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鷽から出たマコトの世界  作者: 久安 元
フリェンチャル・ロッジ
29/213

89ページ

「八島!! おい八島ってば!!」

「んあ? 何だよ武彦」

 東館、廊下の中央で立ち止まり八島は面倒そうに霧島の方へと顔を向ける。ちなみに陣内とは既にエントランスで別れたため、いまこの場にいるのは霧島、八島、伊吹の三人だけ。

「何だよじゃない。本当に何もわからなかったのか?」

「芳人のオッサンと有里香さんを殺した犯人についてはわかったんだけどな。残念ながら探しようがねえ」

「そうか……って、ちょっと待て」

「だから何だってんだよ?」

「あの二人を殺した人間が誰かわかったのか?」

「だから、そう言ったろ? 同じことを何度も言わせんなよ」

 八島はそう言うと、話は終わったと言わんばかりに再び部屋を目指して歩き出す。それを霧島と伊吹が慌てて追いかける。

「真、ならその人を捕まえなくて良いのー?」

「だから探しようがねえって」

「何でだ?」

「ああ、何で、何でとうるせえな!! 部屋に帰ってからと思ったけどいま!! この場で!! 教えてやるよ!! それは――」

 しかし、彼女の言葉は二人に届かない。

 それは彼女の気が変わったとか。

 霧島、若しくは伊吹が彼女の言葉を遮った訳ではなく。

 単純に。

 彼女の声量を上回る音がロッジの中に響き渡ったからである。

「な、何の音?」

 怯えたように伊吹が霧島の裾を掴んでそう問いかける。

 しかし、問いかけに答える者はなく、一人の女の名を叫ぶ声があるだけ。

「八島ッ!!」

 霧島の視線の先。そこには来た道を全速力で戻る八島の姿があった。

「こっちだ!! 二人とも早く!!」

「ッ!! 伊吹、行こう!!」

「……もう!!」

 彼女の勝手な行動に若干の怒りを孕みつつも二人は迷うことなく後を追う。それが自分の役割だから。これまでがそうだったように、いまもそう行動するだけのこと。

「それでもこういうのは勘弁してほしいよ、まったく……」

「だねー。でもこうじゃないと真らしくないでしょ?」

「まあ、それはそうなんだけどね」

 はぁ、と。

 諦観の念を含んだため息をつきながら霧島は走る。

 彼らの目的地は不穏な音のした場所などではない。

 彼らが目指すのは「八島真」という人間がいる場所である。



 暗い廊下を走る。申し訳程度の灯りは点いているが、人の目が周囲を確認するにはそれだけでは不十分。故に八島が廊下で蹲るソレに気づかなかったのは仕方がないことであるといえる。

「えっ!? うぉわ!!」

 間抜けな声を上げながら、ソレに躓き派手に廊下に転がる。

 一回転。

 二回転。

 三回転。

 そして四回転目にようやく勢いは弱まり、彼女の身体は停止した。

「あだだだだだ……。何だってんだよ、チクショー……」

「うう…………」

 涙目で悪態をつく彼女の耳に聞こえてきたのは小さなうめき声。その声を聞くことで彼女は自分が躓いたもの、もとい蹴飛ばしたものが何であるのかを理解する。

「その声……、井坂さんか?」

 問いかけに返答はない。八島はそれに構うことなく地面を這って自分が転倒した地点まで戻る。そして互いに触れあうことのできる距離まで近づき、彼女は漸く相手が誰であるかを再確認した。

「やっぱり、井坂さんじゃねえか。こんなところで何してんだよ? つーかアレか? さっきの音はアンタか?」

「ち……がいます……」

 今度はさっきのように無視されることはなかったものの井坂幡の口調は弱々しい。何かあったものと思われるが暗闇では彼の身に何が起こったのかを確認することはできない。

「ああ、クソ。そもそも何でこのロッジの廊下は暗いんだ……」

「八島!! 何処だ!?」

「真―!?」

 どうするべきか迷っていたところに心強い援軍の声が彼女のもとに届けられる。

 ああ、助かったと。頭の良い彼らなら何か方法を考えついてくれるだろうと思い、返事をしようとした矢先。

 彼女をさっきよりも大きな痛みが襲った。

「だぁぁああああ!?」

「うわぁああああ!?」

「きゃあああああ――なんちゃって回避」

 状況としては単純明快。慌てて追いかけてきた霧島が廊下に座り込んでいた八島に正面から激突した。ただそれだけのこと。ちなみに伊吹は霧島との脚力の差か、彼のやや後方を走っていたため事なきを得たようだ。

「いってえ……。何してくれんだ、武彦」

「いたたた……、不慮の事故だよ、これは……」

「わかった。わかったから早くどけよ」

 自分にのしかかっていた霧島を腕で押しのけ、八島は何とか態勢を整える。

「ったく、武彦に押し倒される日が来るとは思わなかったぜ」

「悪かったって。で、八島。君はこんなところで座り込んで何をしてたんだい?」

「霧島くん……かい?」

「……その声は井坂さんですか?」

 先ほどの八島と同じ反応をする霧島。しかし彼女と違うところは即座に懐から携帯電話を取り出し、ライトを点け周囲を確認したことだった。

「ああ、そうすりゃ良かったのか」

「真…………」

「んだよ、その可哀相なヤツを見るような目は」

「八島は可哀相なヤツというか可哀相そのものだよー」

「ああ、そうっすか!!」

「二人ともうるさい。馬鹿やってないで止血手伝ってくれ」

「「止血?」」

 霧島の言葉に二人が再び井坂へと目を向ける。彼女らは井坂の顔、腕、腹と視線を移していき、そしてその視線は最後に脚へと釘づけになった。

「おいおい、その脚!?」

 地面に蹲る彼の左脚からは鮮血が流れ出ていた。そしてその傍をよく見ると廊下には包丁が捨て置かれている。

「まさか、井坂さん……、誰かに襲われたのー?」

「伊吹、その話は後だ。布は僕が持ってるから良いとして……、二人とも棒状のモノ何か持ってないかい?」

「そんな都合良く持ってねえよ」

「だよね。ならその辺の部屋から探してくるから二人は井坂さんについててあげて」

 そうして頷く二人を見、腰を上げようとした霧島だったがその動きは一人の人物によって妨害される。

「井坂さん? どうしたんです? 手を放してくれなきゃ……」

「待って……、待ってください」

 井坂の手を振りほどこうとした霧島であったが彼の様子が気になったのか再びその場に腰を落とす。

「あ、あの部屋。あそこに怪しい男と、……陣内さんが一緒に……」

 一つの扉を指差しながら震える声でそう呟く井坂。

「怪しい男?」

「じ、陣内さんと見回りをしているときに、見つけた……包丁を持った黒コートの怪しい男……。ぼ、僕は刺されてしまって。それ……で、あの部屋に逃げ込んだ男を陣内さんが追って……」

「もう良いです。大体分かりました。分かりましたからもう喋らないで。興奮すると傷に良くない」

「武彦……」

「うん。やっぱり二人はここにいて。僕が見てくるから、戻って来るまで傷口を圧迫しておいてくれないか」

「わかった……。でもこれだけは約束しろ。絶対に無茶はするな」

 それは彼女なりに彼を心配しての言葉だったのだが。

「…………ぷっ」

 彼女が言っては台無しだった。

「あはは、それを君が言うのかい、八島? いつも勝手に動き回って無茶ばかりするのは誰だったかな」

「ぐ……ッ!!」

 顔を真っ赤にして閉口する八島に優しい眼差しを向けながら霧島は井坂の指差した扉へと向かう。そして扉のノブに手をかけながら、しかし決して振り返ることなく言った。

「そんなこと言われなくても当たり前のことだろう? 人に強要したことを自分ではしないなんて僕がするわけないじゃないか」

 そうして彼は扉をゆっくりと開く。中から突然誰が飛び出してきても驚くことなく対応できるよう覚悟を決めて。

 霧島は僅かな隙間から部屋の中を観察する。

(やけに静かだ……)

 陣内が男を追いかけてこの部屋に入って行ったならば、乱闘騒ぎになっていてもおかしくはない。例え男に取り押さえられていたとしても部屋の中から、呼吸音でも絹擦れの音でも何でもいい、何かしら音が聞こえてくる筈である。

 何かおかしいと感じながらも霧島は部屋の中へと侵入していく。あまりこちらにばかり時間をかけていられないからだ。井坂の傷は深くはないものの放っておいて良い怪我ではなったし、霧島としては何より二人を放置しておきたくなかった。

 じわり、じわりと部屋の中央へと歩み寄る。

(窓が割られてる……。僕たちが聞いた音はこれか……)

 嵌め込められた窓は無残にも粉々に粉砕され、生ぬるい風が部屋に入り込む。その不快さに耐えながらも霧島は止まろうとはしない。

 彼の足を止めたのは彼の意志ではなく、足下の物体。

 それに脚を取られた霧島は、しかし先ほどのように転ぶことなくそれを確認した。

「……陣内さん」

 亡骸。

 屍。

 骸。

 呼び方は何でも良い。そんなものはさして重要なことではない。

 ここで重要なのは。

 このロッジの管理人である陣内が殺されたということと。

 これまでおぼろげだった犯人の存在が証明されたということ。

 ただ、それだけである。

                                       』


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