開演
「や、やっと……全部……見て回った……、よな?」
「ああ……、探検を提……案した俺が言うのも……何だけど、ここ……まで広いとは思わな……かったぜ……」
まったくもって龍平の言う通りである。さっきまで探検と称してロッジの中を歩き回っていたのだが、その広さは尋常ではなかった。
このロッジは本館、東館、西館の三つに分かれていると陣内さんは言っていたので、それなりに広そうだとは思っていたが、実際は俺たちの想像以上の広さがあったのである。
本館だけならば「大した」ことはない。ほんの体育館四個分程度の大きさしかないのだが、その本館から伸びる東館、西館がヤバイ。
到着した際に俺が見たロッジの姿はほんの一部だということが身に染みてわかる。入口正面から見ると中心に本館、そしてその左右一直線に東館、西館が伸びているようにしか見えなかったのだが、実際にはこのロッジ、コの字型をしていたのである。
俺たちがあてがわれた部屋も入口正面から確認できた位置にあったということも手伝い、ロッジの規模を完全に誤解していたのだ。二十人とかそんな生易しいもんじゃなかったわ。
ヤバイのは正面からでは見えない部分。つまりコの字の伸びた部分なのだが、何がヤバイって突きあたりが見えないんだな、これが。
最終的に本館、東館、西館いずれも踏破し、宿泊している人間の部屋、鍵の掛かっている部屋以外を見学、もといガサ入れさせてもらったが、俺も龍平も体力を根こそぎ持って行かれてしまったのである。
そう、俺と龍平は、だ。
先行していたお嬢さん方はほらあの通り。
「客室は全部同じだったけど物置きみたいな部屋は楽しかったわね、イアちゃん!! お風呂もおっきくて泳ぎ甲斐がありそうだったし!!」
「うん!! 私、それに廊下走れて楽しかったよ!! ……くしゅん!! あ、あれ?」
「ふふ、イアちゃんったら埃まみれだもん。そりゃあ、くしゃみも出るわよね。はい、両手挙げてー」
「はーい」
美咲はイアの髪や衣服に付着した埃を優しく叩いて払っていく。その光景は年の近い姉妹のようにも見え、心なし穏やかな気分に――。
「はい、おしまい。……残りはお風呂で隅々まで洗ってあげるわね、じゅるり」
「あ、ありがとう」
なることはないな。うん。ありゃあ、姉じゃなくて良いとこ一年に一回会うか会わないか親戚の変態の叔父さんだ。
つーか残念ながらイアと一緒に風呂には入らせんぞ。いや、俺が一緒に入りたいとかそういうことではなく、彼女の正体の隠匿……と、貞操を守るために。
「それにしてもイアちゃん体力あるなー。何か特別鍛えてたりすんの?」
息を整え終えた龍平が二人の会話に加わる。
おい、美咲。露骨に嫌そうな顔をするんじゃない。
「ううん、私何もしてないよ。頼人の家でご飯食べて遊んで寝てるだけ」
「そ、そうか」
こうして休憩がてらエントランスで他愛ない話をしていると、陣内さんが管理人室から現れた。そして、その後ろから筋肉質の、明らかに料理人然とした風貌の男性が大量の荷物を抱えて登場する。
「おや、皆さんお揃いですね」
「あ、陣内さん。こんな場所で騒いじゃってすいません」
「いえいえ、楽しんでもらえているのなら嬉しい限りです……、おや? そのお嬢さんは?」
美咲の謝罪に対して柔らかい笑みで答えると同時に、彼はイアに気づいたらしい。
ああ、そうだった。俺たちの中ではイアも泊まる感じになっていたが、その辺り、管理人に許可を取らなくてはならないことを失念していた。
俺はやや焦りながらも美咲と陣内さんの間に割り込み、イアのことをお願いする。
「すいません、俺の家の子なんですけど勝手に鞄に入ってついて来ちゃったみたいで……。申し訳ないんですが、この子も一緒に泊めていただけませんか?」
「か、鞄にですか……? ほっほっほ。随分と活発なお嬢さんですな。ええ、勿論構いませんよ。部屋の数も問題ありませんし……、幡君、食材は十分に用意してあるんだろう?」
「大丈夫ですよ。食事は全部バイキング形式にするつもりでしたし、力士が一人増えても賄えるぐらいは確保してありますから。それに錀と鈴が手伝ってくれてるんで人手も足りてます」
大量の荷物を抱えているにも関わらず、井坂と呼ばれた男性は震えのない、しっかりとした声で陣内さんに返事をする。
「あの……、こちらの方は……?」
突然目の前に現れた男性に興味を抱いた美咲は陣内さんにそう問いかける。
「おお、これは失礼致しました。紹介がまだでしたね。彼は井坂幡君といいましてこのロッジで何か催し事がある際に食事を作ってもらっているんです。まあ有り体に言えばこのロッジの持ち主お抱えの料理人ですな。そしてそれだけではなく私の古い友人の息子さんでもあります」
「あ、そうなんですか」
「御挨拶が遅れました、井坂幡です。白波瀬さん御一行……でしたよね? 陣内さんがお抱え料理人なんて言いましたけど実はここでコックをしているのは僕だけなんですよ。だからそんな偉い人間じゃあありません」
幡さんは苦笑しながらそう俺たちに声をかける。こちらも順に名乗り終わった後、美咲は一つの疑問を口にした。
「でも、さっき手伝ってくれる人がいるって仰ってませんでしたっけ?」
「ああ、それは私の娘たちです。ちょうど君たちと同じぐらいの年かな? 上の高校三年生の子が錀、下の高校一年生の子が鈴というんですが、たまに私の仕事を手伝ってくれるんですよ。夕食のときに改めて紹介しますね。仲良くしてやってください」
そう言うと幡さんは夕食の準備があるからと言ってエントランスから姿を消した。
「良かったな、イア。二人も友達増えそうだぞ」
「うん!!」
また、良い笑顔しやがって。見てるこっちも嬉しくなる。
「イアちゃん、はぁはぁ……」
「確かにイアちゃんは可愛いが自重しとけ、美咲」
そうして俺たちがイアの笑顔を見て和んでいると、唐突にロッジの玄関扉が開け放たれた。
解放された扉からロッジの中へと侵入するのは七人。どうやら俺たち以外の宿泊客が散策から帰ってきたらしい。
その推測は陣内さんの反応で確信へと変わった。
「おや、お帰りなさいませ。皆さん散歩は楽しめましたかな?」
「ただいま、陣内さん。そうね、ここまで自然に囲まれた場所は来る機会がないからとても楽しめたわ。うふふ、これも芳人さんの運のおかげね」
そう答えるのは先頭を歩いていた五厘刈りの男。
……男?
「ははは、運といってもこれまで何かに当たったことなんて有里香が楽しめたのなら私の運も捨てたものではないな」
「やだ、嬉しい」
そして腕を絡ませてくる五厘刈りに優しく微笑みながらそう言うのは中年のやや肥満体形の男。
……男?
「うわぁ……」
「? うわぁ」
イア。無理に俺と同じリアクションをしなくても良いから。
小首を傾げて「何かあったの?」みたいな顔をしてこっちを見ないでくれ。
「あら? あらあらあら?」
マズイ、よりにもよって五厘刈りと眼が合ってしまった。
「陣内さん、もしかしてこの子たちも?」
「ええ、当選されたお客様です」
「やっぱり!! 来るのが遅かったから来ないんじゃないかって心配してたの~。でもこうして会えて良かったわ~」
「そ、それは御心配お掛けしてすいません」
近い、近いよ。あとさりげに手を握ってくるんじゃない!!
「有里香、嬉しいからって初対面の、しかも子どもに詰め寄るものじゃあないよ。見なさい、びっくりしているじゃないか」
驚いてねえ、怯えてるんだよ!!
「あっはっは、大丈夫ですよ。こいつはお姉さんが綺麗過ぎてびっくりしてるだけですから」
「そうそう、あたしもびっくりしたもん」
おおぉい!! 何でお前らこんな濃いコンビを目の前にして平然としてられるんの!? ツッコミどころが多すぎてどうすればいいのかわかんねえよ!!
「うふふ、ありがと。あ、自己紹介がまだだったわね。私は平居有里香。で、こっちはマイスウィートダーリン平居芳人さん」
「お、おい……恥ずかしいじゃないか、有里香」
「良いじゃない。それとも……嫌?」
「…………好きにしなさい」
旦那さん、好きにさせちゃ駄目!! 俺らの貞操を守るためにも手綱はちゃんと握っていて!!
つーか、濃いキャラクター多すぎだろ、このロッジ。人造人間やら、百合(疑惑)やら、ホモ(確定)やら。いや、俺も人のこと言えないけども。どうか頼むから残りの面子は普通であってほしい。
俺がそう願うと、その祈りが通じたのか、ようやくこのホモカップルに対して否定的な意見が聞こえてきた。
「ったく、所構わずイチャイチャしやがって……。気分悪いぜ」
「まあまあ。仲睦まじいことは良いことだよ」
おお!! 来た、常識人が来――。
しかし、俺の期待は見事に裏切られる。
いや、正確にいえば半分、つまりその人物の中身は期待通りだったのだ。いま、俺の目の前にいる平居夫妻? に対して苦言を呈す人物であることには間違いなかったのだから。
だから、俺の期待を裏切ったのはその容姿。
「あん? 何ジロジロ見てやがる、ガキ?」
童顔で明らかに小学生と思われる子どもに汚い言葉遣いでそう問いかけられる。その瞬間、僅かにフリーズするが、すぐに頭を振って考え直す。
いやいや、口の悪い小学生なんてこのご時世だもの、いっぱいいるさ。ほらきっと横にいる眼鏡をかけたお母さんが注意を――。
「ちょ、ちょっと父さん。すいません父は口が悪くって……、気にしないでくださいね。ほら、謝りついでに父さんもちゃんと自己紹介しなよ」
「ちっ、しょうがねえなあ。俺は東郷貞和だ。……あ~、その何だ。イチャモンつけて悪かったな、ガキ」
「父さんったら!! まったく、もう……。すいません、私は娘の東郷司です。よろしくお願いしますね」
「は、はあ……。えっとあなた――失礼、司さんが娘さん?」
俺は長身の眼鏡をかけた女性にそう問いかける。
「? ええ」
「それでこちらの方が司さんのお父さんの貞和さん?」
今度は彼女の隣に立つ小学生にしか見えない子どもを指差して言う。
「そうだ、コラ。何か文句でもあんのか、ああ!?」
「い、いえ、ないです」
文句はない。文句はないのだが……、何だろうこの感じは?
「どうかしたの、頼人?」
「……俺にもよくわからん」
「?」
現状、美咲の問いには答えられそうにない。俺自身が答えを教えてほしいくらいだ。
「あっはっはー、貞和さんの怖い顔見てたら、もっと楽しそうな顔しろって文句の一つも言いたくなりますよー」
「なにぃ!?」
そうして東郷親子の後ろから現れたのは俺たちと同じく男女の三人組。正確な年齢は定かではないが、俺たちよりやや年上程度といったところか。
「でも、山ん中歩いてるとき鳥さんと会話しようとしていたのにはちょっと萌えましたよー?」
「こら、伊吹、失礼だろう」
「いや、でも本当のことじゃね?」
「八島も!! すいません、東郷さん」
左右にいる二人を軽く嗜めた男性は、今度はこちらに視線を移し、爽やかな笑顔を浮かべながら名を名乗る。
「初めまして、こんにちは。僕は霧島武彦。それでこっちは伊吹恵理、それでこっちは八島真です。よろしくお願いしますね」
「御丁寧にありがとうございます。それにしても――」
目の前に立つ霧島さんの瞳を眺めながら俺も笑みを返す。
「日本語お上手ですね。日系の方ですか?」
「……は?」
霧島さんは目を丸くして間の抜けた声を上げる。
ん? あれ、俺いま何かおかしなこと言ったか?
「あだっ!?」
(アンタ、さっきから何訳わかんないこと言ってんのよ!?)
俺の頭に拳を振り下ろした美咲は耳元でそう呟く。
(ああ? 何がだ?)
(……それ本気で言ってるの?)
憤怒の表情を浮かべていた美咲は俺の言葉を聞くと、今度はその顔を困惑へと変化させる。その顔からは嘘偽りを感じることができない。
……どういうことだ?
しかし、その疑問について深く考える時間を与えることはできなかった。何故なら、このエントランスの空気がまるで凍りついたように動かなくなったからだ。
「………………………………………」
全員が無言で俺をじっと見つめている。おお、この耐えがたい空気は何だ。こんな空気を体験するのは、昔中学で暴れたとき以来だぞ……。
それほどまでに自分はおかしな、場違いなことを言ってしまったのかと、そろそろ本気で考え出したころ、ようやく時が動き始めた。
「…………ぷっ」
「……くくく」
「だぁーはっはっはっ!!」
堪え切れずに少し噴き出した有里香さんに目をやり、何とか堪えようと必死に笑いをかみ殺す司さんの姿を見、そして最後は東郷さんの大爆笑がエントランスに響いた。
そして辺りを見渡すと他の面々も龍平と美咲、そしてイアを除いた全員が東郷さん程ではないにしろ、顔に笑みを張り付けている。
「いやぁ、面白い冗談ですね。そんなことを言われたのは初めてですよ」
腹を抱え、目に涙を浮かべながら笑い転げる霧島さんだったが、そう言われても俺にはいまの言葉の何が面白かったのかわからない。というか正直なところ、自分が笑い物にされているようで非常に不愉快だ。
「ああ、笑った。笑った。武彦が外人さんだったら俺も外人だっての。なあ、恵理?」
「そうだねー。でも真は中国人に見られる予感」
「結局黄色人種かよ!! ったく、コイツ本気で言ってるんだから嫌になるぜ……。はぁ……まあ、いいや。それより今度はそっちの番だぜ? 自己紹介」
そういえば、怒涛かつ凄まじいインパクトの連続だったので忘れていたが、俺たちは誰一人として名乗っていなかった。
「あ、すいません。あたしは白波瀬美咲です。このバカは天原頼人、あっちのバカが桐村龍平っていいます。そして――」
あまりにもぞんざいだったが俺たちの説明を終えると、フンッと鼻を鳴らしながらイアの両肩を掴んで叫ぶ。
「この子が私のオアシス、天使、妹いやさ嫁、イアちゃんです!! 異論は認めない!! 認めないわ!!」
「え、え!?」
あーあー、イアがすげー困ってるよ。泣きそうな目でこっちを見てくるが、俺にもどうすることもできない。というか巻き込まれたくない。
「呼称はイアたんでも可」
「オメーは黙ってろ!! 頭ぶっ飛んでるのは一人で十分なんだよ!!」
悪ノリする龍平を怒鳴りつける。
いや、もうホントにこれ以上かき回さないでくれる? こちとら訳のわからない宿泊客連中に戸惑ってるんだから。
「ふふ、本当に面白い子たちね……。そうだ、自己紹介も終わったことだしみんなでお茶でもしない? 私もっとたくさんお話ししたいわ」
手を叩きながら有里香さんがそう提案するが、勘弁願いたい。何が嫌かって、そりゃあ五厘刈りの男が目の前でクネクネしているのを見るのも嫌だが、それよりもこの不安定な精神状態のままこの濃い面子と一緒に過ごしたくないのだ。
俺がそう思っていると、思わぬところから救いの手が差し伸べられる。
「俺はパスだ。歩き回って疲れちまった。大体話ならメシのときでも構わねえだろ? いま話してえってんならやりたいヤツだけでやってくれ。いくぞ司」
「それもそうだね。皆さん、すいませんが私も少し疲れたので失礼します」
これでエントランスに残ったのは十人。しかし、そこから更に俺たち三人も抜けることになる。
「ん~、じゃあ俺たちも一旦部屋戻るか。俺も歩き回って疲れちまったよ」
「疲れたって……、たったあれっぽっちで? 龍平、アンタ意外に体力ないのね」
「はは、美咲。疲れてねえのはお前とイアちゃんだけだよ、なあ頼人?」
「ん? ああ……」
「しょうがないわねー、すいませんそういうことなんで私たちも失礼しますね。イアちゃんも行きましょ」
「うん」
俺たちは残った人間にそう断りを入れ、東館へと退散する。
ふう……、取り敢えずあの場からは解放されたか……。部屋に戻ったら夕飯の席で行われるであろう交流会に備えて体力と精神を回復させておくとしよう。
ふらふらと長い、長い廊下を歩きながらそんなことを考えていた。




