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鷽から出たマコトの世界  作者: 久安 元
フリェンチャル・ロッジ
21/213

27ページ

 そして夕刻、本館大食堂にて宴は開かれた。

 純白のテーブルクロスで覆われた巨大なテーブルの上にはこのロッジ唯一のコックである井坂幡が腕によりをかけて作った和洋中全て揃った料理が所狭しと並べられており、その豪華な食事は放つ匂いに誰もが胃袋を鷲掴みにされているような錯覚に陥る。

「それでは皆さんお揃いになったようですので、どうぞお召し上がりください。きっと御満足いただけることでしょう」

 陣内のその言葉を合図に十……十一名の宿泊客たちは待ってましたと言わんばかりに一斉に食事に飛びついた。

「あら、美味しい!! ほら芳人さんも食べてみて」

「おお、確かに!! こんなに美味いビーフシチューは初めてだ」

 平居夫婦は仲睦まじく。

「こりゃ、うめえや!! 司の料理もこんだけ美味けりゃ良いのによお!!」

「父さん、これも美味しいよ」

「? あん? こりゃおめえ、刺身の横にあったタンポポじゃねえか」

「はぁ……、これはタンポポじゃなくて菊だよ」

「何にせよそれ食うなら刺身を食わせろ。いつもお前の不味い飯ばっかなんだから――」

「え、父さんもっと子菊が食べたいって? しょうがないなあ」

「お、おい司……?」

「いいから食べろ。十秒以内」

「…………はい」

 東郷親子はやや殺伐とした雰囲気で。

「あっはっはー、へえー、三人は高校からの付き合いなんだねー」

「僕たちも高校の頃からずっと一緒なんだ。大学生になったいまでもこうして旅行に行くぐらいには付き合いがある。君たちもきっとそうなるよ」

「そうそう。でもお前らと違って、いまだに武彦は俺たちのこと下の名前で呼ばねえけどな。恥ずかしいのかよ?」

「……別に恥ずかしいわけじゃない。そういうのは大事な人だけにしたいんだ」

「おーおー、純なこって」

 そして霧島武彦、伊吹恵理、八島真の三人は同じ宿泊客である高校生のグループと談笑しながら、それぞれ食事を楽しんでいた。

 テーブルの上に並べられた料理はあっという間にその姿を皿から消していったが、そこで終わりではない。二人の少女によって再びその息を吹き返す。

「はーい、追加のお料理でーす。ふっふーん、皆さん良く食べるから私たちも作り甲斐がありますよ」

「鈴、作ってるのは父さん。私たちはただ手伝ってるだけ」

「ぐ……錀姉さんは相変わらず細かいなあ。じゃあ何て言えば満足なの?」

「………………手伝い甲斐がある?」

「私に聞かないでよ……」

 数秒の沈黙のあと、首を傾げながらそう答える錀に対し、鈴はやや呆れた声で答える。

 この姉妹は井坂幡の娘であり、姉の錀が高校三年生、妹の鈴は高校一年生。二日間、このロッジに宿泊する客の世話を任されている。ただ、空いた時間は好きに行動していいという条件付きなのだと食事が始まる前に鈴が暴露していたことから察するに二人にとってはある意味、小旅行のようなものなのだろう。

 さて、ここまでに登場したロッジを管理する人間は四人。

 管理人の陣内。

 コックの井坂幡。

 そして給仕を務める井坂姉妹。

 これだけ大きなロッジなのだから多くの使用人がいるだろう誰もが思うだろうが、驚くなかれ、現在このロッジはこの四人だけで切り盛りされているのである。

 当然、この人数では屋敷全てを管理することは困難であるため、客室、及び目につきやすい場所は徹底的に整備がなされているが、ロッジを利用する上で必要ないと判断された場所に関しては最低限の整備のみ、若しくは全く手がつけられていない。

 こうした実情は宿泊客には伝えられていないが、問題はないだろう。ロッジの中を隅から隅まで探検しようという輩が現れない限りは。

「……それにしてもお腹減ったね、お姉ちゃん」

「鈴、我慢」

「……うう~」

「陣内さんも、父さんもダメって言った」

 悲鳴を上げる腹部を抑えながら鈴はそう訴えるが、錀はそれを一言で切り捨てる。彼女たちも一応、お客をもてなす側にいる以上、一緒に食事を取らないよう言いつけられているらしい。

「あら、鈴ちゃん。お腹が減ってるなら一緒に食べましょうよ!! 皆で食べたほうが、お料理ももっとおいしくなると思うわ!!」

「そうですね。お話も聞きたいですし……。どうかな? 錀ちゃん、鈴ちゃん?」

 平居有里香と東郷司はそう言って姉妹に同席するよう求めたが、二人は逡巡することなくその誘いを断る。

 まるで初めから答えなど決まっているかのように、どこか諦観の念を滲ませながら。

「あ~、ごめんなさい。ここの決まりでお客さんと一緒に食事しちゃいけないことになってて……。ね、お姉ちゃん」

「すいません、御一緒することはできません」

「良いじゃない、そんなの。私たち気にしないわよ?」

「申し訳ございません、平居様。こればかり譲れないのです。このロッジで働く者が守らなければならないルールなのです」

 尚も食い下がろうとする有里香に、決して考えを曲げないという強い意志があることを示しながら陣内が立ちはだかる。

「私どもは雇用主よりそれぞれ役割を与えられております。私でしたら、従業員を統括すること、幡君でしたら最高の食事を提供すること、錀ちゃん、鈴ちゃんであれば清掃などの身の回りのお世話というように。そして私どもはそれを逸脱した行動をとることを許されてはいないのです。

 私たちはあなた方とは違う生き物だとでもお思いください」

 陣内の口調は昼間と変わらずゆったりとしたものであるにも関わらず、そこからは異論を許さぬ雰囲気を漂わせていた。

 こちらの事情に口出しするな。

 面と向かってそう言われていると何ら変わらない。

「…………そう。なら仕方がないわね。芳人さん、ごめんなさい、私もうお腹いっぱいだから先に部屋に戻ってるわ。ごちそうさま井坂さん」

「有里香、待ちなさい。僕も一緒に戻ろう」

「え、でも……?」

「いいから。陣内さん、その意識の高さは素晴らしいことだと思います。ですがあなた方はもう少し柔軟性を身につけた方がいいのかもしれませんよ」

「御忠告痛み入ります」

 陣内は食堂を出て行く平居夫妻の背中に向かって頭を下げる。しかし、彼の言葉が口だけのハリボテであることをそこにいた全員が感じ取っていた。

「…………私たちも戻ろう、父さん」

「んあ? 待てよ、まだこれ食ってね――、いって!! おい、わかった!! わかったから耳引っ張んな、司!!」

「あ~、武彦、恵理? 俺らも行かねえ?」

「そうだねー、空気悪くなっちゃったしねー」

「伊吹!! ……ほら君たちも行こう」

 そのため、食堂にいた宿泊客の全員が出ていったことは、まあ東郷貞和、そして高校生組はそれぞれ連れだされる形になった訳だが、当然の結果といえよう。

 食堂に残ったのは陣内、井坂幡、錀、鈴の四人のみ。

 つまり、今宵の宴はここでお開き。

 再び、この部屋に全員が集まるのは明日の朝食のときになるだろう。

                         無論――何事もなければ、だが。

                                       』


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