食卓会議
「頼人。今度の土日、山に行くぞ」
「断る」
俺のクラスメイトであり、数少ない友人の一人である、桐村龍平は昼休みになった途端、俺の机の前に立ち、そう宣言した。そして俺はその宣言を一刀両断する。
ちなみに先ほど昼休み、そして机と口走ったことでお察しの方も多いと思うが、現在地は豊泉高校、二年の教室である。午前の授業が終わり、午後の授業に向けて燃料補給を行おうと他のクラスメイトが各々食堂や購買に疾走するなか、俺は一人の友人の手によってここに留められている訳だ。
まあ、イアが家に住みついてからというもの自動的に俺の昼食は弁当になってしまったので問題はないのだが。
断わっておくが、弁当を作ってくれているのが実はイアだったりとかそういう甘酸っぱい展開はないぞ? 家で留守番をしている彼女の昼食を作り置くついでに自分の弁当を作っているので俺の弁当からは残念ながら男の臭いしかしないのだ。
「頼人。そうだ、山に行こう」
「言い直しても俺の答えは一緒だからな? それよりオマエは購買派だろ? 早く行かないと全部売り切れちまうぞ」
「それは問題ない。美咲に俺の分も頼んであるからな」
ああ、それなら安心だな。授業が終わった瞬間に脱兎の如く、いや脱ハイエナの如く駆けて行ったし。というか今回のことに美咲も絡んでいるのか?
「ただいま!! 龍平、アンタちゃんと頼人を説得したんでしょうね?」
「失敗した!!」
「清々しい笑顔!! でも許さない!!」
「すいませ――ゴフッ!!」
おお……、美咲のパンチが綺麗に顎に入ったな……。
床に崩れ落ちる龍平をわざと踏みつけながら、彼女は前の席の椅子を移動させ、俺の正面に腰を落ち着ける。龍平もそれに倣い、よろけながらも調達してきた椅子の上に座りこんだ。
「で、頼人? 何で嫌なのよ?」
「龍平のあの誘い方で首を縦に振るヤツなんていねえよ」
「? アンタ何て言ったの?」
「頼人。そうだ、山に行こう」
「……ドヤ顔なのがまた腹立つわね」
「だろ?」
しかも何でちょっとふざけた方をわざわざ言ったんだ、コイツ?
「はあ……、龍平に頼んだあたしが馬鹿だったわ……。まあ間違ってはいないんだけど色々と省き過ぎなのよ」
呆れた調子でそう言う美咲。どうやら彼女のその様子から察するに本当に言いたかったことは山に行って何をするかということなのだろう。
「何でだよ。山に行くのは間違ってないだろ?」
その美咲の横で不満を露わにする龍平。
「はい、はい、そうね。わかったからしばらく口を閉じてなさい。後でお菓子あげるから」
「俺をお子様扱いすんのはやめろよ……。ちなみに一応聞くけど、何の菓子だ?」
「水あめ」
「また、微妙なモンひっぱりだしてきたな、オイ!!」
ツッコミを入れるも最終的に口を閉じる龍平。彼の名誉のために言っておくが、お菓子につられた訳ではなく単に話が進まないと判断したからである。
桐村龍平という人間は馬鹿で騒がしい男ではあるが、その辺り察することのできる男なのである。
逆に白波瀬美咲。彼女は龍平とは違い、単純な、愛すべきお馬鹿であることを彼女の名……、ここで述べておかなければなるまい。こうしてあたかも常識人のように振る舞っている彼女であるが、実際のところ彼女ほど常識から外れた存在もいないだろう。
少し前の話の内容をあっという間に忘れ、調子に乗って失敗し、「枝」と「技」の区別がつかないという具合に青い狸が机の中から心配して飛び出してきてもおかしくないスペックの持ち主である。
このように龍平と美咲は特に似ているという訳ではなく、寧ろ相違点ばかりが目立つが、ある一点に置いて彼らは共通点を持つ。
それは嘘をつかないこと。
この二人とは高校からの付き合いだが、現在に至るまで俺の前で嘘をついたことがないのだ。これがどれほど異常かということは説明するまでもないだろう。
人は息をするように嘘をつく、とまでは言わないが、嘘は人を誘惑する。そして保身であったり、見栄であったりと様々な理由から人は嘘に身を委ねるのである。
そのため限定的な場であるとはいえ、二年もの歳月の間、嘘をついたことがないこの二人は明らかに奇異な存在といえる。しかし、俺はそのおかしな二人に救われていた。
俺が持つ嘘がわかるという力は必ずしも良いことばかりをもたらす訳ではない。確かに悪徳商法などに騙されることはないが、それも人間の汚い部分を見せつけられていることには変わりがない。
わかりやすくいえば、毎日、毎時間、いや毎分、毒薬を舌になすりつけられるようなものなのである。そしてその舌に纏わりついた毒を洗い流してくれる水のような存在が彼らなのだ。
龍平と美咲。二人がいなければ生きてはいなかった。嘘に狂わされ、精神を侵され、――きっと心が死んでいた。
だから二人には感謝している。感謝しているが――。
「ちゃんとした理由がねえなら俺は行かねえぞ? やることがない訳じゃないし」
それとこれとは話が別だ。禍渦を壊すことの方が現状優先させるべき事柄である。
「そりゃ、山に行くだけならあたしだって行かないわよ。たださ……」
「ただ……?」
「いや、その……」
「?」
何やら美咲の様子がおかしい。いつもならズバッと切り出す癖に今日は歯切れが悪すぎる。何があったというのか。
話が一向に進まないので俺は仕方なしに龍平に目を向ける。
「ん~、簡単に言うと最近三人で遊んでないな~、頼人が構ってくれないな~、寂しいな~、よし山に行こう!! みたいな感じ?」
「待て、前半はともかく後半がわからん」
何故、山? この田舎に住んでいてまだ自然が恋しいのか?
「ああ、それは美咲が懸賞で宿泊券を当てたから。交通費、宿泊費諸々全部タダだぜ? 辺鄙な場所みたいだけど行かねえ手はねえだろ」
「また懸賞か……、コイツの運はどうなってんだ」
懸賞に応募するという昨今の女子高生にあるまじき趣味を持つ美咲だが、その当選率は八割を超える。当たった物こそ下らないものが多いがその剛運にはいつも驚かされるばかりだ。
「気にすんなよ。それでどうするんだ? 行くか、行かないかは頼人に任せる」
龍平はそう言って、俺の結論を待つ。まあ、龍平を待たせるまでもなくもう決まってはいるが。
「……たまにはそういうのも良いかもな」
「オッケ、決まり。持ち物とかは後で美咲にメールさせっから」
「ん、わかった」
さて、話も終わったことだし、少し遅くなったが飯にしよう。鞄から弁当を取りだし、合掌。
「いただきます」
「あ、そういえば美咲からまだ昼飯もらってねえや。おい美咲、俺の昼飯は?」
「だから……、なんていうか……、えっ? 何、何よ?」
龍平が美咲の肩を揺することで説明の途中で何処かに意識をトリップさせてしまっていた彼女がようやくこちらに帰ってきた。
「いや、だから俺の昼飯」
「それより、頼人に旅行のこと説明しなくちゃ……」
「それはオマエがどっかに行ってる間に俺がした。頼人も行くってさ」
「あ、……そう。良かった……」
やや残念そうな顔から嬉しそうな顔へと巧みに表情を切りかえる。その感情の推移の原因はよくわからないが美咲が嬉しいなら良いとしよう。
「そう。だからそれはもう良いんだ。いま大事なのは俺の昼飯が何処かってことだよ!!」
「え、ああ。……ないわ」
そういえば教室に戻ってきたとき何も持ってなかったなコイツ。
「………オイィイイ!! ちょっと待て、俺頼んだよね!? 焼そばパンとカツサンドと牛乳買ってきてって言ったよね!?」
「うん、確かに言ったわね」
「なら何故ここに俺のパンがないの!?」
「……忘れたのよ」
「何?」
「だから……、お財布……ここに忘れちゃったのよ…………」
「………………Oh」
額を叩く龍平と気まずそうに目を逸らす美咲。おい、何だこの空気は。一人飯食ってる俺が悪いことしてるような気がしてきた。
「はあ……。弁当少し食うか?」
「「いただきます!!」」
俺の言葉に即座に反応し、目を爛々と輝かせ、涎を垂らしてこちらを見る龍平と美咲。
「俺、唐揚げ貰い!!」
「それならあたしはこのハンバーグをいただくわ!!」
「ちょ、オマエら!! 何で肉ばっかり攫っていく!?」
そうして凄まじい速度で減っていく弁当を見ながらも、俺は何処か幸せな気持ちになっていた。禍渦の破壊という非日常的なことをしている俺にとって、こうして友達と過ごす時間は貴重だ。ただここにいるというだけで俺の胸を満たしていってくれる。
少しの間、そんな感慨に耽り改めて弁当に眼を向けると、そこには空になった弁当箱があるだけ。ちなみに犯人は逃走したようだ。
一人机に向かう俺に食料を催促する腹の音が示すのはただ一つ。
友人も、彼らへの思いも俺の腹を満たしてはくれないということである。
所変わって、俺の家。
昼間は昼間で一悶着あったが、いま、つまりこの飯時にも嵐が来訪していた。主に俺の眼前で。
「絶対、行く!! 私も行くの!!」
ご飯粒を口から撒き散らしながらそう抗議する人物が一人。俺の両親は既に他界してしまっているため、この一軒家に住む俺以外の人物といえば一人しかいないのだが。
そう、当然俺のパートナーであるイアさんである。
初めは要領を得なかったが、何とか彼女の言葉を翻訳すると、どうやら俺が旅行に行っている間の留守番が不服らしい。
「行くっつったって、二人に何て説明する気だよ? 『初めまして、頼人のパートナーです』とでも言うつもりか?」
「えっ、ダメなの?」
「言うつもりだったの!? オマエ前に一回同じこと言って失敗しただろうが!!」
そのとき生じた問題を嘘を吐くことなく収拾をつけるのがどれだけ大変だったか……。二度と体験したくはない。
「ご、ご飯は!? 私二日もご飯抜きなんて耐えられないよ。一人で外に出ちゃダメなんでしょ!?」
「いや、別に良いけど?」
「良いのッ!? でも前はダメだって……」
「それはオマエが背中のコード晒した状態で出歩こうとしたからだろうが。リュック背負って、その中にコードを隠した状態で出歩く分には構わねえよ。閉じまりさえちゃんとしてくれれば良いさ」
現代の知識がある程度備わっているのだから弁当の買い方ぐらい分かるだろう。それなら餓死する心配もないし一日、二日の留守番も可能な筈だ。
「ま、禍渦は? 頼人が旅行に行ってる間に神様から依頼が来たらどうするのさ?」
「番号は家の電話の横に貼っておくから俺の携帯に電話しろ。そのとき場所を教えるから門を使って迎えに来てくれ」
こうすれば緊急の依頼が来てもすぐに対処できる。門を使えば海外どころか異世界にすら数秒で行けるのだから支障はない。
「問題は全部解決されたな?」
「うぐぐ……!!」
おお、すげえ。人の頬というのはあれほど膨らむものなんだな。いや、イアだからなのか?
気になって箸の先で頬をつつくと、反抗心からか更にその弾性が増す。こちらも負けじと今度は両手の人差し指で彼女の両頬を攻めると、意外にも直ぐにしぼんでしまった。
ううむ。もう少し感触を楽しみたかったのだが……。
そんな考えに浸っていると俺の人差し指から逃れたイアは魔法でも使ったかの如く、あっという間に俺が用意した夕飯を平らげ、こう宣言した。
「ふ~んだ、もう良いもん!! 私勝手にするから!!」
「お、おう。よろしく」
俺の答えも聞かずにイアは鼻息荒くダッシュでリビングから出て行く。二階に上がったことから考えるとどうやら風呂に入るために着替えを取りに行ったようだ。着替えといっても彼女の服はいつも着ている黒いワンピース一着しかないので俺のジャージが寝間着なのだが。
「……やれやれ、大分機嫌を損ねちまったみたいだな」
だが、まあ仕方がない。これも社会経験だと思って我慢してもらおう。
「さて、と。風呂上りの缶コーヒーでも用意しておいてやるか。それで機嫌が直るとも思えねえけど」
風呂上りに冷えた缶コーヒーを飲むのは俺とイア、共通の習慣だ。
それは一日の終わりの合図。
俺と彼女だけが持つ今日と明日との境界線。
いつもは一緒に飲むのだが、今日はそうはいかないだろう。この習慣を始めてから初めて、彼女だけが一足先に明日へ向かう。
そうなってしまったのが俺のせいとはいえ――。
俺にはそれが、少しだけ寂しかった。