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「で、武彦? 平居さんの死体ってどんなのだったのさ?」
伊吹とともに霧島の部屋で夜を明かすことにした八島は霧島にそう問いかける。
「……そんなことを聞いてどうするんだい、八島?」
「俺達で犯人を探すに決まってんだろ? ほら、何か手がかりになりそうなこと覚えてないのかよ? 俺、あの時は東郷のおっさんに止められて現場を見てねえんだ」
無論、彼女とて食堂に集まった際に簡単な説明は受けている。しかし、そこで得られた情報からわかるのは平居夫妻が死亡したことのみだ。詳しい現場の状況は伝えられていない。現場の詳細を知るのは死体発見後、改めて部屋を調べた陣内、井坂幡、霧島武彦、東郷貞和の四人。
彼女のその言葉に霧島はため息を吐き、ゆっくりと首を横に振りながら答えた。
「八島、君のそういう積極的なところは友人として好ましく思うけれど、今回に限っては疎ましくてしょうがないよ」
「あっはっはー、そうだねー、死にたいのかって話だよねー」
些か辛辣な言葉ではあったが伊吹も霧島の言葉を首肯する。
「ええー、何でだよー?」
「何でも何も、いま伊吹が言ったろ。死にたくないなら大人しくしてろってことさ。どうせ朝には霧も晴れるだろうし、無理に犯人を探す必要なんかないだろ?」
実際、彼らの意見は正しい。生き延びることを第一に考えるのであればこうして夜を明かし、霧が晴れるのを待って山を下りれば良いのだ。
部屋をあてがわれた際に受け取った鍵、そして陣内が管理していたスペアキー。この部屋の扉を開ける二つの鍵はどちらも霧島の手にあるのだから、平居夫妻のように扉を突破され襲われる可能性はないと考えて良い。
つまり、こうして籠城することが生き延びるための前提条件であるといえるのである。その条件の達成は決して困難なことではない筈だが、彼女にとってはそうではないようだ。
「いや、だってさ。それじゃ逃げたみたいじゃん。それって悔しくない?」
「「………………はぁ」」
今度は頭を抱えて嘆息する霧島と伊吹。それはまるで我儘を通そうとする我が子にどうやって諦めさせようかと頭を悩ませる父母のようであった。
「八島……、逃げるも何も僕たちはそもそも誰とも闘ってないんだ。一方的に襲われてるだけ。そうだろう?」
「草食動物だって肉食動物に襲われたら逃げるでしょー? それと似たようなもんだよー」
「いや、俺肉食系だし」
「あっはっはー、やっぱり真はお馬鹿さんだねー」
そう言って伊吹はケラケラと笑いながらベッドの上で転がり始める。どうやら彼女は八島の説得を諦めたようだ。
今回は引きそうにない。彼女はこれまでの付き合いからそう判断したのだろう。しかし、それでも霧島は説得を続けていた。
「君が肉食系とかそんな話はいまはどうでも良い。とにかくダメだ。僕は大事な友達を危険な目に遭わせたくない」
彼もこれまでの経験から八島が引きそうにないことは理解していた。だが、その一方で彼女を引き下がらせる唯一の術がこれであることもまた理解していた。
高校生であった頃からいまに至るまで目上の人間と話をするときは必ずと言っていいほど失言を連発し、物事の段取りを間違えることなど日常茶飯事といった有様であるが、彼女にはその欠点を補って余りある魅力がある。
それは他人を蔑ろにしないこと。つまりは他人を軽んじず、深く思いやることができるということだ。だから八島は霧島の言葉を無視できない。何故なら彼が本気で自分の身を案じていることが彼女にはわかっていたから。
自分を引かせることが目的でも、その想いは真剣そのもの。ならばその想いを裏切ってはならない。蔑ろにしてはならない。そんな考えが八島の胸中に浮かぶ。
ここまでは霧島の想定通り。だが、誤算が一つ。
彼女が蔑ろにできないのは何も彼だけではないということ。
「なんつーかさ、武彦がそう言ってくれるのは嬉しいけど、やっぱこのままじゃダメだと思うんだ。だって殺人犯が野放しになってる訳だろ? なら危ないのは俺たちだけじゃない」
彼女は『他人』を蔑ろに出来ないのだ。そしてその他人には言うまでもなく他の宿泊客、東郷親子や高校生グループ、それに従業員も含まれる。
後は数の問題だ。霧島、伊吹の二人とその他十名。どちらを優先させるべきかという問題は八島の中で既に結論が出ていた。
(やっぱり、駄目だったか……)
霧島は決意に満ちた彼女の眼を見、そして自身の敗北を知る。しかし、これもいつものこと。こうなれば自分は彼女が暴走しないようフォローに徹するだけである。
(高校の時からこの損な役目は変わらないなぁ)
霧島は伊吹に視線を向けながらそんなことを考える。彼女は霧島のように八島のフォローをすることはない。ただ、霧島が本当に困ったときだけ彼に助言するのみである。
八島は霧島が。
霧島は伊吹がフォローする。
そして八島は霧島のフォローを受けて行動する。
これが彼らの『日常』だ。
「はぁ……、わかったよ。取り敢えず現場の状況から説明するよ」
「さっすが武彦!! 話がわかる!!」
「褒めるのはいいから約束してくれ。絶対に無茶はしないことと、犯人を捕まえるのが無理だと思ったら諦めること。これが守れないのなら僕は協力しないからな」
「ああ、約束する。……何だよ、その目は。約束はちゃんと守るってば。俺も武彦と恵理に心配かけたい訳じゃあないんだから」
八島の即答にやや不安を覚えた霧島であったが、これまで彼女が約束を違えたことがないことを判断材料とすることでその不安を払拭したようだ。
「まず、平居さんたちの部屋の扉を開けて目に入ったのは有里香さんの死体。死因は頸動脈切断による出血性のショック死だと思う。首にあった深い切り傷以外に外傷はなかったからね」
「凶器は? 犯人が持ち去ったのか?」
「いや、凶器は有里香さんの死体のすぐ傍に落ちていたよ。大体これくらいの刃渡りだったと思うけど」
「ふうん、それだと十五センチってとこだねー」
ゴロリとベッドに転がりながら伊吹がそう呟く。どうやら彼女、話を聞いていないように見えてちゃんと重要な情報を把握しておこうという意思はあるらしい。
「犯人は何で凶器を持って行かなかったんだろうな?」
「そりゃあ、あんなの持ってたら一発で犯人だってわかってしまうからだろ?」
霧島のその言葉を八島は否定する。
「それなら隠しておけばいいだけの話だろ。自分の部屋に隠す必要はないし、このロッジには隠す場所なんて腐るほどある。それに現場に凶器を残すってことはどれだけ確率的に低かろうが、自分に繋がるものを放置していくってことだ。にも関わらず捨てたってことはどういうことなんだ? もう凶器は必要ないってことか? それとも簡単に凶器を調達できる自信があるのか……」
八島のその言葉を最後に部屋は静まりかえる。そして数分の沈黙の後、最初に口を開いたのは霧島だった。
「まあ、それは一旦置いておこう。そういう疑問は後でまとめて考えればいいさ」
その言葉に八島は頷きを持って肯定の意を示す。
「じゃあ次は芳人さんについて頼むわ」
「ああ、えっと……、芳人さんが死んでいたのはトイレだ。用を足してる最中だったんじゃないかな。ズボンも降ろしてたし……」
「ほほう? それでそれで?」
伊吹がこれまでにない勢いで霧島の言葉に食いつく。
「ええと、芳人さんは有里香さんと違って外傷が幾つもあったよ。胸に数か所、あと額に一つ刺し傷。暴れた形跡はなかったからまず、額に一撃、それから胸を刺したんじゃないかと思うんだけど……」
「……武彦、空気読んで。超空気読んで」
「恵理、うっさい」
「ぶー、ぶー。私は単に有里香さんの旦那さんの得物の刃渡りに興味があるだけだよー。邪な気持ちは皆無なのにー」
「伊吹、少し黙ろうか」
「ちぇ~。じゃあ寝る」
霧島が嗜めると伊吹は臍を曲げたのか、ベッドの中へと潜り込む。それを見た八島はやれやれといった様子で彼の方へと向き直る。
「で? 死体についてはそれで良いとして……、密室だったって言ってたよな? それは間違いないのかよ?」
「陣内さんと井坂さん、それに東郷さんはそう判断したみたいだね。僕には絶対にそうだとは言えないけど」
「ん? 何か引っかかることでもあったのか?」
「いや、そういうわけじゃないよ。ただ、僕らが想像できてないだけで実は犯人が凄いトリックであの密室を作り上げたって可能性もゼロじゃあないんじゃないかと思っただけさ。僕にはあの部屋を何で密室にしなければいけなかったのかもわからないんだから」
そう言って肩をすくませる霧島。対して八島は一点を見据えたまま何の言葉も口にしない。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………あ~八島?」
沈黙に耐え切れなくなった霧島が恐る恐るといった様子で八島に声をかける。そして彼がそう声をかけた直後。
「だぁああああああ、やっぱ話聞いただけじゃわっかんねえ!! 武彦!! 現場行くからついて来てくれねえ?」
「ええ!? いや、でもいまあの部屋には鍵が――」
「そんなの陣内の爺さんにでも借りれば良いだろ? なんなら俺たちが変なことしないか監視しててもらおうぜ」
「おいおい、伊吹はどうするんだ!?」
「恵理ならほら」
「準備万端、いつでも行けます、たいちょー」
「うわっ!! いつの間に……、ちょ、引っ張るな、押すな。自分でちゃんと歩けるから!!」
「さ、爺さんのところにレッツゴー」
「おー」
安全地帯から自らの意志で抜け出し、彼らは陣内を目指して歩き出す。その先で彼らが手にするのは事件解決への手がかりか、それとも平居夫妻と同じ運命か。
それはこのロッジにいる誰にもわからないことである。
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