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身代わり結婚のはずが、冷徹眼鏡公爵様に溺愛される〜元新婦に身体を押し売りされて、幽霊として憑かれているのですが!?〜  作者: 滝里シエル


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2 あの眼鏡さんは誰ですか?

『……ミレ、スミレ! 起きなさーい!』


「――っ!?」


 目を開けると、暗闇にぼんやりと透き通った女性の顔が浮かんで見えた。


「――ひっ、ゆ、幽霊っ!?」


 ドキリと恐怖で心臓が飛び上がる。


(ま、まずいわ、心臓に負担がっ。絶対安静にって、先生に言われているのにっ)

 私は胸を押さえ、呼吸を整える。


『ちょっとスミレ、先程のことをもうお忘れかしら?』

 幽霊が呆れた顔をして、私の顔を覗き込んだ。


「え、……あっ、ベアちゃん?」

 混濁していた記憶が少しずつ甦ってくる。


(……たしか、赤髪美女に会って、それで天界から猛スピードで落下してきたんだった!)


「――ベアトリスッ! おいっ、無事かっ!?」


 遠くから呼ぶ声が聞こえて、こちらに男性が血相を変えて走ってきた。


 暗闇よりも深い黒髪を揺らし、月明かりに眼鏡の縁がキラリと反射した。鼻がスッと通り、顎のラインはシャープで、知的な雰囲気の美形なお兄さんだった。白い肌が闇に浮かんで、陶器の人形のように見えた。


「はぁ、はぁ、君はいったい何を考えているんだ! 急にバルコニーから飛び降りるなど……っ。怪我はしてないか!?」

 黒髪眼鏡のお兄さんは、強い口調で捲し立てる。


(えっ? なんか心配してくれてるの? えっと、誰だっけ?)


 私は彼を思い出せずポカンと見つめていると、彼の表情が一段と険しくなる。


「聞いているのか? ……それとも、俺とは話もしたくない……と?」

 黒髪眼鏡さんは、唇を噛みしめる。


(え? どうしよう………。んー、やっぱり思い出せない! ごめんなさい!)


「あ……、えっと、すみません、どちら様でしたっけ?」


 私は申し訳なさげに頭を掻きながら愛想笑いをすると、彼の眉がピクリと動き、冷ややかな視線をこちらに向ける。


「は……? 何の冗談だ、ベアトリス」


「……ベア……トリス……?」


(――!?)


 私は慌てて、自分の置かれている状況を確認した。

 私はどこかの広い庭の茂みに寝ている。オレンジ色に輝く外灯が、お城のように大きな洋館を照らしていた。


 服も病院で着ていたパジャマではない。肩がはだけたガウンから覗くのは、ちょっとセクシーなランジェリーだった。身体を起こすと、私の数倍はあるだろう豊かな胸が、たぷんと揺れた。


(ぎゃー、恥ずかしいわーっ! なんて格好をっ!)


 私は慌ててガウンを着直し、襟元をぎゅっと握りしめた。


(っていうか、どっ、どう考えても、私じゃないわ〜っ!?)

 すうっと血の気が引いていく。


「なんで、なんで、なんで!? 私、どうしちゃったの? 夢? 夢なの?」


『ちょっとスミレ、落ち着きなさい!』


 私がパニックになりながらブツブツ呟いていると、ベアちゃんの声が頭に響く。空中を見上げると、そこに呆れ顔のベアちゃんが浮遊していた。


『さっき、契約しましたでしょ? あなたは私――ベアトリスとして生きるのですわよ』


 ……そうだった。彼女に押し売りのように、無理やり契約させられてしまったことを思い出した。

 私は震える両手を広げ、まじまじと自分の身体を見つめる。


「本当に……?」


 信じられないが、本当に別人になってしまったようだ。


 

「……それで、怪我は?」 


 黒髪眼鏡さんがこちらに手を差し出そうとしたが、寸前で手を引っ込める。


「どこか痛いところは? 起きられそうなのか?」


 彼は明らかに不機嫌そうな顔をして、長い指で眼鏡のブリッジを押し上げる。

 さっきの“どちら様?”一言で、本気で怒らせてしまったようだ。


 私は身体を動かしてみるが、幸い痛みもなく、無事のようだった。


「あ、はい。大丈夫……です。心配をおかけしてすみません……」

 私が謝ると、再び彼の眉が吊り上がる。


「……もし、何かあったら医者を呼べ。……あと、もうこの様な真似はするな。公爵家の恥だ」


 彼は眼鏡越しから鋭い視線をこちらに向け、そう言い捨てると、身体を翻して闇の中に消えていった。


 私がその背中を見送っていると、ベアちゃんが悔しそうに声を上げる。


『なんなんですの、あの態度はっ! 本当にいけ好かない奴ですわっ!』


「ベアちゃん、あの人はいったい誰なんですか?」


『あの男は……、私の夫、アルフレッド・ヴァレンシュタインですわ』


 彼が、ベアちゃんの夫――?


『何が、公爵家の恥よっ。あの男は家のことばかり。私のことだって、駒の一つとしか思ってないのですわっ』

 ベアちゃんの怒りはまだ収まらないようだ。


「んー、でも、心配で来てくれたんじゃないの?」

 私の言葉にベアちゃんは、心底嫌そうな顔をする。


『それは私自身の心配ではありませんわ。結婚式当日に新妻が命を絶ったなんて、公爵家の威信に関わるからですわよ』

「そう……なんだ」


 私には二人の関係は分からないし、さっきの黒髪眼鏡さんのこともよく知らない。だけど、あんなに血相を変えて走ってきてくれて、そんなに悪い人には見えなかった。

 

 しかし、それ以上踏み込んでもいけないと思い、言葉を呑み込む。


『スミレ、ここにいても仕方ありませんわ。戻りましょう』

「うん、そうだね」


 ゆっくりと立ち上がり、一歩一歩と歩き出す。……この感覚はいつ以来だろう。


「わぁ……」


『どうしましたの?』


「あ、あのね、こうやって外を歩いたの久しぶりなの。最近は歩くのも苦しくてつらかったから嬉しくて……。あ、ごめんね、ベアちゃんの身体なのに不謹慎だね……」


『……私のことは気にしなくても結構ですわ。私があなたに譲ると言い出したのですから、自由に使いなさいな』


「うん……。ありがとう……」


 足の裏から草や土の感触が伝わってくる。頭上には満天の星が広がっていて、長い髪を揺らす夜風を肺いっぱいに吸い込んだ。


(……私、生きてるんだ……)


 胸に手を当てると、ドクンドクンと元気な音が響いている。


 これからどうなるのか、分からない。けど、今はただ純粋に、この胸の鼓動を感じていたかった。


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