裏世界(リバース)
『はい、とうちゃ~く』
イアのその声を合図に俺は閉じていた両目を開ける。
目の前に広がるのは先ほどまで俺がいた森の中ではなく、真っ白な空間だ。
天井も、壁も、床も。その全てが白に染まった空間。そしてその天井と壁、床には規則正しく無数の扉が設置されている。
さっき俺が通った扉、そしてここにある全ての扉はわかりやすく言えばワープゲートというヤツだ。イアが言うにはこの世界の至る所に繋がっているらしく、禍渦退治を行う俺とイアのために神様が設置したんだとさ。
確かにこの空間のおかげで簡単に遠出できるようになったのは良いが、どことなく神様が俺を更にこき使おうとしているように思えてならない。割とマジで。
初めてここに来たときは随分戸惑ったものだが、何度もここに来るうちに慣れてしまった。
だが。
「……どれが井戸に通じてる扉だったっけ?」
どの扉がどこに通じているのかということまでは未だ把握できていない。
ああ、一応言っとくと俺の努力が足らないって訳じゃないからな?
数えたことはないが数千に上るだろう扉の行き先を全て把握できるものなら是非やってみてもらいたい。俺の相棒以外には無理だから。
『また~? 頼人もちょっとは覚えてよ』
そう言ってイアは俺との同調を解き、俺の体内から体外へとその姿を現す。
雪のような白い髪をなびかせ。
金の瞳を煌めかせ。
背中に生やした八本の青いコードを揺らめかせて、彼女は顕現する。
そして、この白ばかりの空間に反抗するような黒いワンピースを身に纏ったイアは一度大きく伸びをすると、一つの扉を目指してペタペタと裸足で歩いて行った。
「……よく迷わないもんだな、毎度のことながら感心するぜ」
彼女の後ろを歩きながら俺はそう話かける。
「そう? 褒められるのは嬉しいけど別に大したことじゃないよ?」
「いや、大したことだろ。ある意味富士の樹海よりも迷うぞ、ここ」
「う~ん、扉の形とか違うし、すぐ覚えられると思うんだけど……」
「……………………俺には全部一緒にしか見えねえよ」
実際、全部一緒だろ。
イアにどこが違うのか教えてほしいところだが、聞いたところで恐らく俺には理解できないだろうし、止めておくことにした。
「そうかなあ、違うんだけどなあ……っと、これこれ。この扉だよ」
そう言ってイアは一つの扉の前でその足を止めた。
むう……、やっぱり違いはわからん。
「何してるの、頼人? ほら、早く帰ろう?」
「ん、ああ」
床に嵌められたドアノブに手をかけ、扉を開く。そうして再び眩い光に包まれた数秒後、俺が目を開けるとそこは確かに目的の場所だった。
俺の通う豊泉高校の敷地内にある井戸の底。
イアの生まれた場所。
そう、この暗く湿った陰気な場所で彼女は生まれたのだ。自身との同調適性のある人間と接触し、禍渦を壊すために。
到着するやいなや、イアは部屋の中央にあるカプセルに向かって歩き出す。
「じゃ、また情報更新するからちょっと待っててね」
そう言うと彼女は生まれる前、自身が入っていたカプセルの中へと飛び込んだ。そして背中のコードを器用にカプセル側のコネクタに繋げていく。
八本のコードを全て繋ぎ終えると淡く光を放つだけだったそれぞれのコードがその彩度を上昇させる。
いま、イアがしているのは禍渦の情報のダウンロード。禍渦破壊のために創られたイアという生体端末に神様からの破壊依頼、そしてその対象となった禍渦の位置情報が送られているのである。
最初のうちは何とも便利なシステムだと思ったものだが、実際はそうではない。送られてくるものは禍渦の位置情報だけであり、その禍渦がどのようなものか、またどういった伝承を基に顕現したのか、といった情報は一切送られてこないのだ。
まったく、禍渦退治をスムーズに行わせたいのならもっと役に立つ情報を与えてくれても良いだろうに。
と、そう心の中で愚痴っている間にイアの更新が終了したようだ。彼女はカプセルから出て、こちらに歩いてくる。
(ん……?)
しかし、その顔はいつものような笑顔ではなく、やや困惑顔である。一体どうしたというのだろうか。
「う~ん……、どういう意味だろう?」
「どうした?」
何事かブツブツと呟くイアに遠慮なく問いかける。すると彼女は一瞬躊躇う素振りを見せながらも、俺の質問に答えてくれた。
「何て言うか……、禍渦退治のステップ2? だってさ」
「は?」
『言葉通りの意味ですよ』
「うおうっ!?」
突如背後で発せられた声に衝撃を受け、凄まじい速さで振り向く俺。その眼前に立っていたのは誰あろう、神様であった。
相も変わらず、キャラ付けのために着ましたという風な白衣がとことん似合っていない。ただ、白衣がなければ確かにどこにでもいる普通の青年にしか見えないので、そうしたい気持ちもわからないではないが。
『こんばんは、頼人くん。元気そうで何よりです』
「あ、神様だ、こんばんは~」
神様の挨拶に対して俺の後ろでイアが無邪気に手を振る。
『はい、こんばんは。イア、あなたも元気そうですねー』
「いやいやいやいや!! え、何、何処から湧いた、オマエ!?」
俺はそう言いながら神様の襟元に掴みかかろうとするが、不思議なことに俺の手は彼の身体をすり抜ける。そして
「へ? おふッ!?」
バランスを崩した俺はそのまま地面へと倒れこんでしまった。……無様すぎる。
『湧いたとは失礼な。これでもワタシは神様ですよ? まあ、キミの無礼はいまに始まったことではありませんがねー。あ、ちなみにこのワタシは立体映像なので触れませんよ』
「言うのおせーよ!! 盛大に鼻打ったわ!!」
『……え、何ですって?』
「急に耳が迷子に!?」
ああ、もうホントこいつだけは苦手だ。嘘を嫌悪し、嘘を吐く人間を嫌悪し、そしてそんな人間の溢れるこの世界を嫌悪していた俺に助言してくれたことには感謝しているが、それとこれとは別の話なのだ。
「……ふふっ」
「何だよ、イア」
振り向くと堪え切れないという様子でイアが白い歯をこぼしていた。そんなに俺の無様な姿が面白かったのだろうか。
「べっつに~? 二人は仲良しだなって思っただけだよ」
『いやぁ』
「その照れはおかしい。絶対おかしい」
何だか疎外感を感じるんだが……、まあそれはさておき。
「んで? ステップ2ってどういうことだよ? それを教えるために出てきたんじゃないのか?」
「そうだよ神様。何なの? ステップ2って?」
『ああ、そうそう。危うく忘れるところでしたよ』
そう言いながら神様はポン、と手を叩く。
『これまでキミたちには表の世界の禍渦ばかり退治してもらっていましたが、今度からは裏の世界の禍渦も担当してもらいます』
「裏? 裏って何――」
『言葉だけでは理解しにくいと思うので、一度実際に行ってみましょう』
俺の言葉を遮り、底意地の悪そうな笑顔を顔に貼り付けながら神様は続けて言った。
『神様としてキミたちを裏世界へ招待しますよ』
その言葉を聞いて俺がしたのは、驚くことでも、困惑することでもなかった。したのはため息をつくことだけ。
……どうやらまた厄介なことになりそうだ。