第55回戦 ドS魔王降臨
わたしは耳を疑った。
◆第55話 ほっぺた以上くちびる未満
『………は?』
「だから、舐めろよ」
向けられた言葉と、目の前に差し出された靴。
停止しかけた思考を働かす。……ああ、そういうことね。舐めろか、うん。
『って、なんでだよ!』
「この単細胞に勉強を教えて下さい青海様、って言って俺の靴を舐めたら、この天才が全教科80点以上とれるよう教えてやるよ」
うぉぉぉぉぉ!!いつにも増してドSだ!
そうだ。コイツはこういう奴だった。わたしにタダで教えてくれるはずがない。
ギブアンドテイクどころか、更なる利益を求める。
「ほら、どうするんだよ。別に強制はしねぇぜ?お前が10点とろうが20点とろうが、俺には関係ねぇし」
つま先でわたしの顎を掬いあげる。ちょ、喉に刺さってるんだけど。痛いんだけど。
(なんて外道なんだ……!)
わたしがコイツの靴を舐める?いや、さすがにそれは人としてのプライドが許さない。
しかし少し舌を伸ばせば、万々歳の成績。みんなを見返すことができる。翔兄に褒めてもらえる。
尊厳か、成績か。
『───やっぱり無理ィ!悪いがわたしはS寄りの人間なんだ!』
そう叫び靴を振り払えば、青海は小さく舌打ちした。
「ふぅん?いいんだな、それで?」
『流華か幸希に頼むもん!』
「……あの女はともかく、幸希は自分の勉強で忙しいだろ。お前に教えれる余裕も頭脳もねぇよ」
『オイオイ。何気ひどいこと言ってるぞ』
「幸希がテストの点が良いのは、かなり勉強してるからだ。あれは秀才、俺は天才」
『言いきったな……』
その自信はどこから来るんだ。天才だから、努力する必要ないってか?ムカつく。
幸希も頭良いけど、さすがにA組の子たちには負けてるしな。まぁ、運動神経抜群だから。
「で、舞?」
『あんだよ』
「本当にいいのか?葉月流華で。理数系の奴が文系の奴に理解させるのは至難の技だぜ」
『お前だって理数系だろうが』
「俺はそんなの関係ないくらい天才だからな」
そう言って、またもや靴をわたしの頬に擦り付ける。
ぐっ、確かに前も流華に教えてもらったとき、流華はかなり困ってたな。
「ほら、どうするんだ」
『だ、だから。そんな真似はしたくないって!』
「……ふーん」
しゃがみこみ、わたしと同じ目線の高さに合わせる青海。
冷めた瞳は、相変わらず感情が表れていない。だから、こんな風にジッと見られても不快だ。
「舞」
『な、なに───んぁ!』
手を伸ばされたと思ったら、唐突に指を口内に突っ込まれた。
『はひふんほひゃ!』
「噛むなよ」
『ん、ひゃ…!』
人指し指が歯列を、親指が唇をなぞる。くちゅ、という水音が響いた。
青海の空いてる左手は、わたしの首筋にあてがい、軽く爪をたてている。
どこを見ればいいのか分からなくて、視線があちこちに泳いだ。目が合わないよう、前だけは向かない。
(なにがしたいんだ…!)
まったくもって理解不能。この行為になんの意味があるのだろう。
だって、青海の指は唾液で濡れるしわたしはただ苦しいだけだし。おかしいだろ、うん。
っていうか、コイツってもっと潔癖症じゃなかったっけ?雑菌が…とかなんたらかんたら言いそうなのに。
『ん…く……』
苦しさに、生理的な涙がにじんだ。
指は上顎を撫で、舌に触れる。指の腹で愛撫したと思ったら、ひっかかれて。
わたしは青海の胸を押し返してるけど、まるで無意味だ。だって、力が入らない。
生き物のようにうごめく指。苦しいけど、痛くない。くすぐったくて、もどかしい。気持ち悪いようで、気持ちいい。
(…………は?)
わたしは今、なんて思った?気持ちいい?誰が?何で?
(有り得ねェェェェェ!!)
「ッ!」
青海が小さくうめき、指を勢いよく引き抜いた。その指からは、赤い雫がぷっくりと浮き出ていて。
にじんだ血を舐め、彼はわたしを強く睨んだ。
「噛むなって言っただろ」
『う、うるさいやい!アンタが変なことするからじゃん!』
口からこぼれた唾液を拭い、そう叫ぶ。体がすごく熱くて、赤面してるのが自分でも分かった。
穴があったら入りたい気分だ。
青海はしばらくわたしを見ていたが、不意に立ちあがる。その際に腕を引かれ、わたしも無理矢理立たされた。
掴まれた腕が、痛みに悲鳴をあげている。
「つまらない」
そう青海は呟いて、
『な……』
わたしの頬を舐めた。
ボンッ、と頭が沸騰する。頬に触れた、一瞬の冷たさ。
固まって動けないわたしを置き去りに、彼はわたしの横をすり抜ける。
後ろで扉の閉まる音が、大きく重く響いて。
『…意味分かんない…』
わたしはコンクリートの上、大の字に寝転んだ。




