あの日の約束
ラフィとストラを連れ、居館から文字通り飛び出した俺とイアは宙に浮かびながら目の前に広がる光景に言葉を失っていた。
『……………………キレー』
「ああ……」
ようやく捻りだした言葉がこの程度か、と思われるかもしれないが実際この光景を目にすればそんな台詞は出て来ないだろう。
平原に広がる螢火。
この世界に始めて来たときもその輝きに目を奪われたが、いまはその輝きが格段に増している。昼間は太陽の強い光に負けていたからか淡い光にしか見えなかったが、月と星の光しかない夜の世界では、その一つ一つがまるで打ち上げられた花火のように瞬いていた。
赤。
青。
緑。
言い尽せないほどの色で埋め尽くされた幻想的な世界。
俺は目だけではなく、心まで奪われていた。
それは街の城壁を超え、平原に着地するタイミングをやや狂わされるほど。それほどまでに螢火が煌々と輝く様は美しかった。
「っとと……神様もたまには本当のことも言うんだな」
『私もそう思ったけど、口にしちゃ駄目だよ……』
「ははっ、気にすることはねえよ。それよりイア。これで約束は全部守ったからな? 観光もしたし、夜の螢火も見た。後はどうやって禍渦を壊すかだ。核を壊せば終わりなんじゃなかったのか?」
『うん。それは私もおかしいと思う。ただ考えられるのはこの禍渦は正しい手順を踏まなければ壊せない可能性が高いってことかな?』
「? どういうことだ?」
『ん~とね。こないだ壊した苦無の禍渦は伝承の結末が「武器による破壊」だったから銃で壊せたけど、コレはそうじゃないんだよ、きっと。壊す為に必要な「何か」があるんじゃないかなあ』
彼女は歯切れ悪くそう呟くが、俺もその意見に概ね同意だ。
禍渦の心臓ともいえる核の位置は、生まれた禍渦の伝承に影響されることが多い。イアが核の位置をサーチ出来ない場合は主にその伝承を調べた上で禍渦の破壊を遂行する。
例えばヘラクレスが倒したネメアーの獅子が禍渦として現れたとしよう。
彼の獅子はヘラクレスに絞殺されたという伝承を持つため、ネメアーの獅子は首のあたりに核があると推測されるのである。そして核を破壊すれば禍渦は消滅する。
ここまでは通常の禍渦、つまり俺がこれまで壊してきた禍渦の話だ。
しかし、どうやら今回はそうではないらしい。
さっきのネメアーの獅子の話をもう一度例に出そう。
確かに獅子の核が首にあったとしても壊せない場合とはどのような状況なのか。それはつまり獅子の核を剣や銃で破壊しようと試みた場合である。
ネメアーの獅子の皮は刃物を通さない丈夫なものだという話が残っているため、それらの攻撃を受け付けない場合がある、ということだ。そのためネメアーの獅子の核を破壊しようとするのであれば伝承通り、首を締め上げ核を破壊するという絶対条件が発生する可能性があるのである。
そして、通常の武器による破壊ができない以上、今回のケースは間違いなくそれだ。
「……何にせよ、あの腕輪について調べなきゃならないってことか。だけど、イア。一応この辺りのことは調べたけど、それらしい伝承はなかったぞ?」
『かなり昔の話なら見つからないのもありえないことじゃないよ。最悪手当たり次第試してみるしかないね』
「マジかよ……」
まったく、頭を抱えたくなる事態だ。当然のことながら手当たり次第試してみる時間はないし、アテもない。一体どうしたものか……。
「おい、黒衣の。独り言などしとらんで、いい加減降ろさんか。いつまで私たちはこの様でいなければならんのだ」
「ヨリト、無茶しすぎ。叫び過ぎて喉痛い……」
「ん? ああ、悪い、悪い。イア」
彼女にコードを緩めるよう頼み、二人を解放する。
声をかけられるまで完全に二人の存在を忘れてしまっていた。というか同調時、イアの言葉は基本的に俺にだけ聞こえるので何やら独り言をブツブツ呟く危ない人間認定されてしまっている。誤解だ……。
「って、それはどうでも良い。二人とも聞きたいことがあるんだが」
「え、何?」
「…………」
素直に聞き返してくれるラフィとは対照的にストラは沈黙で答える意思がないことを示す。
「この腕輪のことだ。何か知ってることがあれば教えてくれ。そうしなけりゃ腕輪は壊せねえし、ストラは元には戻せねえ。まあ、オマエがとっとと渡してくれれば話は済むんだが――」
「断る。そも私はこのままで良いと言っている」
「だろ? んで、腕千切ろうとすると――」
「駄目」
「これだ。ラフィ、ストラを元に戻したいんなら協力してくれ。自分も何かの役に立ちたいって言ってたろ? なら頼むわ」
「わかった!! 頑張る!!」
即答かよ。いや、まあ助かるが。
『頼人、私たちはどうするの?』
「そうだな……、ラフィが頑張ってる間、ニキーノさんに会ってみようかと思ってる。あの人なら何か知ってるかもしれない」
人が漏らすつもりのない秘密までわかってしまう訳だし。他人の秘密は明かさないとは言ってたが状況が状況だ。何とか協力してもらおう。
『街に入って大丈夫かな?』
「まだ、大丈夫だろ。最悪ニキーノさんもここにおいで願おうぜ。その方が手っ取り――――ッ!!」
危険を察知するや否や、俺は両腕でラフィとストラを抱えてその場を離脱する。
その直後。
背後で爆音が響いた。
察知するのが早かったことが幸いし、既に俺たちは安全圏へと離脱していたが、一秒でも気づくのが遅れていたら俺はともかく、ラフィもストラもバラバラになっていただろうことは明白だ。それ程までに先の爆発は激しいものだったのである。
振り返った俺の眼前には爆発の起こった半径十メートル圏内がクレーター状に陥没している光景が広がり、周囲には未だ粉塵が舞い上がっていた。
「あ、ああ……」
ラフィはその光景を見てただ口を陸に揚げられた魚のようにパクパクさせるだけ。一方のストラといえば
「………………」
目の前で起こった出来事について何とか頭の中で整理をつけようとしていた。
『な、何、何!? 何があったの!?』
「……わからねえ、見えたのは金色の何かが飛んできたってことだけだ」
第二射、第三射にも気を配りながら、俺は爆心地へと足を向ける。何がこちらに飛んできたのかを明らかにするためだ。
だが、足を踏み出す前に俺の身体が硬直する。それは爆発をかわしたときにダメージを負ったせいではなく、単に驚愕からだ。
舞い上がる粉塵を片手で払いのけながら、爆心地から人影が現れる。いや、それが果たして人間のかはわからないが。
「こんばんは、天原頼人さん」
問題の人物は金の髪を靡かせ、赤い眼でこちらを見据えてこう言った。
「落とし前、つけてもらいに来たわ」
いやいやいやいや。
待て待て待て待て。
それは確かにオマエはあのときそう言ったけれど。
「何でこの状態の俺が天原頼人だと分かる?」
パーティーのときにこの金髪赤眼の女とは接触したがそれはイアと同調していない状態でのことだ。あのときはいまのように白髪金眼ではなかった。
なのに何故?
この女は俺が天原頼人だと知っている?
「そんなに不思議がることじゃあないわ。私、事情があって他の人よりちょっと耳が良いの。同調しても声は変わらないでしょう?」
「ッ!?」
同調の事まで知っているとなると、いよいよ何者だ、この女?
人は自分の知らないもの、分からないものに遭遇すると自然と身構えるというが、どうやら俺も例外ではないらしい。
俺の身体はとっくに臨戦態勢に入っていた。
「あらあら、やる気満々ね。残念だわ」
「残念? 嬉しいの間違いじゃねえのか?」
「いえ、残念で合ってるわ。だって――」
少女は血の色のような鮮やかな赤い眼を見開いて言う。
「やっぱり貴方は私を覚えていないってことだもの」
瞬間。
目の前に立っていた筈の少女の姿を見失う。
警戒を解いた覚えはない。殺気を放つ相手に対して注意を怠ることなど絶対にしない。そんなことをしていれば、これまでの禍渦との戦いで生き残れなかった。
ということは、つまりあちらがこちらよりも圧倒的に迅いということで。
「――随分、のんびり屋さんなのね」
結論から言えば、気が付くと懐に入られていた。そして当然のように繰り出される拳が俺の顔面を打ち抜かんと迫る。
「――ッ!!」
反射的に後方へ跳んでいたことが幸いした。そうすることで生まれた若干の時間で以て俺は顔を両腕で覆い直撃を避け、更に拳打の威力をある程度殺すことにも成功する。
吹き飛ばされながらも何とか着地。更に少女から距離をとる。
「と思ったけれど、前言撤回。よくいまのを防いだわね。完全に不意を突いたと思ったのに」
「ああ、マジで危なかったよ、コノヤロー!! あとちょっとで顎、ぶち抜かれてたわ!!」
油断はなかった。単に少女のスピードが常軌を逸していたのだ。
『頼人、無事!?』
「腕はまだ痺れてるけど取り敢えずはな」
『そう。なら良いんだけど……。ところであの子何であんなに怒ってるの?』
「知らん。ただ話の感じからすると、俺がアイツのことを忘れてるのが問題あるみたいだ」
『ええ~、それ頼人のせいじゃん』
「いやいや、あんなエロい服のヤツ、一度会ったら忘れる訳ねえだろ」
『ああ、それはそうだね~。あの格好は忘れないねえ』
「……いまので許そうかと思ったけど、止めるわ。徹底的にボコボコにしてから改めて自己紹介してあげる」
…………何か地雷踏んだっぽいんだが。
拳を鳴らしながら、悪辣な笑みを浮かべ近寄ってくる金髪少女。その姿はさながら悪鬼羅刹の様で、いつの間にか岩陰に隠れていたラフィとストラはやや目に涙が滲んでいる。
おい、ラフィは仕方ないとしてストラは見たとこ俺より少し上ぐらいだろうが。なに泣いてんだ、オマエ。泣きたいのはその悪鬼羅刹の標的になっちまった俺だよ。
「……こりゃ、やるしかねえな」
『八割以上頼人のせいだと思うけどね』
うるせえよ。最初はともかく。地雷は一緒に踏んだろうが。
「二人ともそっから動くなよ。下手に動いて死んでもしらねえからな。そこでジッとして、もし余裕があったら腕輪の壊し方考えておいてくれ」
「う、うん」
「…………」
何が彼女をそうまでさせてるのかは知らないが本当に強情だな、この領主さんは。素直に返事したラフィの爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものである。
『でも大丈夫、頼人?』
「スピードは迅いは、拳は重いはで正直正面切って戦いたい相手じゃねえなあ」
だが、そのスピードには直ぐに目が慣れるし、拳の重さも何とかなる程度ではある。
『いや、そっちじゃなくて』
そう、だから問題はイアの言うようにそれではなく。
いつまで俺が我慢できるかということだ。
「……実はもう結構限界だったりするんだな、これが」
『ええ~』
色々アクシデントもあったし。何よりこれ以上禍渦を、嘘の塊を壊すことを邪魔されたくはない。
確かに禍渦は伝承を基にして完全な姿でこの世に顕現する。だが、所詮本物ではない。いまストラがしている腕輪もかつて存在したモノの紛い物でしかないのだ。
ヒトに害為す嘘の塊。
嘘がわかる俺にとってそんな不愉快極まる存在はない。
故に未だ目の前に禍渦が存在しているというこの状況が許せない。
(はあ……、頼人も最近少しは嘘に慣れてきたと思ってたんだけどなあ。私の思い違いだったみたい。ああ、でも目の前で嘘吐かれても問答無用で殴らなくなったのは成長したよね)
「イア?」
『あ、ゴメン。ちょっと考え事してた』
イアが考え事なんて珍しい。いつもなら考える前に口に出すヤツなのに。
『……頼人、いま失礼なこと考えてなかった?』
「いやいや、俺の相棒の成長を喜んでただけだよ」
『むう……まあ、良いや。頼人が約束守ってくれるんなら』
「ああ、それは心配すんな」
初めてイアと会ったときに交わした約束。
禍渦を壊して世界を守るという約束。いまは俺の私情も入ってしまってはいるけれど、その約束を反故にする気はない。
だって、そんなことをすれば俺自身が嘘吐きになってしまうのだから。
それに、俺を絶望から引き揚げてくれたオマエとの約束なのだから。
「死んでも約束は守るさ」
『ふふ、馬鹿だね。死んだら約束守れないよ?』
「はは、違いねえ」
そうして俺たちは軽口を叩きながら、眼前に迫りくる金髪悪鬼を見据える。
さあ、ダンスの始まりだ。
やっとこさ次回、戦闘です。これまで会話ばかりだったので気合が入ります。押忍。
今回は『白鷽と嘘発見器』の話が多く、初めて読まれた方の中には混乱された方もいるかと。……力不足を痛感しております。――ので戒めの意味も込めて本作の条件を白鷽必読に変更しておきました。読んでいただける方が更に少なくなるかとは思いますがお咎めナシというのも失礼だと思いましたので。