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鷽から出たマコトの世界  作者: 久安 元
フリェンチャル・ロッジ
22/213

仄暗い廊下の先から

「いやー、イアちゃんは健啖家なんだなあ」

「けんたんか?」

「アホほど飯食うヤツってことだ」

「龍平、ひどい!! 私アホじゃないよ!!」

「あっはっは、別にイアちゃんがアホっていう意味じゃないよ。アホは美咲さ」

「そうなの?」

 やや微妙な空気の中での食事を終え、俺たちは他の宿泊客に倣い、あてがわれた部屋に帰って来ていた。

 ここは龍平の部屋。アイツ曰く「夜はまだまだこれからだ!!」ということなので一つ所に集まってこうして他愛のない話に花を咲かせているのである。

 ただ、美咲は現在入浴中だ。というのも食事の最中にイアが食べ物に夢中になり過ぎて彼女に多大な被害をもたらしてしまったのである。

 具体的にいえば、ソースを頭からぶちまけた。

 そういう訳で、彼女はいまこの場にはおらず、先ほど暴言を吐いた龍平もピンピンしていられるのだ。

「それでイアちゃん、どれが一番美味しかった?」

「ぜん――」

「「全部はなしで」」

 答えを先読みした俺と龍平は同時にイアの答えを遮る。

「うう……、じゃ、じゃああの牛タンっていうの。美味しいだけじゃなくてコリコリしてて面白かった」

 面白かったてオマエ。というかやっぱ肉か。

「ああ、確かにあんまり一般家庭じゃあ出ないしなあ。新鮮だったのはわかる気がする。俺も初めて食ったときは夢中だったし」

「へー」

 俺が気のない返事をしたのが気になったのか、龍平は今度は俺に話題を振る。

「それで? イアたんは牛タンが好きだとして、頼人。オマエの好みは?」

「…………俺が好きなのは海産全般だが、その『イアたん』ってのやめろ気色悪い」

「いや、牛タンの話してたらつい」

 つい、じゃねえよ。つい、じゃ。

「そういえば、龍平お昼にも言ってたよね。たんって何なの? ……舌?」

 ほら、ウチの子が興味持っちまったじゃねえか。好奇心は人一倍なんだから不用意にそういう発言をするんじゃない。

「いやいや、イアた――ゴホン、イアちゃん。この『たん』っていうのはね、名前のあとにつけることでどんな物でも愛らしい、可愛らしい存在へと昇華させる接尾辞――つまり『さん』、とか『君』とかと同じものなのさ」

「おぉー」

「例えば俺らのクラスの近藤さん。彼女は超堅物の鬼委員長としてその名を轟かせているんだが、『さん』を『たん』に変えるだけであら、不思議!! ただの堅物委員長から何処かツンデレ臭漂う素敵な女性に早変わり!!」

「まあ……、確かに本人はツン百パーセントで出来てるみてえなヤツだけどな」

 近藤たん……。確かに『たん』とつけるだけで三割くらいはデレが入ってきそうだぜ……。

「そしてこれの素晴らしいところはそれだけじゃあない!!」

「え!! まだあるの!?」

 素直な反応を見せるイア。

 あー、イアはともかくとして龍平もやや嬉しそうなのはこんなに自分に話に食いついてきてくれるヤツが珍しいからなんだろうなあ。俺と美咲はどっちかっていうと流すタイプだし。

「なんと!! 『たん』の力が発揮されるのは人の名前に対してだけではない!!」

「? どういうこと?」

「つまりッ!! 『たん』は無生物に対しても有効だということだ!!」

 ビシッと人差し指を俺とイアに突きつけながら龍平は力強く叫ぶ。

「それは例えば粉ッ!!」

 粉ァ!? おいおい、そんなもんが可愛くなる筈が……。

「はいッ、復唱!! こなたん!!」

「「ッ!? こ、こなたん」」

 ま、まさかそんな……。

「どうしよう、頼人!! 可愛い!! 可愛いよ!!」

「お、落ち着け、イア!! 偶然、偶然だ、こんなの!!」

「ふはははは!! ならば次で完全に証明してやろう!! 『たん』の真の凄さをな!!」

 そう言うと龍平はおもむろに自分の鞄からスケッチブックとペンを取り出し、何か文字を書き込んでいる。

 何だ……、一体何が俺たちを待っているというんだ……。

 逃げるべきか……?

 しかし俺の恐れがそう撤退を促す前に龍平はスケッチブックを目の前に叩きつける。

「なッ!?」

「そ、そんな……」

 龍平が地面に叩きつけたスケッチブック。その白い大地に書かれていた文字は俺とイアの予想の遥か上をいっていた。

 その文字は――。

『ジャックランたん』

「う、うわぁあああああああ!!」

「よ、頼人!! しっかりして!!」

 驚愕の叫びをあげる俺を落ち着かせようとイアが抱きしめてくるが、彼女自身もその身を震わせていた。

 無理もない。十六年生きてきた俺もこのような衝撃的な事実に出会ったことはなかったのだ。生まれて数カ月の彼女が耐えられる筈はない。

 しかし、恐るべきは龍平である。まさか『たん』を言葉の後ろにくっつけるのではなく、言葉そのものに含ませるとは……。

 ジャクランタンという正直パッと見、好ましくない外見をしているモノがあっという間に広く人々に親しまれる可愛らしいキャラクターへと変貌してしまったではないか。

 カボチャだとそのままでも可愛いとも言えなくはないが、カブで作ったジャックランタンってかなり不気味なんだぜ!?

 コイツ……、まさか本当に天才だとでもいうのかッ!?

 そうしてイアと同じく俺は『たん』の破壊力にどうすることも出来ずにいたが、不意にある打開策を閃いた。

「どうだ!! 『たん』こそ至高!! 『たん』こそ神なのだ!!」

「――いや、違うな。間違っているぞ、龍平!!」

 己が勝利を確信し、その美酒に酔っていた龍平を俺は否定する。

 そうだ、これだ。これこそ『たん』の可愛さを相殺して余りある凶悪さを宿した者であるといえよう。

「な、何を言うんだ、頼人……。『たん』の素晴らしさがオマエにはわからないというのか……」

「いや、確かに『たん』は凄いさ。だが、それは完全なものじゃあない!!」

「何ィ!?」

「耳を澄ませろ。そして感じるんだ」

 この部屋に近づいてくるヤツの足音を。

『たん』の力を破壊する怪物の吐息を。

「――来たぞ。怪物」

 そうして部屋の扉が開かれる。未知の怪物がその姿を、俺たちの目の前に晒そうとしている。龍平も、イアも、そして勿論俺も開け放たれる扉へと視線を向けずにはいられなかった。

「あはぁ~、いいお湯だった……ってあんたたち、なにジロジロこっち見てんのよ?」

 美咲かいぶつの言葉を無視し、俺たちは顔を見合わせ、そして魔法の言葉を呟いた。

「「「美咲たん」」」

「はぁ!?」

 驚愕に目を丸くする美咲。しかし、今度も俺たちは彼女の反応を無視し、再び顔を見合わせる。

「………ないな」

「うん」

「だろう?」

 目の前の彼女に魔法がかからなかったことを俺たちは確認する。

「ちょ、ちょっと何なのよ、急に……。そんな呼び方されたって嬉しくなんか――」

「くっそー、『たん』が美咲に負けるなんてなー!! でも、そうか、そうだよな!! 美咲に『たん』は似合わないよな!! ははっ、やっべ、気持ち悪くなってきた!!」

「…………あはは、え~っと」

「……………………イア、そろそろ部屋に戻るぞ」

「え、あ、うん」

 龍平、オマエは大事なことを忘れているぞ……。その部屋には未だ怪物がいるということを……。

 イアと共に部屋から出、扉を閉めると案の定、壮絶な怒号と物騒な物音が容赦なく聞こえてきた。

『りゅうううへええぇえい!? 誰に何が似合わないってえぇえええ!?』

『はっ!? ま、待て、落ち着け!! よ、頼人、助け――っていねえ!? ま、まさか――食われたのかッ!?』

 この期に及んで火に油を注げるオマエすげーよ。

『だああぁああらっしゃあぁああああ!!』

『ちょ、美咲!! チョークは、チョークスリーパーは止め…………、あ』

『…………何よ?』

『いや、ダメだと思ったけど、胸が背中に当たるは、風呂上りの良い匂いがするわで、この状態結構良くね? とか思っちゃぁあああああああああ!?』

『死ねえええぇえええ!!』

 ……龍平の野郎、油なんてチャチなもんじゃねえ、ガソリンを盛大に注ぎ込みやがった。しかも無意識に。

「ね、ねえ、龍平助けに行かなくて良いの?」

「あの部屋にもう一度入る勇気があるなら、俺は止めねえけど?」

 イアが青い顔で首をブンブンと横に振るのを見、俺は彼女にその意志がないことを確認する。そして勿論のこと、俺もそんなつもりはない。

 という訳で龍平の部屋の二つ隣にある自分の部屋へと向かおうと思ったのだが。

「……………………頼人」

「……ああ」

 イアのその反応を見て、この現象がどうやら自分にだけ降りかかったものではないことを確信する。

 俺の部屋とは正反対の方向、つまりこの薄暗い廊下の突き当たりから明らかに異質な気配が発せられていたのである。

 この気配の主は人ではない。イアと同調していないにも関わらず俺がそう断言できたのは簡単。

 こんな不吉で禍々しい気配をたかが人間なんていうちっぽけな生き物が放つことができないと本能で察していたからだ。もし、仮にこの気配の主が見た目、人間のようであったとしても、それは外見だけ。

 その中身は人間のような姿をした別のナニカだ。

「イア、周りに人は?」

「大丈夫、いけるよ」

 俺たちが交わしたのはそのやりとりのみ。次の瞬間には俺とイアは同調を終え、一足飛びに東館の廊下を突き当たりに向かって駆けていた。

 周りの光景が後ろへ流されていく。

 同調することで得た超人的な身体能力を惜しみなく利用し、目的地へと跳ぶように向かう。

 このスピードなら誰かに見つかる心配はない。なぜならとっくに肉眼で捉えられる速さではないからだ。つい先日闘った四谷深緋、十六夜満月ほどの速さには及ばないものの、いまはこれで十分。ものの数秒で現場に到着できる。

『……あれ?』

 イアの間の抜けた声が頭の中に響く。しかし、俺がそれに特別驚くことはない。というのも彼女がそう口にしなければ恐らく俺が言っていただろうと確信するほど、俺と彼女の心境は酷似したものであったからだ。

「…………消えた?」

 結論からいえば俺が目的地に到着するまでの、その僅かな時間で気配の根源はきれいさっぱり消え失せていた。

 ほんの臭う程度に気配を残して。

 その姿は跡形もなく闇の中へと溶けていったのである。

『頼人、姿は確認できた? この廊下、薄暗いけどいまの頼人にはそんなの関係ないでしょ?』

 イアの言う通り、彼女と同調しているいまならどれ程深い闇の中であろうとも昼間と同様に世界を見ることが出来る。現在俺が立っている廊下が有する灯りがあるこの状況下なら、より鮮明に見渡すことが出来る筈なのである。

 そして事実、俺はしっかりと気配の主の姿をこの目に捉えていた。

 しかし――。

「……黒い塊」

『え?』

「だから拳大の黒い塊にしか見えなかったんだって。んで、それが一瞬で影の中に溶けてった。イアあれ禍渦だったのか?」

 俺では何かがいたという漠然としたことしかわからないが、イアならば気配だけでそれが禍渦かどうかがすぐにわかる。

 これまでもそれを頼りに禍渦を見つけ出していたということもあり、今回もそれを期待していたのだが。

『んん~、どうだろ? 気配が似てるっていえば似てたけど、なんか違うような……。というかここに禍渦が発生してるとしたら神様が何かしら情報を私にダウンロードさせてたんじゃない?』

「ああ、まあそりゃそうか……」

 昨日もイアは井戸に潜ってカプセルと接続していたから情報の伝達ミスということはないだろう。それにもしアレが今日偶然にこの場に生まれた禍渦だったとしても何かしら接触があるに違いない。

 ……ダメだ。これだけの情報じゃあアレが何かなんてわかる筈がない。明確な答えを得るにはもっと情報が必要だ。そう考え俺はそこで思考をストップさせる。

 ともあれ俺の中にあるのは疑問と確信が一つずつ。

 疑問としては先に言ったように「アレは一体何だったのか」ということ。

 そして確信しているのは「アレは良くないモノだ」ということだ。

 あんな歪で、

 不吉で、

 禍々しい気配を放つモノが良いモノである訳がない。

 ――それが俺とイアの共通の結論だった。

「アレが何なのかは気になるけど、姿をくらまされたんじゃ手の出しようがねえ。部屋に戻るとするか」

 一先ず、休めるときに休んでおかなければ。

『そうだね。誰もいない隙にお風呂に入らなきゃいけないし』

「……そういうつもりで言ったんじゃないんだけどな。別に入る必要ないんだろ? 汚れは勝手に落ちるんだし」

『やだ!! 私の気持ちの問題なんだよ!!』

「へいへい、そうですか。……イア、風呂を楽しむのは良いけど、警戒だけはしておいてくれよ? いつ、またアレが出てくるかわかったもんじゃねえ」

『わかってるよー』

「あと、当然だけどオマエ、俺と相部屋な」

『……わかってるよぅ』

 別々の部屋にいたんじゃ直ぐに同調することができないからな。どうやらイアもその辺り理解していたようだ。感心、感心。

「よし、じゃあ取り敢えず同調を解除して――」

 と。

 そこで俺の言葉は遮られた。

 イアに? 違う、彼女は一言も発していない。

 じゃあ、さっきの黒い塊に? それも違う。気配は依然として消えたままだ。

 では、一体何に?

 答えは悲鳴。

 耳をつんざくような強烈かつ盛大な悲鳴。誰のものかは分からないが、とりあえず女性の声だ。

『……頼人』

「ああ、同調解除。走るぞ!!」

 まったく、正体を明かせない身は面倒極まりない。友人の安否を知るために全力で走れないなんて。

 そんなやり場のない憤りを胸に、俺はイアとともに駆けだしていた。


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