いつもの景色、見慣れぬ景色
「えらくお疲れの様子だな、頼人」
昼休み。俺が学校の自分の席で突っ伏していると、俺の数少ない友人である桐村龍平がそう声をかけてきた。
「……ん、ああ。殆ど寝てないからな」
驚くべきことに裏世界から戻ってきた後、時計を確認すると既に五時を回っていたのである。あのような幻想的な景色を見たことがなかったからといって、神様とダラダラ話しこむべきではなかったと、いまさらながらに俺は後悔する。
ちなみにイアとは井戸から出た後に分かれた。俺の家に居候し始めて二カ月が経つので彼女が道に迷う心配はないし、リュックも背負わせているのでコードが衆目に晒されることもない。
そして俺はそのまま校内に入り込み、数時間の仮眠をとっていたという訳だ。(ちなみに服はイアと同調する前に既に制服を着ていたので問題ない。同調を解けば済む話だからな)
「寝てないって、何してたんだよ? ……ハッハァ~ン、大方、アレなDVDでも見てたんだろ。イヤッ、頼人ったら不潔よ!!」
どこのオネエだ、お前は? そもそも俺の家にそんなブツがないことは確認済みだろうに。……まあ本ならあるわけだが。
「アレ? アレって何?」
龍平が馬鹿騒ぎをしたせいか、これまた俺の友人である白波瀬美咲が何事かとこちらにやってきた。
「げえ、美咲……」
「何よ、龍平。あたしに言えないようなことでも話してたっていうの?」
鼻息荒く龍平を問い詰める美咲。
このままだと俺にまで突っかかってきそうだな……。仕方がない、早々に白状してしまうとしよう。
「美咲」
机に突っ伏したまま右手だけを挙げて美咲を俺の頭の近くまで誘導する。根が素直な美咲はやや訝しみながらも、耳を大人しく俺の口元に近づけた。
「アレっていうのは――――で――――なもののことだ」
「~~~~~~~~~~~~!?」
すぐさま、美咲の顔が真っ赤に染まる。
あれ、意外と初心な反応するな、コイツ。ちょっと可愛――――ごうっ!?
「馬鹿じゃないの、アンタ!?」
「……真実を……、教えてやった……、だけ……だろうに……」
「頼人ぉぉぉお――ぎゃぁぁあああああ!?」
あ、龍平もやられた。しかも俺より攻撃のグレードが上だ。いまどきの女子高生というのはかくも簡単に他人の目を潰しにかかるものなのだろうか?
まあ、俺自身も問答無用で右頬をグーでブン殴るとは思わなかった訳だが……。
「馬鹿ジャナイノ、馬鹿ジャナイノ、馬鹿ジャナイノ、馬鹿ジャナイノ、馬鹿ジャナイノ、馬鹿ジャナイノ、馬鹿ジャナイノ、馬鹿ジャナイノ、馬鹿ジャナイノ、馬鹿ジャナイノ………………」
そして、呪いの如く、罵倒の言葉を紡ぎながら何処へでもなく嵐は去って行った。
……アイツ、ちゃんと五限目には帰って来るんだろうか?
「お~、痛え。なあ、頼人、俺の目玉大丈夫? ちゃんとイケメンのままか、俺?」
「ああ、安心しろ。ちゃんとブサメンだから」
「お前……」
切ない表情でこちらを見ている龍平には申し訳ないが、こういう普通の時間って癒されるな。
イアとの禍渦破壊を始めてから、そんなことを良く思うようになった。
俺は他人のつく嘘がわかるという力のせいで、人の汚いところを見る機会が多い。だからこれまで、自分のために嘘をつくような人間とは関わらないようにしてきたのである。
そしてそうすると必然的に俺が仲良くなれる人間はかなり限られてくる訳で。このクラス、いやこの学校全体で考えても恐らく二桁にも届かないだろう。
だが、イアと出会い嘘には他人のためにつく嘘というものがあると知り、少し、ほんの少しは、嘘を許容できるようになった。具体的に言うと、何とか嘘つきとも挨拶ができる程度の社交性を得たということだ。
……完全に許容できるようになるまで、まだまだ先は長い。
「んで? 結局のところ何してたんだ?」
「一言で言うなら大冒険だな」
「…………さ~て、五限目は何だったかなっと」
「嘘じゃねえよ!? ホントだよ!?」
「わかってる。わかってるって」
思わず椅子から立ち上がろうとする俺の両肩を掴んで、それを阻止する。まるで落ち着けと言わんばかりに。龍平の手は優しく俺の両肩を包み込んでいた。
「お前は疲れてるんだ。いまはぐっすり寝てろ。おい、誰か柔らかい毛布と温かいミルク持ってこい!!」
「ちょ、止めろ。止めて、優しくしないで!!」
俺は必死になって龍平の暴走を止める羽目になってしまった。
こうして馬鹿騒ぎをしている間にも昼休みは過ぎていく。今夜再び裏世界に行こうと思っているので少しでも睡眠をとっておきたかったのだが……。
予想外の事態で全く休息を得られなかったにも関わらず、俺は心が安らぐのを感じていた。
先生たちには申し訳ないが睡眠は午後の授業を使わせてもらうとしよう。世界を守っているんだ、これぐらい良いだろう? 俺はそう胸の中で誰ともなしに尋ねかけた。
そして幸せな時間は過ぎ、時刻は深夜。俺はイアを連れ、再び御社を訪れていた。目的は勿論裏世界に発生している禍渦を破壊することである。
『でも、大丈夫なの、頼人? 昨日の今日でちょっと疲れてるんじゃない?』
ちなみにイアは既に俺と同調している。イアとの同調なしに天井の扉を開けることはできないという理由もあるが、何より昨日の咆哮が気になっていたのだ。
もし、あの咆哮の主がまだあの近くにいるとしたら、ただの人間のまま裏世界に行くのは危険すぎる。未知の世界に行くのだ。どれだけ用心したからといってし過ぎるということはない。
「大丈夫だ。仮に何かと戦うことになっても問題ない、心配すんな」
『なら良いけど……』
そうして俺とイアは扉をくぐり、再び蛍火輝く草原へと降り立った。
相変わらず表世界が夜であってもこちらは明るい。どうやら、表世界と裏世界とでは完全に昼夜が逆転してしまってるらしい。
『やっぱり、綺麗だね~。螢火だったっけ? 表にもこんなのあったら良いのに』
俺が思案している間にもイアは再び螢火に心奪われていた。確かに変わらず美しいが、よく一度見たものに対して感動できるなと、俺は彼女の方に感心してしまう。
『神様が夜はもっと綺麗だって言ってたよね。どんな風なんだろ、見てみたいなぁ……』
「見りゃ良いだろ? 少なくとも今日を入れて二日はこっちにいるんだから」
『え?』
「明日は土曜で学校は休み。日曜も学校は休み。ならいちいち表に戻ることもないしな。禍渦を壊すついでにちょっとぐらい観光していこうぜ」
せっかく来たことだしな。それに楽しみがないといまいちイアのモチベーションも上がりそうにない。馬の目の前に人参をぶら下げるみたいでやや気が引けるが、これでイアが元気になるというなら構わないだろう。
そして効果は覿面といえた。
『……………………った』
「イア?」
『いやったーーーーーーーーーーーっ!!』
イアの歓喜の叫びで俺の頭が激しく揺さぶられる。
ちょっと待て。俺を殺す気か?
『やった、やったぁ!! 頼人のことだから禍渦を壊したらすぐ帰るつもりなのかと思ったよ!!』
俺と同調していなければ、恐らくその辺を走り回ったに違いない。それほどまでにイアの喜びは大きかった。
だが、ここでいつまでも叫ばれても仕方がない。そろそろ目的の場所に、禍渦が発生している場所に案内してもらわなければ。カプセルから情報をインストールしたイアと違い、俺にはその場所がわからないのだ。
「イア、嬉しいのはわかったから早く案内してくれよ。ここでずっとこうしてたら日が暮れちまう」
さっきまで真夜中だった世界にいたからか、自分のその言葉に違和感を覚える。表と裏で昼夜が逆転しているので何もおかしなことは言っていないのだが。
『うん!! じゃあ、いつもみたいに案内するね!!』
普段より元気三割増しのイアは、俺の左腕に巻きついたコードを操り、俺に行くべき道を示してくれる。
さて、今回はどんな禍渦が在るのやら。
期待と不安が程良くブレンドされた心でそんなことを考えながら、俺は右も左もわからない世界の大地を進んでいった。