鍍金のココロ、その在り処
この忌まわしい生家に逃げ込んで、三日余りが経った。そしてそれはこの部屋に逃げ込んでからの日数でもある。こうしてベッドに座り込んで、布団を身体にかけて過ごすこの三日間は何も、何もしていない。いやできなかった。
満月と同調していない私では何も見えない、何処にも行けない。あの男の首を圧し折ることも、出来ない。こうして無気力にただ座り込んでいるとどうしても自分が人形であった頃を思い出す。
「……駄目ね、こんなんじゃ」
しかし、私はその陰鬱とした気持ちを強引に頭から追い出すことを決めていた。もう私は以前の私とは違うのだ。薬臭い病室に閉じこもり、自分一人で何かをする意志もなく、ただ時間だけを浪費していた私はもういない。
いまの私には理想がある。あの人のように揺るぎない意志で意地を貫き通せるだけの強さを持った人間になりたい。外の世界に何の希望も期待もしていなかったあの頃とは違う。
この足が動かなくとも、私は身体全部で世界を感じている。
この眼が盲いたままでも、私は世界の輪郭を感じ取れる。
満月と同調していなくとも、私はこの世界の中に不完全ながらも存在している。
そう言い切れる自分になる為に――。
「いま私は戦っているのだから」
「――は、それがお前の戦う理由だとでも?」
廊下に繋がる扉の方から、誰かの、そんな馬鹿にしたような声が、矢のように、化け物を殺す銀の弾丸のように、非難する石のように。私に放り投げられた。いや、誰かの声と呼ぶのは正確ではない。そう呼ぶにはその声は余りにも聞き馴染みが過ぎていた。
「……満月?」
「いいや、違う。まあ身体は満月……、そうともあの鍍金のモンだけどな。ただ、いまお前と話しているこの俺はあんな紛い物の紛い者とは違う」
そう否定されつつも、それでもやはりその声は満月のもので。これまで私と一緒に、私を支えてくれていた、そして先日初めて私の意志に逆らった相棒のもので。
唯一違う所といえば彼女の口調がぶっきらぼうというよりは尊大で傲慢なそれに変わったというところぐらいだろうか。
「どうやらまだ疑ってるみたいだな、小娘。心外だ、ああ、心外だとも。この俺をあんな入れ物なんぞと一緒にするなんて――」
満月の声色で話す、その誰かはそんな言葉を重ね、徐々にこちらに近づいているようで、少しずつ耳が捉える彼女の声は大きくなり。
不意にその声が途切れたと思ったら。
「万死に値する無礼だな」
唐突に耳元で死が囁かれた。
するりと私の首に巻きついてきた細く長い指は、罪人の首に掛けられる縄のようで、しかし急激に締め付けられることはなく、毒が身体の中を回るように。
ゆっくり。
ゆっくりと。
絶妙な力加減で私の首を締め上げていく。
「か……、は……」
首に絡みつく指を剥がそうと両手で首を掻きむしるが、私が渾身の力をこめてもその腕をずらすことすらできない。それどころか、私の爪が彼女の手首を何度も掠めているのにも関わらず、その皮膚を傷つけることもままならない。
高速再生? いや私と満月のようなそんな能力ではない。そもそも傷つけることが出来ないのだ。
そんな思案をしているうちにもがく指が力を失くしていく。口からは唾液が流れ、意味もないくぐもった声だけが静かな部屋の中に木霊する。そうして私の意識が飛ぶ――、その直前。私の首の戒めが突如解かれる。
「げほッ……、は、えほ……ッ」
文字通り、死ぬほど欲していた酸素をいきなり肺に取り込んだことで苦痛を伴ったが、それでも身体は貪欲に、生きる為に空気を求める。目じりに涙を薄く浮かべながらベッドに手をつき、呼吸を整えているとまるで嘲笑するかのように今度は正面から襲撃者の声が響く。
「なんてな。驚いたか? 死ぬかと思ったか? だがまあ、我慢するんだな。出過ぎた真似をした鍍金への罰だとでも思えば良い。恨むならあの入れ物を恨むこった」
「は……、あ…………、何の……、ことよ……? 満月はアナタ、でしょう……?」
「だーから違うっての。ふ……ん、まあ良い。どうしても理解できなくて、どうしても知りたいなら、そうだな。俺が引っ込んだ後に鍍金にでも聞けば良いさ。アレがちゃんと答えるかは流石の俺も保証しないが」
やはり、何度聞いても声は満月のもので。耳で世界の大半を認識している私にとってこの声の主が満月であることは疑いようのないことだ。だが、この行為行動を見れば彼女でないことは明らかで――、ゆえに私は未だこの人物を何者であるのか判断し損ねていた。
「アナタは……、誰……なの? 満月でないとしたら……、一体誰だって……いうの?」
いまの私にできることといえばこうやって思考を放棄した人間のように、ただ尋ねることだけ。呆けた顔で、私は馬鹿ですと白状するように疑問をぶつけることだけだ。
屈辱と、恥辱に唇を噛みながら。
血が滴ることも躊躇せずに。
「へえ、これは驚いた。意外に素直なんだな、四谷深緋。そうさ、俺以外の不完全なヤツらは全ての物事に疑問を持つべきだ。だからいま矜持も尊厳も、かなぐり捨てたお前の判断は概ね正しい。ただ――、残念ながら唯一にして最大の間違いはお前のような一人で何もできない穴ぼこだらけの欠陥品が初めからそんな大層なモノを抱いたことだけど」
「それは……、私の目と脚のことを指して言っているのかしら?」
「いいや、全くそんなつもりはない。仮にお前の目と脚が他の凡愚と同じ機能を果たしていたとしても俺は一言一句違わず同じことを口にしていたよ、きっとね。人間だろうが妖怪だろうが変わらない。自分だけでは何もできず、何も得られない。ただ一人だけで自身を完成させることができない者など俺にとってはどれも同じにしか見えないんだから」
少し語気を強めた私の声に毛ほども反応することなく、先ほどと変わらぬ調子で彼女は続ける。
「さて、俺が誰かとお前は聞いたね? 普通なら答えない――、が」
私の耳元で艶やかに、優雅に。
「今日は特別だ。今日だけは特別だ。俺の入れ物が入れ込むお前に俺も少しだけ、ほんのミジンコ一匹分だけ興味が湧いた」
そう囁く。
「パルマ・グラネット」
自身の名を、慈しむように、宝のように。
重々しく、厳かに。
「それが俺の名。俺だけに与えられた、俺だけに許された唯一無二の名だ。精々心に刻めよ、小娘。鍍金の中で肥大する、何物にも侵されない黄金を忘れるんじゃない。それがお前の心の渇きを潤す最後の希望なんだから」
ほんの少しの自虐を込めて、謳う。そしてその言葉の意味を私が問う前にベッドは軋みを上げ、それはこのパルマ・グラネットというらしい存在が私の目の前からいなくなったことを意味していた。
「待ちなさい、満――、いえグラネット。言いたいことだけ言って一体何処に行くつもり? アナタは気が済んだかもしれないけれど私は一方的に話されて貶されて鬱憤が溜まりに溜まっているのよ」
「おや、そうか? だけどそれは悪いことをした――なんて思わないぜ? これも代償だ。一つの望み対する代償が一つなんて誰が決めた? そう思い込んでいたのならおめでたい頭だと言わざるを得ないな。この世界は気紛れなんだ。一つの望みに対する代償が一つのときもあれば、複数のときもある」
ガチャリと。ドアノブを回し、私の部屋から出て行こうとするグラネット。そんな彼女に対し、尚も制止の声をあげようとするがその前に、私に向けられた彼女の言葉が胸を刺す。
「だけど願いが叶うなら、代償が幾つあろうが安いモノさ。たとえそれが法外なモノを求められたとしても、な。お前らは違うと言うかもしれないけれど、これは真理。
だってあのとき――、どれだけ望んでも、声を嗄らして叫んでも誰の願いも叶わなかった。
阿嘉も。
余代も。
サキも。
フェルも。
善童も。
妙童も。
煙羅も。
そして俺の願いも。
だから精々涙を流して喜べよ、小娘。お前の大事な「誰か」を守るという願いが叶うことを。あの鍍金の相棒であった幸運を」
「――アナタは……!!」
思わず声を上げるも彼女からの返答はなく。答える気はないという彼女の心を表すように、扉が閉ざされた音が響くのみであった。
後ろ手に閉めた扉に寄りかかり、ふう、と短いため息を漏らす。
「まったく……、ある意味妙童より手間のかかる小娘だこと――っと、もう時間か。こんなことならさっさと話し切り上げて自由を満喫すりゃあ良かったぜ。五月蠅いな、ちゃんと返してやるからぎゃーぎゃー喚くんじゃねえよ」
苛つきを口にし、しかしそれでも約束を違えることなく、俺は目を閉じ意識を再びこの身体の奥底に沈めこむ。その俺と入れ替わるカタチでこの身体の「いま」の持ち主である鍍金、十六夜満月が表層に浮かび上がった。
『ほら、これで文句ないだろ? まったく……、人が話してるときも罵声のオンパレードときたもんだ。少しは静かにするってことができないもんか、オイ?』
「静かにするのはアンタの方だろ!! 深緋にあんなことを言って……、もし縹のことを思い出したらどうするつもりなんだい!?」
『…………はぁ』
これまで幾度もなく思ったことだが、どうしてこうも俺の入れ物は情けなく、下らないのか。愚物の中の愚物といっても差し支えない。
『思い出したらどうするか? どうするもなにも俺は初めから思い出させるつもりで話してたんだけど?』
「……アンタ、アタシを馬鹿にしてんのか? いま深緋にその事実を思い出させて、あの子にそれを受け止められる余裕なんかない!! グラネット、アンタ深緋を殺すつもりか!?」
『殺すつもりか? つもりもなにも殺すさ……って言いたいところだが、幸運なことにその気はないよ。そのことについてお前は既に確認している筈だろう。安心しろ、お前が俺との契約を守る限り、俺もあの小娘に肯定的でいてやる。そんなことより、なあ、鍍金? 俺からも一つ質問があるんだが?』
「…………なんだい?」
『――お前はさ、本当にあの小娘を助ける気があるのか?』
「――――――あ?」
投げかけられた問いに、視界が赤く染まる。しかしこの怒りを向けるべき相手は目の前におらず、思わず自分の中に巣食うこの黄金を自身の胸を裂いてでも引き摺りだしてやりたい衝動に駆られる。
『は、怒るなよ。別に馬鹿にしてる訳じゃない。それともなんだ、図星か?』
「『そんな訳……ないだろ』」
「ッ!?」
『なに驚いてる? 俺はお前の中にいるんだ。何を考えてるかなんて手に取るようにわかるのさ』
「なら何でわざわざ――」
『お前の口から聞きたかった。それでこそお前の本心がわかるってもんだからな。お前の考えることがわかるからこそ、口に出さないことが本当なのさ』
決して口にしない、自身の中にひた隠しにしている言葉こそが真実であると。グラネットは言うのだ。アタシが心から言葉を一つ一つ吐き出して、最後に残ったものこそがアタシの真実だと、断罪するかのように宣告する。
『だが吐いた言葉全てが嘘だとは言わない。意地悪を言ったがな、お前があの小娘を助けたいと思うのは真実だ。それは間違いない、この完全無欠の黄金が保証してやる。ただし、いまのお前があの小娘の願いを叶える気がないこともまた真実だが』
「……叶えるさ。深緋が世界に存在していると思えるように、生きていると胸を張って言えるようにしてみせる」
『ああ、そう。それは律義なことだ。それで――、もう一つの方は?』
「………………………………」
沈黙。アタシはその問いに何も答えることが出来ない。あの子の願いを叶えることがあの子自身を傷つける。だからこそアタシは矛盾に気づきながらも、それを見ないようにしてきたのだ。まるで子どものように。
『……話にならないな。宿代代わりにお前らを少し手助けしてやろうとも思ったが――、やめだ。いまのお前は鍍金すら剥がれ落ちたただの塵屑。この俺が手を貸す理由がない。せめて俺の入れ物としてもう少しマシになれば話は別だがな』
それきり頭の中にグラネットの言葉は響かない。
「そんなの……、今更さ……」
この自分の行動の情けなさなんてとっくの昔に気付いて、とっくの昔にそんな自分に嫌気がさしている。その程度の罵倒なんて何十回と繰り返したかわからない。
「……アタシにはもうわかんないんだよ。どうすりゃ一番良いのかなんて」
――思わず零れた、その弱気な声に応えるものは、冷気の満ちた暗い廊下には誰一人いない。
大変お待たせいたしました。久安です。
一週間の延期、誠に申し訳ございませんでした。という訳で十話です。特に派手さのない今回ですが色々と重要なことがポロリポロリと断片的に散らかってます。そういう意味では大事な回といえるでしょう。
さて、次回更新ですが仕事先での異動により、これまで全く携わらなかった部門に配属になりまして、延期をした矢先で大変心苦しいのですが、しばらく更新をお休み致します。再開は早ければ一週間。遅ければ一か月以上という明確に時期をご提示できないのが申し訳ないのですが、私が仕事に慣れ次第再開させていただきたく思います。それまでお待ちいただければとても嬉しく思います。再開の情報はtwitter等でまたご連絡しようかなと・・・・・・。
それでは皆様しばしお待ちくださいませ。




