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市原香純の未来観測  作者: 東雲涼
一章:家族錯誤からの脱却
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9:食卓の魔法 ひみつの宝箱


 今晩のメニューは、鰯の梅干し煮と蓮根のきんぴら、大根と水菜の和風サラダに豆腐とワカメの味噌汁だ。

「香純、ご飯もう一膳いるでしょう?」

「――うん。お母さん、この鰯のやつ、まだある?」

「あるわよ」

 二杯目のご飯と追加の煮付けをよそって貰い、香純は再び食事に取り掛かった。

「海里、もう少しいかが?」

「もう十分だ。旨かったよ」

 さり気ない賛辞に、優香はよかったわと微笑む。

「鳴海は?」

「おれも、もう腹一杯。ごちそうさま」

 鳴海が立ち上がって皿を下げるのを手伝っている間も、香純は鰯を頬張っていた。

 斜め前に座っている父は、家事には手を出そうとせずに、食後にと出された緑茶に口を付けながら、香純がおかずを平らげるのを見守っている。

「香純は、よく食べるんだな」

 素朴な感想、という様子の父の言葉に、香純はもう少しで魚を喉に詰まらせそうになった。

「テニスで沢山走るから、お腹が空くのよね」

「香純はテニス始める前から大食いだったよ」

「ちょ……鳴海っ!」

 せっかく母がフォローしてくれたのに、即座に入った余計な一言で真実が明るみに出る。

 なにもすぐにバラさなくてもいいじゃないかと、赤くなって抗議の声を上げるが、鳴海は涼しい顔で受け流した。

「この前もプリン一つで大騒ぎしてたし」

「――プリン?」

「あれは鳴海が悪いんでしょー! あたしのだったのに勝手に食べるから」

「――香純が行列に並んで買ってきたプリンの、最後の一つを、鳴海が食べちゃったのよ」

「その前に二つ食べてたよな」

「――そんなに珍しいものなのか?」

「あれは、プレーンと抹茶! 三つずつ買ってきたの! 鳴海にもあげたでしょ?」

「――雑誌に載った人気のお店のプリンで、作ったそばからすぐに売り切れてしまうんですって」

「じゃあ、残ってたのは母さんのじゃん」

「――それは凄いな」

「あ・た・し・が・貰ったの! 食後のデザートに取っといたのに……」

「――珍しく朝早くに起て何処に行くのかと思ったら、お昼にプリンを持って帰って来たのよ」

「店は分かってんだから、また買ってくれば良いだろ」

「――それでか。……昨日も思ったが、いつもこんな調子なのか?」

「簡単に言わないでよ。二時間半も掛かったんだからね?」

「――そうよ。賑やかでしょう?」

「並んだのは一時間って言ってなかったか?」

「――確かに。退屈だけはしないな」

「往復も入れて二時間半! 紅葉と一緒に並んで、やっと買えたんだから――」

 拳を震わせて力説していた香純は、はっと気が付いて口を噤んだ。

 二人の低レベルな口喧嘩を面白そうに眺めている父の姿に、急に気恥ずかしさが込み上げて来る。

 そういえば、鳴海との口論の裏で、物凄く和やかな副音声が流れていた気もする。

「なんだ、喧嘩はもう終わりか?」

「喧嘩じゃないって」

 一方的に非難された鳴海は憮然として呟いた。母が洗った食器を一つずつ拭きながら、いつまで根に持ってるんだよと口を尖らせる。

 香純はまだ言い足りなかったのだが、鳴海への文句の残りは、煮付けと一緒に喉の奥に飲み込んだ。

 女子にしては大食いだが早食いではない香純は、大体最後まで食べている。香純が食べ終わるまでの間に鳴海が後片付けを手伝い、香純は食べ終わったら鳴海と交代するのが暗黙の了解だった。

「ほんと、それだけ食ってよく太らないよな?」

「ちゃんと消費してるもん」

 得意気に言って、ご飯を一口ぱくりと食べる。

「毎週部活で練習してる時間を合わせたカロリー消費量なら、夕飯はお代わりするくらいでちょうどいいの」

「おぉ? やけに具体的」

「保健体育の教科書と食品成分表見て計算したもんね」

 それはつまり、ちょっと気にしていたということである。「食いしん坊」と言われ続けただけあって、食べる量が他人ひとより多いことは自覚しているのだ。

 落ちの付かない応酬を続ける子供たちに、母が穏やかに言う。

「そんなこと、気にしなくても大丈夫よ。香純はよく運動してるし、まだ成長期なんだから」

「うーん、そうかな……?」

「成長期ってのは、もうそろそろ過ぎてるんじゃないの?」

 子供たちから疑わしげな声が上がるが、母はもう一度、大丈夫よと言った。

「ダイエットが必要だと思ったら、私がちゃんと言ってあげるから」

 だから、安心して沢山食べなさい、と言われれば、香純には全く異存はない。

「その方が、変なダイエットされるより、ずっと安心だわ。ねぇ?」

 そう思うでしょう、と同意を求められた父は、大きくゆったりと頷いた。

「どのみち、その手の心配は要らないだろう」

 笑みを浮かべて断言する。そこまできっぱり言い切られると、逆に不思議に思えて、香純はなぜそう思うのかと聞いてみた。

「見れば分かる」

 箸を握って首を傾げている香純と、布巾でコンロの回りを丁寧に拭いている母の後ろ姿を順に見遣っての、簡潔な一言。

 何がどう分かるのか、香純には全くピンとこなかった。


  ・ ★ ・


 お風呂を使った香純が髪を拭きながらバスルームを出ると、書斎のドアが半開きになっていて、明かりが漏れていた。

 中からは、少しの話し声と、何か物を動かしている音がしている。

 何事かとドアの間から覗くと、壁際に昨日はなかった段ボール箱が四つほど並んでおり、父がその中身を取り出しては棚に納めていた。

 隣には母もいて、こちらは別の箱から衣類を取り出して仕分けている。丁寧に畳んだそれを重ね持ち、しまいに行こうとして、ドアの外に立つ香純の存在に気が付いた。

「あら香純、どうしたの?」

「何してるのかなって」

「アメリカから送ってきた荷物を片付けてるのよ」

 言われてみれば、母が抱えている衣類は男物のようだ。昨日も、香純が父に荷物はこれだけかと聞いたときには、“今のところ”と言っていた気もする。

 しかし、一人暮らしだった事を差し引いても、並んだ荷物はかなりコンパクトだ。

「これで全部なの?」

「そうだよ」

 使っていた食器や家具類はすべて向こうのアパートメントに置いてきた。その他、嵩張るものはできるだけ知り合いに譲り、貰い手のつかなかった物は処分している。

 転勤続きでプロ並みの腕になったと冗談を言っていたが、それはどちらかというと、自分の身の回りをシンプルに保つ方に向かったらしい。

「手伝ってもいい?」

「折角洗った髪が埃だらけになるぞ」

「平気、へーき」

 軽く答えた香純は、手がついていない箱のそばにしゃがみこんだ。

 封をするように張られた荷札とテープをひっぺがし、蓋を開けて中を覗き込む。

 出てきたのは冬物のスーツやコートなどだった。それぞれが少し嵩張るぶん、箱一つといってもやはりそう多くはない。

 母が寝室のクローゼットから持ってきたハンガーに、出てきたコートを掛けて、とりあえず書斎のコート掛けに下げる。

 そうして衣類を粗方出してしまうと、箱の下の方に、別の何かが入っているのが見えた。

 引っ張り出してみると、大きめのクラフトボックスが二つ、上着で目隠しするように仕舞い込まれている。

 これだけ簡素に纏められた荷物のなかで、その箱は少し浮いて見えた。

 ちらりと父の方を窺うと、別の箱から取り出した洋書を本棚に並べている。香純からは背中しか見えない。母は着替えを仕舞いに寝室に行っている。

 香純はそっとクラフトボックスの蓋を持ち上げてみた。

 中に入っていたのは、沢山の手紙だった。エアメールを示す赤と青の縁取りの封筒が、何通かごとに束ねられて、ぎっしりと収まっている。

 もう一つの箱の蓋を開けてみると、こちらの中には手紙の他に、プラスチックのクリアファイルが見えた。大きさからして中身は写真に違いない。

 香純は興味本意でそれを引っ張り出した。ぱらりと表紙めくってみると、少し色褪せたそれに写っているのは幼稚園生の頃の自分と鳴海だ。

 昨日、鳴海が予想していた通り、母は何も言わずに手紙と写真を送っていたようだった。

 小学校の入学式や、誕生日のケーキを前に撮った写真。節目ごとに二人の様子を写したそれが、ファイルに順番に収められている。当然のように、その殆どは見覚えのあるものだ。

 最後までめくっていくと、一番後ろの写真は今年の正月に初詣で撮った写真が入っていた。三人揃って和装になった記念の一枚だ。

 その一つ前のポケットは空のままで、そのさらに前は、中等部の卒業式で紅葉を交えて撮った写真だった。

 香純は首をかしげた。ここまで几帳面にファイリングしてきたのに、急に一つ飛ばすとは考えにくい。

 空になったポケットの中身はどこにいったのだろうと、クラフトボックスの中を覗き込む。

「あら、晴れ着を着た時の写真?」

 突然に背後から声を掛けられて、香純は飛び上がるほど驚いた。

 心臓をばくばくいわせながら振り替えると、いつのまにか寝室から戻ってきた母が手元を覗き込んでいる。

「みんな揃って着物を着たのなんて、七五三以来だったわね」

「そ、そうだね」

 香純は生返事をしてクリアファイルを閉じる。

「面白い写真は見つかったか?」

 こっそりアルバムを見ていたのは、父にもばれていたようだ。

 背中を見せていたはずの父は、いつのまにか細々としたものを机に積み上げ、一つずつ引き出し移動させている。

「お父さんの写真かなと思ったから……」

 すこし後ろめたいのも手伝って、言い訳じみた香純の言葉はだんだん尻すぼみになる。勝手に中身を見られたら、誰だって好い気はしないだろうと思ったからだ。

 しかし父は、少し小さくなる香純を見て事もなげに言った。

「無くはないけどな。見ても面白くないぞ?」

「見たい! 見せて!」

「物好きだな。確かこっちに――」

 無駄に勢い込む香純に、父は少し眉を上げて見せたが、それ以上は特に構う様子もなく、手元の箱をかき回した。その手はすぐに目的のものを見つけ出し、香純の目の前に差し出す。

 手渡されたそれは、香純が見つけたものと同じような質感のクラフトボックスだったが、サイズは半分以下だった。それに、傾けると中でカタコトと音がする。

 渡してくれたのだから見ても良いのだと判断して、香純はそれを開けてみた。

 中身は確かに写真だった。振ったときの音は、箱の中に直接放り込まれているそれが滑った音のようだ。

 上から一枚ずつ見ていくと、撮影場所は何かのパーティ会場だったり、小奇麗な店舗の中だったり、屋外での昼食会のような場面もある。

 手を変え品を変えの雰囲気だが、それらに共通する特徴は、登場する人物の半数以上がスーツ姿の男性だということだ。そういう写真の場合、女性も比較的かっちりとした上下を着ている。

 当然、それに写っている父もスーツ姿が殆どだ。リラックスした雰囲気の写真もあるが、圧倒的に数が少なかった。

「オジサン率高い~。これって、お仕事関係?」

 香純が聞くと、父は苦笑してそうだと答えた。

 取っておいたくらいなので、良く知った相手との写真ばかりだが、かと言ってプライベートでも親しい友人と言う間柄でもない。

 帰ってくる前に処分しても良かったのだが、いざ捨てるとなると少しためらわれたらしい。写真は時々そういう不思議な力を発揮する。

 そんな事を話しつつ、父の手は止まらず机の上を整頓していた。母もてきぱきと服を片づけていて、サボっているのは香純だけだ。

「……」

「面白いか?」

「んー、ねぇ、この人ってだれ?」

 黙々と写真を見ていた香純は、写真を裏返して父に見せ、一人の女性を指差した。

 お仕事モードな写真の中で、父の隣や後ろに立っているのが何枚か見えたのだ。

「ああ、彼女はミズ・アーヴィングだ。向こうで秘書をしてくれていた」

「え? 秘書?」

 自慢じゃないが英語のヒアリングにはさっぱり自身のない香純は、“Miz. Irving”と言った父の発音が人名だとは思わなかった。続く言葉でそうと気付いたが、それはそれで新たに疑問ができる。

「秘書って、社長秘書とかの、秘書?」

 無駄に何度も確認する香純に、父はそうだと軽く答える。

 秘書がサポートつくような立場といえば、やっぱり会社のトップか、それに近い役職だと香純は考えた。それは多分アメリカでも同じだろう。

「……もしかして、偉いの?」

 上目使いに漏らされた疑問符に、父の手がぴたりと止まった。背後から小さく噴き出す声が聞こえる。

「――優香」

「ごめんなさい。悪気は無いのよ」

 謝りつつも、やっぱり少し笑っている母の声と、仕方ないと言わんばかりの父の表情に、香純は自分が何か不味いことを言ったらしいと悟る。しかし、どこがどう不味かったのかはわかっていない。

「変なこと聞いた?」

「いや……そうだな。アシスタントが必要な立場だったのは確かだ。それを言うなら優香にも秘書がいるだろう」

「あ、そっか。そうだよね」

 母も華いちに出勤すれば社長と呼ばれる身である。先代の頃には社長秘書は居なかったそうだが、優香が社長に就任した後、他の役員の勧めで今は秘書を一人置いているのだ。

 優香は自分が引き合いに出されるとは思っていなかったが、香純が納得して頷くのを見て微笑んだ。

 香純は父の肩書きをランキングして頷いた訳ではなく、それは自分との関係には影響がないのだと理解した。海里が伝えようとしたのも、まさにそのことだ。

 自分がコメントするとしても、同じことを教えただろうと優香は思った。二人の間で意見が一致していることを確認できて、安心と穏やかな喜びが自然と頬を緩ませる。

 香純はそんな母の心の内には気付くことなく、手の中の写真たちをじっと見つめた。

 父の写真を見たかったというのは本当だ。父が今までどんなことをしてきたのか興味があったし、それには写真を見た方が、話だけを聞いたときよりもずっと現実として感じられる。

 それとは別に、香純はあのファイルから欠けている一枚を探していたのだ。

 こちらに紛れているのかと思ったが、結局この中からは見つからなかった。もう一度始めからめくってみるが、当然結果は同じだ。

 父は静かになった香純に構わず、空になった箱を解体して畳んでいる。箱一つ分の中身は、本棚の一角や机の引き出しに収まり、もうどれが追加されたものか、ぱっと見には分からない。

 捜索を諦めて、写真の束をクラフトボックスに落とし込んだ香純は、皮張りの手帳のようなものが、机の上に伏せて置かれているのに気がついた。

 それに手を伸ばしたのは、たぶん無意識の行動だっただろう。

(――あった)

 うっかり声に出しそうになって、香純は無理矢理息をつめる。

 皮張りのそれは手帳ではなく、見開き型のフォトスタンドだった。

 左側の、楕円に切り取られた窓の奥に収まっているのは、少し色褪せた男女のツーショット。写っているのは、若い頃の――今よりは、という意味だ――両親に間違いない。

 そして、右側のフレームに入っているのは、高等部の入学式で、校門の前に済ました顔で並んでいる香純と鳴海の姿だった。

 あのクリアファイルに入っていた写真の並びから考えて、一つ空いたポケットに収まる写真はこれに違いない。

 フォトスタンドはこれ一つだけのようだった。左側の写真は、渡米した当時からこのままで、右側だけを、母が送った写真の中から、一枚を選んで差し替えていったのだろう。

 香純は机の上のクラフトボックスに入った写真と、足元の箱の中にあるクリアファイルを交互に眺める。

 別々の入れ物。フレームの右と左。

 遠く離れた暮らしと、別々に流れる時間。

 父が意図してそうしたとは思わないが、それはつい三日前までの香純たち家族の姿を象徴しているような気がした。

 香純は考える。このままにしても良いのだろうか、という疑問が沸き上がったからだ。

 それに対する香純の解答は、“良くない”だ。根拠のほとんどない、直感のようなもの。

(お父さんは、気にするなって言いそうだけど)

 香純の脳裏に浮かんだのは、リビングのソファーで、なぜかコーヒー片手に新聞を読んでいる父の姿だ。香純が話しかけると顔をこちらに向けるが、そんなことか、と言って新聞に視線を戻す。

 多少どこかのドラマの影響が感じられるイメージ映像だが、意外と容易く想像できてしまうのは、強烈に植え付けられた第一印象のせいだろうか。

 しかし、それでは香純の胸に湧いたモヤモヤは晴れない。

 何をすればその鬱陶しい霧が晴れるのかは自明だった。

 それを実行に移すために、香純ははなから戦力外だった片付けを放り出して、二階へと走っていった。


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