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第十六話:土木戦記、開幕

天文四年 神無月 / 西暦一五三五年 十月

 阿波の南西端、土佐との国境に位置する「大里おおざと」の浜。そこには、土佐・長宗我部軍を主力とする三千の軍勢が、蟻の列のように連なっていた。同時に、海路からは伊予・河野水軍の安宅船が、白い帆をなびかせて撫養を目指している。

 三郎は、撫養を見下ろす物見櫓の上に立っていた。四歳の視界には、水平線を埋め尽くす敵船が映っている。

「……若君、いよいよですな。敵の先遣隊が、お主が造った『隙』のある北堤防へと舵を切りましたぞ」

 松永弾正が、愉悦を隠しきれない様子で報告する。三郎は無言で、手元にある「潮位表」と、港内に張り巡らされた「水門操作用」の索を握った。

 今回の三郎の作戦は、いくさではない。**「流体力学による選別」**である。

「弾正、第一水門を開けて。……彼らを、一番深い『絶望』の淵まで誘い込むんだ」

 三郎の合図とともに、堤防の根元に隠されていた木製の巨大な水門が、地響きとともに引き抜かれた。

 その瞬間、港内の潮流が劇的に変化した。これまでは穏やかだった水面が、三郎が設計した導流堤によって収束され、凄まじい速度の「還流」へと変貌したのだ。

「な、なんだ!? 舵が効かぬ! 吸い込まれるぞッ!」

 先陣を切っていた河野水軍の小早船が、不自然な渦に巻き込まれ、次々と三郎がわざと設置した「石灰混じりの暗礁」へと激突していく。砕ける木材の音と、兵たちの悲鳴が潮騒に混じる。

「若君、次は陸路ですな。土佐の兵たちが、砂浜の『藍の防壁』に足を踏み入れました」

 弾正が指差す先では、長宗我部軍の精鋭たちが、一見すると何の変哲もない砂浜を駆け抜けようとしていた。だが、そこは三郎が「藍の搾りかす」と「生石灰」を層状に埋め込み、海水を誘導して発酵を加速させた**「化学汚泥地帯」**だった。

 兵たちが足を踏み入れると、砂の下から凄まじい熱と、肺を焼くような硫黄の臭気が立ち上った。

「ぐわあああッ! 足が、足が焼ける!」

「水だ! 水をかけろ……ひいいッ! 水をかけるとさらに熱くなるぞ!」

 生石灰に反応した水分が熱を発し、兵たちの草履を焼き切り、皮膚を爛れさせる。三郎が現代の地盤改良技術を「逆用」して造り上げた、世界初の「化学地雷原」であった。

 物見櫓の上で、三郎は冷たく、しかし震える声で呟いた。

「……孫次郎(長慶)。これが、あなたの望んだ『武器』だ。石を積んで人を守るはずの技術が、今は人を地獄へ叩き落としている」

 傍らで見ていた三好孫次郎は、その光景に恐怖すら覚え、思わず三郎から半歩身を引いた。

 目の前にいるのは、愛らしい四歳の足利の若君ではない。冷徹な計算のもと、数千の命を「工学的」に処理していく、神か悪魔の化身であった。

「……凄まじい。もはや弓矢も槍もいらぬな。三郎殿、お主がいれば、この世から『攻城戦』という言葉が消えるやもしれぬ」

 だが、その圧倒的な勝利の最中、三郎の背後に一筋の「影」が迫っていた。

 三好の警護を潜り抜け、憎悪に燃える瞳で短刀を握りしめた者。

「三郎……お前さえいなければ。お前さえ、生まれてこなければ……!」

 それは、弟への劣等感に理性を焼き切られた、兄・幸若だった。

 戦場と化した港の喧騒の中、足利の兄弟による、血塗られた幕間劇が始まろうとしていた。

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― 新着の感想 ―
この戦い方、主人公、足利なのに楠木正成の再来と呼ばれそう。
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