる義理などない。
「俺たちは貴様が望むものを持ってきてやったまでだ」
俺の言葉を引き継ぎ、アヴェルチェフはそう禍渦に対して告げる。
『……どういうこと?』
「そのままの意味だよ。オリガ、君の愛した男はここにいると、そう言っている」
そう言い終えるとアヴェルチェフは背負っていた袋を地面に置き、その中身を取り出した。
「ひ……」
小さな悲鳴を上げ、その姿を現したのはイェジバに住む一人の男。彼の目は恐怖に染まっていたが、それは目の前の事態にではなく、目の前にいる、いる筈のない女に対する恐怖。
『本当に……? 本当にユーリを連れて来てくれたというの?』
小刻みに震える腕をこちらに伸ばしながら、同じく震える声で禍渦はそう問いかける。
「ああ、確かめてみると良い」
片手で男の襟首を掴み、禍渦へと近づいていくアヴェルチェフ。禍渦と彼らとの距離があと数歩に迫ったところで、一つ状況を整理しておこう。
まず、禍渦としてこの場にいるあの女の名はオリガ。オリガ・ガザエフ。その正体は生前イェジバで暮らしていた、ただの女性である。俺としては彼女がイェジバに関係する人物だということは前回の戦闘時のアヴェルチェフの反応から推測することができていたし、特に驚きはない。
つまるところ禍渦は彼女を依り代にして顕現したというだけのことだ。
そしてアヴェルチェフが手にしているあの男。あの男こそが今回の禍渦破壊の鍵となる人物。オリガの『元』夫であり、精霊が愛した男の立ち位置にいるユーリ・ガザエフである。
玖尾の助けを借りて村に逃げ帰った後、アヴェルチェフがしたことは単純なことだった。
それはユーリ・ガザエフを確保すること。
アヴェルチェフは禍渦の、オリガの顔は当然見知っていたので、彼女の求めるユーリなる人物がイェジバに住む彼であることは直ぐに見当がついたそうだ。そして不確かではあったものの今回の事件の解決方法も。
実際、その方法が合っているかどうかはこれから試さなければわからないが少なくとも俺とアヴェルチェフの出した解答は同じだった。
アヴェルチェフは村の人間関係から。
俺は伝承の後半部分の予測から。
互いに違うアプローチの仕方で出た回答が同じならば、これが正答である可能性は高い。そして、もしこの答えが間違っていたとしても――なに、また別の方法を試せば良いだけだ。
「や、やめッ……」
禍渦の手が頬に触れるのを何とか避けようとするユーリだったが、アヴェルチェフに力で勝てる筈もなく、更に『連珠封判』で身体の自由を奪われた現状では身動き一つ取れずにいた。
そうしてオリガの手が彼の頬に触れる。
『ああ……』
俺たちの睨んだ通り、ボリスのときとは違い、その顔に浮かんだ喜悦が歪むことはなかったが。
『ああ……、ああ……ッ!! ユーリ、ユーリ、ユーリ!! やっと来てくれた!! やっと来てくれたのね!! 私、ずうっと――』
一発の銃声とともに彼女の愛の囁きが途切れる。
まあ、顔面を吹き飛ばされて喋れる筈もないか。
『……なあに? 結局邪魔をするの?』
すぐさま復元し、静かな殺気を孕んだ声でそう尋ねる禍渦。
「いやいや、俺としては直ぐにでもお引き渡してやりたいんだけどな。そっちの旦那がどうしても邪魔したいって言うんだよ」
そう言ってアヴェルチェフがこちらに投げ飛ばしたユーリを片手でキャッチする。
「……オリガ。私を覚えていないか? アヴェルチェフだ。小さい頃はよく遊んでやったろう? ユーリと喧嘩したときは相談にのってやったろう?
どうか、頼む。頼むから彼を諦めてここから消えてはくれまいか?」
そう。俺とアヴェルチェフが導き出した答えは、ユーリを生贄としてオリガに捧げるということ。
偽の伝承では精霊は男を解放したという記述があったが、俺も深緋の言う通り、あのような異常なまでの執着心を見せた禍渦が易々と手放すとは考えられなかった。
そう、あれは『普通』ではない。
狂っているのだ。狂愛といっても良い。
そんな狂愛を持ったヤツが一度逃した男を手に入れて最後にすることといえば大概決まっている。
ほら、そういうヤツらはよく言うだろう?
あなたと一緒に死んでこの愛を永遠にってさ。つまり目的のものを渡せば、この禍渦は自壊する。俺はそう踏んだ訳だ。
そして、その推測はアヴェルチェフの話を聞いて確信に変わった。というのもオリガの死因が夫ユーリの浮気を知ったショックによる自殺だということがわかったからだ。しかもここ霊泉での入水自殺。
ちなみにソースはユーリ本人。ここまでくればもう疑う余地はないだろう。愛ゆえに殺すか、憎悪ゆえに殺すかの違いしかない。
だが、どちらの理由に基づいていたとしても、村人を犠牲にするこの方法はアヴェルチェフにとって苦痛を伴うものだ。
故に彼はかつての住人であるオリガにそう嘆願したのだが。
彼女の答えは非情なものだった。
『――あなた、だぁれ?』
冷たく刺すような言葉を放ちながら、禍渦は腕を棍棒のようなものに変化させ、アヴェルチェフの身体を吹き飛ばす。
吹き飛ばされた彼は激しく地面に打ちつけられ、数度転がると仰向けの状態で静止した。
『アヴェルチェフ? 知らないわ、そんな人。私が大事なのはユーリだけよ』
「…………そうか」
ゆっくりと身体を起こしながらアヴェルチェフはその言葉を受け止める。
「ならば是非もない。天原頼人、済まないがさっき話した通り、いまから十分預かる。構わんな?」
「ああ、好きにすると良い。どっちに転んでも俺は俺の目的を達成できるからな」
まあ、無駄だと思うけど。
「――感謝する」
そう言って彼が掴むは例の槍。
「イェジバを守る防人としてただ村人を差し出すわけにはいかん。オリガよ、ユーリを手に入れたいのであれば、俺を屈服させろ。さもなくば俺は幾度でも貴様らの逢瀬を邪魔しよう」
両手で槍を構え、壊すべき敵を見据える。彼の中で溢れんばかりの闘気が渦巻くのがわかる。
「『連珠封判』――第一印「寒星」から第十三印「遊星」まで全封判解除。五槍『ブリュンナック』――ヴィエーティエル、ゼムリャ、アゴーニ、ヴァダーの四槍を分離、自動制御へと移行。
ヴォルク・アレクサンドロヴィチ・アヴェルチェフ、――推して参る」
力強く、しかし何処か悲しそうな瞳を湛えて彼はそう名乗りを上げた。
――『連珠封判』。
それは何かを縛りつける力。
この力があったから、俺はこうして人間と触れ合うことができた。
忌血種としての不必要に強すぎる力を抑え込むことができた。
俺はそうして初めて自分のこのスキルを好きになった。
――『ブリュンナック』。
それは自分の大切なものを守るために俺を拾ってくれた男がくれた力。
この力があったから、俺は大事なものを失くさずにいれた。
忌血種としての全力を出すことなく、大事なものを守ることができた。
俺はそうして初めて自分を誇らしいと思った。
だが、――いまのこの様は何だ?
奥歯を噛みしめながら自分の不甲斐なさを心の底から嘲笑う。
防人としての誇りなどとうの昔に消え去った。こうして勝ち目のない戦いに挑み、無様な姿を晒しているのは何を守るためでもない、下らない俺の意地。
いまの俺はただの一体の忌血種だ。
何の役にも立たない、この村に不幸を呼び込んでしまったただの忌血種。
しかし、それでも。
そんな愚かな忌血種にもこの村を守れるのだというのなら、俺はどんな方法でも躊躇うことなく実行しよう。
最後の一瞬くらいは誇り高いイェジバの防人でいたいと思うから。
「はは……、こりゃ想像以上だわ」
恐らくは史上初めてとなる忌血種と禍渦の戦いに俺は目が離せないでいた。
「ここまで圧倒的とはな」
なんて言うのかね。高校野球、百対零のコールドゲームを見てる感じっていうのか?
『………………ッ!!』
最早禍渦は声を出す暇さえない。
いいや、喉を裂かれ、声を出すことができないと言った方がより正確か。
時折、禍渦も復元した腕で、脚で、頭で、アヴェルチェフに反撃を試みようとするものの、その全てが悉く粉砕されていく。
いまの彼には文字通り何の枷もない。
彼が非力な人間と暮らす為に自身にかけた十三もの封は解除され。
その手に持つ、この村に伝わる五槍『ブリュンナック』のリミッターも解除済み。
つまり口に出すのも業腹だが、俺と戦ってたときのコイツは手を抜いて、抜いて、抜きまくっていたということ。
ああ、ちなみにアイツの持つあの槍はスキルとはなんの関係もない。魔装と呼ばれる、昔人間が魔物に対抗するために造り出した武器なんだとさ。
だから誰でも使おうと思えば使えるらしいんだが、大昔の人もまさかその魔物に使われるとは思ってなかったろうなあ。
『ご……の……ッ!!』
禍渦の両腕が鎌のような形状をとり、アヴェルチェフの首を狙って宙を駆ける。もしあれが彼の首を撫でれば、あっという間に彼の首は飛んでいただろう。
だが、彼には届かない。
彼の周囲を飛ぶ四つの槍がそれを阻む。
風を生み出す『ヴィエーティエル』。
大地に干渉する『ゼムリャ』。
火炎を宿した『アゴーニ』。
水の流れを操作する『ヴァダー』。
俺が剣だと思っていたそれらはアヴェルチェフ曰く槍であるらしく、本体である円錐状の穂先を持つ『ブリュンナック』から分離することでそれぞれ自律兵装として行動するそうだ。
いまも滑らかに宙を疾走するそれらは禍渦の鎌に変化した腕を、その切っ先で以て分断し、脅威からアヴェルチェフを守護している。
そして。
『あ……』
ヴィエーティエルは風の刃で切り刻み。
ゼムリャは大地の槍で刺し貫き。
アゴーニはその業火で蒸発させ。
ヴァダーは泉の水でできた禍渦の身体を狂わせる。
禍渦は最早悲鳴すら上げられない。
そんな時間を与えられることなく何度も、何度もその身を粉微塵に壊される。
まったく。どっちが化物なのかわからくなってくる光景だ。禍渦とアヴェルチェフではなく、俺とアヴェルチェフを比べて、だが。彼と比べれば俺など赤ん坊にも劣るだろう。
しかし、そんな彼にもダメージが無い訳ではない。
寧ろ、一つ禍渦を傷つける度に致命傷を負っているといっても良い。
「……………………」
彼の表情は戦い始めたときから何も変わっていない。
その眼はかつて住民だった相手を冷酷に見据え、その口は真一文字に閉じられ、無駄な言葉を一切発することもなかった。
唯一その中で例外を見つけるとするならば、それは頬。
その頬にはずっと――何筋もの涙が流れていた。
「イア、いま何分?」
『えっと、八分三十六秒』
さてと、そろそろ約束の時間だがアイツは納得できたのかね。
勝ち負けなど戦う前からわかっている。アヴェルチェフは禍渦に勝つことなどできない。正しい手順を踏まない限り、禍渦を消滅させることはできない。
だからこれはアイツの、アイツ自身が自分を納得させるための戦いだ。多少の犠牲を払ってでも村を守るという誓いが果たせるかどうかの分岐点。
まあ、そうはいっても俺はそんなに心配はしていない。
これまでも自分に嘘吐くことなく生きてきた男だ。いまさらになってその誓いを捨てることなどしないだろうし、できないだろう。
どんな過程を踏もうが最終的にはユーリの命を禍渦に差し出す。そうなる筈だ。そうしなければアイツの愛した村はいずれ滅びてしまうのだから。
『……ごほっ』
禍渦はもう何度再生を繰り返したのかわからないし、そしていまも再生を続けている。
両手両足を四筋の槍で刺し貫かれ、身動きの取れないところをアヴェルチェフはその手に持つ最後の大槍で彼女の胸を穿っている。
血こそ流れていないが、穿たれた胸からは液体が流れ出、ブリュンナックをつたい、アヴェルチェフの手を濡らしていた。
「……オリガ。もうやめにしよう。これが最後のチャンスだ」
『う、ふふ……』
弱々しく、そう小さく笑うと禍渦は伏せていた顔を上げ、その盲いた目を明後日の方向に向けながら叫んだ。
『ばぁーか!! そんな訳のわかんないこと言ってるから足元を掬われるのよ!!』
と、その瞬間アヴェルチェフの手に触れていた液体が勢いよく彼の体内へと侵入しようとする。
「あの野郎!!」
今度はダイレクトに他人を乗っ取るつもりか!?
アヴェルチェフが敵に回れば、こちらに勝ち目などない。禍渦はユーリを手にいれて自壊するという結果は得られるだろうが、それは俺がアイツに殺された後の話だ。
俺はユーリをその場に放り出し、アヴェルチェフと禍渦の接続を絶とうと一足飛びに渦中へと飛び込んだが。
どうやらそんな必要はなかったらしい。
「……そうか、残念だ。オリガ」
『…………え?』
「昔、話したろう? 忌血種は強いから、強すぎるから世界から嫌われたと」
彼の体内に侵入しようとしていた液体は皮膚の表面で止まり、それ以上の侵入を行えないでいる。
うわ……、そういうタイプの攻撃にも耐えるのか、忌血種って。戦闘面じゃあ本当に死角がねえな……。
『……ひッ!!』
胸の中心に刺さる大槍から紫電が迸り、他の四筋の槍の穂先へと流れ込む。その柄から放出された電光は互いを繋ぎ、輪となって禍渦を取り囲む。
「……弾け、ブリュンナック」
そうして彼の言葉を引き金にして天に向けられたブリュンナックの穂先から特大の紫電の槍が放たれる。
その光の刃は天高く舞い上がり、雲を貫き、月にその姿を晒させ。
その衝撃に耐えきれない大地はその姿を歪ませていく。
それ程の威力。
当然のことながら、それに触れた禍渦は一瞬して霧散した。肉片、いや欠片一つ残さず俺たちの目の前からは消えたといって良いだろう。
『……頼人』
「……ん?」
『……いまで丁度、十分です』
「……そう」
コイツが敵じゃなくて良かったよ、ホント。
紫電の余韻残る大地に立ちながら、やや震える体を腕で押さえつける。
はは、震えてやがるや。
ただ、そこに羞恥や、情けなさというものはない。あんな超極太レーザーみたいなもん間近でぶっ放されたら誰だってこうなるだろうさ。
そうして震えが少しは治まった頃、俺は口を開いた。
「それで? 気は済んだか?」
「……ああ、俺は全力を尽くして万事にあたった。それでも『殺し切れなかった』のであれば是非もない」
アヴェルチェフは静かに水を湛える泉へと目を向ける。そこには完全には再生が済んでいないのか所々顔のパーツが欠け、グロテスクな風貌となった禍渦の姿があった。
『ユ……ゥリ。ユー………り』
ずるずるとその身を移動させながら、泉から這い出ようとする禍渦。しかし、身体の再生が滞っていることもあり、ただ泉の中でのたうちまわっているようにしか見えない。その姿は普通の人間が見れば痛ましいと思う様なものなのだろうが、俺には滑稽にしか映らなかった。
だって所詮、これは偽物なのだから。
感傷に浸る方がどうかしている。
「どうする? 俺がアイツを放りこもうか?」
それくらいの配慮はしよう。俺だって流石に『元』ではない『現』村人を放りこめとまでは言わないさ。ただ、それを黙って見ているだけでオマエは誓いを果たしたことになるんだから。
「…………いや、俺が最後までやろう」
しかし、俺の申し出に対し彼は首を横に振った。そしてユーリを抱え、泉の前に立つ。
ちなみにユーリはといえば完全に怯えきり、碌に声すら出せる状態ではなかった。目を見開き、宙に浮く自分の足元に蠢く禍渦の姿を見て息を荒くするばかり。
「天原頼人」
唐突に。
アヴェルチェフは俺の名を呼ぶ。
「何だよ」
「今回手を貸してくれたこと。礼を言う」
「礼なんていらねえよ。それに可能性が高いってだけでまだこの方法で解決するかもわかんねえし」
礼を言うにはまだ早い。
「…………一つ、頼みを聞いてくれるか」
水面を静かに眺めながら彼はまた口を開く。
「もしまた、この村が窮地に陥ったとき、そのときまた貴様は助けてくれるか?」
「どういう――」
「手を貸してくれるか?」
俺の言葉を遮り、彼は再度俺に問いかける。
まったく何だというのか。やや不機嫌になりながらも俺は渋々彼の問いに答えてやることにした。
「助けてやるよ。俺は昔から約束を破らないヤツの頼みは断らないことにしてるんだ」
よっぽどのことがなければな。
俺のその言葉にアヴェルチェフは小さく笑う。
そして――。
「そうか、これで――、これで安心して逝ける」
そう言ってアヴェルチェフは身体をぐらりと傾け。
ユーリとともに。
禍渦の待つ泉の中へと落ちて行く。
俺が手を伸ばす暇も、叫ぶ暇もなく彼はそのまま俺の視界から消えて行った。
どうも、久安です。
あと一話で『ルサルカ』終了となります。次章のタイトルは未定……というか少し順番を入れ替えたので次々章のタイトルが先に決まっているという有様。あっはっは、もう笑うしかねえ……。
次章も表世界、次々章は裏世界の話です。
次回更新は10月24日 10時を予定しています。




