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鷽から出たマコトの世界  作者: 久安 元
ジョンドゥ・ジェーンドゥ
211/213

対価を示す

「あの洞窟が?」

 ヘルミーネに追随しながら俺はアンナからこれまでの経緯を聞くことにしていた。どうして裏世界の住人であるアンナが表世界ここにいるのか。その理由を解明することにしていた。

「はい、おばあ様が隠れてらした洞窟です。貴方が村を後にした後、私も村を出る支度をしていたのですが、最後にもう一度あの洞窟を訪れたのです。そこでこのようなものを見つけまして」

 ゴソゴソと懐を探り、そこから一冊の本を取り出した。

 それは何の変哲もないただの本。重要なのはそれが裏のものではなく、表のものだということ。

 表題は『世界の墓石名鑑 ~素敵な死後をあなたに~』

 そしてそれを見た瞬間に。いや、タイトルはこの際置いておくとして。俺はフィオレンザの言葉を思い出していた。


『いや、昔あの洞窟で見つけたんじゃよ。どうにかこうにかして翻訳したら表のモノだということがわかっての。腐るほど読み返したものじゃ』


 そうだ、あのとき確かにフィオレンザは知り得る筈のない表の世界の情報を、表にしかない書籍から得ていた。つまり、それは表のものが裏に持ち込めるということにほかならず。そしてその逆もまた然りだということだ。

 椎那もかつて言っていたではないか。俺たちが普段使用していた門はなにも御社だけにあるものではないと。確率的にはほぼゼロに等しいが偶発的、一時的、或いは条件が揃いさえすれば恒久的に、門は何処にでも現れるものなのだと。

 そしてそれがジェヴォルダンの傍のあの洞窟であったのだ。

 …………話としては出来過ぎている気がしないでもないが事実なのだから仕方がない。

「んで、こっちのどの辺に出たんだ? この近くなのか?」

「いえ、ここからは大分離れていますね。初めは同じような洞窟に出たのですが、そこから出ると周りは一面の草原地帯でした。無闇に未知の領域を一人で調査することの危険性は承知していましたが、幸いなことに旅支度は整えておりましたので。二、三日歩き回っているうちにこのお城に辿りついたのです」

「へぇ……。で、それからこの城で世話になってるってとこか」

Jaヤー。フラウがいらっしゃったのは一か月ほど前のことでございまス。門扉の前で、大声で呼ばれたときはどちら様がいらっしゃったのかと訝しんだものでス。近くの街の人間はこの城には滅多に近づきませんのデ。それにあのように来客を知らされたのも初めての経験でしたヨ」

「…………すいません、やっと人に会えるかと思ったらつい……」

 テンション上がっちゃったんだな、それは仕方ないな、うん。

「つーか良いのかよ? ヴァリエールの連中にとっちゃいまはオマエが頭なんだろ? 放り出してきちまって……。さっさと戻らねーとだろ」

「いえ、元々私も皆も別々に発つことにしていましたから。それぞれに世界を回って、それぞれに世界の色をこの眼に焼き付ける。誰かの意見に惑わされることなく各々が世界の色を見定める。その為には長という存在は障害にしかならないのです」

「ふぅ……ん。そんなもんかね」

「はい、そんなもんです♪」

 俺としては好きにしろと言った手前、あまり五月蠅く口をはさむことは出来ないが、出来ることなら――。

「駄目ですよ、私は貴方の傍にいます。少なくとも貴方が生きようと思うまでは」

「……は、お見通しか」

 そう苦笑したところでヘルミーネは脚を止めた。アンナと会話をしていたせいで気が付かなかったがいつの間にやら俺たちはこの城の主の部屋へと到着したらしい。そして前置きも何もないままヘルミーネはノックする。中からの返答はなかったが、それがいつも通りなのか彼女は何の躊躇もなく扉を開けた。

 この俺を保護しようとかいうモノ好きの部屋は一体どんなもんかと内心期待はあったのだが、実際目の当たりにした印象としては普通、というか面白味がない。

 凝りに凝った装飾もなく、豪奢なインテリアもない。この部屋の中で生活するうえで必要不可欠な家具が揃っているだけで、利便性を目的とした類のものは何一つない、その石造りの部屋は不意に牢屋のようなイメージを抱かせる。

「ようこそ、客人よ、ワシの私室へ。動ける程度には回復したようじゃな。それに久しぶりじゃのう、アンナ嬢。ヘルミーネはちゃんとキミの世話をしておるかね?」

 その声は部屋の真ん中に置かれた紅い、大きな回転式の椅子から聞こえてきており。想像したよりは随分若い。そしてその影から覗く、湯気が立ち上るカップを持った手から察するに随分と小柄なようだ。

「ええ、それはもう。ヘルミーネさんにはよくしていただいていますよ、コーニッシュ卿」

「それは重畳!!」

 くるり、と。椅子を回転させようとしたのだろうが生憎と脚が短すぎて地面に届かずバタバタと振り回すだけ。しかし、それはいつものことなのか顔色一つ変えずにヘルミーネが傍に歩み寄り、くるりと椅子を回す。

 そしてそこに現れたのはヘルミーネが主と呼ぶ人物。

 真っ赤なワンピースに白衣を纏うは黒い長髪の少女。

 黒い手袋は湯気の立ったカップを掴み、黒いタイツに覆われた脚は高慢に組まれ、その口元は傲岸不遜に歪んでいた。

「おぬしらはワシの大切な客人だからのう。身体は健康に、精神は正常に保ってもらわねば。そうでなければ困る」

 そして俺はその姿を見た瞬間に。

「本当に卿は懐の深いお方です。見ず知らずの私をこうして迎え入れてくださったのですから」

 動悸と衝動を抑えられない。

「ナイン。マイスターはそのようなお人ではございませんヨ、フラウ」

 視界は真っ赤に染まり。

「かはっ、ヘルミーネ。そう気安くワシを貶すでないわ。ワシのように正直な人間はそうはおるまいて」

 身体はまるで機械のように。

「ヤー、それについては同意致しまス」

 真っ直ぐにその少女に向かっていた。

「かははっ、そうじゃろう、そうじゃろう。――して小僧、、対面してすぐさま跳びかかってくるとはおぬしも中々に正直者じゃのう?」

「フーッ……!! フーッ……!! フー……ッ!!」

 手刀の形で突き出した右腕は俺と少女の間に入ったヘルミーネに掴まれ、肝心の嘘吐きには届かない。

「よりっ…………」

 アンナが思わず口を抑えているが、そんなことはどうでも良い。

 ああ、そうさ。そうだよ。

 俺が今気にすべきはそんなことではなく、目の前の嘘を殺すことだけ。

「どけよ、オイ。邪魔すんなよ、なあ?」

「ナイン。残念ですが、ご期待に沿うことは困難であると申し上げまス」

「そうか、ならオマエも死ね」

 今度はより速く。

 より鋭く。

 左腕でヘルミーネの顔面を貫く。

 そのつもりで俺は腕を振り抜いた。

 ――筈だった。

「……何のつもりだ?」

 俺の手刀はヘルミーネの目前で弾かれた。かつて俺を守った堅牢な盾が、いまこの瞬間においては俺を閉じ込める檻となったのだ。

「貴方こそ何をしているのです!? コーニッシュ卿は動けない貴方をここで手厚く看護してくださった方なのですよ!? 恩を仇で返すつもりなのですか!?」

「恩? 恩ねえ。俺にとっちゃ余計な世話だが、ここで川から引き揚げてくれたのは恩っつっても良いさ。だがなアンナ、俺はこんな気持ちの悪い嘘吐き野郎に助けられるくらいならやっぱり死んでた方がマシだったと思うぜ」

「な――」

「なあ、オイ? オマエの「それ」一体全体どうなってやがるんだ?」

 アンナの檻に阻まれたまま、しかししっかりと殺意を向けたまま俺はそう、目の前の化物に問いかける。するとあろうことかその化物はニィッと口角を吊り上げ、期待通りとでもいうように、気味の悪い笑みを浮かべるのだった。

「かっはは。そうかそうか、おぬしにはわかるかね? この身体の歪さが、不自然さが。じゃがそれにしても化物とはあんまりじゃのう。確かに世間一般の人間とは外れているがワシはそれでも人間じゃとも」

「卿? 一体何を?」

「アンナ、オマエは黙ってろ」

 眉根に皺を寄せる彼女にそう吐き捨てる。オマエがこんなものと話すな、見るな、名を呼ぶな。

「アンナ嬢、キミはワシが古めかしいジジイ言葉に興味を持って、こんな口調で話そうと背伸びをするこましゃくれた少女に見えたかね? このワシに一片の疑問すら抱かなかったのかね?」

「いえ、それは……」

「だろうのう。奥ゆかしいキミのことじゃ。他人の事情に深入りするのは良くないことじゃと、礼儀知らずじゃ、恥知らずじゃと思ったのじゃろう? まして相手は世話になっている人間じゃ。心に芽生えた疑念を、それ以上肥大させることを無意識のうちに拒んでいたんじゃよ、キミは。だがしかし、これから世界を見て回ろうというんじゃったら、育てるべき猜疑心というものを知っておくべきじゃとワシは思うよ。まあ、そうは言ってもこの小僧のようになってしまっては御終いじゃがのう、かはっ」

 嘲笑うようにそう言うとソレは煙草に火をつける。そして一息つくように紫煙を吐き出すと、立ち上がり胸元に手を置いて腰を軽くおった。

「アンナ嬢には改めましてなるがの。自己紹介でもしておくとしようか。ワシはこの城の主にして稀代の頭脳を持つ科学者、ヴィクター・コーニッシュ。小僧、おぬしが見抜いた通りじゃ。中身は紛れもなく、寸分の狂いもなくワシそのものではあるが、この身体はこれで九代目になる」

「九……、代目?」

「良いのう、アンナ嬢。復唱こそが忘却に対する銀の弾丸、木の杭、聖餅となりうる。そう、九代目、九人目の検体といっても良いじゃろう。ワシの研究の、のう」

 そこでコーニッシュは一旦言葉を区切り、再び煙草に口をつける。

「小僧はワシを嘘というがの。これはワシの精神が宿った時点でワシのもの。ワシそのものじゃよ。何の抵抗もなく意思通りに動かせる。それはもう元々の自分の身体のようにのう」

「ハッ、それで? オマエがどんな理屈をこねようが俺が嘘と断じた以上、それはオマエの身体じゃねえ。そこを動くなよ? 直ぐにその首捩じ切ってやるからよ」

「やれやれ……、話の通じん小僧じゃの。まあ良いわい。ワシとてこの身体が誰のものかなど論じたい訳でないしの。ワシがしたいのは賭けの話じゃよ」

「賭け?」

「そう、賭け、じゃ。おぬし客室でぬかしおったのう? おぬし自身の中に化物ではなく、人間の部分が残っておる、それが誰かに創られたものではなく、おぬし自身が芯から抱く本物であることに賭ける、と。おぬし自身を賭ける、と。そこで相談なのじゃがのう、その賭けにワシも一枚かませてはもらえんじゃろうか? 無論、無理を言うのじゃ、こちらもおぬしがこの賭けに勝てるよう協力しよう。ワシに出来ることならば何でもしてやろう。ただし小僧がそれでも、残念ながら、遺憾ながら、賭けに負けた場合ワシの要求を一つ呑んでもらうがの。どうじゃ? 悪くない条件だと思うがの?」

「断る」

「かっは、予想はしておったが即答とは。面白い小僧じゃ、ほんにのう。じゃがのう、ぬしは賭けると言った筈じゃろう? 己の全てを。全存在を投げ打つと」

 目の前の怪物は顔を歪ませて、俺を見下すように吐き捨てる。

「ならば手段など選ぶな。誇りも恥も全て捨ててしまえ。分不相応な結果を手に入れようとするのであれば体裁など気にしている余裕など在るまい。それとも先の言葉は嘘――――、おや、起きたばかりだというのにもうそこまで動けるとはのう」

 気が付けば――。そう、本当に気が付いたら、だ。

 俺はアンナの『禁世端境』を粉砕し、目前に立つヘルミーネを壁に叩きつけ、俺に胸倉を掴まれ直ぐにでも命を奪われかねないこの状況に於いても醜い笑みを浮かべる、くたびれた老い耄れに迫っていた。

「構わん、ヘルミーネ」

 石壁に、強かに背中を打ち付けたにも関わらず、顔色一つ変えることなく直ぐに態勢を整えこちらへ向かおうとする彼女に向かってヤツは言葉を放つ。

「面白い……冗談だな、ジジイ……!!」

 嘘を嘘で上塗りするようなクソみてえな真似、誰がするかよ。これ以上堕ちようのない身体だが、それだけに我慢ならない。

「ほう、ならばどうしてワシの申し出を受け入れない? 本気だというのであれば、形振り構わぬ、というのであれば頭を下げてでも助力を請うべきではないかの?」

「オマエのいう助力がアテにならねえからだよ。自称ただの、真っ当な人間如きがどうやって俺の力になるってんだ?」

「かっはは、ワシは確かに人間じゃが、ここだけは人を辞めておるつもりじゃ。創られたお前さんより創った誰かの方に近い存在といえる。恐らくは小僧、ぬしよりは良いアイディアを思いつくと思うがの?」

 トントンとこめかみを軽く突きながらヤツはそう言い放つ。

 正直なところコレの助力を得る上で最も留意すべき点はそれだ。そう、こいつからは椎那と同じ臭いがする。アイツと同じ嫌な目をしていやがる。

 人を人とは思わず、命を命と思わない。

 自分の目的を達成するためならば、何もかもを自分の糧とする、生粋の狂科学者。だからこそ、なんとなくではあるがこいつがいま何を求めているのかが何となくわかってしまう。

 生みの親に似た思考が読めてしまう。

「見返りは、俺……だけってわけじゃあねえんだろ?」

「ほうほう、理解が速くて助かるわい。ワシと誰かを重ね合せでもしたかの? かっは、まあ良いわ。そうじゃな、ワシの知識とここの設備の全て、それとぬし一人とでは釣り合いがとれん。いや、ワシとしては別にそれでも構わんのじゃが。だがしかし、なんという僥倖かのう。ここにはもう一人、賭け金を提示したフロイラインがおるではないか。――のうアンナ嬢?」

「テメエ……!!」

 思わず胸倉を掴む手に力が入り、更に高く吊り上げられるが、目の前のコレはそんなこと気にも留めない。

「おやワシは何か嘘を吐いたか、ヘルミーネ?」

「ナイン。確かにフラウはそう仰いました。――そうでしたね、フラウ?」

「――ええ、私は確かに申しましたよ、コーニッシュ卿。もし、彼が真実自身に絶望してしまったならば、どうぞご随意に。如何に扱われようとも卿に不満の一つも申しませんとも」

「…………ッ」

 俺はアンナの意志に口を挟めない。

 好きにしろと。そう彼女に言ってしまったから。

「そんな顔をしないでくださいよ。貴方の所為ではないのです。寧ろこれは私の我儘。貴方に納得して生きていて欲しいという私の我儘。――だから『そんなに怖い顔』をしないでください」

 こんなにも。

 こんなにもアンナは俺のことをわかってくれているというのに。

 彼女は、俺が自らを賭け金にしたアンナを責めるのではなく、それを許した自分を責めていることを理解しているというのに。

 俺はアンナのことを何一つ理解していなかった。

 彼女の覚悟を露ほども理解していなかった。

「よろしい」

 力の抜けた俺の手からするりと抜けだすとコレは、コーニッシュは、ぽすりと再び椅子に収まり、煙を吐き出しながらカップを机に置いた。

「では、話は纏まったのう。ワシは小僧の中に燻っているらしい創りモノではない小僧そのもの、根源ともいえるものを見つけ出すことに全力を尽くそう。もし、晴れて小僧が「それ」を取り戻すことが出来たなら、ぬしが化物だとぬかすワシに引導を渡してこの城を去るが良い。

 じゃが逆に小僧が何も掴めなかったそのときは小僧もアンナ嬢もワシの研究の糧となってもらう。ただし、この賭けには期限を設けるぞ。いつまでも引き延ばされるのは面倒じゃからのう。そうじゃな……一、いや二ヵ月でどうじゃね? 「お互い」それが限度じゃろうて」

「限度……?」

「ああ、そうじゃよ、アンナ嬢。小僧が自壊を堪えられるだろう時間が、ここに来てからの行動から察するに恐らくは二ヵ月。そして――」

 しゅるりと自分の手袋をはずして、その手を見せつけながら嗤う。

「ワシのこの身体が腐り落ちるまでの時間もきっとそのくらいじゃろうて」

 灰色に変色したそれは僅かに痙攣し、所々皮膚は剥がれ、そこから粘性のある体液がてらてらと気味の悪い光を放っている。

「かっはは、それでは賭けを始めるとしようかの、未来の十代目候補たちよ?」

 ヴィクター・コーニッシュ。古城の主にして、人間を自称する怪物は。

 ヤツはそう高らかに宣言するのだった。


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