父というもの
そうしてやってきた土曜日の早朝。既に荷物の準備は済ませてあるので後は車でここに来る筈の龍平と美咲を待つだけだ。目的地までは龍平の親父さんが車で送ってくれると申し出てくれたので俺と美咲はその御厚意に甘えることにした。
こちらとしては交通費が浮くのでこれ以上ない申し出であったが、それも俺と美咲二人に限った話だ。恐らく、というか絶対龍平は嫌がったに違いない。もし三人で旅行するのでなければ全力で親父さんの申し出を断るぐらいには。
龍平が何故親父さんに甘えるのを嫌がるのかということはいま俺がここでダラダラと話すよりは、実際に二人を見てもらった方が早いだろう。その方が納得しやすいと思うし。
という訳でいま俺が行うべきミッションはただ一つ。
イアに気づかれることなく家を出ることだ。旅行のことを話した日から妙に機嫌が悪いため、いざ旅行に行く現場を発見されると面倒なことになりそうなのである。最悪強引についてくる可能性すらあるだろう。
だが、まあそのミッションも既に半分以上クリアしたといっても良い状態にある。
着替え完了、朝飯は摂取済み、歯磨きも済ませた。あとやることといえば、龍平たちが来る前に玄関先に出ておくことぐらいだ。
「さて、そろそろ出ておくか。インターフォンを鳴らされたら一巻の終わりだからな……」
そうして荷物を肩にかけ足音を立てることなく玄関へと移動する。
「ん?」
そこで俺は二階から降りてきたときにはなかったものを発見した。
それはやや大きめのボストンバッグ。俺の用意した荷物は既にあるので、旅行に持って行く荷物ではない。だとすると、ここにこれを置いたのは……。
「イアか……。何してんだアイツ……、ん?」
バッグに近づいて、よく見てみると一枚の紙が張り付けられている。
『必要になると思うから持って行って』
「…………」
子どもっぽい字で、いや実際中身は子どもだが、兎にも角にもそう書かれた紙を眺め、俺は心の中に吹き荒れる感動の嵐に打ち震えていた。
あのイアが。
毎食最低三杯はおかわりするわ、近所のスーパーに行けば店内で馬鹿みたいにはしゃぎまわるわ、寝ぼけて俺をコードでグルグル巻きにするわで、おなじみのイアがこんな気を利いたことをするなんて。
娘の成長を喜ぶお父様方はこんな気持ちなのだろうか。
あれ、おかしいな目から涙が……。
涙を堪え、玄関に放置されているボストンバッグを全力で担ぎあげる。
ぬう……、やけに重いな……!! だがしかし……、だがしかぁし!! イアの成長の証を無下になどできるものか!!
「行って……くる!!」
そうして左右の肩を責める重みに耐えながら俺はそう言い残し、朝の光にその身を晒した。
「それにしてもえらく大荷物だったな、頼人……」
「あっちのバッグ、一体何入ってるのよ……。持ち上げるだけで精一杯だったわ」
「悪い、ちょっと色々あってな」
「謝んなよ、車に乗りきらなかった訳でもないんだから」
「――そうだよ、頼人君。気にすることはないさ」
想定外の大荷物になってしまった俺に温かい言葉をかけてくれたのは桐村一楽さん。そう先ほど俺が説明を後回しにした龍平の親父さんである。
娯楽施設事業を手掛ける会社である桐村遊楽の社長であり、俺の住むこの街の中で一、二を争う程の金持ちであり、そして――。
「龍ももっと色々持って行けば良かったのに。例えばパパとか、パパとか、――パパとかさ」
「うっせえ、パパとかいうなアホ親父」
「やだなあ、龍。パパはパパじゃないか。素直に一緒に来てほしいと言うのが恥ずかしかったのなら僕を鞄に詰め込んで一緒に旅行に連れて行っても良かったんだよ?」
「その場合アンタが旅立つのは海経由で天国だったろうけどな」
この通り、息子大好き人間なのである。
以前、お宅にお邪魔させてもらったときには「龍平ラブメモリアル」を小一時間見せられたこともあった。(当然それを見つけた龍平に没収されていたが、おっさんのマジ泣きを見たのはアレが最初で最後の経験である)
「龍平、いくら何でもそれは言い過ぎよ」
龍平の態度を見かねた美咲は助手席からこちらを振り返り、彼を注意するが、その言葉は他ならぬ一楽さんの言葉で遮られた。
「はっはっは、構わないよ美咲ちゃん。龍は恥ずかしがり屋さんだからね。こうして酷いことを言って僕への愛を誤魔化しているんだよ」
「は、はあ…………」
あ、助け船が助けようとした人間に沈没させられた。
そして、ハンドルを切りながら一楽さんは更に続ける。
「きっと本心では『愛してる!! 愛してるよ、マイファーザー!!』と叫びたいに違いないんだ――龍!! 恥ずかしいからって急カーブで運転席のシートをガンガン蹴るのは止めないかい!?」
「ちょ、アンタ、あたし達も死ぬから止めなさい!! 頼人も笑ってないで龍平を止めなさいよ!!」
「えー?」
「『えー?』じゃないわよ!!」
「いや、だって見てて面白いし」
「その面白さはあたし達の命を代償にしてるってことをアンタは知りなさい!!」
おお、珍しく美咲が涙目だ。どうやら本気で事故ると思っているらしい。目に涙を浮かべる美咲は余りにも、銀色の天使様五人分の価値があるとされる金色の天使様が現れるくらい珍しいのでもう少し見ていたいのだが、このままだと本気でガードレールを突き破ってあの世へ旅立ちかねないので止めておこう。
「龍平、蹴るなら目的地に着いて車から降りた後、親父さんを蹴ろう? な?」
「うぉう、頼人君斬新な説得だねえ、それ!!」
「いや、でもまあ実際龍平は止まりましたし良いじゃないですか」
それに嘘偽りなく俺もその光景を見たい。
「龍平……、なんて清々しい顔して窓の外を見てるのかしら……」
「龍!? まさか本気でパパの美尻を蹴る気じゃないよね!? ね!?」
「ははは、尻だけで済むとでも思ってるんですか、一楽さん」
「………………Oh」
はは、リアクションがそっくりだ。どれだけ龍平が嫌がろうとやっぱりこの二人は親子なんだな。
周りから見れば俺もこんな風だったのだろうか? その問いに意味も価値もはないとわかってはいるものの俺はそう思わずにはいられなかった。
「うう、僕のお尻が……、酷いよ龍。思いっきり蹴ったろう?」
「うっせえな、一発に凝縮してやったんだからありがたく思えよ」
「ありがとう、龍!!」
「だ、抱きついてくんなや!!」
まったく仲の宜しいことで。俺としては目的地に着いたのだからさっさと荷物を運び込みたいんだけどなあ。親子のスキンシップに口を出すのも憚られたので、ひとまず美咲と眼の前に建てられた山小屋を眺めることにした。
「ここに俺たちだけで泊まるのか?」
それにしては大きすぎるような気もする。小屋というよりは屋敷のようだ。見たところ明らかに二十人程度なら軽く泊まれそうである。ここに三人しか泊まらないのは些か寂しい気がしないでもない。
「残念でした、他にも懸賞に当たった人がいる筈よ。当選者は十人程度って話だったから少なくとも五、六人はいるんじゃない?」
「ふうん」
そう相槌をうって中身のない会話を続ける。
「それにしても早めに着いて良かったな。まだ昼過ぎだし荷物を片づけた後でも十分な時間ゆっくりできそうだ」
「そうね。周りには何もないけど、いつも学校でやってるみたいに騒がないで、たまにはこうしてゆっくり過ごすのも良いんじゃない?」
「……その意見には同意するけどババ臭いぞ、その台詞」
「頼人、右腕と左腕、どっちが良い?」
「それは使えなくなるならどっちがってことか!?」
怖えよ、折る気満々じゃねえか……。
「美咲、それは勘弁してやれよ。折角の旅行なんだからさ」
俺の腕に狙いを定めてにじり寄る美咲を制したのは龍平。どうやら一楽さんとの戦いは終結したようである。
「む、それもそうね……。そういえば龍平、お父さんは?」
「お前らがバカ騒ぎしてる間に帰った。あれでも一企業の社長だからな、やることが腐るほどあるんだろうよ」
そうだったのか。一楽さんはいつも飄々としているから忙しそうなイメージは失礼ながら皆無だったのだが、その認識を改める必要があるようだ。
その忙しい中、息子と息子の友人の為に時間を割いてくれたのだと思うと道中もう少しフォローしてあげるべきだったかという想いが浮かばなくもない。
よし、お礼の意味も込めて後で、『旅行中はしゃぐ龍平』を写メして送ってあげよう。
「まだ、お礼も言ってないのに……。何だか悪いことしたわね」
「気にすんなよ。どうせ明日また迎えに来るんだ。礼はそのときでも良いだろ。さ、いつまでもこんなところでしゃべってないで中に入ろうぜ」
俺と美咲は龍平のその言葉に首肯し、各々の荷物を持ちロッジの中へ。美咲がロッジの鍵を持っていたが、その玄関に鍵は掛かっておらず苦もなく中へと入ることが出来た。
美咲を先頭に、次に龍平。
そして最後に大荷物の俺。
「――――――――――ッ!?」
玄関を通りすぎる瞬間、硝子を爪で引っ掻いたような鋭い音が耳に突き刺さった。
耳鳴りか? まあ、単なる耳鳴りなら特に騒ぐほどのことのじゃないから良いんだけど。
耳に手を当て異常がないか確かめるが、何処にも異常は見当たらない。
しかしどうしてだろうか?
ここは特に何もおかしなところがない場所の筈なのに、まるで見知らぬジャングルに迷い込んだような感覚を覚えるのは。
「おい、どうかしたのか?」
思わず脚を止めて顔を顰めていた俺を心配してか、龍平が声をかけてくれる。その後ろから美咲も俺の異変に気づいて戻ってきた。
「え? 何どうかしたの?」
「いや、気にしないでくれ。たぶん――耳鳴り?」
自分でもさっきの現象に証拠を用意することができないまま俺はそう結論付ける。
「――おや、どうかしましたかな?」
「ひゃっ!? だ、誰!?」
聞き慣れぬ声と共に現れたのは眼鏡をかけた御老人。彼は長く伸ばした白い髭を靡かせ俺たちの前にいつの間にか佇んでいた。
「おお、お嬢さん。驚かせてしまってすいません。私はこのロッジの管理を任されております陣内と申します。貴女方は白波瀬美咲様御一行でよろしいですかな?」
「は、はい。そうです。って何であたし達がそうだって……」
「俺たちが最後に着いた組なんだろうさ」
他に当選した連中が全員先に着いているのなら御老人、陣内さんがそう判断したのも頷ける。
「その通り、その御様子ですと心配は無用のようですな」
「ええ、大丈夫です」
「ほっほっほ、それは良かった。ですがまた体調がすぐれないなどあればお気軽に申して下さい。――では、こちらへ。お部屋に御案内致しましょう」
そしてただ歩くだけというのも退屈でしょうと、部屋への案内がてら陣内さんはこのロッジのことを教えてくれた。
このロッジは大きく分けて三つに分類されるのだそうだ。先程のエントランスがあった本館、俺たちのような客を泊めるために設けられた西館と東館がそれにあたる。陣内さんや他の従業員は本館で寝泊まりしているそうだ。
しかし、陣内さんの話ではこのロッジは常に営業している訳ではなく、今回のように特別な場合のみ機能しているらしいのだ。確かに辺鄙なところにあるが、これだけ大きく立派なロッジなのだからもっと大々的に営業すれば良いと思うのだが……、まあ何か事情があるのだろう。
「そういえばあたし達以外の人はもう来てるんですよね? 全然会わないですけど……」
「ええ、各々方自由に過ごしてらっしゃいますよ。ただ皆さん景色を見に行かれましてね。もうしばらくしたらお帰りになると思うのですが――、ああ、ここです。ここです」
どうやら俺たちの部屋に到着したようだ。
流石に荷物を持ったままこれ以上歩きたくない。これがまた結構肩に紐が食い込んでるんだわ。
「このお部屋と奥二部屋をお一人様ずつお使いください。私は他に仕事がありますので本館におりますが、御用があればお部屋の電話からお願い致します。それでは――」
「「「ありがとうございます」」」
俺たちは一礼して去っていく陣内さんに礼を言い、その姿が見えなくなるまで見送った。
「さて、と。お二人さん? とりあえず荷物を整理して三十分後にエントランスに集合ってことでオッケー?」
「ん、何かするのか?」
問いを投げかけた龍平に対し、俺は素直に疑問を口にする。
「決まってんじゃねえか、こんだけでかいとこに来たんだ。探検しなくっちゃ始まらねえだろ?」
「そうよねー。いまから外に出たら他の人と入れ違いになりそうだし。同じところに泊まるんだもの、挨拶はちゃんとしておかないといけないわ。……それに他にやることなんてないでしょ?」
「…………そうか。じゃあ三十分後、エントランスでな」
俺はそれほど探検に魅力を感じている訳ではなかったが、二人の言う通り他にすることもないので大人しく従っておこう。
「おー」
「後でね」
そうして二人の返事を適当に聞き流しながら最初に案内された部屋、つまり廊下側から見て一番右の部屋に入る。
部屋の中は非常に片付いており、最低限の物しか用意されていないような印象を受ける。あるものといえば、ベッドに机に冷蔵庫、それに金庫ぐらいなものだ。見たところトイレはあるが風呂はないので何処かに浴場でもあるのだろう。
そんな感じでざっと部屋を見渡した俺はまずベッドに全ての荷物を降ろした。
「ふう……、肩が取れるかと思ったぜ……」
俺が自分で用意した荷物にはそれほど物を詰め込んできた訳ではないのでこの重みの九割近くがイアの用意したボストンバッグによるものである。
「そういや疑いなく持って来たけど何が入ってんだ、コレ?」
役に立つとか何とか書いてあったがこれでおかしなものが入ってたら帰宅した後に全力で殴ってやる。今後の彼女の成長を促す為にも。
俺自身もベッドの上に胡坐をかき、恐る恐るボストンバッグのファスナーを開ける。
初めはゆっくりと。
中程まで来たらやや速めに。
そして終盤は破り捨てる勢いでファスナーを解放した。
ファスナーという封印から完全に解放されたボストンバッグ。その中にあったのは何を隠そう――。
イアさんでした。
ああ、畜生。俺でもこんなことを思う日が来るなんて。でも、いまはその言葉を言いたくて仕方がなかった。
せーの。
「嘘だろ?」
すいません、大変お待たせしました。
二話目になります。
三話目はなるべく早く投稿できるよう努力します。