歯車は廻る
「あは、あはははははッ!!」
薄暗がりの中でけたたましい笑い声を上げるのは狂気に身を委ね、恍惚とした表情を浮かべていた、あの女性。
「これでよーっつ……。真っ黒、真ァっ黒……。みんな、みィんな真っ黒焦げ。お次はどこだったっけ?」
指を口に当て考え込む。
その様子はまるで明日は何をして遊ぼうかと考えている子どものように無邪気なもの。
「あ、そうだ!! あそこの角の果物屋さんだ!!」
待ちきれない、待ちきれない。
早く、早く。
何かを求めるように僅かながらに日が差し込む、板が打ち付けられた窓に向かって彼女は手を伸ばす。
「ああ……、でも駄目駄目。急いじゃあ彼の処に行けないわ」
彼女は彼女の目的のために自らを戒める。
個というべき彼女の妄執が、彼女の身体を押さえつける。
「もう少し、もう少し……。うふふ、あの人は私が会いに行ったら驚いてくれるかしら? 抱きしめてくれるかしら?」
口調も、仕草も。
やはり外見の年齢に見合ったものではない。
「楽しみ。とっても楽しみ。さぁ明日に備えて今日はもう休みましょう。――っと危ない危ない。明日はこの子の他にアナタも必要だったわね」
女は右手に黒い塊を、左手に銀色の小筒を掴み、初めて家の鍵を渡された子どものように大事に、大事に握りしめる。
「ああ……、お願いね? 私を彼のもとに連れて行ってね?」
彼女は同じ言葉を繰り返す。まるでそうしていれば願いが叶うとでもいうように。
ここで一つ、断っておこう。
彼女はすべて揃っている。欠損している部分など一つもない。
人としての身体も。
人としての感情も。
人が追い求める個も。
すべて不足することなくあの小さな身体に内包されている。それは間違いないし、事実そのように振る舞うことができている。
彼女を構成する歯車は回る。
何の問題もなく、何の不安もなく。
カラカラ、空々と、回り続ける。
だが、しかし。
だが、しかしである。
もし、その十全に揃ったパーツの中に異物が紛れ込んでいたとしたらどうだろう。その異物はたった一粒の小石でも構わない。
たったそれだけのことで歯車の動きは狂いだす。
そして一度狂いだした歯車は二度と自力では元に戻ることはできない。一回りする毎に狂いは大きく、取り返しのつかないものになっていく。
彼女を人間として定義するとして、彼女は未だ自らの歯車の間に挟まったその小石を認識していない。
その小石が自分を、自分の望みを狂わそうとしていることに気付いていない。
そして異物をその身に宿したのは彼女だけではなかった。
先に旧知の者との邂逅を果たした妖狐。彼女にも同じように、否、それ以上の異物が埋め込まれている。
歯車が小石を粉砕して正常に回り続けるか、それとも小石によって歯車が歪むのが先か。
いま、はっきりしていることは一つだけ。
どちらがどの未来を辿るのかは彼女ら自身を構成する部品の質次第であるということだけだ。
「たっだいまー。ええ子にしとったー?」
そろそろ日付が変わろうかという頃、漸く玖尾が調べを終えて帰還した。昼過ぎからずっと外をうろうろしていたにしては、やけに活き活きとしている。矢口阿嘉捜しに進展があったことが彼女に活力を与えたのだろうか。
「ああ、おかえり」
読みかけの本を懐にしまい、椅子から立ち上がろうとするが玖尾にそれを制される。
「構へんよ。そのまま座っとき。調査結果を報告すんのに時間はかかるんやから。それにウチに気ィも回さんでええ。こんな安宿の主やいうて畏まられんのも逆に何や恥ずかしいからなあ」
「そうか」
何だかんだと理由をつけてはいるが、実際のところこちらが気を遣われた結果になってしまったな。玖尾は恐らく私の状態に気が付いている。
ジェヴォルダンでメフィストとの同調率が上がったといっても命の残量が増えたわけではない。私の命という泉は既に枯渇寸前。
メフィストの力を使う際にはそこから命を無理に絞り取っているに過ぎない。襤褸雑巾を捩じって水を絞り出すように、強引に。
本来、私はジェヴォルダンで果てていた。命を使い切っていた。その命が少々残っているからといって、以前と同じように動ける筈もなく、足はふらつき、度々視界は翳む。玖尾の前では上手く隠しているつもりだったのだが、そんなことはお見通しだったようだ。
「……心遣い感謝するよ」
「んー? 何のことやろうなあ。ほれ、そんな訳のわからんこと言うてへんでしっかり聞いときや。二回は言わんで?」
「……ふ、承知した。では、頼む」
私は耳を傾ける。玖尾の発する言葉を一言一句逃すまいというように、只々静かにその声を脳に刻み込んだ。
そうして一時間ほど経っただろうか。驚くことにすべての情報を話し終えた玖尾はいそいそと自分の荷物をまとめだした。
「――行くのか?」
「ん? そりゃそうやろ。もうここに用はないし、ウチがここにおる意味もない。それに自分のおかげでやることも見つかったしなあ。ああ、そうそう心配せんでも明後日まで金は払てあるからゆっくりしていきや」
そう言いながら荷を詰め終えた、くたびれたバッグを背負い窓枠に足をかける。
「そうか。道中気を付けてな」
「ハッハー、おおきに。ほんなら自分も死ぬまで十分気ィつけ」
「……肝に銘じよう」
足に力を入れ、飛び出そうとする直前で彼女は思い出したかのようにこちらを振り返る。その目に宿るのは先ほどまでの柔らかな光ではなく、刺すような危険な光。
「……一応言っとくわ。ウチは椎那を見つけ出して阿嘉のことを聞き出したら殺す」
「……そうか」
「ウチは別にアイツのトコで使われてるからって自分らのことは嫌いやない。むしろずっとこうして気軽に話ができたらとも思っとる。でもな?」
私の身体を射るのは昼にあの男へ向けられたのと同じ純度の殺気。
「もし自分らがウチの邪魔をするんやったらそのときは殺す。塵も残さん。全力で焼き殺す。それだけは――覚えとき」
その言葉と殺気が消えると同時に玖尾の姿も闇の中へと溶けていく。もうここにいるのは私とメフィストだけだ。
「ああ、そうだろうとも」
既に消え失せた彼女に向かって静かに口を開く。
君はそれで良い。更に業を背負うだけの覚悟があるのならその道を進むがいい。だが、決して忘れるな。いつかそれを後悔して、やり直そうと振り返っても引き返す道は既に崩れ去っていることを。
「――さあ、では私も明日の準備をするとしよう」
私はとっくの昔に後悔した。
しかし、それでも進むとあの日彼の言葉で決心した。
だから私は今夜も命を狩ろう。
死を連想させるこの髑髏の仮面で喜悦に歪む顔を隠しながら。
日本代表二連勝おめでとうございます。どうも、久安です。
玖尾さんに寝返りフラグが立ちました。へし折れッ!!
とまあ、そんなことはさておき、皆様お気づきでないかと思いますが、本章『ハートブレイク』より大幅に文量を少なくしています。あまり長ったるくなると読む気も失せると思いましたので試験的に。ただそうするとやっぱり必要なことしか書けなくなるので、それはそれで面白くないのでは? とか色々考えが巡っております。ぐーるぐーると。
もしかしたら次章より元の量に戻すかもしれませんが、悪しからず。
参考までに……コンパトリオット→約8万字。
フェイタリティ →約7万字。
今回 →約6万字予定。
では次回予告のお時間です。
次回は3月6日 7時を予定しています。それでは、それでは。




