螢日和
『ほらほら、こっちです。若いんだからキビキビ歩いてくださいねー』
「へいへい……」
俺とイアが連れて来られたのはさっきも通った扉が無数に存在する空間だ。神様曰くここは『御社』と言う場所らしい。イアの話から神様が作ったものだとばかり思っていたが実際はそうではなかった。
単に神様は俺たちに御社の利用許可を与えただけで、この場所自体は以前から存在していたんだとさ。まあ、これがどういうもんか理解できただけでも相当凄いのだろうが。
『さて』
ある程度歩を進めたところで目の前の白衣の男はその足を止めて言う。
『それじゃ二人とも同調してください』
「……そりゃあ構わねえけど、何でだ?」
『だって、そのままの状態じゃあ、天井の扉を開けることなんて出来ないでしょう?』
ああ、そういうことか。そういやこれまで一度も天井にある扉を使ったことなんてなかったな。
「イア」
「ん」
彼女の名前を呼び、俺はイアと手早く同調を果たす。再び俺の黒髪が白に、目の色が金に染められていく。
そして背中からイアが生やしていたコードを受け継いで同調は終了する。
開始から終了まで約二秒程度。出会ったころに比べると遥かに早くなったものである。しかし、そんな感慨に耽る間もなく、神様は指示を飛ばす。
『何ボーッとしてるんですか。早く上がってきなさい』
声のした方を見上げると既に神様は目的となる扉の上に逆さまの状態で立っている。
「…………イア、頼むわ」
若干苛立ちながらも俺は右手を上げ、彼女に仕事を依頼する。
『は~い』
その音言葉と共に俺の右手に巻きついていた一本のコードが如意棒よろしく、眼にも止まらぬ速さで伸び、神様の待つ扉のすぐ傍に突き刺さった。
そして完全に固定されたことを確認した後、今度はコードを縮め俺自身を上昇させていく。
『ほー、そんなことまで出来るようになりましたか。感心、感心ですねー』
「俺だけじゃまだ上手く動かせないけどな」
神様の言葉に答えつつ、ドアノブに手をかけ、扉を開け放つ。
「ッ!?」
その瞬間思わず息をのんでしまった。何故なら、あまりにも予想外な現象が俺の目の前で起こったからだ。
扉から溢れ出たものはいつものような白い光ではない。
黒く、禍々しい霧。
この世の不吉を全て内包しているかのような、そんな不気味さを湛えたモノだった。
「おい、これは――」
『説明は後です。行きますよ』
質問に答えることなく、そして躊躇することなく、神様はその霧の中へと、扉の中へとその身を沈めていった。
……ああ、立体映像って言ってたな。だからといって躊躇なくこんなところに飛びこめるのは中々肝が据わっている。
『頼人、私たちも行こう?』
「……はあ、仕方ねえか」
そうして俺もその霧の中へと飛び込む。するとあっという間に身体を霧が包み込み、俺は何も見えなくなった。
黒。
見渡す限り、(まあ、何も見えていないのだが)真っ黒だ。
この何の面白味もない景色は一体何時まで続くのだろうか? 正直に言ってこんな陰気なところは早く出たいのだが。
そんなことを思っているうちに、すぐに変化は訪れた。数秒後には徐々に霧が薄くなっていき、黒一色から、モノクロ、カラーへと世界はその在り様を変貌させていく。
そうして完全に霧が晴れ、現れた世界は何とも美しく、綺麗な世界だった。
扉から出て来たものがアレだっただけに、沼が散在し、木々が枯れ果てたこの世の終わりを迎えたような、そんな世界を想像していたのだが。
『…………キレー』
イアが無意識にそう呟く。
俺もその意見には全面的に同意だ。こんなにも綺麗な場所はあっちの世界じゃ見たことがない。
草木は生い茂り、小川は澄みきっている。これだけなら、ただ自然が豊かなだけだといえる。だが、この世界が有している美しさとはそれだけではなかった。
『これ……、何が浮かんでるんだろう? 頼人、わかる?』
「いや全然」
イアの言葉通り、この世界の大気中には何か光を放つものが漂っている。そしてそこから放たれる光は一色ではなく、それこそ無数に存在していた。
『それは、螢火という粒子です。表の世界でいうとそうですね……、超小型の提灯みたいなものでしょうか? もっともあれは人工物でこれは自然物ですが』
俺の後ろに立つ神様が適当な解説をしてくる。いつの間に後ろに立っていたのかは聞かないことにしておこう。また話が逸れる。
『いまが昼間で残念でしたね。夜ならより美しく輝く蛍火が見れるのですが……、まあ追々目にすることになるでしょうから楽しみにしておくと良いでしょう』
『へ~!! 楽しみだね~』
「ああ、確かにそれは楽しみだがそろそろ良いか? 早く本題に入れ」
俺も裏世界の風景に心奪われていたが、何だかこのままだと一生本題に入りそうになかったので言わせてもらう。
『……頼人くんってよく空気読めないって言われません?』
「言われッ……る。たまに……」
『頼人……』
イアが何やら哀れむような声で俺の名を呼ぶ。
止めてくれ……何だか悲しくなってきたから。
『まあ、頼人くんが空気読めないことは前から知っていましたから置いておくとして……。ワタシが二人に頼みたいのはさっきも言った通り、こちらの世界でも禍渦を壊してほしいということです』
にこやかな笑みを浮かべながら神様は言う。
『それで注意事項としては――』
「ちょ、待て待て!! それよりここは何なんだ!? そっから説明すべきだろ!?」
『はあ……、だから言ったでしょう? ここは裏世界だと。言葉通りの意味ですよ』
神様は適当な岩を見つけ、その上に豪快に座り込む。
『キミたちの住んでいる表世界と対になる世界。所謂、異次元世界というヤツです。そう聞けば何となくイメージできるでしょう?』
「……まあ、何となくな」
俺とて伊達に現代っ子ではない。というか俺の住んでる世界ってそんな名前だったんだな。
『いまはそれで構いません。初めから今日は見学だけのつもりでしたし。ゆっくりとこの世界を知っていけば良いでしょう。イアといれば言語には困りませんし』
イアの言語能力にはこれまでも随分お世話になったから信頼しているが、別世界でも通じるものなのかは不安がある。だが、彼女を創った張本人がそう言うのだから問題ないのだろう。
だが。
「良い感じにまとめたけど、正直説明するの面倒になったんだろ? 要は自分で知れってことじゃねえか」
『ドキッ!!』
「口で言った!?」
あからさま過ぎる。
俺に他人の嘘を見抜ける力がなかったとしてもわかるぞ、いまのは。
『ま、ぶっちゃけそうですけど。じゃあ禍渦退治頑張ってくださいねー』
「ちょ、待――」
俺が良い終わる前に神様の立体映像が消失する。
あの野郎……。居づらくなって帰りやがった……。
『頼人、頼人。私たちも今日は帰ろう? 明日も『がっこう』あるんでしょ?』
「あ、ああ、そうだな」
血の上った頭を冷やし、表世界に帰るための扉に近づいていく。いま通ってきた扉は地面と接合されており、すぐに見つけることが出来た。
「そういやさ」
『何?』
「アイツの言おうとしてた注意事項っ――――――――と思ってさ」
何が起こったのかわからなかった。
耳に残るのはあり得ないほど大きな咆哮。
そしてそれを感じた一瞬後に神様が言わんとしていた注意事項が何なのか理解した。
俺の言葉を遮ったモノ。それこそが注意すべき何かだ。
いまはまだ姿を現してはいないが、直に現れるだろう。
『頼人』
「ああ」
イアの呼びかけに俺は頷く。
『「いまは逃げる」よ!!』
二人して同じ言葉を叫ぶと、扉を壊れるのではないかと思うほど力強く開き、その中へと飛び込んだ。
黒い霧に包まれ、行きは警戒心しかなかったにも関わらず、帰りではこんなに安心できるということに若干の奇妙さを感じつつ、俺は闇の中へと落ちていった。