第五十四話:剣山黒縄衆の誕生 〜泥を啜る神童と孤児の誓い〜
天文七年 八月 / 西暦一五三八年 八月
視点:足利 三郎(維直)
「――おい、何を呆然としておるか! 呼吸が乱れておるぞ、若君!」
飯盛山城の裏手、霧が深く立ち込める険しい杉林のなかに、容赦のない怒声が響き渡った。
声を張り上げたのは、俺に生存術を叩き込んでいる師、賀茂柳斎だ。
先月、京の守旧派が放った伏見の忍びどもを飯盛山城の防犯トラップ(仕組み)で生け捕りにした件を受け、俺は彼らを牢で腐らせるのではなく、堺の工業特区へその家族ごと呼び寄せるという処遇を下した。見せしめの首斬りを行うのではなく、手厚い扶持と安全な生活という絶対的な利益を与えることで、彼らの忠誠を丸ごと買い叩いたのだ。
そして、かつて高名な修験者として各地の霊山を駆け巡り、山伏や野伏の間に絶大な人脈を持っていた賀茂柳斎に、その元刺客たちを束ね上げる組織の頭領として白羽の矢を立てた。
情報の収集、技術の機密漏洩防止、環境の防犯、そして俺の絶対的な護衛を担う、伊賀や甲賀にも引けを取らない最強の忍び・修験者集団。
柳斎はそれを、修験の山たる阿波の誇りを込めて、『剣山黒縄衆』と名付けた。
――そこまでは、俺の完璧な設計図通りだった。
誤算だったのは、安全管理の権化である柳斎が、「どれほど優れた鉄の部屋に引きこもろうが、最後は若君ご自身の肉体が危機をかわせねば意味がございませぬ!」と息巻いたことだ。そしてなぜか、黒縄衆が受ける過酷極まるサバイバル修行に、四歳の俺自身も強制参加させられていた。
「待って、柳斎……。この急斜面を泥だらけで四つん這いになって登るの、工学的に見て、体幹の消耗が激しすぎる……っ」
「理屈をこねるな! その無駄な思考を削ぎ落とし、野生の直感だけで次の一歩を踏み出すのが、この黒縄衆の修行にございます! 若君なればこそ、一寸の妥協も許されませぬ!」
ずべしゃ、と泥水に顔を突っ込みながら、俺は必死に四歳の小さな手足で岩場を這い上がる。
生き残るためだ。俺は血反吐を吐くような思いで、柳斎の容赦のないシゴキにしがみついていた。
ようやく一通りの山岳転進訓練が終わり、木陰で泥を拭いながら息を整えていると、柳斎が数人の男たちを連れてこちらへ歩いてきた。
連れられているのは、先月の襲撃犯であり、今は黒縄衆に組み込まれた元伏見の忍びたちだ。そのなかでも一際鋭い眼光を放つ、体得した体術のキレが尋常ではない男が前に進み出た。
「若君、こちらへ。この者は捕虜のなかでも特に腕の立つ、伏見の忍びの頭目格であった男にございます」
柳斎に促され、その男は俺の前に深く平伏した。
「……元伏見の忍び、百地弦十郎にございます。若君には、我ら一族の命を救い、堺にて過分なる扶持まで与えていただき、ただただ平伏するばかりにございます」
百地――。その姓を聞き、俺は泥を拭う手を止め、怪訝に眉をひそめた。
「弦十郎殿。一つ聞いていいかな。百地といえば、伊賀流忍術の根幹を支える上忍三家のはず。なぜ伊賀の高名な一族が、伏見の地で細川高基の犬に成り下がっていたんだい?」
私の問いに、弦十郎は自嘲気味にわずかに目を伏せ、静かに口を開いた。
「若君のご指摘、至極当然にございます。我らは元を正せば伊賀百地の一統。されど、数代前に本家との家督争いに敗れ、一族もろとも伊賀を追われた『分家』の端くれにございます。食い詰めた我らは京へと流れ着き、伏見の山に潜みながら、細川家などの権力者から裏稼業を請け負う傭兵(草)として命を繋いできたのです」
「なるほどね。分家ゆえに伊賀の本家からは見放され、京では細川の都合のいい捨て駒として扱われていた、というわけか」
「ははっ……。利権を失った細川からはろくな扶持も出ず、此度の夜襲も『成功せねば一族の命はない』と脅されてのことにございました。それを若君は、罪を問わぬばかりか、日向の地(堺)で暮らす家まで与えてくださった……」
弦十郎の言葉で、すべてのパズルが繋がった。
本家への対抗心と、困窮という弱み。これほど扱いやすく、かつ強い動機を持った人材はいない。
「弦十郎殿。君のその卓越した潜入の技術と、気配を絶つ体術……これをただの殺し合いで使い潰すのは損失が大きすぎる。だからこそ、君を黒縄衆の『筆頭教官』に任命するよ」
「教官……に、ございますか?」
「そう。これからは君のその技術を、組織の拡大のために使ってほしい。具体的には、畿内や阿波で戦火に巻き込まれ、行き場を失った身寄りのない『孤児たち』をこれから大量に集めてくる。彼らを堺の特区で安全に養育し、腹一杯の飯を食わせながら、君たちの手で次世代の黒縄衆として徹底的に訓練・育成してほしいんだ」
ただの傭兵集団ではない。幼少期から衣食住を完全に世話し、高等な教育と忍びの技術を叩き込むことで、我が足利家に「絶対的な恩義と忠誠」を抱く、文字通りの直轄情報機関を作り上げる。それが俺の長期的なグランドデザインだった。
「行き場のない子供らを、養育し、育てる……。我らの技が、ただの殺しの道具ではなく、伊賀の本家を見返すほどの、強固な一族を育てる糧になるというのですか」
弦十郎の目が、激しい感銘と野心の炎に震えていた。
忍びという日陰の存在が、生活の安定と、次世代を育てるという「大義」を与えられたのだ。
「御意にございます、足利三郎様。この弦十郎、命に代えましても、伊賀の本家や甲賀をも凌駕する、若君のためだけの最強の盾と耳目を育て上げてみせましょう」
弦十郎はそう誓うと、魂を込めるように深く額を床板に擦り付けた。
「よし、話がまとまったなら、さっそく修行の再開にございますな、若君!」
背後から、賀茂柳斎がこれ以上ないほどの満面の笑みで木刀を構えた。
「えっ、ちょっと待って柳斎、教官の配備計画についてもっと詰めるべき工程が――」
「問答無用! 次はあの滝壺へ飛び込み、息を止める訓練にございます!」
「それは物理的に——うわあああ!?」
俺の悲鳴が霧深い山に響き渡る。
こうして、伊賀の血を引く暗殺組織を自らの最強の耳目へと作り変え、孤児たちの養育計画を始動させた俺は、乱世を生き抜く野生の力をその身に刻み込みながら、さらなる勢力拡大への足がかりを、着実に築いていくのだった。
第五十四話をお読みいただきありがとうございました!
今回は、捕らえた忍び・弦十郎の口から「伊賀百地一族の分家」という隠された素性を引き出し、彼を筆頭教官として次世代の孤児たちを最強の組織へ育成していくという、黒縄衆結成の裏舞台を描きました。百地の設定を入れたことで、物語の背景がより硬派に、説得力を持って引き締まったかと思います。ご指摘ありがとうございました!
次回、第五十五話「淡路の荒波を制する超高速造船 〜神太郎と風を読む設計図〜」
日付は 天文七年 九月 / 西暦一五三八年 九月。
鉄砲の量産化に続けとばかりに、今度は三好の三弟・神太郎(安宅冬康)が、三郎の設計図を携えて淡路の水軍へと戻ります。職人の勘と経験に頼り切っていた伝統的な造船の工程が、三郎の「規格化された木材とコンベアシステム」によってどのように超高速化されるのか。海の男たちが四歳の神童の知恵に震撼する、新たな変革の物語が始まります。次回もどうぞご期待ください!




