闇夜の創作者
『
「坊主よお、陣内の爺さんが殺されたってのは本当なのか?」
そう真剣な表情で尋ねるのは東郷貞和。その隣では青褪めた顔をした東郷司が椅子に座って口を抑えている。
現在、霧島たちが集まっているのは食堂。陣内が殺され、井坂幡が傷を負ったことで事態が悪化したことを確信した霧島がそれぞれの部屋を回り、ここに二名を除いて集合させたのである。
「はい、残念ながら……。それと君たちの友達が何処に行ったのか本当に分からないのかい?」
「は、はい。霧島さんたちが部屋に来る前に一度戻ってきたんですけど……。また部屋を飛び出して行って……」
「そう……、でも彼らを探しにはいけない。いま人を分散することはできないんだ。わかってくれるね?」
犯人が外部の人間だと分かった以上、下手に少人数で動き回ることは得策ではないし、彼らの中には脚に怪我をしている井坂や、錀や鈴など戦力にならない人間が多い。一塊りになっていなければ凶器を持った犯人に対抗することはできないだろう。
「……はい」
高校生二人は渋々といった様子で頷く。彼らとて自分たちの無力さを知っている。だからこの食堂から動けない。どれだけ友人のことが心配であったとしてもだ。
霧島は二人が椅子に座りこんだのを見届けると、今度は食堂を見渡した。
高校生二人のすぐ傍には東郷親子が並んで座っている。
また部屋の隅では錀の治療を受ける井坂、そしてその隣で心配そうな顔をする鈴の姿があった。
そして、彼の横には伊吹が、ちょこんと椅子の上で体育座りをしており、八島はといえば――。
「……伊吹、八島は何処に行った?」
「あ、気づいた?」
どうやら伊吹のその様子から察するに彼女は八島がこの部屋にいなくなっていることに随分前から着空いていたようである。
「出て行ったのに気づいたなら何で言わなかった!?」
「すぐ戻るって言ったから」
「すぐ戻るって言ったって――」
「それに」
怒鳴る霧島の口元を人差し指で押さえて彼女は言う。
「絶対に犯人に殺されることはないから心配するなとも言ってたよ。知ってるでしょ? 真が絶対って言うときは絶対なんだよ」
「……ッ、確かにそうだけど!!」
待ち人来たる。ストレスで彼の胃に穴が開く前にようやく彼女は颯爽と姿を現した。何故か、その身を少し濡らしながら。
「おー、武彦。何猛ってんの、お前?」
「八島!! 君、何処に行ってたんだ!!」
駆け寄る霧島に対し鬱陶しそうに手を振りながらそれに答える。
「あー、あー、うっせえなあ。ちょっと確認してきただけだっての。そう騒ぐなよ」
「確認?」
八島を見上げて首を傾げる伊吹。そうして八島は彼女のその姿を見下ろしながらにやりと笑って宣言した。
「ああ、確認だ。それでさ、恵理、武彦。お披露目といこうぜ」
「お披露目? 何のー?」
「決まってんだろ。今回の事件の真相を、さ」
驚くほどあっさりと。
彼女はそう言い捨てた。
だが、彼女の周りの人間はそうあっさりとその驚きを受け入れられなかったらしい。
「な、嬢ちゃん!! そりゃあ、どういうことだ!?」
「ほ、本当ですか!?」
しかし、そう皆がざわめく中、霧島だけは冷静に八島に顔を寄せ、小声で尋ねていた。
「八島……、あのとき君は平居夫妻を殺した犯人を探しようがないと言っていたけれど。それは本当なんだね?」
「ああ、絶対に本当だ」
「そう。なら聞かせてもらうよ。いつも通り、君の隣で、伊吹と一緒に」
彼のその言葉に八島はやや顔を顰めたが、すぐにその表情を形成させた感情を振り払う。そして努めて冷静に、それでいて響く声で話し始める。
今回の事件の全てを。
「とりあえず静かにしてくれよ。順を追って説明してやるからさ。まずは芳人のオッサンと有里香さんが殺された事件から片付けようぜ」
そう彼女が話し始めた途端、食堂は水を打ったように静まり返る。それは誰もが彼女の言葉の続きを聞きたいと望んでいることの何よりの証明。故に彼女は、八島は語る。彼女の「モノ探し」の結果を。
「まず、結論から言ってあの事件の犯人はいねえ」
「なッ!?」
あまりの言葉に再び色めき立つ一同。しかし、その緊張の波紋が広がりきる前に彼女は続けた。
「ま、それはこの世にはっていう意味。あの世にはちゃんといるぜ? あの事件の犯人はよ。……だから探しようもねえし、捕まえようもねえって言ったのさ」
「と、ということはつまり……陣内さんが……、犯人だっていうことですか?」
脚の傷に顔を歪ませながらも、井坂幡はそれを堪え、いまは亡き管理人の名を口にする。
確かに彼の言う通り、あの事件で一番犯人である可能性が高かった人物は陣内であった。井坂自身や錀、鈴の姉妹も容疑者として挙げられてはいたが、このロッジの構造を知り尽くしている彼に比べれば疑惑は微々たるものであるといえる。恐らく彼はその点を踏まえて彼の名を口にしたのであると思われるが……。
「いいや、違う」
八島はその考えを容赦なく一刀両断した。
「陣内さんは事件とは無関係だ」
「な、なら一体誰が犯人だと……」
「平居有里香」
井坂の問いかけに対し、八島は簡潔に答える。
「まさか!? んな訳ねえだろう!?」
これまで黙って話を聞いていた東郷貞和が納得できないという様子で口を挟む。
「自分の夫を殺したってのか!? それにあの女が犯人だって言うんなら誰に殺されたってんだよ!?」
「……他には?」
「ああ!?」
「他に平居有里香が犯人じゃない理由なり証拠なりはないのかよ?」
唾を飛ばして怒鳴る東郷に八島は更なる理由を尋ねる。それは彼をもっと怒らせたい訳ではなく、彼の持つ疑問を全て吐き出させようと考えているからだ。
全て吐き出して、納得してもらうため。
故に彼女は言う。
「誰でもいい。他に言いたいことがあるヤツは何時でも言ってくれ。俺は皆が納得できるように、ただ説明してるだけだからな」
それだけ告げると彼女は東郷に向き直り、彼の考えに応え始めた。
「まず、一つ目。夫だから殺さないなんて理由にすらなりゃしねえ。一度ネットで調べてみろよ。一日にどれだけの人間が身内に殺されるかわかるからさ。二つ目については……そうだな。これからちゃんと説明する」
再び八島は全員を見、語り出す。
「まず、俺があの事件の犯人を芳人のオッサンか有里香さんに絞った理由はオッサンの死体の位置が不自然だったからだ」
「不自然?」
「ああ。恵理、芳人のオッサンが死んでたのは何処だったか覚えてるか?」
「へ? そ、そりゃ覚えてるよ。トイレの中でしょ。確か――便器に座ったまま死んでた」
「そうだ。お前はそれをおかしいとは思わないか?」
「……何で?」
「トイレのすぐ前じゃ有里香さんが殺されてるんだぞ? どれだけ素早く殺したにしても物音がしない筈ないだろうが。扉の開く音、走る音、肉を切る音、床に崩れる音。その音に気づかない訳がない。そして、その異常に気付いていながら呑気に用を足していられる訳がないんだよ。少なくともトイレから一歩出た状態で発見されてなきゃおかしい」
「はっはっは!!」
八島がそこまで言うと突如食堂に笑い声が響いた。その声の主は東郷貞和。
「嬢ちゃん。残念だがそりゃあ無茶だぜ。もしかしたらあのオヤジは物音に気がつかなかったのかもしれない。それで嫁さんが殺された後にトイレで犯人に殺されたのかもしれないだろ? それに嬢ちゃんはあの女が先に殺されたって仮定で話してはいるが、オヤジが先に殺されたのかもしれないだろうが? それならトイレで便器に座ったまま殺されてたっておかしくなんかねえじゃねえか」
「……本当にそうか?」
「何?」
「いまオッサンはいくつも可能性を提示したけど、先に芳人のオッサンが殺されたってのはありえねえ」
「……何でそう言い切れる?」
「だって、犯人があの夫婦のどちらでもなく第三者だったとして、どうしてそいつは芳人のオッサンがトイレにいるってわかるんだよ?」
「ッ!!」
「確率としては明らかにトイレにいない方が高いのに真っ直ぐトイレに向かうというのは考えられない。鍵でもかけられていたら直ぐには殺せないしな。その間に有里香さんが悲鳴の一つでもあげるかもしれないことを考えるとリスクが高すぎる。だからオッサンが先に殺されたというのはまずあり得ねえんだ」
「なら、あの女が殺されたのに気づかねえで後で殺された可能性は? それなら――」
あり得るだろう。そう言おうとした東郷は八島に遮られ結局最後まで続けることは出来なかった。
「それもない。これも鍵の問題とか色々あるけど何より根本的に不可能だ。有里香さんはあの狭い廊下に倒れていたんだぜ? あの位置で床に倒れられちゃあ、満足に扉は開かない」
何という失念。東郷は霧島や陣内とともに死体を確認したときにそれを見た筈だ。しかし、事ここに至るまでそのことを考えなかったのは彼も人並みに動揺していたからなのだろう。何はともあれいまの彼には悔しげに唇を噛むしかなかった。
「隙間は大体十センチ程度。死体を動かした跡はなかったから、あの二人以外に犯人がいたとすればその僅かな隙間でオッサンを殺したことになるが、そりゃ不可能だろ? 芳人のオッサンを先に殺してその後有里香さんを、有里香さんを殺してその後オッサンを。このどちらもが不可能である以上、第三者があの二人を殺せる筈がない」
「そうか、だから――」
「犯人はあの二人のどちらかに絞られるってことか……」
数秒の沈黙。それは全員が事態をキチンと受け入れるために必要な時間。そして八島は一度息を吐き出し、続けた。
「で、こっからは俺が有里香さんに断定した理由だ。生憎とさらに状況証拠によるけど、まあ間違っちゃいないと思う。後で警察に頼めば、ちゃんとした物証も出るだろう。でも、これがいま俺に出せる精一杯」
そう言って彼女がテーブルの上に置いたのは一つの携帯電話と指輪。
「こっちの携帯は芳人のオッサンの。んでこっちの指輪は有里香さんのものだ。まずは携帯の方を見てくれ」
「……これは」
八島の持った携帯の液晶に映し出されたのはメールの送信履歴。そこには妻である有里香の名前や、友人若しくは会社の人間であろうと思われる男性の名前がずらっと並んでいたが、その中で一人、異彩を放つ名前が一つ。
『レナたん』
「「「「「「「「「………………うわあ」」」」」」」」」
その表示を見て全員が残念な顔をしたことは言うまでもないだろう。
「この『レナたん』ってヤツとのメールのやり取りがここ最近で爆発的に増えてた。電話のやり取りもな。……まあ、言わなくてもわかると思うけどこりゃあ」
「浮気ですね」
ピシャリと冷たい声で錀が言う。
「……ああ。きっと有里香さんは前から知ってたんだろうな。そして今日、正確には昨日だけど、芳人のオッサンにその罰を与えた。愛を踏みにじった罰を。それから」
愛する者を殺した自分にも罰を与えたのだろうと、テーブルの上の指輪を見ながら八島はそう苦々しげに言い放った。
「その指輪、赤い筋が入ってるだろ? 有里香さんの右の掌に血が滲んでたからきっと芳人のオッサンを殺す直前まで握りしめてたんだろうな……。それから会社から緊急の連絡があったとかなんとか言って、トイレットペーパーを予め抜いておいても良い、何にせよ自然に扉を開けさせて額をブスリ。オッサンが死んだのを確認して自分の首にグサリ。そして凶器は彼女の傍にポトリ。……とまあ、これが俺が探しだしたあの事件の真相だ」
つまるところこのロッジの誰もが犯人を被害者として見ていただけの話。真相を知ってしまえば事件の発端も、そしてその結果もよくある話であった。
「さて、……じゃあ次の事件についてだけど――」
「いいえ、もう結構ですよ。八島さん」
八島の声を遮ったのは小さな声。しかし、冷たく、抑揚のないその声は力強く響いていた彼女の声をかき消していた。
「錀」
そしてもう一度。その冷たい声が響くと同時に駆けだしていたのは井坂錀。あまりにも速く、迷いのないその動きに食堂にいる誰もが彼女を止めることはできなかった。
そう。彼女が東郷司の首筋にナイフを突きつけるその挙動を制することができなかった。
驚愕に誰もが声を出せない中、先ほどの声の主は鈴の肩を借りてゆっくりと立ち上がり告げた。
「皆さん、彼女の命が惜しければその場から動かないでください。特に八島さん、あなたはね」
「……まさかこのタイミングで自分から動くとは思わなかったよ、井坂さん」
八島は自分の目の前に立つ人物。錀を使い、この場にいる全員の動きを制限させた男。井坂幡を憎々しげに睨みつける。
「どうせ時間の問題でしたから。この部屋に入ってきたときのあなたの目は全てお見通しだと訴えていました。僕の出来の悪い模倣など見破っていたのでしょう?」
「……確信を持ったのはついさっきだけどな」
「どういうことだい、八島?」
「…………」
井坂から注意を逸らすことなく霧島は八島にそう問いかける。伊吹は彼のように問いかけることこそしなかったが気持ちは同じだろう。霧島が尋ねなければ彼女がそう問いかけていたに違いない。
「聞かなくてもわかってんだろ? 井坂さんが二つ目の事件。つまり陣内さんを殺した犯人ってことだ」
「僕が聞きたいのはそこじゃない。『模倣』というのはどういうことだと聞いてるんだ」
「ああ、そっちか。……さっき平居夫妻の事件の説明したろ。あの事件のとき有里香さんは故意じゃないにしろ死ぬことで容疑者から外れた。俺たちに刷り込まれたその考えを井坂さんは利用したのさ。俺だって陣内さんが殺された現場に着いたときは完全に騙されてた。『傷を負わされた人間が犯人であるはずがない』ってな」
「なるほど……」
「…………ただ、ぶっちゃけると娘も加担してるとは思ってなかったけどな。ミスったぜ、こりゃ」
「いいえ、八島さん。陣内の件には僕しか関与していません。だからこそバレたのでしょうが……。そうだ、せっかくだからどうやって僕が陣内殺しの犯人だとわかったのか教えてくれませんか? あれでも一応僕なりに工夫したつもりなのでね。何処に問題があったのか知っておきたいんですよ」
「…………まず疑問に思ったのは音だ」
「音?」
「俺たちがあそこに行ったのは大きな音が聞こえたからだ」
「ええ、僕が窓を割りましたからね。それが何か?」
「その音しか聞こえなかったのがおかしいって言ってんだよ。アンタあのとき言ったよな? 不審人物を追いかけてここまで来たって。ならどうして『誰だ!!』だの『止まれ!!』だの叫び声が聞こえなかったんだよ」
八島のその言葉に井坂はああ、と手を叩きすっきりした顔をする。
「なるほど、なるほど。『あのとき僕は見回り中に突然襲われた』と言うべきだったんですね」
「それだけじゃない」
苛立ちを隠すことなく八島は彼のミスを並べ立てる。
「それに凶器が落ちてた場所。包丁は先に刺されたアンタの傍じゃなく、後で殺された陣内さんの傍に落ちてあって然るべきだ」
「……うん、うん」
「そして最後は御丁寧に割られた窓。部屋の扉の前の廊下にアンタがいて、犯人がそこから出てきてないのなら窓から逃げたとしか考えようがねえが」
「まあ、そう考えてもらうために割りましたしね」
「なら、足跡ぐらい地面に付けとけよ。この霧で辺りの地面は柔らかくなっててな、窓から飛び降りればどうやったって足跡はつく。なのに地面には窓ガラスの破片しかなかった!! そしてあの場にいたのはアンタ一人。なら犯人はアンタしかいないだろうが!!」
次第に声を荒げる八島。その怒りが何に向けられているのか、彼女の横顔を見ることしかできない霧島には察することは出来なかった。
「ああ、それは失敗でしたねえ。僕はやっぱりこういうことには向いていない。ありがとうございます、八島さん。それを再確認することが出来ましたよ」
まるで小学生が宿題の間違いを指摘されたような、そんな程度の困った顔で井坂は八島に微笑みかける。
「…………あんたの質問には答えてやった。こっちからも質問させてもらうけど良いよな?」
「ええ、僕に答えられる範囲であれば」
その返答を聞いた八島は、ふう、と長く息を吐いた後こう言った。
「あんたさ、――一体何がしたかったんだ?」
「……何が、とは?」
「言葉通りの意味だ!! 陣内さんを殺したかったのならもっと上手くやれた筈だろ!? 極端なことを言えば、殺してそのまま黙ってれば良かったんだ!! 爺さんの姿が見えなくて多少疑問に思っても俺たちは大したことじゃないと割り切って帰っただろうさ!! なのに何で!? 何で自分から疑われるような、捕まるようなマネをしたんだ!?」
他人の心がわからない。
これは八島にとって初めての経験だった。他人を深く思いやることのできる彼女は他人の心を読みとり、行動する。故にそんなことあってはならないことなのだ。
しかし、動揺は彼女だけのものではなかった。
八島の言葉を受け、これまで飄々としていた井坂の両目が見開かれる。それは刹那の出来事であったが、錀と鈴が父親の異常を悟るには充分な時間だった。
「お父さん……?」
「…………ああ、そうか。やっぱり僕は変わることなく人形のままだったということか」
井坂はポツリとそう言うと、錀に視線を向ける。
「錀、司さんを放してあげなさい」
「ッ!! 父さん、何を!?」
「いいから。それからこっちにきて僕にナイフを」
錀はやや躊躇う素振りを見せながらも、井坂の指示に従う。一方、彼女から解放された司は泣きながら東郷貞和のもとへと帰還する。
「八島さん、さっきの質問にお答えしましょう。昨日夕食の席で陣内が言っていたことを覚えていますか?」
「……『私どもはそれぞれ役割を与えられている』だったか?」
「はい、そして役割をこなすために私たちは子どものころから徹底的に教育されるのです。僕も、錀も、鈴も……僕の妻も。教育長である陣内にね。
どうしてそんなことをするのかはわかりません。陣内も教えられていなかったようですし。まあ、何はともあれ私たちはそんなところで生きている訳です。
僕と妻は孤児でして。物心ついたときには彼のもとにいましたよ。訓練に失敗して身体を刃物で切り刻まれる恐怖も、一欠けらのパンに覚える喜びも、訓練に耐え切れず同年代の子どもが死んでいく悲しみも、その全てを分かち合ってきました。
ですが、それも妻が死ぬまでの間です。彼女はあるとき主人の大事なお客様の前で大きな失態を侵してしまったそうで。当然、彼女は罰を受けました。殴られ、蹴られ、切られ、千切られ。最後に見たとき私はソレを妻だと理解できませんでしたよ」
自分の妻が殺されたときの話をしている筈なのに、井坂は眉ひとつ動かさない。恐らくはそれも陣内の教育の賜物なのだろう。
彼の話と、彼の表情。その二つが混ざり合うことで、その場にいる全員がこの狂った話は本当のことなのだと理解する。
「……じゃあ、アンタは奥さんの仇を討ちたかったのか?」
「いいえ、彼女が死んだことは残念ですが、ミスをしたのですから仕方のないことです。ただ、僕は知りたかった。何故彼女が『わざと』あんなミスをしたのかを」
「わざと、だと?」
「ええ、彼女はあんなくだらないミスをする人間ではありませんでしたし、何よりミスをした瞬間の彼女の顔は恐怖ではなく喜びに満たされていましたから」
罰を恐れる恐怖ではなく、自分の望みを達成した喜び。
確かに井坂はそう言った。
「初めはどうして彼女がそんなことをしたのかわかりませんでした。しかし三か月前ようやく理解したんです。きっと彼女は人間になりたかったんでしょう。与えられた役割を淡々と完璧にこなす人形ではなく、自分の意志で行動を起こせる人間に。
妻のミスの理由を知った僕はまた知りたくなった。彼女が死を受け入れてまで得た喜びを。だから僕は陣内を殺したんです。決して歯向かうなと教えられた人間に楯つくことは、僕たちの中では最大の禁忌ですからね。
そして僕は彼女が得たよりももっと大きな喜びが得られる――筈でした」
「筈?」
「ええ、彼の骸を見下ろしたとき、確かに自分の意志で殺したのに――何も、何も感じませんでした。……だから怖くなったんです。もしかしたらこれも僕の頭に刷り込まれた役割だったんじゃないのかと、ね。
そのあとのことは八島さん、あなたも知ってのとおりです。窓を割り、自分の脚に包丁を突き刺した。……きっと犯人として捕まることも僕に与えられた役割だったんですよ。未だに妻の感じた喜びを得られないことが良い証拠です」
そう言うと井坂は糸の切れた人形のように力なく椅子に座りこんだ。
そして――。
「だから僕は最後に与えられた役割以外のことをやってみようと思います」
彼は自分の首にナイフを突き立て――
』
『そこまでだぜ、三流創作者(クリエイタ―)さん?』
その声を聞くと同時に私は炎に包まれた。
思ったより長くなった第十五話ですが、お楽しみいただけたら幸いです。




