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鷽から出たマコトの世界  作者: 久安 元
ジョンドゥ・ジェーンドゥ
210/213

そして俺は賽子を振る

「……んで、何か一回目に目ェ開けた時より待遇が悪化してんのは俺の気のせいか?」

「面白いことを仰いますネ、ヘル。気の所為で在る筈がないでしょウ?」

「ああ、そうですねぇ!! 両手両足グルグル巻きで鉄の棒に括りつけられてんだ、気の所為じゃあねえよなぁ!!」

 ガチャガチャと耳障りな音をたてながら精一杯の抵抗の意志を見せつける。だが俺の両手足の戒めは一向に解ける気配はない。幾重にも巻きつけられた鎖は特別なものなのだろう。禍渦であると自覚した俺が、切れないということはそういうこと。化物の自由を律することができる代物であるということはそういうことだ。

「おや、まだそれだけ動けるのですカ、ヘル。これは困りましタ。更に拘束を足さなければなりませんネ」

「なんでだよ!! なんでもういっぱいいっぱいのヤツを更に縛ろうとするんだ、オメーはよ!!」

「何を仰います、ヘル。そのような「身体」でそんなに動かれては困るのですヨ。その頭から伝う罅が、その胸の「穴」から伸びる亀裂が、ヘルのお身体を裂いては困るのでス」

「何言って――、っておいコラ!! 話しながらしれっと鎖足してんじゃねえ!! ――痛ぅッ!!」

 新たに胴体に鎖が巻かれることで、胸に空けた傷がズキズキと痛む。そう、痛むのだ。つまり生きている。また、死に損なった、ということだ。目の前のこのメイドのせいで。

 肩口で切り揃えられた金髪がうざったく、蒼く澄んだ瞳は濁りきり、透き通るような白い肌が薄汚い。

 俺の自壊を邪魔したのはそう、この女だ。

「だから動かないでくださいとそう申しているではありませんカ、ヘル。痛いのは誰だってお嫌でしょウ? そうは思いませんか、フラウ?」

 そうメイドは傍らにいるもう一人の人物に問いかける。俺が目覚めたときと同じように、同じ部屋で、同じ場所に座っている、アンナに言葉を投げかけた。

「それはそう……、ですが。ここまでする必要は……」

 手際よく、俺の身体を拘束するメイド、確かヘルミーネとかいう女のその姿に若干頬を引き攣らせながらアンナは少々の抗議を口にする。いいぞ、アンナ。もっと言ってやれ。

「ですがフラウもご覧になったでしょウ? ヘルがこの場でなさろうとしたことヲ。折角助かったお命を絶とうとしたことヲ」

「…………………」

 ヘルミーネがそう口にしたことで「その時」のことを思い出したのか彼女は口に手を当てそっと顔を逸らし、口を噤む。

 それだけでアンナも先の俺の行動を良しとしていないのは明白で、この場に於いて俺の自死に諸手を上げて賛同するものは誰もなく。

 自分の存在を否定することよりも。

 自分の存在を肯定されることの方が。

 それがとても辛くて、苦しくて。

「――ンだよ……」

 自分が正しいことを躍起になって証明したくて。

 思わず声を荒げてしまう。

「何がおかしいんだよ!? 俺は禍渦なんだよ!! ただそこにいるだけで周りに不幸を撒き散らす、厄の塊だ!! こんなモン生かして何になるってんだ!! 俺は自分をずっと人間だと思ってきた!! 他人の嘘がわかるってだけの、嘘が異常に嫌いだっていうだけの!! 普通に生まれて、普通に育った、ただの人間だと思ってたんだよ!!

 はは……、けど、何だよこのザマは!? 俺はただの人間じゃあなかった!! 母親から生み落された訳でもなく、父親に名付けて貰った訳でもない!! 俺が生まれたのはそこいらのちっぽけな試験管の中で!? 「何」を元にされたのかも分からない!! ただイアと同調して禍渦を殺すためだけに造られた!? これまでの記憶は全部嘘で、本当の事なんて何一つない!! 笑っちまうよ、傑作だ!! 始まりからして嘘だったんだから!!」

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 何だってしますから。

 何を求められても償いますから。

 何を代償にだってしますから。

 だからお願いします。

「……誰でもいいから……、どんな結末だっていいから……、俺が何なのか、教えてくれ…………」

 先ほどまでの大声とは対照的に、消え入るような声でそう嘆願した。

 いまの俺にはそれすらない。自分が何者であるか、自己の確固たる存在に縋ることすらできない。誰も俺のことを知らない。嘘で塗り固められた「天原頼人」のことを知っていても、「俺」を知っている者はいない。

 唯一その可能性を秘めていた椎那は既にこの世界からはじき出され、その真実はもう白日の下に晒されることはない。

 それはもしかしたら気にすることすら馬鹿馬鹿しい程、大したものではないかもしれないが。

 それでも。

 やはり。

 どうしても。

 俺はそれが欲しい。この俺を死なせてくれないなら、せめて俺が一体何なのかを教えてくれよ。ほんの少しで良いんだ。ほんの少しの本当の本当さえあれば少しくらい俺は存在することに耐えられるから。まがうずであることが唯一の本当だなんて。痛くて、いたくて、イタクテ。いますぐにでも理性が飛んでしまうくらいに、――苦痛なんだ。

「……ヘル、申し訳ございませんが私にはヘルが何者であるのかを推し量る術がございませン。それはフラウも同様であると思われまス」

 知っている。そんなことは既に嫌という程知っている。それが手を伸ばしても、どれほど強く願っても届かないものであるということは知っている。

 だから俺は消えたいと、死にたいと思うのに。

 どうしてオマエらはそれを邪魔するのか。

「私には……、私には貴方の苦悩がわかりません。何があればそこまで頑なに自分を否定できるのか理解が出来ません。貴方が怒るのを承知で言うなら私の目には貴方は以前の貴方にしか見えません。嘘が嫌いで、嘘を壊すためならその身がどれほど傷ついても意に介さない」

 やめろ。

 やめろ。

「でも、貴方が持っているものはそれだけじゃない」

 やめてくれ、アンナ。

「貴方は禍渦と化したおばあ様を私の目の前で殺さないでくれた」

 頼むから、やめてくれ。

「嘘を壊すための障害となる私を、その意思を尊重して同行させてくれた」

 もうそれ以上。

「そして何よりもおばあ様の遺した力が貴方を守った」

 過去の俺を是とするのは。

「優しく、気高い、私の恩――」

 アンナはそれ以上言葉を紡げなかった。その身に何かが起こった訳ではない。だってそうなる前に、ぎりぎりのところで。拘束された俺の傍に近寄ってきた彼女の喉を噛み千切るのを踏みとどまったのだから。

 彼女が言葉をそこで止めたのはほんの少し、僅かに俺の歯が彼女の喉に食い込み血が流れたからか。それで漸く俺という存在の醜さに、救いようのない悪性に気が付いたからか。

 しかし実際はそのどれでもなく。アンナは俺の前で相も変わらず柔らかく笑みを浮かべるのだった。そしてそっと俺の頭を撫でる。

「ほら、やっぱり貴方は優しいじゃないですか。その気になればいまだって貴方が嘘を壊そうとする私を殺せたのに、殺さなかった。

 貴方は悪辣なのでしょう?

 貴方は災厄なのでしょう?

 貴方はもう私の知っている貴方ではないのでしょう?

 ならどうして私を殺せないのです?

 どうして貴方の邪魔をする私を排除しないのです?」

 俺はその問いに答えられない。自分でも、何故いまこの咢を止めたのか、理由が見つからない。いまの俺は怪物で、禍渦で、理性でそれを止めることなど考えもしない筈なのに。

 そこで、コホン、と。小さな咳ばらいが響く。

「ヘル、脳裏を様々な思惑が巡り巡り巡っていらっしゃるかと思いますが、少しよろしいでしょうカ? ヘルが一度目に目を開ける前にお身体を少し調べさせていただきましテ。その結果をお伝えしたく存じまス。恐らくはそれで少しばかりはヘルの御心も晴れるのでは、ト」

「……?」

 アンナの喉元から口を離し、訝しげな顔で彼女を見るもアンナも困ったような顔で知らないと首を横に振った。

「ヘル、短刀直入に申しまス。ヘルは未だ完全に禍渦と化したものではないと、私どもはそう判断いたしましタ」

「何……?」

「無論、そのお身体の大半は禍渦でありまス。そこはヘルの見解と相違ございませン。ですがヘルの中には僅かばかり、と申すのも滑稽な割合ではございますガ、人間としての部分が残っておりまス」

「だから、なんだ? 残っていたところでそりゃあ前の俺の残りカスだろう? だとそりゃあそんなもの関係ねえさ。人間だろうが、魔物だろうが、禍渦だろうが。嘘だというなら壊し尽くす。俺が俺を殺す結果に変わりはねえよ」

「残念ながラ――、私にはその分別は尽きませン。ヘルのお身体に残った人間としての最後の一片が、ヘルの仰る嘘の残りカスなのか、それとも真実、ヘルすら知らない人間としての本物の部分なのカ。私には知る由もなく、ヘルにもわからないでしょウ」

 そしてヘルミーネは淡々と述べる。

「ですから私は可能性を提示致しまス。ヘルが完全に禍渦と化さなかったのは偽物ではなく、本物の部分があったからであり、故にいまも人のカタチを保っている。故にいまも禍渦と化したいまでも理性を保っていられル。そう考えまス。もしそこに本物があると仮定するのであれば、ヘルが自死を選択する意味はないのでハ?」

「おいおい、乱暴な理論だな。単純に俺の禍渦としての力、「嘘を殺す」力がその偽物の部分を消しきれなかっただけかもしれないだろう? ならそもそもそんな可能性なんて存在しない」

「いえ、もし本当にヘルの禍渦としてのスキルがそうだとするならば、尚のことそれは有り得ませン。私はマイスターとともに長らく禍渦の研究を行ってまいりましたが、禍渦の力はその想いの強さで特性、威力が変わりまス。禍渦の、その渇望が強いほど現実に及ぼす力は強くなル。……私にはヘルのその「嘘を殺す」という力が消し残しを許す程、甘いものであるとは思えませン。ここに来るまでに一度、そして目覚めてからもう一度。二度もその力を受けて消し損ねるなど考えられないのですヨ。それともヘルが嘘を殺したいというその想いは薄弱としたものなのでしょうカ?」

 確かにそれは有り得ない。

 俺が嘘を殺し損ねることなど有り得ない。

 俺が、他ならぬ俺が、他ならぬ俺自身の嘘を見逃すはずがない。

 であれば――。

「……おい、女。オマエの見立てで構わねえ。俺の中に残ってる塵が俺の知らない「本物」だっていう可能性はどのくらいだ?」

「さて、どうでしょうカ? 一パーセントでしょうか、五パーセントでしょうか? 申し訳ございませんが、私には見当もつきませン。ヘルのことを何一つ知らない私では現状、ヘルの中の、人間としての最後の一片が仮初のものなのか、真にヘルそのものを形作っている「何か」なのかは測りかねまス。ですので、ヘルはヘル自身の声に賭けるのが一番かト」

「は、そうかよ。そりゃあ参考にならねえこって」

 だが、その言葉で踏ん切りがついた。

 ここで、大丈夫です。きっとそれは希望です。貴方は人間に戻れます。などと薄っぺらい言葉を並べられるより、よっぽど信用できる。いまの俺は俺を信じられないが、それでも俺のこの身に渦巻く力だけは信用できる。

 いまも頭に響くこの声だけは信用できる。

 ――ウソヲコロセ。

 わかってるさ、わかってる。

 これだけの虚偽に対する怨嗟の声を上げ続けている俺の渇望が俺だけに温情をかけるとは思えない。ならば答えはひとつだ。

「――いいぜ、その話に乗ってやる。賭けてやる。ベットするのは俺自身で、景品も俺そのもの。下らねえ、賭けにもならねえ話だが俺はそれに賭けてやるさ」

 きっとそれが唯一の道。

 俺が自分の存在を肯定できる唯一の方法。

 俺がたった一つ抱く後悔を消すことのできるかもしれない、ただ一つの悪足掻き。

 

 ――これ以上後悔したくないのなら、私のように後悔したくないのなら目を覚ませ。自分の道を見極めろ。戦い続けろ。


 誰の言葉なのかはわからない。だがその言葉が強く心に突き刺さる。

 棘のように。

 釘のように。

 杭のように。

 悔いのように。

 チクチクと。

 深々と。

 惨々と。

 糾々と。

 だからどうか赦してほしい。

 こんな俺が未だ消えずに存在していることを。

 有り得るかどうかも分からない望みに縋りつくことを。

 だからどうか赦さないでほしい。

 このままの俺が存在し続けることを。

 このままこのちっぽけな望みに縋り続けることを。

「――では、私も賭けてもよろしいでしょうか?」

 そして静寂を、突如そんなふざけた言葉が切り裂いた。

「ああ?」

 俺はそれを口にしたアンナを見下ろす。

 賭ける?

 何も失っていないオマエが俺なんかに何を賭けるというのか?

 その先に得るモノなんて何もないというのに。

「私も貴方の中に残るモノが本物であることに賭けさせていただきたいのです」

「やめとけ、当事者でもねえオマエが何を賭けるってんだ? それに賭けたトコロで得るモノなんて下らねえ、俺だけだ。アンナ、お前に得なんてねえよ。言ったろう? 恩なんて感じる必要なんてねえって」

 こんなことで、本物であるオマエが何かを失うなんて馬鹿げている。そんな思いからそう告げたが、それでもアンナは微笑みを浮かべて尚も口を開いた。

「恩ではありません。いえ、私は間違いなく恩を感じていますが、貴方が必要ないと仰るのでしたら私はそれを胸に仕舞いこみましょう。この生が尽きるまで。

 だから、これは貴方の友人としてのお願いです。貴方の中に本物があることに、貴方が生きたいと思えることに、私の全てを賭けさせてください。

 私の身体を。

 私の心を。

 私のスキルを。

 貴方の為に使いましょう。

 その全てを賭ける価値が、貴方が生きたいと思ってくれるという結果にはあるのです。――少なくとも、私には」

 その声も。

 その眼も。

 その全てが本物だった。

 残念ながらこの俺に、こんなにせものにそれを否定する権利などない。

 彼女のその想いは強くて、嬉しくて、眩し過ぎる。

 故に俺は観念したように目を閉じて、息を吐く。

「……好きにしろ」

「はい、好きにします♪」

 これで、失敗は許されなくなった。俺如きの為に本物アンナを犠牲にすることなど在ってはならない。

「では、お話も纏まったようですシ。そろそろ参りましょうカ」

 いつのまに近づいていたのか手際よく俺の拘束を解きながら、ヘルミーネがそう俺たちに告げる。

「行く? 何処にだよ?」

 漸く自由を得、凝り固まった筋肉をほぐすように肩をまわしながら俺がそう問うと。

「決まっているではありませんカ。私にヘルのお世話をするように命じてくださった、マイスターのお部屋へ、でス。ヘルのことを報告する必要がありますし、何よりこれからここに滞在されるのでしたら礼儀としてご挨拶をしておくべきではございませんカ?」

 彼女は無機質に。

 俺に礼儀知らずだという憤りを表に出すことなく。

 ただ文章を読み上げるが如く。

 口を動かしたのだった。


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