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鷽から出たマコトの世界  作者: 久安 元
ジ・インビテイション・フロム・ルサルカ
43/213

忌血種(タブ)

「嘘だよ、嘘……。こんなのってないよ……」

 イアは両手で顔を覆いながら目の前にある光景を否定する。

「イア、目を背けるんじゃない。ちゃんと目を開けて前を見ろ。これが俺たちに用意された現実だ」

「よ、頼人ぉ……」

 肩を震わせ、俺の名を呼ぶイア。

 俺は俺で笑いを堪えるために小刻みに震えている訳だけれど。

「貴様ら……、人が用意した食事を見るなりその反応は失礼だとは思わないか?」

「いや、ヴォルくん……。これはないわ……」

 玖尾が指差すテーブルの上にはアヴェルチェフが拵えた四人分の夕食。

 まず、先頭バッターとしてライ麦パン、いわゆる黒パン。これは特に問題ない。白パンより栄養価も高いし、いままで食べたことがなかったのでどんな味なのか興味もある。

 だが続く二番手が既に何かわからない。

 何この真っ黒な塊。この世の邪悪?

「これ、なんやのん?」

「見たらわかるだろう、シャシリクだ」

「マジか、アンタ!!」

 玖尾は信じられないという顔で皿を見つめる。

「玖尾、シャシリクって何だ?」

「え? ああ、簡単に言うたら牛とか羊の串焼きみたいなもんで、ぶっちゃけ下味つけたら焼くだけのお手軽料理やねんけど……」

 改めて皿の上に堂々とその身を横たえる物質に目をやる。

 ないな……。これはない。

 だってこれが俺の知らない未知の料理だという可能性があったにも関わらず、これは人が食べる物ではないと断じることができたんだから。

「はぁ……、ほんならこれは? この冬の学校のプールみたいなこれはなんやねんな? まさかオクローシカか?」

 ああ、それ。やっぱりそれも食べ物なんだな……。

 シャシリク? に続く三番手。見た目としては玖尾が言ったように藻で溢れ返った冬のプールのよう。汁物らしいがカップを触ってみると意外に冷たかった。

「分かっていて聞くな」

「当たりかい!! もしかして、でもまさかなあ、万が一ということもあるしで言ってみたら当たりなんかい!!」

 頭を抱えながらくねくねと苦悩する玖尾。

 こいつがここまで困惑するとは。というか俺たちとの戦闘のときより困ってねえか?

「ハムは!? ジャガイモは!? パッと見、大根の葉ぁしか入っとらへんのやけど!?」

「俺はジャガイモが嫌いだ!!」

「私はジャガイモ大好きだよ!!」

「知らんわ!! ちゅうかイアちゃんは大人しいしときィ!! ああ、もうほんなら百歩譲ってジャガイモはええわ、ほんならハムは!? まさかハムも嫌い言うんちゃうやろな、コラァ!!」

 アヴェルチェフの胸倉を掴み、前後に揺する。

 ……玖尾。それじゃあ喋りたくても喋れねえって。

「私はハム大好きだよ!!」

「うぉおい、保護者ァ!! アンタんトコのお子さん暴走してるで!!」

「いや、ほら天丼ってことでどうだろう?」

 その子、実はお笑い大好きなんだよ。テレビもそればっか見てるし。

「チィッ、まあ良しとしとこう!!」

 いいのかよ。

「ほんでアンタや!! 言うてみい、何でハムがないんや!!」

「いや、買い置きがなくてな」

「そこは嫌いって言えやぁぁあああ!!」

 より一層前後揺すりを強烈なものにする玖尾の姿を見て、心底アヴェルチェフを気の毒に思う。自業自得な筈なのにな。

「流れが出来てたやん!? アンタも同じこと繰り返して言う流れがイアちゃんの辺りから出来てたやん!?」

「貴様、それで腹を立てていたではないか」

「それはフリやねん!! アンタもこんな感じでこいよーっちゅうフリやねんて!! そこは読もう!! 死力を尽くして空気を読もうや!!」

「おいおい、そりゃ酷すぎんだろ」

 流石に無茶苦茶な要求をされているアヴェルチェフの助けに入らなければと思い、そう口にしたのだがそれがマズかった。

「そもそもよっくんがツッコまへんからウチが頑張ってんねんで!? 本来ボケ倒すのがウチの本来の姿やのに!!」

「お、おお、そりゃ悪かったな……」

 本当とか、そんな単語出されちゃ俺にはどうすることもできねえよ……。

「ふふ、頼人怒られてる」

 からかうように呟くイア。いつも俺に翻弄されているお返しといったところだろうか? まあ、それは別に構わないんだが、俺をからかおうというのならそれなりの覚悟はしておくんだな。

「イア。知ってるとは思うけど俺はちゃんと約束を守るからな」

「え? 約束? なんだっけ?」

 テーブルに座ったまま小首を傾げ、こちらを見つめるイア。俺はその視線を真っ向から受け止めながら更なる過酷な事実を突きつけた。

「今日の夕食。イアに譲らなくちゃいけない約束だったよな?」

「……ッ!?」

 イアの手に握られていたフォークが音を立てて床に落ちる。

 そしてそれは合図。

 彼女の超えるべき苦行が始まったことを告げるベルに過ぎない。

「ほう、イアは食欲旺盛なようだな。ならば俺も腕によりをかけた料理だ。貴様の分は特盛りにしてやろう」

「はうッ……!!」

「せやったらウチもお裾分けっちゅうことでこのシャシリク(笑)をあげるわ」

「はうあッ……!!」

 イアの前には黒パンという唯一の光を除いて、邪神の軍勢がその勢力を広げていく。

 ああ、こりゃあダメだ。勇者も裸足で逃げ出すレベルだわ。

「う、うう…………」

 イアはその大きな金の瞳に溢れんばかりの涙を溜めこんでおり、いつそれが決壊してもおかしくない状況にあった。

 さて、どうするかな。それなりに面白い画は見れたのでイアに付き合って共に地獄に堕ちても良いかなとも思うのだが。

 しかしながら俺がその覚悟を実行に移す間もなく、闖入者によってこの奇妙な食卓の騒がしい空気は一瞬にして壊された。

「ア、ア、アヴェル……チェフ、さん……ッ!!」

 アヴェルチェフの家のドアをまるで破るようにして現れた少女は息も絶え絶えに、しかし使命を帯びた力強い瞳で彼の名を呼んだ。

「バーの……、マス、ターのボリスさんが…………」

 そして続くその言葉でいまこの村に何が起こったのかを俺を含めた四人は瞬時に理解していた。

 決して待っていた訳ではないけれど。

 どうやら禍渦のお出ましのようだ。



 明るい光の灯る村から離れ、木々が鬱蒼と茂る薄暗い森の中で俺たちはボリスという人物を尾行していた。通常の人間なら直ぐに見失ってしまう程の暗さだったが、同調状態の俺の目には昼間と同じように見える。

 ただ、魔物といえども暗さには適応できないようで、玖尾、そしてアヴェルチェフの二人は目ではなく、気配でボリスの位置を確認しているようだった。

 というのも現在行っているのは距離にして約二百メートルもの間隔を空けた超遠距離尾行である。アヴェルチェフが以前、尾行に失敗した話を参考に、今度は接近し過ぎないよう注意しながら追跡することにしたのだ。

 禍渦がこちらの動きに反応して誘い込んだ人間の姿を眩ませているのなら、最低でもこの距離、こちらから操られた人間を視認できるギリギリの距離を保つ必要がある。

「おい、本当に大丈夫なのか? もし見失ったら――」

 アヴェルチェフと玖尾には禍渦と、俺とイアの力のことを話したが、どうやらまだ完全には信頼できないらしい。アヴェルチェフはしきりに俺に状況を確認してくる。

「安心しろよ、ボリスは俺らの約二百メートル先をのたのた歩いてる。髪は長髪、ドレスを着て右の人差し指には銀色の指輪。これで満足か?」

「…………済まん」

「信用が勝ちとれたようで何よりだ」

「なあなあ、よっくん、よっくん」

 心配性なアヴェルチェフを黙らせたと思ったら今度は玖尾が俺の袖をクイクイと引いてきた。

「失踪しとるんて男だけやなかったん? いまの特徴やと完全に女やと思うんやけど」

「ああ、一つ特徴を付け加え忘れた。顎には青髭」

「………ってオカマかい!!」

「うむ。ボリスはこの村で唯一のオカマバー『まよねーず』を経営している男なのだ」

「あんな小規模な村に二つも三つもオカマバーがあって堪るか!! ちゅうか一つある時点で奇跡やわ!!」

 うーん、やっぱツッコミができる人間が増えると楽だなあ。ボケ担当を放置して追跡していられるし。

 ま、万が一見失っても禍渦の元に行くんだろうから問題ないんだけどな。既に位置は割れている訳なんだから。

「――ったく、どうなっとんねんこの村は。阿嘉の手がかりがなさそうやったら速攻でトンズラかましてるわ……」

 そうブツブツ言いながら俺の後を付いてくる玖尾。

 ああ、そういやコイツに聞きたいことがあったんだったっけ。遥か前方を行くボリスに注意を向けながらも俺は玖尾に話しかけた。

「なあ、玖尾」

「ホンマにあの男見つけ出したらタダじゃあ――――ん? あ、ウチ? スマン、スマン。で、どないしたん?」

「ちょっとオマエに聞きたいことがあるんだけど」

「えー、何? ウチのスリーサイズなら教えへんで?」

「それは毛ほども興味がないから良い」

「……さよか、じゃあイアちゃんのでどうや?」

『え!? 私!?』

 イアよ、何故慌てる?

 毎日見てりゃあ詳しい数値がわからなくても目星はつく。それに俺に知られたところで大した被害はないだろうに。

 というかそもそもだな。

「知らないことをどうやって人に教える気だ、オマエは?」

「ちぇー、バレたかー」

『そ、そうだよね。知らないよね。……ふう、吃驚した』

 まったく……。俺はそんな下らない話がしたいんじゃなくて――。

「俺が聞きたいのはアヴェルチェフについてだよ」

「『……………………』」

 ちょっと待て、何で俺から距離を取るんだ? イアはイアで心の距離が遠くなった気がするのは気のせいなのか?

「もしかして……、よっくんもこっち? ――アイタッ!!」

 ピンと伸ばした手を口元に当てそう問いかけてきた玖尾の頭にチョップをお見舞いする。

「誰がオカマだ、コラ。俺は女が好きだ。ノーマルだっての」

「ならええんやけど……、ヴォルくんのスリーサイズやなかったら何を聞きたいねんな?」

 玖尾は殴打された頭が痛むのか、頭頂部をさすりながらそう呟く。

忌血種タブについて」

 俺がその単語を口にした瞬間、場が凍りつく。

 ……やはり、こうなるか。

 気にはなっていたのだ。

 初めてこの言葉を発したときのアヴェルチェフの自嘲的な物言い。そして玖尾のそれを諌めるような口調。

 そのとき俺の身体の中を禍渦の思念が駆け廻っていたので、断片的にしか聞こえなかったがそれだけは覚えている。

「……よっくん、それは……」

「玖尾、構わん」

 俺の問いに答えることを拒否しようとした玖尾の言葉を遮ったのは意外にもアヴェルチェフ、その人であった。

「……ホンマにええんか?」

「ああ、協力してもらうのだ。俺は出来得る限りの誠意を見せなければならんだろう。ただ、済まないが……貴様の口から説明してやってくれ」

 そう言い残すとアヴェルチェフはボリスの気配を頼りに先行する。無論、禍渦に気取られないよう注意しながら、だが。

「はあ……、よっくん? いまのはもう終わったことやから、ヤイヤイ言うのは止めとくけど、あんまり人の気にしてるとこズバリ聞いたらアカンで?」

「かといってコソコソ詮索されるのも嫌なもんだろ? 悪いとは思ったけど結局直接聞くのが一番だとも思ってさ」

「そりゃ、そうかもしれんけど……」

 玖尾は更に小言を言おうとしたようだが、止めたようだ。そして代わりにその口から出て来たのは忌血種についての概要だった。

「……忌血種っちゅうのはな、簡単に言えば魔物と人間のハーフやねん。んでその存在を認識してるんは裏世界リバースの連中だけや」

 進路にある小枝を片手で払いながら、彼女はゆっくりと話し始める。

「ヴォルくんやったらクロトネクトっちゅう種族の魔物と人間との間にできた子どもやな。スキルは親からの遺伝やから、忌血種に決まったスキルっちゅうもんはないんやけど、ただ一点だけ。全ての忌血種に共通することがあんねん」

「共通すること?」

 馬鹿みたいにオウム返ししてしまったが、玖尾は茶化すことなく、そしていつになく真剣な表情で話を続けた。

「それは――強いっちゅうこと」

「………………それだけ?」

 彼女は俺の言葉に頷きを返す。

「そう、ただそれだけ。でもただそれだけのために忌血種は迫害を免れへんかった」

『……どういうこと? 強いなら苛められることなんてないんじゃないの?』

 だよなあ。

 俺もイアの意見とまったく同じことを思っていた。強いのであればどんなことでも撥ね返せそうな気がするのだが、続く玖尾の言葉を聞いてそんな考えは打ち砕かれた。

「……意味がわかれへんっちゅう顔やな。ええか? 強いっちゅうことはな、ええことばっかりやない。そりゃ尊敬もされるやろう、憧憬の的にもなるやろう。でもな、それは戦いを生業にする連中にだけや。普通に暮らしとるヤツからしたら単なる恐怖の対象でしかない」

「『……………………』」

「ライオンは強いライオンに憧れるけど、にゃんこはライオンを怖がるだけ。それと同じ。そんでその恐怖心が敵愾心に変わるまで時間はかからんかった。

『忌血種は不幸を呼び込む』っちゅうてな。初めは他愛ない噂やった。でも信じるヤツが多くなるとただの噂が本当になっていったんや」

 そこから先は聞くに堪えない迫害の数々。

 不幸を追い払うためにと言って忌血種の首を落として家に飾り。

 浄化だと言って生きたまま炎で彼らの身を焼き。

 それはさながら中世の魔女狩りのような光景だったと彼女は言う。

 大勢の魔物が、人間が、忌血種の居場所を奪い、潰し、その存在すらも消し去ろうとしたのだ。そして彼女はまるで実際に見て来たかのように、いやきっと実際にそんな光景を見て来たのだろう、ただ遠い眼をして語るのだった。

「まあ、それでも無境王むかいおうっちゅう王さんが手を尽くしてくれたおかげで、昔ほど差別は酷くはなくなってん。ただ、それでも完全に根絶できるもんでもない。あの子もウチらが想像できひんようなことを経験して、そうして表に流れ着いたんやろうな……ってどないしたん、アンタ!?」

「へ?」

『よ、頼人!? 泣いてるの!?』

「へ!?」

 イアの言葉に慌てて頬を拭うと確かにそこには涙の粒が光っている。

 え? ちょっと待って、なんで泣いてんの、俺!?

『い、いくら悲しくなったからって泣かなくても……!!』

 悲しい?

 悲しいのか、俺?

 ――いいや、違う。

 俺は――きっと嬉しいんだ。

 アヴェルチェフのような男がこの世界にいたということが。

 きっと自分はただの魔物だと偽ればもっと簡単に生きてこれたことだろう。

 それでも彼は自分を偽らなかった。

 自分が忌血種であることを偽らなかった。

 普通の人間から見ればただの不器用で馬鹿な男に見えるだろうが、俺には彼の生き方がこれ以上ないくらいに眩しく映るのだ。

「ちょ、よっくん。ウチのせい? ウチのせいなん、これ?」

「あ、ああ、悪い。ちょっと嬉しくなってさ……」

「『嬉しくって何に!?』」

「うるせえな。別に何にでも良いだろ? それより玖尾さんよ、裏から表にってそんな簡単に行き来できるもんなのか?」

 ゴシゴシと涙を拭いながらそう尋ねる。

 俺や深緋は御社を使ってるから何の苦労もなく行き来出来ているがそれ以外の方法はどうなのだろうか?

「んー、難しいというか基本的には運やなあ。ウチらが移動するには、表と裏、二つを繋ぐ孔を通るんやけど、その孔ができんのも自然現象みたいなもんやし」

「へえ……」

 やはりウチの神様は相当デキる人物のようだ。というかそんな技術を持っているなら自由に行き来できる御社を忌血種連中に解放してやれば良いのに。

 まあ、そんな疑問はあとで神様に問い詰めるとして――。

「うっし、何かやる気出た!! 今回は様子見のつもりだったけどいまなら力づくで粉砕できるような気がするぜ!!」

『それは無茶でしょ……あれ? あそこにいるのってアヴェルチェフじゃない?』

「あん?」

 イアの言葉に導かれ前方に目をやると木々の途切れた、草だけが繁茂するやや拓けた場所にアヴェルチェフが立ちつくしていた。

 しかも、なにやら様子がおかしい。彼は全身を震わせ、いまにも地面に崩れ落ちそうになっている。

「おい!! どうした!?」

 まさか禍渦に乗っ取られたんじゃないだろうな?

 アヴェルチェフもまごうことなき男である。禍渦に乗っ取られる可能性は零ではない。だが、そうなると禍渦はボリスとアヴェルチェフ、複数を同時に操っていることに――。

「――な馬鹿な……」

 しかし、その考えは小さく呟いたアヴェルチェフの声で掻き消される。そして彼の手から四振りの剣の付いた槍が滑り落ち、渇いた音を響かせた。

「ここは、この場所は――」

 絞り出すように言葉を発する。

「我らがずっと守ってきた聖域」

 信じられないというように。

 信じたくないというように。

 ボリスが誘い込まれた魔窟の名を叫ぶ。

霊泉れいせん、スコトゥーハ」

 彼の視線の先にある、恐らく霊泉とやらに続くのであろうその道は、まるで地獄への入り口のようで。

 そこから流れ出る生温かい風が俺たちの頬を妖しく撫でた。


 いつもより少し長くなりました、第十一話です。

 やっとこさ忌血種について玖尾さんが説明してくれましたが、ハーフで強いとか○飯とトラ○クスみたいですね。(だからどうした)

 アヴェルチェフの精神がマッハで擦り減っていってますが彼が最後まで生き残れるように祈る限りです。

 

 次回は十二話。10月8日 10:00に更新予定です。

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