かぞく
例の少女を手早く始末した後、俺は一直線にコードを伸ばし、禍渦の元へと向かった。ラフィを追い越し、ストラを追い越し、地面に降り立つ。
「――何処に行く気だ?」
「くっ……あ…………!!」
俺から逃げようとする彼女の喉元を右手で掴み、宙吊りにする。何やら苦しんでいるようだが、どうしてだろうか? それを全く不憫だとも、解放してあげたいとも思わないのは。
「ヨリトッ!!」
「……ラフィか」
短い手足をパタパタと必死に振りながら駆けてくる少女にチラリと目をやる。どうやら途中何度か転んだようで服には所々に泥がくっついていた。
「大丈夫か?」
「え、ああ、うん。ってそんなことより!! ヨリト、ストラ様を放して!!」
「いや、それは無理。もう逃げられるのも面倒だし、ここで腕を切り落として回収だけはしておかねえと」
そう言って俺は左手に小型の斧を具現化する。
『……頼人、そこまでしなくても良いんじゃない? あの子は殺しちゃった訳だし、もう余計な横槍も入らないでしょ?』
「……イアの言いたいこともわかるんだけどな。ここはやっぱり譲れねえ。それにこうしてる間にも街の誰かが死んでるかも知れねえんだぞ?」
「!? それは……、どういう……」
俺のその言葉にストラが目を見開き、問いを投げかける。
「オマエが大事に抱えてるそれはな、そこに在るだけで不幸を撒き散らすモンだ。幸運にもいまはまだ何も起こっちゃいねえが、このまま放っておけば確実に人死にが出る」
「そ、そんな……う、嘘……だ!!」
「悪いが、俺は嘘が死ぬほど嫌いなんだ。それで? 渡してくれる気になったか?」
「い、嫌だ!! また……、あの力……を取り戻す……のは……、それだけは!!」
「そうか、残念だ」
彼女の言葉の意味は良くわからなかったが、禍渦を渡す意思がないということは理解した。なら、俺が取るべき行動は一つだ。
宙に浮かせていたストラを仰向けの状態で地面に押さえつけ、斧を握った左腕を振り上げる。
「や、やめろ……」
「やめて!!」
ストラとラフィが懇願するようにそう声を上げるが、その声が俺の心を揺らすことはない。いまの俺の心にあるのは禍渦への破壊衝動だけだ。それ以外の感情が入り込む余地などないのである。
「やめろぉおおおーーーーーーーーーーーーーーー!!」
響くストラの絶叫。そして鮮血を巻き上げ、宙を舞ったのは――。
俺だった。
「がっ!! ああ!?」
何度も地面に激突しながら吹き飛ばされる。
誰に?
どうやって?
様々な疑問がよぎるが全て後回しだ。まずは、態勢を立て直さなければ……。こめかみに走る激痛を堪え、ふらつく脚で何とか立ちあがり、襲撃者の姿を視認する。
風に揺れる金の髪。
血のような真っ赤な瞳。
そして動きやすさを重視したのであろう身体にフィットした衣服。
その姿は紛れもなく、さっき俺がその命を奪った筈の少女であった。
「オマエッ……、どうして生きてる!?」
確かに俺は彼女の胴を、腕を、首を切り落とした筈。念には念を入れてその後、散弾まで浴びせたのだ。生きている道理はない。
そうである筈なのにこの少女は傷一つない姿で再び目の前に現れたのである。
「さあ、どうしてでしょうね? 教えてあげても良いけれど、いまはそんなことをしてる場合じゃないんじゃないかしら?」
「邪魔をしておいてふざけんなよ……」
こいつの邪魔が入らなければ禍渦の回収には成功していた。人の邪魔をしておいて他にやることがあるんじゃないか、だと?
「何度も何度もゾンビみてーに蘇ってきやがって、いい加減にしろ、このヤロー!! 今度は粉々にしてやろうか!?」
『ちょ、ちょっと頼人、冷静になってよ!! こんなにポンポン具現化してたらあっという間に限界きちゃうってば!!』
イアの物質具現の力は無限ではない。一つ何かを具現化する度に俺の精神力は削られていく。単純なものなら、それ程負荷はかからないが銃などの複雑な構造を持ったものは別だ。このまま戦闘を続ければいずれ精神力も底を尽く。そうなれば死ぬのはアイツではなく俺だ。
『まだ闘うにしても少しは節約して――ってアレ?』
「…………何のマネだ?」
「ご覧のとおりよ、もう私に闘う気はないわ」
少女は両手を上げ、抵抗の意がないことを示している。それが本当であるということはわかったが、理由まではわからない。
「ボコボコにするのも、骨が折れそうだしね。……実際骨を折るどころか、断ち切られた訳なのだけれど。一応いまの一発で気も晴れたし、これで終わりにしてあげる」
「……そうかい」
正直納得はしていないが彼女の言葉に嘘はない。こちらの邪魔をしないのであれば、もう彼女は駆逐対象から外しても問題ないだろう。色々と聞きたいことはあるが、まずは禍渦の破壊を優先するとしよう。
当面の障害が取り除かれたからか、僅かだが余裕が生まれ、荒れていた心が凪いでいく。これなら、もう少し冷静に事にあたれそうだ。
そう自分を分析しつつ俺はラフィとストラが座り込んでいる場所に向かおうとするが
「ちょっと待ちなさい」
「おうふっ!!」
結局、金髪少女のチョップで邪魔されてしまった。
「~~~ッ!! 気が済んだんじゃなかったのかよ!?」
本心だったよね、さっきの言葉!! 俺が嘘と本当を読み違える筈はないのに……。
「その気が変わったのよ。やっぱりもう一発お見舞いしたくなったわ」
「オォォイ!! オマエの本心グラッグラだなぁ!!」
何なんだ、コイツ!? 嘘を吐かないヤツにこんなに苦手意識持つのは初めてだ……!!
「つーか、さっき邪魔しねえって言ったのも気が変わったなんて言いだすんじゃねえだろうな?」
「安心して頂戴。そっちの方は変える気はないから」
「……そうかい」
ならば、再びこの少女の気が変わらない内に禍渦を破壊……
「ちょっと待ちなさい」
「おうっふ!!」
しようとするが尚も少女にチョップを叩きこまれる。
「~~~ッ!! ちょ、オマエ本当何なの!? 俺の旋毛に何か恨みでもあんの!? つーか、やっぱり最終的には邪魔するんじゃねえか!!」
「あら失礼ね、そうじゃないわ。私は貴方の邪魔はしない。寧ろ貴方が、貴方の望みの邪魔をしているのよ」
「何言って――」
「あの禍渦を壊したいのなら黙って見ていなさいな。あれを壊せるのは貴方でも、私でもないの。貴方と私の役目はあの二人を引き合わせた時点で終わっているといっても良いんだから」
この確信めいた口調。そして何より禍渦のことを知っているという事実。
「オマエ、もしかして……」
『頼人、ちょっと静かにして!! ラフィが何か言ってるけど聞こえない!!』
「ラフィが?」
振り返り二人に目を向けると、咳き込むストラにラフィが『心癒福音』をかけながら何事か話しかけていた。この距離でも同調しているおかげで難なくその声を拾うことができた。彼女の声は小さく、震えたものであったが何処か力強い印象を受ける。
そして少女はゆっくりと対話を始めた。
「ストラ様、大丈夫? もう、身体の負担はなくなったと思うんだけど……」
「ごほっ……、ああ、大丈夫だ。やはり素晴らしいな貴様の一族の力は。……私にも『心癒福音』のようなスキルがあれば良かったのだ。そうすればきっと――」
「本当にそう思うの?」
ストラの言葉を遮り、ラフィルナは彼女を問い詰める。その声は普段の明るい彼女の声ではなく、悲哀に満ちたものだった。
「……ああ」
「そう……、でも私は、私のこの力が嫌いだよ」
「? どうしてだ? 他人を癒す力だ。優しい良い力じゃないか」
しかし、ラフィルナは彼女のその言葉を力なく首を横に振ることで否定する。
「ねえストラ様、この力が本当に優しい力なんだったらどうして、自分の一族には効かないの? 私にはこの力が醜悪で底意地の悪いモノにしか見えないよ。だって他の人を助けられても自分の一番大切な人は助けられないんだから」
もし、『心癒福音』が分け隔てなく癒しを与える力であったなら彼女の両親が死に至ることもなかったであろう。こうしてストラが思い悩むことはなかっただろう。
そう考えたからこそ彼女は自分のスキルを嫌悪する。他人を救うばかりで自分を救えないそのスキルを。
「でもね、ストラ様。私はあなたみたいに自分のスキルを捨てたいとは思わなかったよ。それが何でだかわかる?」
「……それは貴様が、ラフィルナが強いから。私のように脆弱な心を持っていないからだろう」
そのストラの言葉に再びラフィルナは首を横に振り、ポツリと呟く。
「あなたがいたからだよ」
「私……?」
「うん、そう。十年前、ニキーノおじーちゃんの教会の裏の墓地で泣くあなたを見たから、あの言葉を聞いたから、私はいまもこうして私でいられるの」
十年前。殲滅戦の直後、ラフィルナはニキーノとドメニコの教会で数カ月を過ごしていた。まだ小さかったということもあったが、何より精神的ダメージが深刻なものであったからだ。
笑いもしなければ。
泣きもしない。
怒りもしなければ。
悲しみもしない。
ただ、淡々と生きている。ラフィルナはそんな日々を数週間、数か月以上も部屋の隅で過ごしていた。
「だけど、いつだったか外から聞こえてくる声に気がついた」
ラフィルナはこう言うがその声は彼女が教会で過ごし始めた初日から確かに響いていた。それに気がつかなかったのは彼女の心にそのような雑音が入り込む余地がなかったからなのだろう。
「何の音なんだろうと思って窓から外を見たらそこにいたのはストラ様。あなただった。私のおとーさんとおかーさんのお墓の前で何度も何度も謝るあなただったの」
そのときの言葉をラフィルナは忘れない。
「『家族を守れなかった私をどうか許してほしい』。泣きながらそう言うあなたのこの言葉で私は、ううん私だけじゃなくておとーさんも、おかーさんも救われた」
崩れゆく身体を無理矢理動かし、戦場へと向かうラフィルナの父が最後に彼女に遺した言葉。
『いいかい、ラフィ。私たちはもう助からない。だけどそのことで誰かを恨んじゃあいけないよ。特にストラ様をね。こうしなければもっと多くの人が死ぬ。それに確かに私たちは彼女の命令で戦場に行くけれど、これは私たちの意思でもあるんだ。あと数時間の命しかないのなら一人でも多くの家族を救いたい』
『ひっく……、家族? ぐす……、おとーさんの家族は私とおかーさんだけじゃないの?』
『はは、違う、違う。この街に住むみんなが私たちの家族さ。少なくとも私と母さんはそう思っている。…………もう時間のようだね。それじゃあラフィ、行ってくるよ』
「そう思ってるのはおとーさんとおかーさんだけだと思ってたんだけど、ストラ様も同じ気持ちだったんだって知って、私は感情を取り戻せた。ふふ、ストラ様は知らないだろうけど、あのとき私もあなたと一緒に泣いてたんだよ?」
照れるように頬を掻きながらそう告白するラフィルナ。しかし、直ぐに表情を引き締め、ストラの肩を両手で優しく掴む。そして彼女の眼を真っ直ぐに捉えながら告げる。
「だから、私は、私の力を捨てようなんて思わない。確かに私はこの力が嫌い。自分の家族を助けられなかったこの力が大嫌い」
「ラフィルナ…………」
「それでも!! この街に住む大好きな人たちを、私を救ってくれたあなたの大事な家族を助けることができるこの力は大好きだから!! だから、私は捨てられない」
大嫌いで大好き。ラフィルナの矛盾を孕んだその叫びを滑稽だと笑い飛ばすことができる人間がいる筈もない。彼女のその言葉は滑稽で、可笑しくても、誠実ではあったのだから。
「私……、私は…………」
ストラの視線は自身の右腕に嵌められた腕輪に注がれていた。数ヶ月前に突然現れた腕輪。理由は分からないが身につけることで自身の『最善選掴』を消し去ることが出来たその腕輪を見つめながら彼女は惑う。
彼女とて既にわかっていたのだ。『最善選掴』がラフィルナの両親を救えなかったことは事実だが、それと同時に何千もの街の住民を救っていたことを。
「ストラ様」
ストラの迷いを断ち切るかのように、ラフィルナは彼女を抱きしめながら言う。
「いまのあなたは弱いだけだよ。『最善選掴』のないあなたにみんなは守れない。もし、いま何か起こったらそれこそ見殺しになっちゃう」
「だがッ!! もし同じようなことが起これば、私はきっと――」
「そうなったらどうすれば良いか、みんなで考えれば良いよ。そうすれば最終的に出した答えが同じでも痛みを分け合える。――今度はあなただけに苦痛を強いたりなんかしない」
ラフィルナはまるで小さな子どもに言い聞かせるように優しい口調でストラに囁く。
「だからストラ様、本当のあなたに戻ろう? きっとみんな分かってくれるから。あなたが本当は優しくて、弱い、私たちの家族だってことを」
「う……、うう……、うぁああああああっ!!」
もう止まらない。止められない。一度、溢れた涙は堰を切ったようにボロボロと流れ出す。しかし、その涙はこれまで幾度となく流した悲しみの涙ではなく、赦しを、救いを得られたことに対する喜びの涙。
そして、その涙は螢火に照らされ、七色に光りながら彼女の腕輪に落ちた。その瞬間、酸が鉄を解かすような音とともに腕輪が消滅していく。
まるで、彼女の涙によって浄化されたかの如く、最後は黒い靄となって消えていった。
調子に乗って書いてたらあと1話必要になってしまいました。申し訳ありませんがあと1話夢現リプレイスにお付き合いください。