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市原香純の未来観測  作者: 東雲涼
一章:家族錯誤からの脱却
7/13

6:寄り添う時間

 優香が着替えを取りに寝室に入ると、部屋の照明は落とされて、枕元のランプだけが点いていた。

 その薄暗い室内で、窓際に長身の立ち姿を見つけて、彼女は小さく笑った。

「あら、まだ起きていたのね?」

 先に休むと言っていたのに。

 声を掛けると、海里は顔だけをこちらに向けて、目を細めたようだった。

「――優香も。ずいぶん遅くまでかかっていたな」

「少し思い付いたことを書き出していたら、つい時間をとられてしまって。……海里は?」

「考え事をしていた」

「子供たちのこと?」

「――あぁ」

 海里は短く答えると、窓から離れてベッドに腰を下ろした。

 その口調から、悩んでいるという訳ではなさそうだと優香は思った。少し想定外ではあったかも知れないが。

 クローゼットの中から着替えを取り出しながら、明るい声で言う。

「大丈夫。あの子たちは、わかってくれるわ」

「そうだな。……優香のおかげだ」

 思わぬ言葉に、着替えを抱えたまま、優香はキョトンとする。

「私の? 私は何もしてないわ?」

 話すのが遅いと香純に文句を言われたくらいだ。

「そんなことはないだろう。あの子たちを育てて来たんだから。二人とも、母親想いの優しい子だ」

「……ええ」

 改まって言われると面映ゆいが、海里が穏やかに微笑んでいるので、優香も素直に頷いた。

 海里は、立ったままの優香に無言で手招きをした。

 誘われるままに隣に腰を下ろすと、海里は微笑みを引っ込めて、生真面目な顔で視線を落とす。

「本当なら俺が受け持つはずの分を、結果的に放り出してしまって、優香には負担を掛けてしまった。今更こんな事を言っても遅いのは分かっているが……すまなかった」

「――その事については、私も貴方に謝らなくちゃいけないわ」

 頭を下げた海里に、優香は困ったように笑ってそう返した。

 海里は怪訝そうな顔をする。謝るような事など何もないだろうと思っているのがありありとわかる。

 そんな海里を横目に、優香は今までの出来事を思い出して、クスクスと笑った。

「あの子たちったら、一人で歩けるようになったら、いっときもじっとしていないのよ。二人だったから、遊び相手には困らなかったけど、仲良く遊んでいたと思ったら、転げ回って喧嘩して、どこかぶつけて同時に泣き出して、そのうち電池が切れたみたいに眠って……それの繰り返し」

「それは、大変だったな……」

 優香が話し出したのは、香純と鳴海が幼稚園に上がった頃の話だった。

 苦労話を聞かせたい、ということにしては、優香の口調はとても明るい。

「鳴海が熱を出したと思ったら、香純は転んで怪我をするし、香純がはしかになったら、鳴海は水疱瘡にかかるし。毎日毎日、違うことをしでかして、次は何をされるのか、ハラハラしたわ」

「……」

 話の意図が分からずに、海里が黙り込んでいると、その顔を覗き込むようにして、優香はにっこりと微笑んだ。

「でも、とっても楽しかった。壁から床まで落書きされたときは眩暈がしそうだったけど、楽しそうに笑われると、もう何でも好きにして頂戴って。それに、天使みたいな寝顔を見たら、もう何でも許せるような気になったわ。二人並んで寝ているところなんて、もう最高に可愛かったんだから」

 それは、海里も知っている。優香がその様子を写真におさめて、手紙と共に送ってきたからだ。

 もちろん今でも可愛いけど、と付け加える優香だが、純粋な愛らしさという点では確かにその頃が一番だっただろう。

「あの子たちと一緒に暮らしていると、小さいことで悩んだりしている暇はないのよ。心配もさせられたけど、あの子たちはどんどん大きくなっていって、楽しいことや嬉しいことを次々に見つけて来るのだもの」

「……優香……」

「そういうことがあるたびに、本当なら、海里も一緒にこの喜びを味わえたはずなのにって、思ったのよ。私が単身赴任に反対していたら、無理にでもついて行っていたら、って何度も考えたのに――結局私は此処を動かなかったの。……だから、ごめんなさい」

 いかに納得がいかなかろうと、海里の決定に従ったのは優香自身の判断だ。それが、貴重な時間を奪うことになってしまったことを、彼女はずっと気にしていたのだ。

 静かに俯く優香の肩に、海里はぽんと手を乗せた。

「さっき自分で言ったことを忘れたのか? それは、俺が決めたことだ」

「でも……」

「それに、まだ終わったわけでもない」

「……そうね」

 戻せない時間を惜しむよりも、これからの事を考える方が良いと海里は考えていた。実際、そちらの方がずっとエネルギーを必要とするのだ。

 それは、異動後の部署で任せられる業務よりも、ずっと難しく根気の要る仕事になるだろう。

 何せ、自分の中にノウハウが殆ど無いうえに、既に手強い雰囲気を見せつけられている。

「鳴海は、俺に言いたいことが山のようにあるそうだぞ。あれはさすがに男の子だな。無意識に、二人を守ろうとしてる」

「守るだなんて、そんな。まだ学生なのよ?」

「男ってのはそういうものさ。子供だろうが、関係ない。自覚の問題だよ」

「……そういうものかしら」

 優香がピンと来ないといった風に首を傾げるのは、言いたい事があると言い切ったときの鳴海の目を見ていないからだ。

 敵意ではないものの、対抗しようという意思がはっきりと見て取れた。何を争うつもりなのかは、その後に続いた会話で、おぼろげにではあるが感じ取ったつもりだ。

「香純は、あれだけでよく納得したもんだな。もっと不審がってもおかしくないのに」

「あの子は、自分の直感を信じる方なのよ。……あの話、気にしているの?」

「多少はな。親としては情けない話だが、自分の蒔いた種だ。足が生えていれば、幽霊ゴーストだとは思わないだろう」

 物にも触れるしな、と言う海里に、優香は小さく笑った。懐かしい映画のワンシーンが脳裏を掠める。

「どちらにしても、もし俺が逆の立場なら、あんなに和やかに話なんてできなかったと思うよ。むしろ、手が出てもおかしくない」

「海里ったら。そんな怖いこと、するわけないわ。あなたも、あの子たちも」

「……それは、優香のおかげだよ」

 もう一度、それが正しいことを確認するように繰り返された言葉に、優香は不思議そうな顔をした。

「香純も鳴海も、優香のことが大好きで、信頼しているんだ。それこそ、問答無用にな。だから、あんなに落ち着いていられたんだろう」

「そう、なのかしら」

 確信が持てないでいる優香に、海里は深く頷いて見せる。

「俺自身を認めたのとは少し違うが、まぁ、それはこれからだ」

「……ええ」

 まずは一日、そして後に続く日々のなかで、積み重ねて行ければいいのだ。

 少なからず努力が必要だが、離れていた年月のことを思えば、何ほどのことでもない。

 そんな決意を滲ませる海里を、優香はそばで見つめてほっとしていた。

 香純がすっとんきょうな声をあげた――ついでに足の上に物を落としたときには、どうなることかと思ったが、なるようになりそうだ。

「しかし……少し妬けるな」

 ぼそりと呟かれた声を聞いて、優香は思わず微笑んだ。

 決意とは別に、やっぱり子供たちとの距離が開いてしまったのが寂しいのだろうと思って、海里を慰める。

「大丈夫よ。あの子たちは昔から人見知りしなかったし、すぐ海里とも仲良くなるわ」

「違う。逆だよ」

 逆とはなにか、すぐには分からなかった優香は小さく首を傾げた。

 どういう意味かを問うたつもりだったが、気にしないで良いとはぐらかされる。

「そういえば、風呂に入ろうとしてたんだろう? 引き留めて悪かったな」

「あら、内緒にするつもりなの?」

 あんなところで話を終わりにされたら、気になって仕方がないではないか。

「口で言うのは、ちょっとな……」

 歯切れ悪くそうぼやく海里を、優香はひたすらに見つめ続けた。

 そうしていると、向こうが折れる確率が高いことを知っているからだ。

 案の定、いくらも間を置かずに観念したようなため息が聞こえる。

「……じゃあ、ヒントだ」

 そう言うと、身を乗り出して優香の頬に素早く口付けた。

 リビングでのそれと同じ場所に触れた感触に、彼女は目を丸くする。知りたい事を悟ったのは良いが、優香にとっては意外な答えだったのだ。

 元の位置に戻ってきた顔には、微苦笑が浮かんでいた。

「――子供みたいだわ」

「こればっかりは、仕方ない」

「海里が張り合うことなんてないのに」

「それ、確かめてもいいか?」

 海里の表情がわずかに変化する。

 さすがに今度は、何を言われたのかすぐに理解できた。自分に向けられた瞳から、困ったように目を逸らす。

「少しだけ、待っていてくれる?」

「もちろん」

 彼が頷くのを見て、優香はにこりと微笑んだ。

 着替えを手に寝室を出て、バスルームへと向かう。“少しだけ”と言ってしまったので、心もち足を急がせて。

 洗濯物を籠に入れ、身体を流して髪を洗い、湯船に浸かって手足を伸ばす。その間、ずっと頭の中で考えていた。

(あんなふうに言われたこと、今まであったかしら)

 出会った頃のことから、やり取りした手紙の内容まで、一通りの記憶を探ってみたが、やはり覚えがない。

 いつもなら30分はゆっくりとするところを、早々に湯船から上がった。

 鏡の前で髪を拭く自分を、少し冷静になって観察する。

(お互いに、少しだけ変わったのよね。だから、わからないことも増えたんだわ)

 優香は、ようやくそれを自覚した。そして、海里も同じことを感じたはずだと思う。

 長いこと放って置かれた二つの時計が、次第に指し示す時間を違えていくように、今の二人にはいくらかの食い違いがあるのだろう。

 時間を取り戻す必要があるのは、親子の間だけではなかったようだ。



オトナたちのターン、でした。

年齢的にどうなのと思いつつ、、こういう人たちがいてもいいかなと。


次からはもう少し学園モノっぽくなる、予定、です。


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