その価値は
さて、城に潜入してからあっという間に禍渦の位置を特定することが出来た訳だが、こんな大衆の面前で破壊行動に移る訳にはいかない。来て早々におたずね者になりたくはないしな。今後こちらの世界でも活動しなければならない以上できるだけ穏便に、隠密に事を処理しなければ。
ということでパーティーが終わるまでは禍渦、もといストラに手を出すことはできないため、肉食獣を繋いでいた鎖を断ち切ってやることにしたのだが。
「……失敗したかな」
壁際でジュースを啜りながらボソリと呟く。
イアとの半同調を解除してやったので、彼女は晴れて自由の身となった。そして、現在、ラフィルナを引き連れ、その自由を謳歌している。
「うおおおおっ!? 何だ、あの白い髪のお嬢ちゃん!? テーブルの上の食い物を片っ端から平らげてやがる!!」
「ア、アタシのパイが!!」
「俺のチキンもねえ!!」
「ラフィィイイ、そのお嬢ちゃんを止めろォォ!! って俺のケーキ取ったのお前かよ!!」
「おい、コイツらの保護者役は何処だ!! ニキーノ爺がヨリトとか言うヤツに任したとか言ってたぞ!!」
半同調を解いたいまでは彼らが何を言っているのかは定かではないが、あの目は明らかに悪ガキの保護者を探している目だ。
……………………さて、と。もう少し見つかりにくい所に移動するとしよう。
そう思った矢先、俺の背中に如何にも性格の悪そうな、確実に根性の螺子曲がった調子で声をかける輩が現れた。
「あらあら、可愛いお子さんたちを放って何処に行くのかしら? 天原頼人さん?」
「………イアは俺の子どもじゃねえし、ラフィルナに至っては会ってまだ一日しか経ってないんだが?」
振り返ると目の前には金色に輝く髪を腰まで伸ばした、赤眼の、そして何か露出度の高い身体のラインが浮き出るような、ぶっちゃけエロ――ゴホン、服を着た少女が、やはり性格の悪そうな笑みを浮かべてこちらに視線を向けていた。
「それは本当? その割にはあなたたち、随分仲良しね」
「それはどうも、お褒め頂き光栄だよ。で? 俺の名前を知ってる上にいまの俺と会話が出来るアンタは一体何処の誰なんだ?」
さっきも言ったが現在俺とイアとの同調は完全に切れている。故にこの裏世界でいまの俺と会話できるのはイアだけの筈なのだ。
しかし、この少女は平然と、まるでそれが当たり前のことであるかのように俺との会話を成立させている。
完全な異常。
頭の中で警報が鳴り響く。
いまの俺はただの人間なのだ。異常に襲いかかられれば為す術なく負けてしまうだろう。グーがパーに勝てないのと同じ。たった一人では人間は奇怪なものに立ち向かうことなどできない。
「……何処の誰、ねえ」
そんな俺の緊張感などどうでも良いように、少女はどこか不機嫌そうな表情を露わにする。
いやいやいや。だって初対面でしょう、俺とアンタ?
俺はそう思っているのだが、彼女のジトッとした目からは明らかに殺意が漏れ出ている。
ヤバイ。
ヤバイ、ヤバイ。
何か良くわからんがヤバイ。
思わずイアを大声で呼ぼうとするが、その前に少女は諦めたように嘆息し
「……ふうん。まあ、良いわ。良くないけど良いということにしておくわ、いまはね。……後で落とし前はつけて貰うけど」
そう言って取り敢えずは殺気をおさめてくれた。
ふう、どうやら何とか生き延びられたようだ。こうなったら後で落とし前をつけさせられる前にさっさと裏世界から退散するとしよう。
「それで? 何か用か? 用がないんなら俺はここから逃げ出したいんだがな」
街の皆さんに責任を取らされる前に。
「……本当に心当たりが無いみたいね。ならいまのあなたに用はないし、失礼するわ」
少女は金髪をなびかせ、ゆっくりと俺から離れていく。
あれだけこちらに執着していた癖に案外あっさりと離れてくれたな。ありがたいことだ。
ただ、一つ気になることがあるんだが。
「結局アイツは一体誰なんだ……?」
去っていく少女の後ろ姿を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
「頼人、私、もう死んでも良いかも……」
「そうか、でも死なれたら困るから勘弁してくれ」
俺に背負われながら満足顔でそう呟くイアに告げる。
パーティーは無事終了し、いまはラフィルナとともに城の出口に向かって歩いている真っ最中だ。ちなみに街の皆さんには先を歩いてもらっているので俺たちが殿を務めている。ちなみにパーティーの最中に出会ったあの金髪の少女はあの接触以降目撃していないのでパーティーの途中で帰ったか、終わって早々に帰ったのだろう。
こうして帰宅者の列に加わっているんだが、当然このまま帰る気は俺にはない訳で。タイミングを見計らってこの列から抜け出さなくてはならない。
チラリと城の奥へと繋がる通路を横目で確認する。
パーティーが行われている間、城の中を少し見学させてもらったのだが、警備などあってないようなものだった。これも領主の身に起こった異常のせいなのだろうが、これならば仕事はやりやすい。
(イア、今夜中に片づけるぞ。これから領主を探して拘束する。その後、禍渦の場所を特定してくれ)
背中におぶっている少女にそう小声で耳打ちする。
(ん、分かった。ラフィルナはどうするの?)
(このまま帰ってもらうつもりだ。兵士に見つかるつもりはねえけど、万が一そうなった場合ラフィルナに迷惑がかかっちまうからな)
というわけで。
ここでこの少女ともお別れだ。
「ラフィルナ」
「ん? どうしたの、ヨリト?」
琥珀色の瞳が疑問の色を湛えて俺を見る。
「俺とイアはちょっと領主に用がある。だからラフィルナ家には一人で帰ってくれないか? 隣近所の人もいるし大丈夫だろ?」
俺は嘘がわかるという力のせいでこれまで他人の汚い嘘を嫌という程見てきている。二か月前のイアとの体験を経ても、まだ自分が意図的に嘘をつくことには抵抗があるため、いまもこうして直球で勝負するしかない。
「え? 領主様に? 何で?」
困惑顔のラフィルナ。まあ、それも当然だろう。俺も突然自分の友達がこんなことを言い出したら大丈夫かコイツ? と思うのだから。
「……領主がおかしくなったのラフィルナもこの街に住んでんだから知ってるよな?」
「……うん」
「俺とイアはその領主をおかしくしているモノを探しに、壊しに来たんだ。事と次第によっちゃ危険なことになるかもしれないからさ。ラフィルナには家に帰っていて欲しいんだよ」
嘘をつかないように、しかしその全貌を明かさないように説明するのは毎度のことながら面倒だ。神様は禍渦のことは開示しても構わないと言っていたが、俺はできるだけ周りの人間を巻き込むようなことはしたくない。
知らないなら知らないまま、幸せに暮らして欲しいからな。わざわざ危険に身を投じさせる必要はないのだ。
そう思っての今回の説明だったのだが、彼女に関していえば、どうやら逆効果だったらしい。
「イヤ」
「呼んだ?」
イアが俺の背中越しにひょっこり顔を出す。
「下らねえこと言ってないでオマエは黙って背中から降りろ。……理由を聞かせてくれるか、ラフィルナ? どうして嫌なんだ?」
「私、ストラ様が困っているなら助けてあげたい」
「オマエにはきっと何も出来ないぞ?」
「でも、ヨリトたちに任せきりになんて嫌だよ。あの人は私たちの領主様なんだから」
「う~ん、気持ちはわからないでもないけど……どうする頼人?」
イアの言いたいことはわかっている。あまりここでグズグズしている時間はない。時間が経てば経つほど、それこそ秒単位で禍渦の影響力は強まっていく。この街では大きな事件は未だ起こっていないようだが、明日にも街の誰かが狂うかもしれない。とんでもない悪党がこの街に侵入してくるかもしれない。
「何かあっても俺たちがオマエを助けてやれる保証はない。それでも良いのか?」
どうしてこの少女がここまでストラに固執するのかはわからない。ラフィルナにとってストラは言ってしまえば親の仇だ。ラフィルナは恨んでいないと言っていたし、それは嘘ではなかったけれど、良い感情を持っている筈がない。だが、それでも彼女は首を縦に振る。
「ふふ、それを聞いて絶対私も行かなきゃって思ったよ」
「? どうしてだ?」
「だって――」
ラフィルナは腕を後ろに回してはにかみながら言う。
「それってヨリトたちも危険だってことでしょ? なら私の心癒福音が役に立つかもしれないし。何より自分の友達が私たちの領主様のために危険なことをしてくれるっていうのに家で待ってるなんてできないよ」
それが彼女の本心。
そして本心だとわかった以上、もう説得などという無駄なことはしない。彼女の嘘偽りない言葉に俺も応えよう。
「イア、同調」
「は~い」
これまでの半同調ではなく完全な同調。
イアから伸びる全てのコードが俺の身体に突き刺さる。
腕に。
足に。
首に。
接続が終わるとイアは俺の中に溶け込み、まるで消滅したかのようにいなくなるが、彼女は確かにここに、俺の中に存在する。
その証拠に黒かった俺の髪は真白く染まり、瞳は金色に輝いている。それは俺とイアが完全に一つの存在となったことの証だ。
そうして同調を終えるとさっきまで堂々と自分の主張を述べていた少女があんぐりと口を開けているのが目に入った。
そういえば誰かの目の前で同調するところを見せたのはこれが初めてかもしれない。表世界では確実に驚かれるだろうとは思っていたが、やはり裏世界でもこれは相当おかしなことのようだ。
苦笑しながらも、俺は未だ腰を抜かしたまま床にへたりこむ少女に手を伸ばして立ちあがらせる。
この世に生きるものに害をなす禍渦を壊しているからといって、俺は自分が正義の味方だなんて思ったことはないし、これからもそんなことを思うことはないだろう。
俺が禍渦を壊すのはひとえに自分のためだ。この世には汚い、黒い嘘しかないと絶望していた俺は二か月前、他人を想ってつく白い嘘があることを知った。まだまだ世界には俺の知らないことがあることを知った。
だからこそ、世界を回って禍渦を壊すと同時にこの世界のあらゆる真実と嘘を自分の目で知ろうと思ったのだ。
神様が言う様に俺がこの世界に絶望するには早いと思ったから。嘘で壊れ切ってしまうには未だ早いと思ったから。
でも。
真実と嘘が混ざり合ってこの世界は出来ていると神様は言ったけれど。
それ故に真実と嘘は等価値なのだと、あのとき、あの男は言ったけれど。
俺は未だ、『真実』の方が価値が在ると思っている。
「ったく、感情でばっかりものを言いやがって、我儘にも程があるぞ?」
「……ごめん」
ラフィルナは謝罪の言葉を述べるが、その目に諦めるという選択肢は映っていない。悪いとは思っていても引く気はないようだ。まったく、この正直者め。
「……乗れ」
「え?」
「背中に乗れ。ラフィルナの走る速度に合わせてたんじゃ時間がいくらあっても足りねえ――って、おい、飛び乗るな!!」
「ラフィ!!」
「ああ?」
「ラフィで良いよ!! ありがとね、ヨリト!!」
「……あいよ。しっかり掴まってろよ、ラフィ」
『あはは、結局最後はオッケーしちゃうところが頼人らしいねー。…………後で私もラフィって呼んで良いか聞いてみよっと』
うるせえよ。別に何の問題もないだろ?
だっていまの俺は絶対に命を守らなきゃならない堅苦しい正義の味方なんかじゃなく。
ただの正直者の味方なのだから。