少女の強さと少年の弱さ
城塞都市ヴィンシブルは中央に領主の住居である城が聳え立ち、その居城を囲むような形で一般庶民の居住地が広がっている。イメージとしてはドーナッツのような形を想像してくれれば良い。つまり真ん中の穴に城が、生地の部分には居住区が存在しているということだ。
そしてその生地である一般住民の居住区は第一居住区、第二居住区、第三居住区というように三つに分割される。これらは特に身分や魔物の種族で分けられている訳ではなく、襲撃の際に統制が取りやすいという理由で分けられたものであるらしい。
残念ながら居住地の分割制度は現在専ら別の事に利用されているそうだが。
「成程ね、こうして三日ごとにそれぞれの居住区の住民をパーティーに招待してるってことか」
この街に住んでいる魔物、人間を全て城に招くというのは無理がある。到底入り切るものではないだろう。いま、俺たちがいる城に通じる道の上にいる住民だけでも相当な数なのだから。
「うわ~、人がいっぱい!! この街の中にこんなにいっぱいいたんだねー!!」
興奮した様子でイアが目を輝かせる。
頼むから、俺と半同調した状態で走り回るなよ? 引き摺り回されるのは御免だ。
「この辺りじゃあ、この街は大きい方だからね。それに昔と違って魔物も一箇所に一族が固まって住むようになったし」
他の住民同様、城を目指して歩を進めつつ、ラフィルナは言う。
「ん? 昔と違って、ってことは昔はこんな暮らしはしてなかったのか?」
「うん。聖領と魔領に分かれてた頃の魔物は王族を除いて、単独で生活していたそうだよ。いまみたいに家族で一つの家に住むなんて考えられなかったんだろうね」
魔物ってのは随分とハードな生き方をしていたんだな。集団で生きていくことが浸透してる人間とは文化が違いすぎる。
だが、きっとその生き方が成立していたのは魔物が強い肉体を持っていたからなのだろう。単独で生き抜く力がないから人間はコミュニティを形成する。そうすることで俺たちは生きる力を得ているのだ。
「そうだ、家族っていえばラフィルナの家族は? 家にもいなかったけど、出稼ぎにでも行ってるのか?」
「出稼ぎ!? 出稼ぎってアレだよね!? 北の五郎が内地に行ってお金を稼ぐアレだよね!?」
それはオマエがこないだ見たドラマの話だろ? 別に五郎に限った話じゃねえよ。一郎も二郎も三郎も出稼ぎに行く可能性は無限大だよ。
ともあれラフィルナの家に複数の寝室があったということは、家族の誰かが住んでいるということなのだろうが、これまで一度もその姿を見ていない。世話になっている身としてはちゃんと挨拶をしておきたいのだが。
「あはは、そうだったら良かったんだけど」
俺のその問いに、困ったような笑顔を浮かべる。そしてその笑顔を見た瞬間、自分の迂闊さを呪いたくなったことは言うまでもない。
「おとーさんも、おかーさんもいないんだ、もう。戦争に連れていかれて死んじゃった」
「…………悪い」
「うーん、謝られても困るんだけどなあ。確かに悲しかったけどいまはそうでもないし。みんなよく遊びに来てくれるしね」
彼女のその言葉に嘘はない。心の底からいまはもう悲しみはないと、そう言っている。俺が本心だと感じた以上、それは疑いようもない事実だ。
彼女の心に悲しみはない。なら――
「恨みもないのか?」
自分が踏み込んだことを聞いているのは分かっている。たかが一日程度の付き合いの人間にこんな風に土足で踏み入られては良い気分ではないだろう。
だが、俺は聞きたくて仕方がなかった。
俺もラフィルナと同じく両親を亡くしている。戦争で、ではなく事故によるものだが、当時は俺は事故を起こした相手を恨みもしたし、憎みもした。正直そういった感情は薄れてはいるが、事故を起こした人間を赦せるかと言われれば答えはノーだ。例え全ての事故や戦争の原因が禍渦であっても、そんなこと出来るとは思えない。
「戦争に行くよう命じた領主に恨みはないのか?」
だから俺は知りたい。
この少女が俺と同じなのか、それとも違うのかを。
しかし、俺が勇気を絞り出して口にしたその質問に対する彼女の回答は至極あっさりとしたものだった。
「ないよ」
「ないの?」
イアが思わず目を丸くする。この少女、話を聞いていないようで実はしっかりと聞いていたらしい。
「うん。あのとき、ストラ様がそう命令しなかったらきっとこうしてみんな笑えてなかったと思うから。おとーさんと、おかーさんが戦場で兵士のおじさんたちを治さなかったら、いまはなかったから」
七、八歳の少女とは思えないその強い言葉と眼差しに圧倒される。自分の幸せだけでなく全体の幸せを見ることのできる強さ。過去ではなく、未来を掴める強さ。
その強さは過去や嘘に縛られている俺にとって眩し過ぎて。
決してそうはなれない自分が酷く小さく思えて。
俺はそれ以上何も言えなかった。
「それにストラ様がお優しい方だからかな」
「優しいの?」
イアが意外、というように呟く。
確かにニキーノとラフィルナの話だけ聞いていると統治者としては有能だとは思うが人情に厚い人物であるようには思えない。情よりも効率を重んじる印象を受ける。
「うん、とっても。だって――」
ラフィルナが何か言おうとするがそれは大地の鳴動によって遮られる。彼女の顔から視線を逸らし、城の方へ目を向けるとそこには徐々に開かれていく城門があった。
「……どうやらそろそろパーティーがおっ始まるみたいだな。早く行こう」
その言葉と同時に、俺は城を目指して足を速める。
まるで何かから逃げるように。
ストラ=ユーストマットの住まう城の内部は想像以上に質素なものだった。どこぞの夢と希望の国の中にあるような豪奢な装飾品は少なく、無駄なものは徹底的に排除されている印象を受ける。
ただ、質素だからといって品がないとかそういうことではない。俺たちが通された大広間に並べられた食器や燭台には細やかな細工がなされており、そのどれもが一級品であることが俺にすら理解できた。
「頼人、もう良い……?」
俺の隣にいる肉食獣はどうでも良いようだが。この子はその食器の上に盛り付けられた食べ物にしか興味はないのだろう。
「まだダメ。っていうか涎拭けよ、みっともねえ」
「うう~~~~~~~~(ゴシゴシ)!!」
「おまっ!! 俺の服で拭くなよ!!」
「二人ともストラ様がご挨拶されるから静かに!!」
そんな風にイアと馬鹿をやっていたらラフィルナに怒られてしまった。これではどちらが保護者としてついてきたのかわからない。とは言っても俺の目的は別にあるのだが。
ともあれラフィルナの言う通り、壇上に上がった人物の素晴らしい演説でもお聞かせ頂くとしよう。
『皆、今宵はよく来てくれた。旅の者もいることと思うので改めて名乗らせてもらおう。私はストラ=ユーストマット。この地を統括する者だ』
凛としたその声はマイクも使われていないのにも関わらず大広間に響き渡り、聞く者の心を引き締める。そして彼女の燃えるような真っ赤な髪と眼、整った顔立ちは見る者の心を掴む。
俺というただ一人を除いて。
彼女の澄んだ声だけでなく、手を掲げる仕草でさえも。
その全てが吐き気を催すほど不快で仕方がない。
ドメニコの魔女っ子ポーズよりも酷いとさえ思える程に。
(頼人、頼人)
不快感を堪えていると隣にいたイアが俺の服の裾を引っ張ってきた。
(……何だ? まだ食うなよ)
(違うよ!! えっとね――ってうわっ!! 顔怖いよ、どうしたの?)
(……気にしなくて良い。嘘だらけの領主様のご登場で吐きそうになってるだけだ。それよりどうした? 何かあったのか?)
(う、うん。それでね。見つけちゃった)
(……何を? 好物?)
(だから違うってば!! ほら、あの人!!)
頬を膨らませて、イアが抗議の意を示す。
あ、ちょっと可愛い……か?
(あの人から禍渦の気配がするんだよ!!)
イアが指差したのは誰あろう、いまも民に向けて声を発するストラ=ユーストマットその人であった。