告白
「…………何か弁解できることはあるか?」
俺は床に正座するイアを憤怒の形相で見下ろしながらそう重く低い声で尋ねた。
「…………」
対して彼女は何処か居心地悪そうにしながらも抗議の眼差しで見上げてくる。徹底抗戦の構えを示しているところから察するに今回の件に関して自分に非はないと考えているようだ。
ほほう、言いつけを破って鞄に潜り込み、旅行についてきたことは何ら問題はないと? 良い根性だな。
「………るい」
「あん?」
「頼人ばっかりずるい!!」
何がだ!? そして声がでかい!! 龍平と美咲に聞かれたらどうするつもりだ!?
「私だって遊びに行きたいもん!! 一人でいるなんてつまんない!!」
しかしイアの叫びは止まらない。どうやら不満を口にしたことで自分でも止められなくなってしまったようだ。
「私だって頼人みたいに……トモダチって人が欲しいよ」
最後にはまるで胸の内から想いを絞り出すように俺に訴えかけ、薄く涙の浮かんだ金の目を伏せる。
「……………………」
イアはイアなりに悩みを抱えていたようだ。考えてみれば、俺が家にいるときはほぼ四六時中一緒にいるとはいえ、俺が学校に行ってる間は必然的に一人になっちまう訳だしな。
あの家で一人でいることの寂しさは俺も嫌というほど知っている。というかイアが来るまでは俺がそうだったんだし。
むう……、理由を聞いてしまったことで逆に怒れなくなるとは思わなかった。
勿論彼女に非がないと考えている訳ではないけれど。
彼女の気持ちを考えてやることのできなかった俺に非がないということでもない。
俯いたままの彼女から一旦目を話し、壁にかけてあった時計に目をやると約束の時間まであと少し。
恐らくだが、ここでイアの要求を突っぱねれば彼女は納得はしないだろうが帰ってくれるように思う。まだ三、四か月程度の付き合いだが、濃い時間を過ごしてきたのだ。それぐらいのことはわかる。
そうすれば俺は明日の夕方頃まで龍平や美咲とこの時間を目一杯楽しむことができるだろう。そしてそのとき対価として支払わなければならないものはイアが楽しく過ごすことのできる時間である。
では、逆にイアの望みを叶えることで得られるものは何か?
当然、イアが俺以外の人間と楽しく過ごせる時間である。龍平や美咲と会話することでこれまであまり広げることのできなかった彼女の見識もかなり拡大することだろう。そしてその際失うものは俺が存分に楽しむことのできる時間だ。イアが二人におかしなことを言わないように見ておく必要があるので俺は常に気を張っていなければならない。
さて、この二つの選択肢のどちらえを選ぶべきか。
……はあ、考えるまでもないな。
俺は床に座ったままのイアから離れ、ここ東館から本館へと向かう為、廊下へと通ずるドアへと脚を向ける。
すると背後でやや悲しげなため息がした。振り返るとそこには何を思ったのか窓へトボトボと肩を落として歩いていくイア。そして辿り着くと何やらガチャガチャと窓をいじりだす。
おい、その窓嵌めこんであるから取れないぞ――ってそんなことはどうでも良くて。
「何してんだ、オマエ?」
「……気にしないで家に一人で帰ろうとしてるだけだから。一人で」
二回も一人でと言わなくても良いだろう。いや、気持ちは分からなくもないが。
「そうか、せっかく二人に紹介してやろうと思ったのに残念だ」
「そう、残念だけど大人しく………………………えっ?」
窓から手を放し、ゆっくりこちらを向くイア。
うん? 俺の声が聞こえなかったのか? しょうがない、もういっか――。
「いいぃいいいいいい!?」
まさに一瞬だった。
俺が見えたのは、青い何かがこちらに向かってきたということだけだ。最終的に避ける暇すら与えられることなく、簀巻き状態にされてしまっていた。
「って何でだ!?」
「――ホントに!?」
「何が!?」
「ホントに私もいて良いの!?」
今度は涙の力など借りることなく、彼女はその目を輝かせる。まったく……、嬉しいのは分かるが四カ月も俺と一緒にいてその質問は愚問すぎる。
「俺が嘘嫌いなの知ってるだろ?」
「……ッ、うん知ってるッ!!」
この子ったら満面の笑み浮かべちゃってまあ。今後俺がどんだけ苦労するかを知らないからこそできる表情だな、うん。
ま、それを選んだのは俺自身だし、どうこう言うつもりはないけど。思うくらいは許してほしい。
「ただ、背中のコードは何とかして隠して行けよ? いくらアイツらでも人外といきなり打ち解けられるほどの寛容さは持ち合わせてないだろうからな」
「うん、直ぐに用意する!!」
その言葉とともに俺を解放すると、イアは自身が入っていたボストンバッグをガサガサと漁りだす。そして数秒後、彼女が取りだしたのはやや大きいサイズのリュックサック。
「ああ……それ持ってきてたのか……。つーか、あったんだな」
確かイアと初めて出会った頃、外を出歩かなきゃならなかった際に使った思い出の品……とまではいかないものの中々お世話になった品である。正直その後、行方を完全にくらませていたので失くしたものだと思っていたのだが。
ちなみに使い方としては背中に接している部分をコードで貫き、そのままリュックサックの中に詰め込む。こうすることでイアがよっぽど激しい動きをしない限りはバレることはない。
「へへー、最初に頼人がくれた物だもん。ちゃんと大事にとっておいたんだー」
リュックを完全に装着し、その場でクルクルと回って見せる。
いや、まあ確かにあげたっちゃあげたけど、そんなもんでそこまで嬉しそうにされると、ちょっと複雑だ。こんな微笑ましい光景を見せてくれるとわかっていたなら、もっと女の子らしいもので隠せるようにすれば良かったと思わなくもない。
「っと……、そろそろ時間だな。オマエも準備できたみたいだし、行くぞイア」
「はーい」
何とも元気のいいお返事なことで。
さて、俺はあの二人にどう説明するかを移動しながら考えるとするか……。龍平はある程度、事情を解しているからそんなに苦労はしないかもしれないが、問題はもう一人の方だな。最悪錯乱して、俺の頭を吹き飛ばしかねん。
その光景を想像していると、つい先日金髪の少女に頭を思いきり殴られたのを思い出して俺は身震いする。
いや落ち着け、俺……。流石に美咲にはあれほどの破壊力はない筈だ……。
自分にそう言い聞かせながら俺はイアとともに本館、エントランスを目指して歩を進めるのであった。
「せぇい!!」
「おっふっ!!」
うん、やっぱりこうなったか。
ちなみに一連の流れを掻い摘んで説明すると次のとおりである。
1 エントランスにイアを連れていく。
2 鞄の中に彼女が入っていたことを説明。
3 美咲にブン殴られる。
以上。
「アンタが少女誘拐なんて下種な真似するとは思わなかったわ……」
ゆらりと身体を傾けながら、こちらに迫る猛獣。その表情は既に人のものではなく、開いた口からは蒸気のような煙がゆらゆらと上がっている。
「誰がんなことするか、コラァ!!」
「え、違うの!?」
「違うわ!! オマエは普段どんな眼で俺を見てんだよ!!」
殴られるかもとは思ったけど、そんな理由で殴られるとは思ってなかったわ!!
「何だ、そうならそうと早く言いなさいよ」
「あっれー? 言う暇なんてありましたっけぇえ!?」
正直に言うと問答無用過ぎて痛みがするまで何されたのかすらわからなかった。同調してない状態とはいえ、結構な数の戦いをこなしてきた俺が見えないとか、美咲が本当に人間なのか疑わしく思えてくるぜ……。
「ふっふーん、私の拳はそんな暇与えないわ!! パニックソンチよ!!」
「……ソニックパンチな」
パニック状態のノヴィ・ソンチなんて見たくねえよ。いや、ノヴィ・ソンチに関わらず何処の都市でも嫌だけど。
「そう、ソニックパンチなのよ!!」
バカな言い合いを続けているとそれまで動向を静観していた龍平がやっとこさ事態の収拾に乗り出してくれた。
「おーい、お二人さん。盛り上がってるところ悪いんだけどさ、そろそろ終いにしようぜ。自分ちじゃねえんだし、それに――」
エントランスの隅っこを指差して言う。
「あの子怯えて隠れちまったぞ?」
あ、本当だ。物陰から顔だけ出してこちらをチラチラ窺っているのは間違いなくイアである。人見知りが激しいとかそういうことではないのだが、流石にいまのやり取りを見ては警戒心を最大まで高めずにはいられなかったようだ。
「イア」
彼女の名を呼び、手でこちらに来るように促すとゆっくりとだが、俺、そして龍平の傍へと近寄ってくる。ただ、美咲に対してはいつでも逃げられる態勢を崩していないことから、彼女への恐怖心が半端ないものであることは明白であった。
そうして、ようやく俺の傍に到達するとすぐさま背後にその身を隠した。
おい、どれだけ怖がってんだよ。最早グリズリーと相対してるみたいじゃねえか。まあ、いきなりパートナーが殴り倒されたら怖がるのも無理はないかもしれないが。
「おい、隠れてちゃ紹介も何もできねえだろ。コイツらと友達になりたいんだったら根性見せろよ」
「だ、だって……」
チラリと美咲に視線を向け、再び俺の後ろに隠れる。
「大丈夫だ、イア。コイツは白波瀬美咲っていって、筋力はグリズリー、知能はセキセイインコ並だが、悪い人じゃないから」
「頼人、その表現には全面的に賛成だが話が進まなくなるからそれ以上は止めとけ」
見ると龍平は美咲を羽交い締めにしていた。きっと龍平がいなかったらまた殴られていたことだろう。感謝感激雨霰、である。
「はぁ……もうわかった。わかったから放しなさいよ」
「へいへい」
龍平の腕から解放された美咲はゆっくりとイアをこれ以上刺激しないように近づき優しい口調で彼女に尋ねかけた。
「こんにちは、頼人がさっき言ったと思うけど私は白波瀬美咲。頼人の友達よ。あなたのお名前教えてくれるかしら?」
「さ、さっき頼人が私の名前……言ったよ」
「あなたの口から聞きたいの」
「うう……」
美咲の強い目に押され、しばらく迷っていたイアであったが、彼女に害意がないことを察するとやっとこさ俺の後ろからその姿を現した。
「……イア」
「ん。よろしくねイアちゃん。ところで――抱きしめても良い?」
「え?」
「は?」
「ああん?」
耳が壊れたのではないか。
イアはともかく龍平は俺と同じくそう思ったに違いない。
俺たちが目を丸くしている様子を見て美咲はやや恥ずかしそうに自らの隠れた嗜好について語り始めた。
「や、あのほら。実はあたしさ、フリフリのついた可愛い人形とかぬいぐるみとか大好きなんだよね」
ああ、そういえば最初の禍渦を壊したときにコイツの部屋に入ったけど、えらく可愛らしいぬいぐるみ類が並んでたな。その後、色々あって忘れていたが、美咲は確かにそういう趣味を持っていたようだ。
しかし、そのカミングアウトとこの状況にどのような関係があるというのだろうか?
「はっ!?」
「な、何?」
あることに気が付いた俺はイアを改めてまじまじと見てみる。
薄く透き通るような白い肌。
絹のような白い髪。
宝石のような金の瞳。
そしてフリルが着いている訳ではないがヒラヒラしていると言えなくもない黒いワンピース。
リュックサックが余計なパーツであることは間違いないが、イアは美咲のいう可愛いものとしての条件を悉く満たしてしまっている。
「はぁ、はぁ……。大丈夫、痛くしないから……」
「何処の変質者だ、テメーは!! 頼人じゃなくてお前が誘拐しそうで怖いわ!!」
「あいたっ!! はっ、あたしは一体何を……」
「…………」
まさか美咲にこんな一面があったとは……。人は誰しも他人に見せない欲望を内に秘めているというが、ここまでとんでもない獣を飼っている人間がすぐ傍にいるなんて思いもしなかったぜ。
「ご、ごめんね、イアちゃん。もう大丈夫、大丈夫だから」
「う、うん……」
「美咲……、大丈夫ならその赤く染まった頬と荒い息を何とかして来いよ……」
「まったくだ。っと次は俺の番か。俺は桐村龍平。美咲と同じく頼人の友達だ。俺にはコイツみたいにおかしな性癖はないから心配しなくて良いよ」
「よ、よろしく」
龍平が差し出した右手をぎこちなくも握り返すイア。
良かった。どうやら龍平にはそれ程警戒心を抱いていないようだ。
「あー!! あー!! 良いな、あたしもイアちゃんと握手したい!!」
「ホント、もうちょっと黙ってて!! 何回話の腰を折る気だよ、これじゃあ何も説明できねえ!!」
何でイアがここにいるのとか。
どうして龍平と美咲に引き合わせたのかとか。
そもそも俺とどういう関係なのかとか。
オマエも色々聞くべきことがあるだろうに。
「そういえばそうだったわね。じゃ、自己紹介も済んだことだし説明よろしく」
「おおい、急にきたな!!」
いや、説明はさせてもらうけど!!
「んーと、龍平。オマエ四ヶ月くらい前に俺が手紙もらったの覚えてるか? ほら、あのボロッボロだったやつ」
「手紙? ああ、あのボロッボロの風化寸前にしか見えない手紙な」
「そ、そこまで酷かったっけ?」
「ああ、イアちゃん。あれは結構なもんだったぞ? ん? ああ、待てそういうことか」
流石は龍平。察しが早くて助かる。
「あのー、あたし置いてけぼりなんだけど」
それに引き換え美咲は察しが悪くて困る――ん? そういや美咲には手紙を見せてなかったんだったか? 手紙の内容は龍平経由で知っている筈だが……。
「ほれ、五月頃にさ、頼人にラブレターが来たってオマエに言ったろ?」
「覚えてない」
「はい、終了!! この話終了!!」
「頼む!! もう少し踏ん張ってくれ、龍平!!」
俺もコイツに説明するの面倒くさい!!
「あー、だから掻い摘んで言うとだな……、とりあえず五月の時点じゃあ頼人はこの子に頼まれて何かの手伝いをしてた。んでたぶんだけど、この子がまだ頼人と一緒にいるってことはその手伝いをまだやってんじゃないのか?」
すげー、大体合ってる。
「そして二人は一緒に住んでる」
「ちょ、おま!!」
余計な一言を付け加えやがって!!
「あ、本当に一緒に住んでんだ。その反応で確信持てたわ」
「カマかけたのかよ!?」
「いやぁ、五月にお前ん家に電話したときイアちゃんが電話に出たのと、鞄に入れるチャンスがあったってことを考えるとそうなのかなーって」
もうオマエ探偵にでもなっちまえ!! 何なの? そのたくましい想像力は!!
「ええええええ!? アンタたち一緒に住んでんの!? 何で!?」
「だからコイツの頼みを聞いてるからだって言ってんだろ。俺とイアの関係はそれだけだ。……先に言っとくが、その内容は個人的なことだから言わねえからな」
つーか言えねえ。二人に禍渦がどうのこうの、神様がどうのこうのと言って理解してもらえるとは思えん。
(……うらやましい)
(美咲、それはどっちがだ?)
(頼人)
(……はっは、ブレねえなあ、オマエは)
何やら二人が小声で会話しているが、俺はそれを気にすることなく背後に隠れるイアを二人の前に引っ張り出す。
「ほれ、イア。後はオマエが頑張れよ。友達、欲しいんだろ?」
「う、うん。――あ、あの」
イアが俺の手から離れて一歩前に出る。龍平と美咲は彼女の真剣さが伝わったのか会話を止め、続く言葉を待ってくれていた。
「私と――トモダチになって……ください」
「おー、よろしくな。イアちゃん」
イアの言葉に笑いながら答える龍平。
返事が早いな、おい。まあ、ありがたいことだけど。
龍平の言葉に顔を輝かせるイア、そして期待を込めて美咲の方へと視線を送る。
おかしいな。美咲なら龍平より早く返事を返すと思っていたのだが、未だに返答がない。一体どうしたというのだろうか。
「も……」
ようやく美咲が何か言葉を発したがよく聞き取れない。聞き取れる距離まで近づこうとしたがその必要はなかった。
というのも。
「勿論よぉぉお!! 友達!? なるなる、なるに決まってんじゃない!! というか友達を超越した存在になりたいわ!! ああ、でもダメダメ、親睦を深めてからじゃないと!! そうだわ、探検!! これからこのロッジを探検するんだった!!」
美咲が暴走し出したからだ。
そこまで一気に胸の内を吐きだすと彼女はイアの手を掴み、猛然とロッジの奥へと歩を進めていく。
「さぁ、行くわよイアちゃん!! 愛を探しに!!」
「アイ? アイって何、おいしい?」
「ふふ、愛っていうのは時に甘く、時に苦いものよ」
「ええー、苦いのは嫌い……」
「大丈夫、イアちゃんが望むならあたしが意地でも甘くするから!!」
「ホントに!? 美咲ありがとう!!」
「こちらこそ、笑顔を御馳走様!!」
信じられねえだろ? このやり取り、一瞬のうちに行われたんだぜ?
ふう、何はともあれ打ち解けられたようで良かった……のか? まあ、イアが嬉しそうなので良いということにしておくが美咲には要注意だな。危険な臭いがプンプンしやがる。
「さ、俺達も行こうぜ、頼人。愛を探しに……な?」
「うるせえよ……」
もうツッこむ気力もないわ……。
そうしてからからと心底愉快そうに笑いながら歩く龍平と半歩離れながら美咲とイアを追いかけるのであった。